世界の始動
***注意***
この話は暴力、流血などの残酷な描写がございます。
また、グロテスクな描写が多々ありますので、そのようなものが苦手な方はこの話を読むのを控えることをお勧めします
甲高い金属音が虚空にこだまする。
剣戟は止む気配を見せず、むしろ段々と交錯は激しさを増していた。
「あはははははァッ!!」
「く……ッ!」
少年が哄笑と共に振り下ろしてきたナイフを剣でいなした瞬間、もう片方の手に握られていたナイフが襲いかかってくる。それを身を捩ってかわし、少年に足払いをかけた。
「っうわ!」
ヴァルは足を払われて地面に倒れこんだ少年に向けて剣を振り下したが、少年は素早く体を翻して刃をかわすとバネのような瞬発力で起き上がり即座に飛びかかってくる。
戦い方には規則性もまるでない。ヴァルが隙を見せればそこに襲いかかってくる様は、獲物を狩ろうとする獣のようだ。
「ぅらあッ!!」
「はっはァ! 楽しい楽しい楽しいねェェェ!!」
向かってくるナイフを黒い剣で横薙ぎに切り払い弾き飛ばす。殊更に甲高い音が響き、銀の刃が空中でくるくると舞い飛んで微かな星の光を反射した。
だが、少年は弾き飛ばされたナイフに見向きもせずに、その赤銅色の指先をヴァルに向けてくる。
「喰らっちゃいなァ!!」
少年が叫んだ瞬間、右手の第一関節から指先までの部分がかちりと音を立て、スライドした。
「!」
ヴァルが咄嗟に背後に跳ぶ。刹那、少年の指先から飛び出してきたのは、爪ほどの大きさをした白い筒のようなもの。一体何だと考える前に、ヴァルはそれを切り捨てた。
切り捨てると同時、爆発。爆風がヴァルの黒髪やコートの裾を靡かせる。
「あー……やっぱり、初期武装は弱いなァ」
掌をひらひらと揺らしながら、少年がそんなことをぼやいた。その都度に揺らめき光る赤銅色。
それをヴァルは複雑な思いで見つめる。
―――この少年はヴァルと同じく、【機病】に侵されている。しかも、ヴァルよりも遥か前に。
「……ねェ、お前もボクと同じだろォ、同類? もっとお前も武装使えよォ」
彼の視線に気付くことなく、少年はニヤニヤと唇を三日月に歪めながらそんなことを口にした。
【機病】は、病に侵される都度、肉が機械の武装に成り替わる。それが示すのはすなわち、病に侵されるほど強くなる、ということだ。どこまで肉体が機械に成り替わっているかはわからないが、ヴァル以上なのは確実である。
「もっともっともっともっと!! 楽しもうよォ、同類ィィィィッ!!!」
少年が狂ったように笑いながら、右の掌をヴァルへと向けた。
かちりと再び音がして、今度は腕が肘の部分でスライドして新たな銃口を創り出す。
同時に発射される白い何か。先程よりも、速い。
「く……ッ!」
ヴァルが背後に向かって飛んだ瞬間、それは大地に着弾し炸裂した。大地が削れ抉られる。
散弾銃のようなもの、だろうか。どちらにせよ、あんなものをまともに喰らってしまえばどうなるかわかったものではない。
少年はケタケタと笑いながら、ヴァルに再び照準を向ける。白い弾丸をすんでの所でかわした瞬間、ドンと空気を伝う強烈な音と振動が鼓膜を震わせた。
「ほらほらほらァッ!」
少年は腕を元の状態に戻すと、彼はヴァルに向かって今度は指先を向ける。
バララ、バララと断続的に鳴り響く銃声のようなもの。ヴァルが走る後ろで銃弾が大地に当たり、砂が弾ける音が聞こえていた。
「もっとがんばれよォ、同類ィ!!」
このまま走っていても埒が明かないことは、ヴァルにもわかる。機病の兵器には弾切れという物が存在しない以上、時間稼ぎというのは無意味だ。だが、今はまだ早い。
