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Fable of Nomad~モルゲンレーテの残照~  作者: 夕子
第一章:【ヴェルトの始動】
7/30

たとえるなら、それは

***注意***

この話では少々暴力的なシーンがございます。

そのような話が苦手な方はこの話を読まないことをお勧めします。


「フリュー! 待って……ッ!」


ヴァルがフリューの手を捉えたのは、彼女がアインスの町を飛び出した後だった。

大通りから地上まで全力疾走してきたせいで、お互いに荒れた呼吸を整えようと息を吐く。

音のない大地の上で、呼吸の音だけがこだました。


「……」


ひどく静かな世界の中で、ヴァルは思考を巡らせる。

まずは、竜と戦うための武器。腰に差した剣と、戦闘用の薬剤が3つ。複数相手には心許無いが、一体程度なら何とかなるだろう装備だ。

だが、とヴァルは目前のフリューに目を向ける。彼女はヴァルに背を向けたまま、沈黙を貫いている。


「……フリュー」


一体、何が彼女を逃亡へと駆り立てたのだろう。

無邪気で、何も知らない純粋な子供のようだと思っていた。本当は、違ったのだろうか。

初めて出会った時のフリューの表情を、ヴァルは思い出す。

涙をこぼしながら、初めて出会った人が死んでしまうのは哀しいと言った少女。竜を見て驚いていた少女。何も知らない少女。記憶を失くした少女。見つかってしまうからと、ひたすら歩き続けていた少女。


「……?」


奇妙な違和感を感じた。それはなんだと考えれば、答えはすぐに見つかった。


竜を見たことがない少女。竜を知らないという事はつまり、彼女は一度として竜に襲われたことも、追われたことも無いということになる。それは奇跡と言ってもいいだろう。


では。

竜に追われたことがないのなら、襲われたことがないのなら。


彼女は―――一体、何に「見つかる」と逃げ続けていたのか。


「ヴァル」


フリューが、ヴァルの名前を呼ぶ。

彼女はヴァルに背を向けたまま、小さな声で言葉を紡いだ。


「私、一つだけ……あなたに嘘をついていたの」

「……嘘」

「―――本当は、たった一つだけ、覚えている記憶があるのよ」


そう言って振り返った彼女の表情(かお)は。どこまでも、透明だった。


「私は水の中にいて、手も足も動かせない。だけど、息は出来る。目も開けられるのよ。…………どんなに見つめても、真っ暗なままだったけど。それで、狭くて透明な筒の中で浮かんでいるの」

「……」


その様をヴァルは想像する。

透明な筒―――恐らくは硝子ケースに満たされた液体の中に浮かぶフリューの姿。

ヴァルの背筋がぞくりと凍る。それが実験体のような扱いだと、わかってしまったから。


「……気が付いたら、私は赤い大地の上にいたわ。周りは燃えていて、透明な欠片がたくさん散らばってた。見上げたら―――」


フリューはそこまで語り、空を見上げた。漆黒の夜空に散らばる星。ヴァルにとっては当たり前の光景で、フリューはその時はじめて空を見たのだろう。


「私、そこで初めて知ったの。―――世界は、こんなに広かったんだって」


その時の感動は、きっと彼女にしかわかるまい。


「でも……誰かが、追いかけてきた」

「誰か……?」


それって一体、誰。そう問おうとしたヴァルの言葉を遮るように、ころりと何かが転がってくる。

拳大の大きさの鉄の玉のようなもの。

否。玉ではない、これは―――


「捕まえたァ」


聞き覚えのない少年の声。嘲笑うような、軽薄な声。

此処にいてはいけない。此処にいては駄目だ。ヴァルの脳内でそんな言葉がこだまする。脳が命じる言葉はただひとつ。


逃げなければ。逃げなければ!


