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流雨

作者: ムニプニ

友達に『お前は三人称より一人称が向いてる』と言われたんですがどうやらだまされたようです。

 窓の外では雨が降っていた。

 おはよう、と呟いて身体を起こす。誰がそこにいるわけでもない、単なる習慣だ。緩やかに空気を咀嚼して思い出す。そういえば僕は空腹だ。たぶん三日ほど何も食べていない。別に食べるものがなかったわけではないのだが、食欲がなかったのだ。緩慢な動作で床から抜け出す。備蓄の食糧から適当な缶詰を取り出して封を切った。

 いただきます、一言つぶやく。命をいただきます、呟いて食事に手をつける。

 なんてことはない。ただの習慣である。

 どんな形であれ何かを犠牲にしなければ、命を殺さなければ人は生きていけない。それを恥じる必要はない。だけれど、忘れてはいけない。全ては何かの命を引き換えに得ているのだ。それが母の教えだった。母が僕に残した唯一のものだ。業が深い思想である。

 半分も食べずに、箸を置き、ごちそうさま、と呟いた。あれほど空腹を訴えていた身体も今ではただの肉塊のようだ。缶詰一つでも僕にとっては飽食らしい。キッチンに食べかけの缶詰を放置して、ベッドに腰かけた。ぼう、と窓の外を眺める。

流れ落ちる雨は天の落涙か、神の鉄槌か。いつか母はそんなことを言っていた。それがどんな意味なのかは知らない。母は僕に答えを求めなかった。ならば、僕が答えを出す必要はないのだろう。

雨は空気をつたい落ちて、大地へ流れ落ちる。雨にとってそれはどんな意味があるのだろうか。あるいは意味などないのだろうか。似ているな、と呟いてみた。その在り様は僕にいている。

 僕にはおよそ生欲がない。生きることに縋りつく理由がない。生きようとは思っていない。

生きることは命の消費である。では、僕はどうして命を浪費しているのだろう。

 なんてことはない、ただの習慣である。

 僕は与えられるままに生きてきた。母がいなくなったところでそれは変わらない。それまで与えられたものを反芻するのだ。日々生きることは全て習慣に過ぎない。そこに意義などは無く、ただ命が消費されるだけである。

 思想ですら、与えられものに過ぎない。意義などなく、意味などなく、意思すらもなく、僕は無為に生きている。

 それは単なる習慣なのだ。

 雨は未だ止まない。

 果たして、いつ止むのだろう。


オチなしヤマなしイミなし!!

ノープランのまま一時間で書いた結果がこれだよ!!



とまぁ、しばらくこんな感じでリハビリしていきます。

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