一、壮麗なる街、ヨンドル
前に描いた作品の焼き直しです。
「何ということだ……」
白髪の老将軍メゴスは陰惨たる光景を眼前に控え、ただ茫然自失するのみであった。
ここには、たった三月程前には、色鮮やかな山々に囲まれ、煉瓦造りの家が整然と並べられた、美しい街並が在った、筈だった。それがどういう訳か、家も、精密に平鋪された敷石もことごとく破壊し尽くされていた。人間が、そこらじゅうに転がっていた。そのどれにも、息のあるものは居ない。そこに在る筈の、夏の青々とした瑞々しい山々は、焼かれたように灰色に染まっており、獣一つ居る気配もない。
兵士の一人が馬上のメゴスに声をかけた。
「メゴス様、小麦も全滅です。ことごとく灰に染まっています」
「焼かれたのか」
「いいえ、何と申しましょうか、その……腐っているとも何とも言い難く、ただ色を、匂いを、抜かれ立っているというか」
「要領を得んな」
「はい、しかしメゴス様、畑一面この世の風景とはとても思えず、形容のしようが無いのです」
「それはこの街の有様も同じであろう。一体何が起こったというのだ。まるで天から大きな力で圧し潰された様な痕が幾つもあり、人々は目を見開き嘆き苦しんだように死んでいる。しかもそれが腐らずに灰色のまま綺麗に……とも言い難いが、こうも形を崩さず在り続けるなど」
「まるで大地に帰ることを拒まれているような」
「そんな詩的な返答を期待してはおらん。もっと詳しく調べて参れ」
「は」
その兵士は一礼し、また自分の来た方へと戻って行った。それと入れ違いになるように、別の男が、美しい金髪をさらさら揺らしながら、一人馬に乗って街の奥からメゴスに近づいた。
「どうであった、ウエル」
「親父、訳がわからん。街全体生きた人間が居ないどころか、虫っこ一匹居やしない」
メゴスの息子ウエルは、転がっていた死体を一つ指さした。
「こんな死体がゴロゴロ。瓦礫の下には圧死した死体。後は……」
と言いつつ、ウエルは振り返り街の奥を見て、
「奥には切り殺された様な死体も幾つかあった。その中には鎧ごとすっぱりと切られたモノも在った。相当の力が無けりゃ、ああはならないよ」
「感心しておる場合か、三月前にはお前は此処に来たのだろう。その時何か変わったことは無かったのか」
未だ夢心地のメゴスの言葉に、ウエルはしばらく思案したが、
「いつもの通りの街だったさ。いつも通り定期的な下らない挨拶を済ませて、いつも通り年寄り共の暇な言葉を聞いて。……うん、変わったことと言えば、旅人が一人来ていたな。……別段変ったことの無い、普通の恰好をした普通の通商人だよ。多少話はしたがそれまでだ。何か仕出かす様な大した男でも無かったさ」
「ふうむ」
今一度、二人は壊滅した街を望んだ。
この親子が少数の兵を引き連れて此の街へ来る三月程前、通商人ストラーデは交易の交渉の為に此処へ来た。二十歳に届かない男である。
街の名はヨンドル。――
その名は、三十年ほど前形作られたとき、その創設者より取ったものである。ヨンドルは主に帝都ロマティとの交易によって成っている。
ストラーデは街を見渡した。来る前はその帝都までの距離から考えて、聞きしに及ぶほど栄えているとは思えなかった。
が、目の当たりにして見れば、盛んなる人熱れ、良く管理された清潔な道、豪華な水道施設。それらは半月前まで居た帝都と、なんら遜色ないばかりか、あらゆる面で勝っていた。
何故だろうか。街の人間に聞く処によると、先ず災害が無いということだ。嵐も干ばつもこの街には未だ遭った事が無いという。流行り病、虫の害さえこの街を避けて通るようだ。山は生い茂り冬の暖炉の火を絶やした事が無く、作物は常に青々とし、どの地よりも実を重くした。
敬虔なる教徒ストラーデは、これぞまさに神の仕業だと断じた。
その神の愛にあやかろうと、早速街の中心にある教会へと赴いた。
ストラーデはそこで意外なものを目にした。その教会にあったものは、美しい街に似つかわしくない物々しい警備であった。己の強さをこれでもかと誇示するように、重装備の兵士が重い剣を腰に差し、教会を隅々まで囲んでいたのだ。
中に入ろうとすると、これまたどうしたことか、その兵士に道を塞がれた。
「何用か」
兵士の目が鋭く光る。睨まれるようなことをした覚えは無いのだが。