ヴァルは右手を腰のポーチの中へと忍ばせながら、少しずつ少年から距離を取る。
「おいィ! 逃げるなよォ!」
少年にもわかるような形での動きに、少年が見るからに苛立ちの色を露わにする。
そして、叫ぶと同時に彼の肩に穴があいた。次いで穴からせり出してきたのが、白い砲塔。腕ほどの長さのそれが、ヴァルに向かって狙いを定めた。
「何一つ楽しませてくれない癖にさァ……僕から逃げるなよォォッ!!」
轟と、衝撃。少年の肩から放たれた砲撃はヴァルの背後に着弾し、大規模な爆発を起こす。爆風に煽られ、ヴァルの体が前へと吹き飛ばされた。地面に倒れこんだ彼のすぐ傍で、ゆらりと動く気配がする。
「もっともっともぉーっとさァ……遊ぼうよォ!」
歪な笑みを浮かべた少年が、ぎらりと輝くナイフを振り下ろす。頭めがけて振り落された刃を横へとずらすことで回避した。ナイフが深々と地面に突き刺さる。
「……あれェ?」
少年がぐっとナイフを持つ手に力を込めるも、ナイフは抜けない。そのすきにヴァルは地面から勢いよく起き上がり、少年から僅か距離を取る。
「あ、こらァ! 逃げるなよォ、お前はボクのオモチャなんだぞォ!」
オモチャ。文脈さえ無視すれば可愛らしく聞こえる単語に、ヴァルは背筋を凍らせる。この少年は、全く以て人間を人間と思っていないのだ。自分が殴りたい時に殴り、切り刻みたい時に切り刻み、打ち抜きたい時に打ち抜く。少年にとって、他人はそういうモノなのだ。
ぞわぞわと形容できない悪寒を振り払うように、ヴァルはポーチから目当ての物を掴むと少年に向かって投げつける。
「うわっとォ」
口では驚いたような言葉を吐きながらも、余裕げな表情を見せながら少年が指の銃でそれを破壊した。わざわざ当たるかもしれないと思わせる、ギリギリの位置で撃ち落としたのは少年の嫌みか、余裕の表れか。
だが、それは少年にとって致命的な隙となった。
硝子の割れる音が聞こえる前に―――少年の直前で撃ち落とされたモノが爆発したのである。
轟音と衝撃が空気を伝う。黒煙が撒き散らされ、少年の姿を覆い隠す。
「な―――んだよォ!! これはァ!?」
少年が激昂したかのように、叫び声を上げた。足取りはふらりふらりと覚束ず、右に左にと体が揺れる。
ぱたぱたと最初は僅かに、段々ぼたぼたと量を増やして地面に飛び散っていく、赤いモノ。
彼に向かって投げつけたのは、ヴァルが竜を狩る際に使っている目くらましだ。とはいうが、竜を相手に使うからこそ目晦ましになるのであって、実際の所は爆弾と全く変わらない。
「…………いい加減にしろ!」
ヴァルはぐ、と強く地面を踏みしめる。そして、大地を蹴り一気に少年との距離を詰めると、ヴァルは剣の峰を容赦なく少年の鳩尾に叩きつけた。
「がァ……ッ!!」
少年が赤い地面の上に、先程のヴァルと同じように無様な姿で転がっていく。
アッシュグレイの髪は煤けているが、黒い服は焼け焦げてはいるものの一応の形は残っている。腹部から血を流し、機械と化している右手からもどす黒い血のような液体が零れている少年の姿は、酷い有り様である。
ヴァルはそんな様子に頓着することなく、転がる少年の右手からナイフを引き剥がした。こんな状態になりながらもナイフを手放さない所に気味の悪い執着を感じながら、ヴァルはそのナイフを遠くに放り捨てる。
少年の赤銅色の右手を強く踏みつけると、ヴァルは黒い剣を突き付けて低い声で誰何した。
「……君は、何者だ? どうして、フリューを狙う?」
「……」
「答えろ」