だが、ヴァルの思いもむなしく、鉄の玉が強い光を放つ。


「―――フリュー……ッ!!」


逃げて。そう叫ぼうとした時には最早遅い。

ヴァルの視界が白く染まり、同時に強い衝撃が体に直撃した。




***




鈍く響く、音が聞こえる。


砂が詰まった袋を殴っているような。


重たい肉の塊を地面に叩き付けているような。



嗚呼、音が遠い。



「いい加減にしてくれないかなァ?」


仄暗さと苛立ちの響きを孕んだ声が聞こえる。

不穏な声だ。

今にも爆発してしまいそうな危うさを秘めた、子供の不気味な声。


「お前はァ、()っちゃいけないんだよォ。()ったら(やら)せてもらえないの、わかるゥ? だからァ―――」


それまではまだどこか子供らしい明るさを残していた少年の声が、突如として低くなる。


「とっとと退けよ」

「―――退かないわ」


威圧と脅迫を多分に含んだその声に、透明な声が答えを返した。


「絶対に」


嗚呼、体が重い。

それでも、透明な声の主が誰かわかった。わかってしまう。


フリュー。


唇が名前を刻むもそれは音にならず、掠れた吐息が零れ落ちた。

苦しげな呼気。少年が呆れた声で嘲り笑う。


「お前さァ、馬鹿だよね。この僕にお前が勝てるわけないじゃんッ!」

「ッ……!!!」


衝撃。少女が悲鳴を上げなかったのは、執念によるものか。

この少年はけたけたと笑いながら彼女を痛めつける。それでも少女は一度として悲鳴を上げることは無かった。


「……それにさァ、なんでそいつ庇うのォ? ボクが殺りたいのはそいつ。お前は別に何もしなくていいんだよォ」

「……この人を殺されたくないからに決まってるわ」

「なんでェ? まだ会って一日も経ってないのにィ?」


そうだ。少年の言葉通り、自分と彼女はまだ出会って一日も経っていない。

彼女は何故、逃げようとしないのだろう。逃げてしまえば、痛めつけられることは無い筈なのに。


「彼が、私を見つけてくれたから」

「……何それェ?」


少年の胡乱な声。それに答えず少女はただただ、言葉を紡ぎ続ける。


「私を守ってくれた、助けてくれた、優しくしてくれた。何よりも、私の名前を呼んでくれた」


ふと、微笑むような気配。

少女はこんな状況にも関わらず、笑っていた。


「私がこの世界でひとりじゃないって教えてくれたひとを―――どうして見捨てようなんて思うかしら?」


その声は柔らかく、だが、一歩も引かぬ強さを持って、虚空に響く。

フリューと、唇が動く。やはり、体は動かない。


「……訳わかんないこと言うなよォ。考えるの面倒なんだからさァ……ッ!」


苛立ちを含んだ声で吐き捨てて、少年が腕を振り上げる。少女がぎゅう……と自分を抱く腕に力を込めた。



―――動けよ、僕の体



強く、思う。

体は全く動かなかったが、それでも強く念じ続けた。



―――動け!



ただ一心に、それだけを。




―――動け!



ただ、一念に。




***




例えるならそれは、砂の中に眠る小さな黄金(きん)を見つけた時のような。




***




空を見上げた瞬間に抱いた思いを、彼女は今でも忘れられない。

狭い硝子の中で、何を思う事も無く。何を感じることも無く。ただ浮かんでいただけの、そんな遠い記憶。

それでも彼女はよかった。否、彼女はどうでもよかったのだ。


だって、その世界でいつも彼女は孤独だったから。


誰もいないから。何も気にかけなくてよかったから。

だから彼女はただ一人、狭い筒の中で浮かぶことに、狭い硝子の世界の中で過ごすことに、さして特別な何かを抱いたことは無かったのだ。


彼女が気付いた時、硝子が砕けて外にいた。


見渡す限り続くのは、荒れ果てて滴る血のような赤に染まっている大地。草木は無い。水も無い。

空はただ、暗く。銀を散らばせただけの、侘しい夜の空。


その世界は、確かに死んでいた。




それでも。




彼女は、その日見た空の広さを忘れられない。

彼女は、その日見た空の色を忘れられない。


彼女は―――その日見た空の美しさを、永遠に忘れない。


銀の星降る夜の空を。流れる星の儚さを。その光を全て吸い取る漆黒の空を。

絶対に、忘れない。




誰とも知れぬモノに追われたのは、すぐだった。

彼女が逃げたのは、この世界をもっとずっと、いつまでも見ていたいという思いが胸の内に生まれたから。


逃げて、逃げて、逃げ続けて。


夜の世界をひたすら歩いて、赤い大地をひたすら歩いた。


そして、ある時彼女は気付いた。



―――この世界には、私以外の人はいないのかしら。



その日から、彼女の逃亡に密やかに続くモノがあった。

どこにいても、どんな時も、彼女の後ろに常にいるモノ。

それは、孤独。


どこにでも付いて回る恐れ、不安。

いつか捕まってしまうのではとそんな恐怖に耐えながら、彼女はただひたすら歩き続けた。


この世界(そら)を、失いたくないと。彼女以外にも人がいると。


ただそれだけを信じて、歩いていた。


だから。



―――きっと、あなたにはわからないでしょう



夜の空に溶け込むように、血の色をした大地に拒絶されるかのように、倒れていたその姿を見つけた時の、彼女の驚きを。

この世界のどこを探しても見つからないだろう、どこまでも深い色をした青空(アオ)の瞳が彼女を見つめた時の、彼女の感動を。



―――あの日、あの瞬間、あなたに会った時



名前を名乗り、名乗られ。名前を呼んで、呼ばれて。そして、何もわからない彼女に、優しく接してくれた少年。

一人じゃないと、実感できた。その瞬間の歓喜は、きっと彼女にしかわからない。



―――私は本当に



例えるなら、砂の中に眠る小さな黄金(きん)を見つけた時のような。

そんな想い。



―――心の底から、嬉しかった。




それをきっと、人は『奇跡』と呼ぶのだろう。




***




少女に向かって振り下ろされた赤銅色の拳が、メタリックシルバーの掌が受け止める。

驚愕にか僅か目を細める少年の首筋に、ひたと黒い刃が押し当てられた。


「……彼女から離れろ」


極端に感情を削いだ声が、それでも明確な敵意を宿して告げる。

少年は何も言わず、唇に浮かべた薄ら寒い笑みを深くして跳び退った。


「……ヴァル」

「ごめん、フリュー」


フリューの体は酷い有り様だった。あちこちに殴られ、蹴られたせいで青痣が至る所に出来ている。かといって、ヴァルが無事かと問われれば、首を捻らざるをえない。爆発の衝撃で全身が激痛を訴えている上、どこもかしこも火傷だらけである。

五体満足で生きているのが奇跡だと考えていた彼は、左手に目をやり自嘲した。


―――機械の腕(これ)で、五体満足か。


「…………フリュー、下がってて」


ヴァルは視線を上げると、右手に持っていた剣を左手に持ち直して構えた。

真向かいに立つ少年のぎらぎらと貪欲な輝きを放つ赤紫の瞳と、ヴァルの青い瞳が見つめ合う。


「……僕とやりたいんだろ」


ヴァルの言葉を聞いて、少年がにたりと嗤った。不愉快というよりも、不快さが先に立つ嫌な笑み。


「来い」

「―――そうこなくっちゃねェ!!」


少年が愉しそうに叫び、ナイフを手に駆けてくる。

ヴァルの黒い刃と少年の銀の刃が真っ向からぶつかり合い、高らかに金属音を響かせた。





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