読書(詩集)/お気に入りの 『ハイネ詩集』3/3 ノート20160823
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森の寂寞
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若い頃には
私も頭に花環を冠っていた。
花々はみごとに輝いていたし
花環には魔力がこもっていた。
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その美しい花環は誰にも好かれたが、
但しそいつを冠ってる男は数々の人間に嫌われた。
私は人々の黄色い嫉妬から遁げ出した、みどりの森の寂寞の中へ。
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森よ! 森よ! そこへ行けば
精霊たちや禽獣どもと気儘な生活が私はできた。
妖精どもや、誇らしい角を持つ気品のある野獣らは
少しもおびえず私に近寄って来た。
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ためらいもせず近寄って来た。
彼らは知っていたのだ、近寄っても大丈夫なことを。
私が猟夫でないことを鹿は知っていた。
私が理屈しか言わぬ人間ではないことを妖精は知っていた。
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妖精が与える恵みについて無駄口をいうのはただ愚者だけ。――
しかし私は公然と告白しよう、
実際、森の中に生きる有力家たいは
みんな私に対してどんなに仁慈を恵んだかを。
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エルフたちは私をめぐって何と愛らしく羽搏いたことか!
空気でできている可愛い種族! おしゃべり好きの彼ら!
彼らの視力はやや刺さるように痛く
それは甘美ではあるがしかし致命的な幸福を約束する。
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五月の踊りや友誼で私を悦ばせ
例えば私にお城の中の物語をしてくれた。
無遠慮なクロニカや
女王ティターニア。
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私がせせらぎの岸にすわると
銀色の長い薄絹と髪毛とをひらひらさせて
水の波から現れて来て飛び上がる
水の精たちの祭りめく群れ。
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琵琶を鳴らし、提琴をひき、
これぞ名だたる水魔の踊り、
その身のこなしも、歌のふしも
賑わい極まるどんちゃんさわぎ。
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その間にも折ふしは
騒ぎつかれた連中が
私の膝をまくらに寝転がる。
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「三つの若い蜜柑の話」のような
イタリヤの愉快な歌を口ずさんだり
そうかと思うと私の人間臭い息な顔つきを
歌にうたって賞めそやす。
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とっきに大きな笑い声をたてて
歌をやめては、こんな重大な問いをかける――
「いったいどんな目的で
恋の神さまは人間をお造りになったか? さあ、返事!」
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「お前さんたち人間は誰でも一人ずつ
不死の魂を持っているの? その魂は
なめし川でできてるの? それとも硬い朝の布?
なぜ、大抵の人間はあれほどお馬鹿さん?」
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そのとき私のした返答は言うまい。
しかし、信じてくれたまえ、その小っぽけな水の精が
からかったからといって私の不死の魂は
腹を立てはしなかった。・
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水の精やエルフらは品のいいふざけ屋だ。
地の霊どもとはこと変り、彼らは本当に忠実に
人間たちに仕え助ける。とりわけ私の好きなのは
人の家にも住むと言われる(ヴィヒテルメンヒェン)。
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襞のある長い赤いマントを着て
顔つきは廉直で、しかし内気でおとなしい。
彼らがあんなに心配そうに足を隠す理由を
私は見抜いたが知らん振りをしていた。
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つまり彼らの足は鴨足というやつで、
それを誰も気づいていないといご当人らが思い込んでいるのだから、
このいたましい一点に関しては
私は断じてからかってはならなかった。
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ああ、難しも私たちは、あの小人らと同様に、
何かしら人目に隠さねばならないものを持っている。
自分の鴨足のあり場所を、他人は誰も知ってはいないと
思い込んでいるのは御当人だけ。
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火の精とは遂に交誼を結ばなかった。
だから彼らの仕草については、他の精どもから
ほんの少し聴いただけだ。彼らは夜の暗闇に
私のそばをおずおずと鬼火のように飛び過ぎた。
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火の精は紡錘みたいに痩せていて、子供ほどの背丈、
ズボンもジャケツもきっちり身体にくっついて、