「いえ、私は通商人のストラーデと申します。この街へ来て直ぐにその美しさに感銘を受けました。人に聞く処によるとここには困難辛苦の類が避けて通ると申すではありませんか。これはきっと大いなる御神の御慈悲だと解し、早速私めもその御威光の前に頭を垂れ、跪きお祈り申し上げようと参じた次第でありますが……」
「許可は」
ストラーデは意外な顔をした。教会で祈りを捧げるのに許可がいるなど、聞いたことが無い。
「……許可の無い者を通すわけにはいかぬ故、どうかお引き取り願おう」
黙っていると、兵士は顔色一つ変えず、機械的に口を開いた。がちゃりと剣の音を立てて威圧する兵士に対し、言い返す勇気などなく、仕方なく泊まる宿へと足を向け教会を背にした。
宿へ着くと、既に夜は更けていた。
長旅で野宿続きの体は兎にも角にも疲れていて、その日はパンとスープと、チーズを一切れ食すなり、何も考えずにどさりと柔らかなベッドへと倒れた。たちまち深い眠りへと誘われた。
――その夜、夢を見た。褐色の肌の少女を胸に抱き剣を振るう己の姿である。――
次の日、ストラーデは街の権力者の元へ急いだ。疾うに陽の光は頭上にある。今の今までぐっすりと眠っていた。久々の布団にぬくぬくと包まっていたのだから当然である。
一番の権力者は、どうやら長老らしい。かくも素晴らしい街がかくも野蛮な制度に未だに甘んじているとは。……と苦笑しつつ、ストラーデはその家の前に立ち、扉を叩いた。
「はい。どなたでございましょう」
そう言って直ぐに、不審そうな顔をした、ストラーデと同い年ぐらいであろう青年が顔を出した。随分と警戒心の強い人たちだ。と半ば呆れながら、それをどうにか和らげるように、
「私は通商人のストラーデと申します。この度は、壮麗なるヨンドルの名声を聞き、彼の地イエルより馳せ参じ、交商の御挨拶の為に此処へお訪ね申した次第であります。どうか御長老へお目通し願いませんか」
と言って頭を下げた。その青年は不審を解いたのか、柔らかな微笑みをストラーデに向け、
「それはわざわざ御丁寧にありがとうございます。長老……つまりは私の祖父でありますが、祖父は体の方に少しばかり不安のあるため、私が取次致します。私はアレスと申します」
そう言って中へ促された。話によると、どうやら街の管理の代表は実質、この青年のようだ。
二人椅子に座り、ストラーデは自分の素性、交商の内容を事細かに話した。途中侍女がお茶を二人の前に出した。
「それにしても、イエルからいらっしゃったのですか。遠路はるばるの御足労、大変な御苦労の多かったことでありましょう」
「いえ、その苦労も忘れるほどの街の美しさでありました。整然とした街並み、細かで心が端々まで行き届いた装飾、清らかな水の流れ、豊かなる作物、青々とした山並、どれもこれも、目に新しくないものは御座いません」
「ありがとうございます。そう仰って頂けるのはこの街の人間として誇りに思います」
「畑にまで整備された道が繋がっているとか」
「その方が格段に便利ですからね」
感心しきっているストラーデであるが、一つ気にかかることを思い出した。
「あの、昨日教会へ参りました時、入場を拒否されたのですが」
この時、アレスの表情が僅かばかり曇った。……一体全体、どういうことであろうか。
「行かれたのですか?」
「はい。街の幸福を願おうと。兵士の見回りに立ち塞がれてしまって。……不都合でもございますか? 軽くお訪ね申しあげるだけで良いのですが……」
「いえ、不都合など。……そうですか。……そうですね。それならば、実は明日帝都より将軍様がいらっしゃり、定例会が教会にて催されるのですが、そこに御臨席なさいませんか?」
「定例会? そのような場に、私のような部外者が顔を出してよろしいのでしょうか」
「はい。しかし……しかし、それ以外で教会にお近づきになるのは御遠慮下さいませんか」
「それはまた、一体なぜ」
「いえ、どうか理由はお聞きにならないでください」
「何か秘密でも」
「どうか、どうかお控えくださいませ」
アレスは心底迷惑がっている風だった。ストラーデはそれでも、自分の信念から、どうにか聞きだしてやろうと思っていたのだが、丁度その時、扉の後ろで人の咳き込む声がし、話が遮られた。何かと思いストラーデはその方を見た。既にアレスは立ち上がり扉に向かっていた。
