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スピカ、空に帰る

作者: 古池ケロ太

 天から全ての星がふっつりと消えてしまってから、もう一年になります。今夜も夜空は大きな穴が開いたように真っ暗です。

 村はずれの丘のふもとに、スピカはふわりと降り立ちました。

 人間には足元すら見えない真っ暗闇も、彼女には関係ありません。体を覆う青白い光が、行く先を照らしてくれるのです。    

 金色の長い髪が揺れると、同じ色の光が粉雪のように散り落ちて、羽虫たちを呼び寄せます。

 スピカはその中の一匹をつかまえようとしましたが、すばしっこい羽虫は手の内におさまってはくれません。すねたように口をとがらせ、乱暴にワンピースの裾をからげると、スピカは雑草まみれの丘を上りはじめました。

 からっぽの空にこだまするのは、虫の声だけ。海沿いのこの小さな村では、日が沈むと人間たちはみな家に閉じこもってしまいます。月も星もない夜では、外に出ても何もすることがないからです。はずれの丘はひどく静かで、ここを散歩するのが最近のスピカのお気に入りでした。

 やがて、丘の頂上に行き着くと、くるぶしほどの高さの草が、じゅうたんのように敷きつめられていました。花は咲いていませんが、きれいに手入れされた、そこはどうやら花畑のようです。

 スピカは腰を落として茎を手折ろうとしました。

 すると、不意に声をかけられました。

「まだつぼみだよ、それ」

 振り向くと、花畑の端に、人間の少年がランタンを持って座り込んでいました。

 少年は背中を向けたまま顔だけをこちらによこして、にっこりと笑いかけてきました。

「やあ、こんばんわ」

「こんばんわ。何をしているの?」

「海を見てるんだ」

 少年が見る先には、丘のふもとからなだらかに続く海岸がありました。空との境も見えない真っ暗な海から、すすり泣くような波音が聞こえてきます。

「おいらの父さんは船乗りだったんだ。でも、一年前の夜に船を出したっきり、戻ってこなくなっちゃった。きっと星が見えなくて、方向を見失ったんだ」

 スピカは、彼がじょうろを手にしているのに気付きました。

「この花畑はあなたが作ったの?」

「うん。れんげ草。母さんが好きなんだ。母さん、父さんがいなくなってから、ずっと泣いてばかりで。ちょっと元気になっても、真っ暗な空を見たらまたぐしゅぐしゅになっちゃうんだ。花を見せてあげたら元気になるかなって」

 少年は立ち上がって、ズボンの後ろについた泥を払いました。幼い顔つきに見えましたが、背丈はスピカより大きいようです。ずっとにこにこしているから、子供っぽく見えるんだなとスピカは思いました。

「あなた、名前は?」

「レモス。君はスピカだね」

 スピカが目を丸くすると、レモスは笑い声を上げました。

「この辺に住んでる人間なら誰でも知ってるよ。何しろ神様の娘なんだもの」

 レモスは、スピカのきらきらと光る瞳と髪を、まぶしそうに見つめました。

「みんなが言ってるよ。神様は君のために夜空の星を全部集めたんだって。それ、本当?」

 たちまちスピカは胸を張ります。父親からプレゼントされた星のコレクションは、彼女の自慢だったのです。

「そうよ。見たい? 見せてあげる!」

 返事も待たずにレモスの手を取り、そのままふわりと空へ駆け上がります。

 光の渦に飲み込まれて、思わずレモスが目をつむった次の瞬間には、二人はもうスピカの家にたどりついていました。

 ごつごつとした岩肌がおおいかぶさってくる、洞窟のような家でした。入口も窓もなく、家具といえば隅のほうに置かれたベッドが一つだけ。ろうそく一本の明かりすらもありません。

 それでも洞窟の中は、目を焦がすような光であふれていました。地面に並べられたたくさんのビンが、七色の光を放っていたのです。

「すごいでしょう」

 スピカはビンの一本を取り、レモスの前にかかげてみせました。コルクで蓋をされた透明なビンの中には、赤・青・緑と美しく輝く星たちでいっぱいです。底のほうでひときわ大きく輝く球は、まんまるな月でした。

「どう、きれいでしょう」

 スピカが得意そうに言うのに、レモスはちょっとだけ寂しそうに、

「そうかな」

 と答えました。

 スピカはむっとしましたが、不意に考えつきました。

 この子はきっと、最初から私に会う気であの丘にいたんだわ。そして、この星のビンを奪い取ろうとしているんだ。人間にはこんなきれいなものを手にする力がないから。

「言っておくけど、これはあげないわよ。私がお父様にもらったものなんだから」

「そんなことしないよ。その代わり……」

「その代わり?」

「この星を空に返してやってほしい」

 スピカはまた目を丸くしました。星を自分のものにしたいっていうなら分かるけど、元のところに戻せなんて何を考えてるんだろう。そんなことしたら、自分のものにならないじゃない。

