随筆/私の分魂病(ドッペンゲルガー) ノート20160625
ドッペンゲルガー現象というのがある。分魂病といわれ、その不思議は世界中の怪奇小説ネタになっている。――十九世紀・欧州の女性教師の話は有名で、本人が教室にいたはずなのに、もう一人の彼女が庭を散策していたのを生徒が目撃した。教師は学校をクビになって晩年、姉夫妻の家に厄介になった。そのとき甥姪たちは、「叔母様が二人になった」といって面白がったのだそうだ。
分魂病の特徴は、患者が幻覚をみるのではなく周囲の者がみるというところにある。文豪・芥川龍之介の死の直前に知人たちが、彼の人がもう一人いるところを目撃したという話も伝わっている。あるいは、つげ義春の漫画「ゲンセンカン主人」のように、二人の自分が相対したとき、争って、片方を始末しなくてはならないという説もある。
先週、学生時代の友人から携帯に電話があった。一年ぶりだったので、なぜ私に電話したのかきいてみると、私からの着信があったのだという。そんなはずはない。フリーランスをしている私は現在仕事をオフにしているから携帯をさほど触らずに済んでいる。目の前にあるにはあるが一週間弱、カバーすら開けていない。
実をいうと私は奥会津の秘境にある山を個人的な興味から取材調査する予定だった。――標高二千メートルの山で、東は山形、西は新潟、参道と境内だけが福島県という奇妙な霊山で、登山口の集落では胡蝶が舞い込むと死者がでるといういいつたえがあるところだ。――登山について素人な私は、熊がでるところだから鈴くらいは買っておこうと考えてはいたものの、軽装備でいけるだけいって、いけなくなったら帰ろうという安易な計画を立てていた。
ニュースで大手旅行メーカーが、メインコンピューターにウィルスが感染したため顧客データーが流出したという話をきいた。もしかするとその延長で、ハッカーが友人にワン切り電話をしたのかもしれない。けれども、私はそこに登録していないし、その後、友人が金銭的な被害を受けたという話もきかない。
奇異に感じた私は2016年6月18日に予定していた旅行と無謀な登山とをとりやめた。
当日、彼の霊山は豪雨だったそうだ。
了
ノート20160625