ぐ……と強く右腕を踏みつければ、少年は観念したような笑みを浮かべる。実際に観念したのかどうかヴァルには全くわからないが、彼は突然ぺらぺらとヴァルの問いかけに答え始めたのだ。
「ボクはァ、イグナーツ=アクス。何者って言われてもボク知らないしィ、なんでアイツ狙うのかも知らないしィ。命令だからァ? それにさァ、最近飽き飽きしてたんだよねェ。竜殺すのもそうだし、弱い奴追いかけるのだって面倒じゃん? 早く帰って前と同じことしたかったんだよなァ。でも、どいつもこいつも命令だって言ってさァ」
「…………」
少年の真意を探ろうとするも、ヴァルをにやにやと見つめる少年の赤紫の目は嘘を語っているようには見えない。おそらく本当に、彼は何も知らないのだ。
だが、彼は「命令」と口にした。それは、つまり―――組織絡みのものということになる。
「フリューは……組織絡みで狙われている……?」
わけがわからない。彼女が実験隊のような扱いで過ごしていたのも、その組織が絡んでいることなのだろうか。だが、そんな組織があるのならとっくに軍に見つかって、潰されていてもおかしくはない筈だ。
疑問を解消しようとヴァルが唇を開きかけたその時、ヴァルの体に衝撃が走る。
「あ……?」
じわり。鉄の臭気が鼻につく。おかしな話だ、血ならばもうとっくにイグナーツのものが流れ出しているというのに。そこまで考えてから、ヴァルはふと周囲に漂う臭いが血ではないことに気付く。
濃厚に漂う臭いは、機械油だ。では、この鉄の臭いは一体、どこから。
ヴァルが視線を下へと下げる。
「え」
「っはァ……いったいなァ、もう。ボクじゃなかったら、死んでるかもねェ」
赤銅色の手が握る銀のナイフが彼の腹に突き刺さっていた。
イグナーツの赤銅色の右腕は、ヴァルが踏みつけていて動かせない。左手はそも機械へと変貌していない。自身の腹部を貫くナイフを握る赤銅色の腕を辿った、その先に繋がっていたのはイグナーつの腹部だった。
腹部から、三本目の腕が生えていた。
「ふふふ……そうそう、その顔ォ。いいよねェ、優位に立ってる相手がさァ……」
ヴァルの足を容易く振り払い、イグナーツは右手を向ける。狙いを定める五つの銃口に加え、ヴァルの腹に突き刺さるナイフは更に深く彼の腹を抉っていった。ここまできても、ヴァルはまだ何が起きているのか認識できない。
だが、時間は止まらない。彼が何を思おうと、容赦なく時間は過ぎていく。
「信じられないって顔して死んでいくのさァ!!」
狂ったような笑顔を向けて、イグナーツはそう叫ぶ。五つの銃口から白い弾丸が飛び出して、ヴァルの体を穿ったのも同時だった。
赤い大地に広がっていく、より濃く深い真紅の色。
「ぇ……あ…………う……?」
ヴァルは自分の体に右手を這わせる。その瞬間、痛みを全く感じなかったのだ。イグナーツはわざと銃弾を外したのかと、感じてしまうほどには。
だが、腹まで手を這わせた時、液体が指先に絡み付く。指先を目前にまで近づけてみれば、それは―――確かに赤かった。
「ぁ、ぁ……ぁ……ぁぁぁぁあああああ!!!」
ヴァルの唇から悲鳴が迸る。腹部に熱が広がり、瞬間的に痛覚へと変換された。ごぽりと喉からせり上がってくる、何か。吐き出せば、それもまた赤い。
「ぁははははははははははッ!!! 泣き叫ぶほどに痛いのかよォ!?」
イグナーツが嘲笑する。彼の腹部から生えた腕は、信じられないことにヴァルを突き刺したまま空中へと持ち上げる。重力に従って、さらに深々とナイフがヴァルを抉り、傷つけていく。
