読書/クロード・シモン 『路面電車』 ノート20160728
ハードカバーになった白い本にはワンピースサイズの小さなモノクローム写真がついていて、よくみると、路面電車のバルコニーから落っこちかけた児童の背中・シャツを、車掌がつかんでいる感じだった。
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太宰治が、「恥多き人生を送ってきましたが……」みたいなことを晩年に綴っていたようだが、それをいったら私なんぞ恥を炒って金平糖にしたようなものだ。恥の上塗りで文豪閣下の猿真似でアマチュア小説を書いている。小説を書くには資料が欲しくなる。それからプロ作家様たちはどんなものを書いているか目を通す。私はけっこう我慢強い。家内にいわせれば物凄く好き嫌いが多いのだけれども、旅先のレストランで腕の悪いシェフにあたると、悪態をつきながら全部平らげるのだそうだ。――小学生時の教師の学校給食拷問で耐性がついたらしい。その意味で感謝している。
市立図書館の洋書コーナーで、クロード・シモン著、平岡篤頼訳『路面電車』という本があったので家に持ち帰って読んだ。
出だし。
「でこぼこのある黄色く塗ったブロンズの起伏が円盤の上に弧を描いていてレバーのぽつんと尖った爪が、発車させたりするために、運転手がひろげた手のひらでぼんぼんと押すたびにその弧を指し、停留所に近づくと彼はレバーをもとの位置にもどして電流を遮断するのだったが、その時は水際に位置する(昔台所などで井戸のポンプを作動させたあのハンドルに似ている、もっと小型の)鋳物のハンドルを大急ぎで懸命にまわして、歯車をがりがりさせるような音を立てながらブレーキを軋ませるのだった。レバーの問ってはもとの上塗りのかすかに茶褐色の名残しかとどめていず、その木質部分がずいぶん前から剥きだしになり、垢じみているとまで言わなくても灰色がかっていて、運転手は断面が楕円形になっている、そのてんぺんにそんな素朴な運転機器が載ったまるい支柱のようなものを前に突ったっていた。/その運転台にとどまって(もともと電車の内部にはいるにもそこを通らねばならなかったが)、中へはいってペンチ状座席に座らないということは、わたしの子供ごころにとって一種の特権と思えたばかりではなく、もちろん、おなじように座席をばかにしてきまってそこにいた二、三の乗客にとっても特権で、ただ彼らはわたしのようにその場所のありがたさを信じていたわけではないらしく、たんに運転手にならってそこでは煙草が吸えたからで、みたところ寡黙で――というかあやふやな英語まじりのフランス語で『運転士に話しかけぬこと」という掲示が示しているように、沈黙を強いられているのだろうが、その掲示のおかげで運転手は言うなればかなりみじめな、下等階級の年限と鳴って無言の孤独を強いられているようでもアリ、同時にまた、厳しい(時にはそれに背くことは死を意味した)作法にもとづいてじかに言葉をかけることが禁じられていた悲劇の王たちみたいに権力のオーラをまとっていて、彼は前方から押し寄せるレールをじっと見すえたまま、重々しい態度でその身分(というか地位、――というか役割)を受け入れて、まるで責任感の重みに夢中みたいで、停留所に停車するときだけ、車掌が鳴らす解放のちりんちりんを待つまでのあいだ下唇に貼りついた煙草にブリキのライターで火をつけ。運転区間端から端まで(つまり浜から町まで、停車時間をふくめておよそ四十五分かかったたが)くわえっぱなしの腹のふくれた、灰色がかった、すいかけのその細い煙草は、唾がしみてすけすけになった薄紙が、不器用にまかれた褐色のタバコの葉を覗かせ。太すぎたり抑えがきかなかったりする《茎片》かなにかのために、それには時にこぶができて、ほとんど破裂寸前だった。……」
冒頭がこんな感じなのはまあ良いとしよう。にわか列車オタクの私としては構造と運転状況が判ればいいのだ。しかしおんなじ調子が最後までつづくのだ。しかも路面電車の話題から外れて、町の描写、著者の御先祖様、家族、メイドたちをぼろくそにけなし始める。 街行く人々や田園風景の描写をまるで主役と主要舞台を描くがごとく、いちいち、事細かに描写して行く。
――なんて下手な訳なんだ。長い文章なのに句点が少なすぎる。主語を複数いれたら句点もそのぶん入れなくては読者が混乱するべきではないか。――苛ついてきた私は途中で音読してみた。規則性がある。訳者はかなりのインテリだ。しかし独善過ぎる文章だ。よくもまあこういう文章の出版を許したものだ。音読も黙読もやめて、PC検索時によくやる意味を咀嚼せずにひたすら文字だけ追う査読に切り替えた。
その方法で二度読み返した。
それで私ははたと気づく。この物語は小説ではなく詩ではないのかと。あるいは絵画を文字に置き換えているのだと……。
400字詰め原稿用紙に換算すると170枚くらいの分量だ。
解説書を読んだ。――解説での訳者の地文はきわめて簡潔な美文である。
『路面電車』という物語は著者が大病を患って夢うつつのなかでみた少年時代・故郷の風景だったようだ。――いわば走馬灯。
著者のクロード・シモンはノーベル文学賞を受賞した人だった。旧家の資産家に生まれて食うには不自由せず豪邸で暮らしている。――大学は聴講する程度で籍を置いてじっくり学んだことはない。詩やら絵やら学ぶ一方で、大戦では竜騎兵として参加してドイツ戦車軍団にこってんぱんにやられて捕虜になって、レジスタンスをやっている。
ノーベル賞をもらったら印税が多くなるかと思ったら、自著印税年収は五十万円程度だという。そして最後にきわめて少ないが熱烈な固定ファンがいる。そういうたった一人の読者のためにクロードは書いていると結んでいる。
ネットでこの人について書いているブロガーの解説を読んでみる。
フランスで核実験が行われたときに文学者を招いた式典があったのだそうで、日本のノーベル賞受賞者である文豪閣下・大江健三郎がそれを理由に出席を取りやめたのに憤慨し、ル・モンド紙に、「平和主義者たちが武器を捨てさせたらナチスがフランスを占領した」と寄稿して無礼を批判したのだそうだ。もともとクロード・シモンは政治と作品内容に距離を置いている。その彼が異例の糾弾をやったのだそうだ。
まったく知らない、難解な文章をした、異国の文豪閣下であったのだが、しっかりと記憶に残った。少なくとも(進歩的知識人とされる)大江閣下の作品よりは読みたいと思った。
ノート20160728