着もの刃すっかり緋の色で金色の刺繍がしてある。
顔つきは病人じみて、黄色っぽくて憂鬱だ。
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紅玉を嵌めた金色の冠を
彼らはみんなアタに載せている。
みんながそれぞれ自惚れている、
自分が絶対の王様だと。
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空らが火の中でも焼けないのは、
勿論それは上手い曲芸だと私も白状しよう、
しかしだからといって火に不死身のあの妖精は
ほんとうの火の霊ではないのだ。
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森の精のうり一番利口なのは、人間に幸を贈るアルラウン。
脚のみじかい、髭のながい小人。
人の指ほどの背丈の老人の種族。
どこから生まれた種族なのかよく判っていない。
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月光の照る中で彼らがとんぼ返りをやると
そいつはひどく私に尿を催させる。
とはいえ平素は私に良いことばかりしてくれるあの連中のことだから、
彼らが尿から生まれたという素姓なんぞは私にはどうでもいい。
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私にちょっとしたまじないの文句を彼らが教えた。
火事を祓うのと、猛鳥を追っ払うのと、
それから姿をみえなくする薬草を
ヨハネ祭りの晩に摘むためのまじないだ。
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星や前兆を占うことも彼らが教えてくれた。
蔵も置かずに風に乗ってとぶことや、死者を墓から呼び覚ます
ルーネ文字の咒門をも。
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そのほか啄木鳥を欺すための
口笛の吹きかたも。
それは啄木鳥から、
宝の在処を示す魔力のある
曼荼羅華を手に入れるためだ。
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おまけにその宝を掘るときの
文言まで教えてくれてすっかり説明をしてくれたが、
駄目だ! 宝掘りの述というやつは
とうとう私には身につかなかった。
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それにあの当時、そんな術は私には必要でもなかった。
宝は数え立てるほど持っていたし、そんなにたくさん要りはしなkった。
スぺインにも私は数々の蜃気楼を所有しており、
そこからの収入を私は受け取っていた。
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おお、あの頃のすばらしさよ! 空には
ヴァイオリンの音が楽しく一面に懸り、エルフの円舞と
水の精の踊りと、妖精たちのふざけとが
私の心を揺り、心は童話のために酔っていたのだ!
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おお、あの頃のすばらしさよ! 森の樹々は
弓形の屋根を空に張り、
みどりの凱旋門になるかのようだった。――私は、
自分が凱旋者になった気がして、花環をかぶり、森に踏み入った。
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すばらしかったあの頃よ! あの時期もむなしく流れ去り
そしてその後すべては変り、
ああ、花の冠も私から奪い取られた、
あの頃かぶっていたあの楽しい冠も!
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冠は私の頭から取り去られた。
どうしてそうなったのか自分でも判らない。
しかし美しい冠を失くして以来、
わたしの魂ももぬけの殻になったような気持ちがする。
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世の中のたくさんの幽霊の仮面のような顔が
気味わるくぼんやりと私を見つめる。空も淋しく、
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森の中ではエルフたちも姿を消した。
聴こえるのは猟の角笛、犬の吠え声。
鹿は繁みに身を隠して、
痛手を舐めながら涙を垂れている。
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アルラウンたちはどこにいる? 多分かれらは
巌の裂け目に隠れて心配そうにじっとしているのだろう。
小さな友らよ、僕は帰ってきたよ、
しかし花の冠と幸福とはどこかで落してきた。
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長い金じきの髪毛をもった精霊はどこにいる?
私に優しくいてくれた初めての美しい女よ。
あの精霊の住居だった槲の樹お今は
悲しげに風に吹き乱されて枯れ枯れと立っている。
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小川も今は暗澹とざわみている、冥府の河のように。
さびしい岸に一人の水の精が座っているが、
蒼ざめて無言で、まるで石像だ。
深い愁いに沈んでいるらしい。
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同悲の心をもって私は近寄って行く――
気がついて顔を挙げて私をみつめたが、
幽霊を見たとでもいう風に
驚愕の表情で逃げ出してしまった。
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ハイネ 『ハイネ詩集』片山敏彦・訳 新潮社1948年
ノート20160823