「いやよ、そんなの。大体、どうやったら元に戻せるかなんて、私知らないもの」

「そっか。残念だな」

 レモスは言葉のわりに残念そうな様子もなく、にこにこと笑いました。スピカは眉をしかめ、面と向かって思ったことを言いました。

「おかしな子」

 それでもレモスは微笑み続けているだけでした。



 それから毎晩、スピカとレモスは夜の花畑で会うようになりました。

 レモスはあれ以来一度も「星を返して」とは頼まず、反対にスピカはビンの中で光る青い星や赤い星の自慢話を繰り返しました。レモスはやっぱりそれをにこにこしながら聞いているだけでした。

 ある夜スピカは、畑の中に小さな花びらを見つけました。れんげ草のつぼみが開いていたのです。

「花が咲いてるわ」

「うん。暖かくなってきたからね。ほら、見てごらん。そこかしこに咲きかけのがあるよ」

 言うとおり、花畑はぷっくりと膨らんだつぼみでいっぱいでした。明日には全部開くよ、とレモスはうれしそうな顔で言いました。

 次の日、スピカはまだ陽が沈まないうちに丘の上に来てみました。

 レモスはまだ来ていませんでしたが、彼の言った通り、畑にはいっぱいの花が咲いていました。赤紫の花びらの群れが、まるでアメジストをまき散らしたようです。

 それを持って帰りたいという思いが、スピカの頭に飛びつきました。ですが、レモスがお母さんのためにこの畑を作ったと思い出し、どうにかとどまりました。

 ああ、そうか。あの子が星を返してと言ったのも、お母さんのためだったんだわ。

(星を返してやることはできないけど……)

 その代わり、スピカはいいことを思いつきました。

 やがて夜になって、レモスが花畑にやってきました。花が咲いているかどうか楽しみに、にこにこしながら丘をのぼってきたレモスは、しかし、畑を見たとたん立ちすくんでしまいました。

 花がありませんでした。全部、茎の途中から折り取られていたのです。

 レモスのもとへ、スピカが歩み寄りました。

「はい、レモス。これ、あげる」

 それはれんげ草でつくった、花の輪でした。両腕でかかえるほど大きな輪は、赤紫の花びらと澄んだ緑の茎と、それから見たこともないほどきれいな宝石たちで織り上げられていました。

「お母さんに渡してあげて。きっと元気が出るから」

 こんな立派なプレゼントなら、きっとよろこんでくれるはずだわ。スピカは胸を張ってレモスに輪を押しつけました。

 ですが、レモスは下を向いたまま動きません。

「レモス?」

 スピカがその顔をのぞきこんだときでした。

 レモスは花の輪をはたき落としました。そして、そのまま丘の下へと走り去ってしまったのです。

 ぼうぜんと見送るスピカの胸に、初めて見るレモスの泣き顔がいつまでも居残っていました。



 その夜スピカはずっと考えました。

 どうしてレモスは泣いていたんだろう。せっかくきれいな花をもっときれいにしてあげたのに。もっとたくさん花を集めればよかったのかな。もっと宝石をたくさん入れてあげればよかったのかな……。

 洞窟の隅で座り込んでいるところへ、お父さんである神様がやってきました。その手には透明のビンがあり、中から色とりどりの貝殻が透けて見えます。

「ほら、ごらん。七つの海から集めためずらしい貝だ。これをお前にあげよう」

 ビンいっぱいに詰められた貝たちは、形も色も信じられないくらいに美しく見えました。

 でも、それを見てもスピカの心はなぜだか浮かび上がることはありませんでした。

「どうしてお父様は、こういうことをするの」

「決まってるだろう。お前がかわいいからさ」

「そうじゃなくて、どうして星や貝を集めるのかってこと」

「そりゃあ、きれいなものはまとめて手元に置いたほうがいいからさ。そうすれば、いつでも好きなときに見られるだろう」

 そのとおりだ、とスピカは思いました。だから私も、レモスと、レモスのお母さんのために花を集めてあげたのに。

 星々をかき集めたビンを、スピカはぼんやりと見つめました。

「ねぇ、お父様。あの星を空に返すには、どうしたらいいの?」

「うん? それはフタを外せばいいだけで……」

 言いかけて、神様はびっくりしました。

「どうした、もう飽きてしまったのかね」

「違うわ。ただ聞いてみただけ」

「ならいいが……やめておくれよ、そんなことを考えるのは。フタを外すのは簡単だが、星を返すのはたいそう力のいることだからね。まだ小さいお前がそんなことをしたら……」

「どうなるの?」

 スピカがたずねると、神様は考えたくもない、というふうに首を振りました。

「とにかく、だ。いいかね、やめておくれよ。私はお前を失いたくない」



 次の日の夜、丘に上ったスピカはあっと驚きました。

 花畑の中に、レモスがいたのです。

「やあ、こんばんわ」

 レモスは前とちっとも変わらない笑顔です。怒っているか泣いているかと思ったスピカは拍子抜けしました。

「何をしているの?」

「種を植えてるんだ」

「種?」

「そう。れんげ草。また花を咲かせられるように」

 レモスが手にしているのはスコップと、皮の袋でした。花が消えてしまった畑に、もう一度はじめから種を植えようというのです。

 スピカはまずあきれ、次に怒ったように言いました。

「花が欲しいなら、私があげるわ。お父様に言って、世界中の花を集めてあげる。れんげ草だけじゃなくて、りんどうでもコスモスでも、桜でもすずらんでもひまわりでもあなたにあげる」