痛みと苦しさ。両方が断続的にヴァルを襲う。逃れようと暴れるほどに、ナイフは更に深くヴァルの腹へと沈んでいく。
「ぁ、が……うぐ、は…………ッ!」
「痛い? ねェ、痛い? でも、まだ楽にはしてやらないよォ?」
ヴァルを空中へと吊り下げていた腕が、ヴァルを地面に叩きつけた。顔や服にべっとりと血と機械油がこびり付くも、気にする間もなくイグナーツがヴァルに馬乗りになって笑う。
とても楽しそうに、本当に楽しそうに、今にも口笛を吹きだしそうな程愉しそうに笑いながら、彼はヴァルに向かって血に濡れた銀の刃を握る左手を振り上げた。
「精々、苦しめよ」
ざくり。腹部を貫かれる。ざくり、ざくり。ナイフを引き抜かれ、今度は右腕を刺された。ざくっ、ざく。左太腿と右太腿は肉を抉られるように突き刺さった。気持ちの悪い音と衝撃。痛覚は段々と麻痺していく。
聴覚だけは何故か健在で、肉を突き刺す嫌な音とイグナーツの耳障りな哄笑がどこまでも響いていた。
「……は、ぐ…………が………ぁ……」
刺され続けている内に、ヴァルは段々と痛みを感じなくなり始めていくことに気付く。指先から冷えていくような……否、何も感じなくなるような奇妙な心地。このままそれに身を委ねていれば、何も感じなくなる。
それは、この状況に限って言うなら、ヴァルにとっては、願っても、無いもの、で――――――
―――違う。それは、違う。
ヴァルの心の奥底で、そう囁く声がする。途端、指先の冷たさが異様な冷たさを持って、ヴァルに現実を認識させようとしてきた。体中のあちらこちらにある傷口が、強い痛みを訴えてくる。
痛い。やめろ。苦しい。つらい。ヴァルの口の中で言葉が暴れ回り、その全てが呻きとして零れ落ちた。
「―――なんだよォ、もう終わりかァ」
イグナーツがつまらなさそうにナイフを引き抜く。痛みがヴァルの体中を巡るも、呻きはこぼれない。
振り上げられた血塗れの刃が、滴る赤が、やけにヴァルの目に焼けついた。
「ならさ、もう死ねよォ」
死。その言葉が頭を埋め尽くす。
死。死。死。死。死。死。死。一体誰が、死ぬというのか。
ヴァルの頭の片隅で掠めた問いかけに答えを返したのは、他ならぬ自分自身だった。
「……死ぬのか、僕」
ヴァルは、死ぬ。今この瞬間、イグナーツに心臓を突き刺されて、この赤い大地の上で死ぬ。
ヴァールハイト=ゲデヒトニスの人生は、15年で幕を閉じるのだ。
―――私を助けてくれてありがとう、ヴァールハイト
「―――ヴァールハイト!!!」
少女の声が聞こえた気がした。同じ声が二つ、優しげな音と悲痛な音が、重なるように少年の鼓膜に届く。一つはきっと、彼の記憶の中から抜き出された幻聴だったに違いない。
しかし、それでも、ヴァルにはわかった。その声の持ち主が。
そして、その声が、何故記憶の底から引きずり出されたのか。
「とっとと死ねよォ!!」
残虐な笑みを浮かべながら、イグナーツがナイフを振り下ろした。
ざしゅっ。肉を貫く嫌な音が虚空に響き渡る。刃の先からぽたぽたと、生命が零れ落ちていく。
「あ?」
イグナーツが呆けた声を上げた。その声には、疑問の色が多分に含まれている。
理由はたった一つ。ヴァルが、生きているからだ。勢いを付けて振り下ろされたナイフを、ヴァルは右手で受け止めた為に、刃は右手の甲まで貫いて止まっていた。
「…………な、んか……バカバカ、しいな………こんなになって、から。気付く、なんて」
ぜぇ、ぜぇと荒い呼吸の下で、ヴァルが小さな声で呟く。
それでも右手を貫くナイフを離さない。引き抜かれないよう刃を握りしめながら、イグナーツに向かって左手を伸ばし、彼の左肩を掴む。
