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もう一度妻をおとすレシピ 第4冊  作者: 奄美剣星
Ⅲ 読書(訳詩含む)
25/100

訳詩/邯鄲少年行(かんたんしょうねんこう)




    訳詩/邯鄲少年行かんたんしょうねんこう


 ときは八世紀。大唐帝国の北辺・渤海ぼっかいの名士の倅に、高適こう・てきという姓名で、仲武ちゅうぶという愛称で呼ばれる若者がいた。家業をほっぽりだして、愚連隊仲間と連れだって各地を放浪していた。こういう輩は、中国なら任侠といい、日本風になら、悪党・バサラ者・傾き者・ヤクザ者、ウェスタンならアウトローというところ。

 若者は仲間たちといろいろな町をさすらっては、土地の有力者の用心棒になった。そんなとき、とある宴席に招かれた高適は、老詩人に出会った。

 詩人は、名君・玄宗皇帝とも顔見知りだという、実はとんでもない大物、かの詩仙・李白だ。ハチャメチャな性格は、高適と通じるものがあり、若者が、ぜひとも詩作をご伝授くださいと申しでると、なんのかんのいいながら、手取り、足取り、教えてくれた。

 高適は、仲間たちと傭兵・食客となって身を寄せていた、州の総督が叛乱鎮圧のため旗揚げすると行動をともにする。叛乱というのは、いわゆる『安史の乱』のこと。皇帝は西辺・蜀の地に落ち延び、中原は火の海と化したわけだ。

 高適は腕っぷしも強く、後輩たちの面倒見もいい。たちまち一介の傭兵から将校に取り立てられ武勲をあげてゆく。やがて乱が平定され、近衛軍の将領になったこの人は、故郷渤海の諸侯にも叙勲された。そして、五十歳にして作品を発表。長安の文壇にデビューした彼の作風は、たちまち大陸に旋風を起こした。

 長安といえば、唐王朝から五百年遡る漢王朝の都城でもある。後の世にも愛された、いしえの高祖大帝・劉邦が憧れた英雄に平原君がいる。趙国の王族だ。趙の都城は邯鄲かんたん。……色即是空、この世など幻と代わりないと吟じる「邯鄲の枕」の伝説の舞台ともなったところ。平原君・趙勝は、戦国四君と呼ばれる四人のゴッドファーザーのうち、もっとも義理人情にあついスーパーヒーローだ。邯鄲のウラを仕切ったこの人は、類まれな器量によってそれまで敵対していた五か国とかけあい、祖国を含めた六か国の軍勢を糾合し、敵を潰走させた。敵というのは秦。中国大陸の一統を目前としていたところで、それが英雄・平原君の活躍で、四半世紀ばかり遅れることになる。

 晩年、高適は、若いときに憧れた平原君に自分の半生を重ね、邯鄲生まれの若者を主人公にした一遍の詩をつくった。題して『邯鄲少年行かんたんしょうねんこう』だ。

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 邯鄲の城南、遊侠の子、自ら誇る、邯鄲の裏に成長せしを。千場の博をほしいままにして、家はなお富み、いくたびかあだを報じて、身は死せず。宅中の歌笑は日に紛々、門外の車馬は常に雲のごとし。いまだ知らず、邯鄲を誰にむかってかこれなる、人をしてかえって平原君をおもわしむ。

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 生粋の邯鄲っ子っていうのが自慢で、博打場を打ちたいままに渡り歩いた。裕福な家の生まれながら、一宿一飯の恩義で、仇討に助っ人にでて斬り合いもやった。しかしなんとか死なずにすんだ。……若いころはそんなだった。いま屋敷は、客人の馬車が門前でごったがえし、連日の宴で歌と笑いが絶えないのだが、機嫌をとりにくる輩ばかりで、腹を割って話し合うピュアな友人はいない。ああなんて寂しいことだ。やっぱり、いまだに素敵だとおもうのだよ、子供時代からのヒーロー・平原君はね。

     了

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