「アレス……居るの?」
扉が開き、一人の若い女性が部屋へ入ってきた。アレスは駆け寄って、その女性を支えるように手を伸ばした。
「ナレス、駄目じゃないか、眠っていないと」
「あなたの姿が見えなくて、不安になって……」
女性の名はナレスと言うらしい。ほっそりと痩せていて、肌も不健康な程に青白い。ナレスはアレス越しに部屋を見回して、ストラーデの姿にようやく気付いた。
「あら、お客様でしたか。これは失礼いたしました。お見苦しい姿をさらしてしまって」
そう言って顔を赤らめた。
「いえ、どうかお気になさらずに。私が許可なく勝手にお邪魔致しましたものですから。」
見るとナレスは寝間着らしい真っ白なだけの無作為な服を着ている。あまり体が頑丈で無いのは明らかだった。
「さ、部屋に戻ろう。すみません、少しの間だけ外します」
アレスはナレスの腰を抱き引き連れて部屋を出た。手持無沙汰にストラーデは紅茶に口を付け待った。アレスは直ぐに帰ってきて、ストラーデの前に立ち軽く頭を下げた。
「どうもすみませんでした。今のは私の妻です。無理ができなくて」
「いえこちらこそ。奥さまでしたか。御加減がよろしくないのでしょうか」
「はい、長いこと床に伏しております。医者も殆どつきっきりで……」
「そうでしたか」
流行り病が無いとは聞いたが、やはり病気は無いとは言えぬらしい。ストラーデは非礼を詫び、早々にしてアレスの家を出た。
翌日、アレス一同は教会にて将軍の登場を待った。ストラーデもその場にいた。教会内部は街の風景とは対照的に、ステンドグラスもオルガンも、主の偶像も一つとない。ただ形式的な十字と椅子があるだけのごく簡素なものだった。ストラーデはそれに多少の不満を持ちながらも、将軍とやらをアレス達と共に待った。が、其処に入ったのは白髪の将軍では無く、金髪の、無愛想で見るからに生意気そうな若者だった。街の人間の一人が恭しく頭を下げた。
「これはウエル様、ようこそいらっしゃいました。あの、それでメゴス様は」
それに対しウエルは傲然たる態度で答えた。
「此度の会に於いて、我が父メゴスは西方遠征の拝命故に、参上に能わず。よってこの子息メゴスが代行として参じた次第である」
「そうでございましたか」
「……不満か。この若輩者たるウエルでは」
「い、いえ、滅相もございません。帝都の外にも御名を響かせる美麗なる才子たるウエル様に何の不備など御座りましょうか。御足労をただただ感謝申し上げるのみでございます」
街の人間は慌てながらそう言って今一度頭を深々と下げた。ウエルはそれを鼻で笑った。
「ふん、担ぎあげた所で何も……いや、まあいい。さっさと済ませるぞ」
そして、全員が教会へと通された。始め、何やらこの教会の神父であろう人間を中心に挨拶、儀式的な行為が執り行われたが、やがてすぐに、兵員の補充、野盗の対策などの話になり、ストラーデは一人所在なさげに遠巻きで様子を見ていた。
街の人間があれやこれやと要求した。ウエルはただそれを聞き流している風だった。
「どうじゃ、不思議であろう。暇な会議じゃ。どうしてこのような無能ばかりの集まりがこれ程の街を形作ることが出来ようか」
ひしゃげた男の声。あまりに突然。びっくりしてその方を振り向くと、黒の法衣に身を包んだ背の低い老人がストラーデのすぐ傍らに立って居た。フードに被さって目さえもろくに見ることができないが、垂れ下がり皺にまみれた顎、所々に黒ずみのある鷲鼻から、自然、醜い顔立ちであることが察せられた。瞬時にして不快感が込み上げたが、見た目に人を判断する事こそが醜悪だ。と思いなおし、
「いえ、しかし実際街はここまでも発展しております。それは人々の努力に相違いありません」
ストラーデは平静を装い答えた。老人は不気味に笑った。たった一人の長旅にも慣れた、勇気あるストラーデでさえ、ぞっとするような声であった。
「ほほほ、そうは言っても不思議であることは間違いあるまい。他と比べ、この街のみがこうまで栄えていることには疑問であろうが……」
「それはありますが、この街は正に不思議な力に、そう、神の愛に包まれているような心地があります。きっと人々の信心のたまものでございましょう」
