資料(読書)/内田百閒 『阿呆列車』ノート20160520
内田百閒は明治時代、岡山県に生まれた。東大でドイツ語を学んで、士官学校や法政大学で教鞭を執ったが、一時期は日本郵船の嘱託職員となり、航空機関連の仕事にも関わっている。
私がこの作家を知ったのは案外と古い子供のころであった。北杜夫のどくとるマンボウシリーズ『航海記』『昆虫記』『青春期』のあとだったか、関連本で、遠藤周作や阿川弘之が登場するようになったので、両作家の著書も若干嗜むようになった。阿川弘之の著書でも比較的平易な『南蛮阿呆列車』というのを、1971年に内田百閒が没したあたりで著し、「なんであんな面白いものの続編を誰も書かないのか。ならば俺が書いてやる」と息巻いて書いている。北杜夫だったか遠藤周作だったかにいわせれば、子供のとき親戚が旅行にいくときお土産は何がいいと訊くと駅弁と答え、列車が通過するたびに日章旗の小旗を振ったという。――駅弁を土産にもってきてもらうと喜ぶというあたりは内田も同じだ。
……そうはいっても内田の書籍を読むようになったのは私自身が鉄ちゃん化した昨今のことである。
阿呆列車シリーズ閲読にあたって文豪様の作品は文語的で旧字体だから読みづらいという思い込みがあってまずは一條裕子が漫画家したところの同名著作を二巻まで購入、それからご本人のものを購入するに至った。――漫画はかなり忠実に小説を絵にしている。しかし作品は戦後になってから書かれたためか、思ったよりも平易な文体で書かれている。
漫画のイメージでいうと、内田は『ピーナッツ』でいうところのスヌーピー風で、お供のヒマラヤ山系君こと平山三郎はチャーリー・ブラウン風であるように感じる。風を切ってわが道をゆく内田に、平山は喜怒哀楽をみせずに従容として我儘な師の旅につきあう。ホームズとワトソンの関係ではけしてない。
内田にいわせると、「稀代の雨男・ヒマラヤ山系君」なのだそうだ。実際、借金までして列車の旅をすると、生憎の雨やら雪が降ったという話で、風景の描写が少ない。珍しくそういうものを描くとすると、空襲を受けた戦後の瓦礫とか接続列車を待つホームベンチのむこうは雨とかの描写、かと思えばスイッチバック方式といった鉄道用語の説明が入ったり、合間に、古式ゆかしい詩のようなものが入ったりする。
その他、ヒマラヤ山系君は、日本中どこの駅にいってもヒマラヤ山系君の知人がいて顔が広いのに感心するとか、お酒を飲むと面白くなって鉄道唱歌をうたいだすとかの話。どこぞの旅館のサービスが良い、出世した弟子が宿や駅に訪ねてきたとかいったエピソドもあった。弟子のなかには細君と一緒の者もいて、本人が酔って寝てしまうと、彼女が話しを首肯して聴いてくれたのだけれど、酩酊した内田が平山と一緒に寝ている弟子の悪口をあることないこと吹き込んだが、帰った後、夫婦仲がどうなったかは知らぬ――といった、鉄道そのものの描写よりも、下世話な描写で大半が占められている。
年輩のファンが著者に、「貴男の作品は面白いのだが実益がない」といわれたというくだりがある。逆説的にいうならば、比類なく面白い小説だという褒め言葉だ。
了
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引用参考文献
内田百閒『第一阿呆列車』新潮社2002年。原書は1951年。
内田百閒『第二阿呆列車』新潮社2002年。原書は1953年。
内田百閒『第三阿呆列車』新潮社2003年。原書は1956年。
一條裕子 漫画『阿呆列車1号』小学館2009年
一條裕子 漫画『阿呆列車2号』小学館2010年
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ノート20160520




