随筆/井戸から骨がでてきちゃった事件 ノート20140716
井戸から骨がでてきちゃった事件
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村上春樹の小説を読むと、『ノルウェーの森』ほか、作品中に井戸というのがやたらとでてきて、小石をそこに投げると落ち着く、みたいなことがやたら書かれている。
日本の井戸は弥生時代からつくられだした。以降、古墳時代、奈良・平安時代、中世、近世、近・現代と連綿と続いている。
私が遺跡調査で関わった古井戸は平安時代のものが一つで、あとは中・近世よ後のものばかりだ。単純な井戸は素掘りタイプだ。地面を単純に、ずどんと掘り下げたもので、一、二メートルというのが多かった。上部が崩落して、漏斗形になっているのもけっこうある。
群馬県での調査だった。……そのときいた会社の上司の一人がお片付けのできないタイプで、汚く食い散らかされた現場を引き継いで終わらせた。尾根に築かれた平安時代初頭の山寺で、ほどなく一般人の集落となった。竪穴住居に決まってくっついているカマド、その骨組みは、壊れた寺の瓦を転用したものだ。
そこから立派な井戸がでてきた。径五メートル前後はあったろうか、地上から円筒形に二メートル掘りこみ、径一メートル強くらいある中央の水汲み用・立坑を除いた側壁を、人頭大の礫石を丁寧に敷き詰めてゆき、古瓦も使用していた。
構造から恐らくは古寺に付属していたものだろう。古井戸は古寺が廃絶し、跡地にできた集落がそれを活用しつつ、平安時代末期に集落が廃絶するまで使われていたようだ。底から珍しい鬼瓦もでてきた。
大きめに穴を掘って、円筒形の水汲み用・立坑をつくり、周囲に石を積むという構造の井戸は、素掘りの井戸とともに後世にも踏襲されてゆく。
中・近世の井戸はよく掘った。
板材を縦に突っ込んで並べたのが多かった。自分が掘った経験はないが、古い舟を井戸・板枠に転用して下に突き刺すタイプもあり、興味深い。
茨城県で調査していたころ、近世初頭の城下町・武家屋敷からも、素掘りの井戸のほかに、石積みタイプの井戸がでてきた。
それでだ、本題に入ろう。
村上春樹が、やたらに表現する井戸というのは、母親の子宮を意味するもので、生命の根源を意味するものと解釈していた。しかし昨今は、どこぞの文豪のエッセイにあったのだが、「奈落」というものをイメージしてきた。つまりは、あの世に通じるトンネルだ。
さてさて、同県の素掘り井戸を調査していたら、何やら焼いた跡があり、骨までてきた。これは、『リンク』の貞子みたいに、古井戸に投げ込まれた気の毒な被害者のもので、骨が焼かれているのは、犯人が証拠隠滅のため、ガソリンをまいたからではないか、と推測した。私の妄想細胞はミステリー小説をつくりかけていた。……結果として、作業員さんを介してだが、近所のおじさんがやってきて、
「昭和四十年ごろだったか、俺が、病気の豚を屠殺して、ここに捨てて焼いたんだ」
というカミングアウトをきくことになった。
鑑識にだすと、果たして、貞子じゃなくて豚の骨であった。
最近、新潟で関わっている遺跡からも井戸がやたらにでてくる。ちょうど中世末・上杉謙信公の時代あたりのものだ。
「作業員の皆様、井戸穴は危険です。どうか足元に注意して作業しましょう」
「どうしたんだ、むこうにいた奄美センセイが突然消えたぞ」
「みろ、腕がでてきた」
「地面に手をつけた」
「頭が……」
きゃあぁぁぁ。
広大な遺跡地に悲鳴がとどろく。
井戸の底から現れた存在は……。
END