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もう一度妻をおとすレシピ 第4冊  作者: 奄美剣星
Ⅴ 催物・紀行
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紀行・SL列車/ファースト・ラン 後 ノート20160503

紀行・SL列車/ファースト・ラン 後 ノート20160503


 津川駅で10分ほど給水・メンテナンスをして、乗客たちを楽しませた列車が再び動き出す。途中、通過駅の徳沢駅・上ノ尻駅があって、間が県境だ。銚子ノ口はライン川でいうならローレライ伝説のある川幅が狭くなったところに相当する。難所でときどき船が転覆したらしい。

 SLは崖っぷちをゆくので犬走りと犬走り代わりの橋梁があり、ときたま、トンネルやらスノーシェッドをくぐることになる。

 渓谷は屏風のように切り立っている山々の狭間だ。そういうところに、日出谷駅もある。周囲にはパッと見で百軒そこらの古民家集落があり、酒屋・食堂・床屋・雑貨屋といった店舗が点在している寂しいところだ。とはいえ、かつてはちょっとした鉄道拠点で、現在よりも規模が大きく転車台と扇形倉庫もあった。磐越西線が全線開通したかしないころか、同駅には、「野口英世博士がここのホームで降りて、同行した友人たちと記念撮影をした」と車掌がアナウンスしていた。

 日出谷に短く停車した列車は、いくつかの無人駅を通過し野沢駅に着く。そこの野沢駅で、地元商店街の人たちが珍しくホームにでてきて、饅頭を売り、停車時間にその一つを渡された。

 野沢駅前にある宿場の通りを抜けて、しばらく歩いてゆくと、国道49号線にでる。そこから山道を登ってゆくと、鳥追い観音と呼ばれる寺と、さらに奥まで行くと、大山祇神社の会津本社がある。拝殿の駐車場から本殿までは徒歩で4キロゆかねばならない。そのあたりは鬼ケ沢という地名だ。彼岸に登ったところ雪が残っていて、ふと、そこに熊の足跡が続いていることに気づいた。

 展望車である4号車にいると、赤いスーツのご当地ヒーローが横を通ったので、写真を撮らせてもらった。

 野沢駅の前後にはダムを眼下に見下ろすところがいくつもある。ダムは川幅が狭くなっている地形が選ばれているようだ。山都の一つ前の駅・萩野駅近くのダムにはかつて大黒岩というのがあった。会津藩領であった時代は、火薬の取り扱いに馴れた鉄砲隊がきて岩盤を爆破し、舟底をこするものの、なんとか往来ができるようにしたという。

 このあたりにはかつて高郷町というのがあって漕艇場をウリにしていた。もう少し温かくなると、漕ぎ手が手を振ってくれる。福寿草や片栗の群生地あるがこの年はいつもなら4月初旬あたりで開花するのに、暖冬で時期が早まって彼岸あたりに咲いていた。

 列車は山都駅に着いた。

 山都駅周辺では蕎麦が有名だ。ふつうに美味い蕎麦で、駅に近いところにかけられた一ノ戸川橋梁を撮影する際、食堂で食べる。駅からかなり離れた国道459沿いにある宮古集落というところの蕎麦は絶品でまた別物。店の親爺が山都蕎麦とは違う独自の歴史がある、といっていた。

 山都を越えると渓谷地帯は終り、ほどなく会津盆地に入る。

 喜多方駅。

 1番ホームに寄った駅舎には酒樽が積まれていた。SL列車から乗り降りして、造り酒屋やラーメン店にゆく人も多い。昔は観光用の馬車も走っていたがいまは瀟洒なバスをみかけるだけだ。かつては住友系の鉱山があり、そこにむかう日中線という鉄道の枝線があった。終点には熱塩温泉や日中温泉というのがあって、文豪・武者小路実篤が常宿にしていた旅館もある。

 喜多方駅でも太鼓で歓迎されたのだが停車時間は短く 鼓手たちが気の毒な感じがした。

 またいくつかの無人駅を通過し、塩川駅に着く。

 塩川駅は上りしか停車しない、セメント工場がわきにあり、敷地に引き込み線があった。後ろ側には、御殿場公園というのがある。会津藩領時代に、殿様が行楽にきたところで、江戸でいうなら浜離宮のようなところといえる。またかつては川港で、いまも往時の商家が軒を連ねている。

 そして昼過ぎ、会津若松駅に着いた。

 磐越西線のオコジロウ・オコミに続いて、沿線自治体のユルキャラが出迎えた。地元・東山温泉やら蔵元が菓子やら酒をふるまってくれた。改札近くでは地元のシンフォニー・グループが気の利いた曲をクラッシックアレンジせいて演奏していた。外にでるとやはり太鼓の演奏があり、続いて、ご当地アイドルの歌へと続く。

 私は駅から少し離れた所にある転車台にゆき、撮影してから、また戻ってきた。ご当地アイドルの歌は続いていたが、帰り列車時刻なのでそれに乗った。

 帰りは、少しダイヤが乱れた。

 枕木のボヤがあったとのことで、こういう事故はたまに起こるらしい。原因は煙草の投げ捨てとも、機関車の火の粉によるものだともいう。喜多方で待ち時間をとり、萩野駅付近でまたとった。それから消化が終わってまた列車が走り出した。

 だいぶ日が伸びて夕陽の景色が楽しめたが、新津駅・新潟駅についたころはさすがに暗くなっていた。

     了

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