「あ? なんだよォ……離せよ」
星の光に反射して、手の中央に埋め込まれた水晶体が光るのが見えた。白い光が水晶の内側から迸る。
はじめは弱く。やがて、強く。
「―――いけ」
ヴァルの号令は、一言で済んだ。たったのその一言でヴァルの左手に収束された光は、イグナーツの左肩で炸裂したのだから。
激しい閃光と、左手から伝わってくる衝撃。相手の体を破壊しているという、気味の悪い感覚が広がる。
「ぎ、ぁ……う……わ、ああああっ! アはははははははぁ!」
イグナーツが見せたのは、予想外の反応だった。彼は悲鳴をあげながらも、笑っている。
痛みに耐えるような表情を浮かべながら、それでも楽しそうに笑う。
血がぼたぼたと零れ落ち、ヴァルの顔を汚した。赤い大地は、二人の血で更にどす黒く染まっている。
「痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! そうだ、すっかり忘れてたァ!! これが痛み!! ずっとずっとずっと殺してばっかりだったから忘れてたぁ!!!」
イグナーツはただ笑う。その様は、狂っているとしか言いようがない。なんせ彼は、左肩まで抉り取られている状態で、血を撒き散らしながら体を震わせて哄笑しているのだから。
ふらりと覚束ない様子で、彼は立ち上がる。ヴァルも彼と大差ない状態で起き上がった。
お互いに機械と化した腕を目前に向けて、決着を付けようとする。
五つの銃口、一つの砲門が、ヴァルを狙う。
たった一つ、破壊の光を宿す掌の水晶体が、イグナーツの姿を透かす。
そして―――――
「―――そこまでだ」
決着はつかなかった。
不意に割り込んできた第三者の声が聞こえた瞬間、砲撃とぎゃぎゃぎゃぎゃ!と何かが回転する駆動音が砂地に響いたのである。どぉんと響く爆発音。爆風に煽られて、ヴァルの体が吹き飛ばされる。
それでも、彼が何とか着地したのは奇跡としか言いようがない。
「おぃぃ! やめろよォ!」
イグナーツの声が響く。駄々をこねる子供のような声の方にヴァルが視線を向けると、四足駆動の車の上にイグナーツが男の肩に担がれながら暴れているのが見えた。イグナーツを担ぐ黒い服をまとった黒髪の男と、ダークグレイの装甲で覆われた細身の人の形をした機械である。
それにしても、未だに血は流れている中暴れ続けるイグナーツのその神経は、恐れや感嘆を通り過ぎて呆れた感情を催すほどである。
「離せよォ! まだ殺し終わってないんだぞォ!!」
「黙れ」
男が低い声で告げると、ぴたりと少年は動きを止めた。感情を押さえている筈のその声に、ほんの僅か怒りの感情が見え隠れしているのは、おそらく錯覚などではないだろう。
「命令無視の挙げ句に重傷負って対象捕獲に失敗したお前が、何かを言う資格などない。―――出ろ、ブライス」
『Jawohl Herr.発車します』
ダークグレイの機械が女のような声でそう言葉を発した瞬間、車が勢い良く発進する。
それでも、口を閉ざさぬ少年の叫び声がヴァルの耳に届く。
「お前はァ!! 絶対にィ! ボクが殺す!! この手で絶対にねェ!!! あははははははははは!!!!」
「…………それだけは、御免だ」
低い声で誰にも聞こえないだろう答えを返したヴァルは、そのままふらりと仰向けに倒れこんだ。
血を吸った土は砂を撒き散らすことなくヴァルを受け止め、ただ微かな衝撃のみを彼に伝える。
「ヴァル!!」
フリューの声が聞こえる。視線を向ければ、彼女はこれまでに見た事がないほど必死な形相でヴァルの元に駆け寄るのが見えた。