「ありがとう。でもいらないよ」

「どうして? ああ、分かった。花を育てるのが好きなのね。そうなのね」

「ちがうよ」

「じゃあ、どうして。どうしてなの」

 分かりません。レモスの考えていることがちっとも分からず、スピカは泣きそうになりました。心の中がぐずぐずに崩れそうでした。

 レモスはやさしく微笑んで、こう言いました。

「手元になんてなくていい。そのままでいいんだ。そのままで」



 洞窟の家の隅っこにうずくまりながら、スピカは考えました。

 腕の中には、星くずでいっぱいのビンがあります。

 それなのに、レモスはいらないというのです。そのままでいいというのです。そのままで。

 そのままの星とはどんなものだったろうと、スピカは思い出そうとしました。しかし、できませんでした。頭の中の夜空には、月も銀河もない真っ暗な大穴です。

 たった一年前まで見ていた夜空なのに、どうしてだろう。ううん、今の今まで、私はしっかりと空を見上げたことなんてあったかしら。

 どうしようもない気持ちが胸にからみついて、スピカは立ち上がりました。



 たくさんのビンを抱きしめて、スピカは走ります。ただの一つも落っことさないように、お父様に見つからないように。

 丘の上は花冷えの舞台でした。頭の上にはどこまでも黒い幕が下り、海からは凍えた波がかすれ声を出していました。 

 もう帰ってしまったのか、レモスの姿はありません。スピカはビンを畑の上に並べました。一本を手に取り、コルクのフタを外します。

 小さくすぼまった口から、蛍のように、一かけらの星が浮かび上がってきました。ふわり、ふわり。

 続けて一つ、また一つ。小さな小さな星たちが、なかぞらへと飛び立ってゆきます。

 スピカは次々とビンを開け放ちました。赤、青、黄色、大きいのも小さいのも、光が強いのも弱いのも、みんなが空に帰ってゆきます。きらきら、きらきらと銀の河が流れてゆきます。

 最後にビンの底に残っていた重たい月が、ゆったりと天頂に腰をすえたとき、春の夜空に星の海がよみがえりました。

 それはもう誰のものでもない、あるがままの自由な空です。

 見上げるスピカの体から、すぅっと力が抜けてゆきました。



 突然明るくなった空に、村人たちが驚いて出てきます。家々から飛び出し、くっきりと輝く月を認めたとたん、彼らの顔に喜びが爆ぜました。

 何がどうなったのか分からないながら、口々に歓喜の声を上げ、小躍りします。肩を叩き合いながら泣き出す者もいました。

 浮かれ立つ人々の中から、走り出る少年がいました。

 レモスです。

 お祭り騒ぎの村人には目もくれず、丘の上へ一目散にかけてゆきます。息が切れるのも心臓が弾むのも、かまいません。裸足の足裏を尖った石が突き刺しても、まるで気になりませんでした。

 やがて花畑にたどりつき、

「スピカ!」

 叫んでも返事はありませんでした。畑の中は、いくつものビンの亡骸が転がっているだけです。

 レモスは広がる銀河を見上げました。

 東の空、おとめ座の端っこにぽつんと一つ、ただずむ星がありました。青白く輝く、きれいな一等星。あの少女の瞳と同じ色の――。

「スピカ……」

 つぶやいたそのとき、

「う……ん」

 はっと振り返ったレモスの目に、横たわる少女の姿が飛び込んできました。すぐに駆け寄り、その体を抱き起こします。

「スピカ! 大丈夫?」

「レモス……」

 うっすらと開いたスピカの顔を見て、レモスは驚きました。

 青白かった目から光が消え、髪の金色も抜けてしまっていました。黒い髪のスピカは、黒い瞳を空に向けて言いました。

「寒いわ。それに体がすごく重い」

 全身に鉛をつけられたようです。この分だと、もう宙を飛ぶことも家に帰ることもできないでしょう。

 それでもかまわない、とスピカは考えます。この星の海をよみがえらせることができたのだから。きっと生まれて初めて、本当にきれいなものを見ることができたのだから。

「これは君が?」

「そうよ。ああ、お父様に怒られちゃう。ひょっとしたら家から追い出されるかも」

 レモスは今までで一番の笑顔を見せました。

「そうしたら、うちにおいでよ。お母さんも、きっと喜んでくれる」

 レモスの手が冷えた体を癒してくれます。微笑み返すと、体の中が芯からあたたかくなるのを感じました。

 ゆったりと流れてゆく銀河を見上げながら、明日は種を植えようとスピカは思いました。

これ書いたの、もう何年前だろう。

オリジナル小説では一番古いかもしれません。

何を思った書いたかなんて覚えてやいませんw


とりあえず読み返してみて、このころから文章力進歩してねーな、というのが率直な感想でございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これは深い童話ですなぁ。 人間より神様の方がわがままってあたりの構図も良いです。 こういう話だと全然古さを感じませんのー。 [一言] あ、宝石つきの花冠、要らないならください。←
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