何とか臆せず答えた。しかし老人はさもおかしそうに、嘲笑の声を荒げた。
「ほほほ、そうかそうか、神の愛か。そうか。確かにこの街は或る不思議な力に包まれておる。しかしのう、それは、神の愛などではない。もっと、他の事じゃ……」
「他の? ……あなたは、何かご存じなのですか?」
ストラーデは眉をひそめた。老人は一切目を見せず、口だけでにたっと笑った。
「ほうほう、知っておる。街中の人間みな存じておる。此処で知らぬはおぬしばかりじゃ。秘密はおぬしの直ぐ近くにある。……ほれ、この教会のじゃ。この教会の地下じゃ」
「……地下? そんなものがあるのですか? 教会に? 一体それは何故……」
「おうおう、在るとも。皆知っておる。知らぬのはおぬしばかりじゃ」
あまりに胡乱な言い回しに不快感が募った。が、どうしても好奇心が勝った。老人はしゃがれた声でほほほと笑った。そうして、教会の角にある棚を指さした。
「ほれ、あそこ、あれの裏にな、地下へ通じる階段がある。……その先じゃ。この街の秘密とやらは。どうじゃ。見てみたいであろう。なあ」
老人はまたにたっと笑った。依然目だけはフードに隠れていた。ストラーデはその、老人が指し示す方に足を二、三歩進めた。
「ストラーデ様」
それを呼び止めたのはアレスであった。見ると、会談は既に止んでいる。一同の視線が向けられた。ストラーデは振り向いた。
「ストラーデ様、どうかなさいましたか」
「いえ、この方があの棚の向こうに何かがあると、そこのご老人が……」
老人のいた方を指差したが、老人の姿は忽然と消えていた。一同の、特に街の側の人間の視線は不審に変じている。居心地の悪さが一層増した。
「あの棚の向こう。……如何しましたか」
アレスの視線が鋭く、語気が強くなった気がした。
「いえ……先ほどまで居た御老人に……何かがあると仰せられたので……」
「……何もございません」
「しかし……」
ストラーデは心地の悪さを感じ尻すぼみに言葉を弱めながらも、何かしらの答えを期待したが、アレスの眼光がそれを許さなかった。
「何もございません。どうか無用に御詮索なさらぬようよろしくお願いいたします」
そう言って、一同はストラーデを半ば強引に教会から追い出してしまった。
ストラーデは、老人のこと、教会の地下のこと、街の秘密のこと、疑問ばかり頭に浮かんだが、何を思い付けることも無く、仕方なく、宿に戻る他なかった。――
アレスは家に帰り、ナレスの元にいち早く足を向けた。ナレスはベッドの上で一人黙々と編み物をしていた。アレスを見ると、顔が自然緩み穏やかな笑みを向けた。
「お帰りなさい」
その温かな声と笑みに、アレスの顔も同様に緩んだが、その手元を見てまた表情を戻した。
「加減はいいのか? そんなことをしていて悪くはならないか」
「ええ、御心配なさらないで。今日は一層調子がよろしくてよ」
「それならいいのだが。だが無理をしてまた体を壊しては駄目だから。」
アレスは即座にナレスに寄って、傍らの椅子に腰かけた。ナレスは気遣いを嬉しくも思いつつ、少しだけ困惑した表情を浮かべ、
「あら、平気ですわ。お医者様からも言われましたもの。日長一日寝ていたのでは、帰って悪くなりましてよ」
と言って、また笑った。
「まあ、それならばいいけどね。あまり心配をかけないでくれ。お前は今の私のすべてなのだから」
「……あなた、どうかそんなことをおっしゃらないで。あなたは立派に、このヨンドルの街を守っておいでではありませんか。この街は既にあなたの一部。私があなたの全てには成り得ませんわ」
ナレスはアレスの頬に触れた。アレスはその手を両の手で確りと握った。
「いいや、お前が居なくなってしまったら。……そんなことが頭をよぎる事さえ嫌だ。どうか、どうか何処にも行かずに居てくれ。どうか病気を早く直してくれ」
「あなた、今日はいつもに似ず弱気なのね。そんなさみしそうな顔をして。まるで子犬のようよ。……アレス、大丈夫よ。ずっと一緒だわ。心配なさらないで。病気もすぐにでも治して見せるから。ね、だから。いつもの通りあなたの元気な笑顔を見せて頂戴、ね?」
「ナレス……ああ、分かった」
そう言って二人、穏やかに微笑みあった。この不幸な中でも幸福な夫婦は、目を合わせながら二人幸福な時を過ごした。