ヴァルの元まで駆け寄って来たフリューは、血に濡れた地面のことにまったく興味を持たずに地面に腰をおろし、これまた血塗れのヴァルの体に頓着することなく、彼の体を抱き起こそうとする。
「ヴァル、ヴァル……いや、死なないで……」
泣き出しそうな声でヴァルの名前を呼ぶフリューの頬に、ヴァルは左手を伸ばした。
自身の血が彼女の頬についてしまい、ヴァルは何となく嫌な心地になって手を引こうとしたが、機械の左手はフリューの両手に包まれる。
「フリュー、君はさ……言ったよね。『僕がいないと、私は此処にいないでしょ』って」
「……ええ、言ったわ」
フリューがふわりと微笑んだ。その美しい真紅の瞳から、ぼろりと大粒の涙がこぼれ落ちる。
彼女の頬にこびり付いた赤が少女の涙と混ざり合い、ヴァルの頬に落ちた。
「だって、ヴァルが私を見つけてくれたから。ヴァルがいなければ、何も始まらなかったわ」
「僕は……それが……嬉しかった」
ヴァルの瞳から、涙が伝う。眦から伝うそれは血混じりの涙と溶け合って、重力に従って大地に落下した。
それでも、涙は止まらない。
「フリュー……僕は、死にたくないよ」
「……っ、ええ」
「……こんな、訳のわからない病気で死にたくない……痛くて、苦しくて…………嫌だ………………死にたく、ない……ッ!」
なんて無様で情けなくて、みっともない。
それでも、生きたかった。ただただ、生きていたかった。
「僕はまだ、生きていたい……!」
無様でも、情けなくても、みっともなくても、ただ、生きたいと。それだけを、がむしゃらに望んでいた。
そこまで告げて、ヴァルはフリューに向かって微笑んだ。痛みに耐えているせいで歪な形になってしまったけれど、それは確かに笑顔だった。
「だから、探そうと思うんだ。機病を治す方法……見つかるかわからないけど、何もせずに動かないでいるのは……もう、嫌だから」
「ヴァル……」
「……フリュー……もし、よかったら……僕と一緒に来ない?」
少女の答えはない。まあ、いきなりこんな話をされたら当然だろうかなどとヴァルが思った瞬間に、ぎゅうっと強くヴァルの左手が握り締められた。
彼の視界いっぱいに広がる、フリューの柔らかな笑顔。涙に濡れながら、彼女は本当に嬉しそうに笑ったのだ。
「―――ありがとう、ヴァル」
その声がひどく優しくて、ヴァルは何故か泣きそうになるくらいに嬉しかった。
***
斯くして、少年と少女の旅は始まりを迎えた。
血に濡れた二人の旅路。未来は未だ見えず、前途は暗い闇の中。
今はただ、二人は静かに傷を癒すのみ。
そして、誰も知らない。
彼らの始まりと同時、世界もまた始まりを迎えたことを。
こんばんは、Abendrotです。
第一章【ヴェルトの始動】はこれにて完結いたしましたが、如何でしたでしょうか。
私個人としては、こうして読み返すともう少し書きたい部分があったりしました。ついでに戦闘描写のわかりにくさとかヴァルの心情表現不足とかその他諸々読み辛い所が多々ありましたので、次の章ではもう少し頑張っていきたい所です。手直しはとりあえず、書ける所まで書いた後にしようと思っております。
あ、誤字脱字関連は教えていただければすぐに手直しいたしますので容赦なくおっしゃって下さい。
……できれば感想も頂ければ嬉しいなとか(ry すいませんなんでもないです
次章のタイトルは【アルヒミストの提示】です!
話の方に関しては……すいません、これから書き始めます。
なるべく日を置かずに掲載できるように頑張ろうと思っていますので、見捨てないで待っていてくだされば嬉しいです。