見果てぬ希望
「やっと見つけた」
少女の声に、ヴァルは振り返った。
フリューが青いワンピースと白銀の長い髪を揺らして、彼の横に並ぶ。
「突然飛び出したから、驚いたわ」
「……ごめん、フリュー」
「ううん、いいの。町を回れて楽しかったから」
フリューの髪は先程より短く、そして綺麗に整えられていた。
とはいえ、髪の長さはまだ胸元近くまである。人工太陽の光を受けてほのかに煌めく銀糸は、美しかった。
「綺麗。町がよく見えるわ」
「……地下と地上を繋ぐ、唯一の入り口だからね。一番高い場所にあるんだ」
フリューの言葉に応えながら、ヴァルは町をぼんやりと眺める。
頭上にある人工太陽のお陰で、今は町の隅々までを見渡せた。
―――その町を覆うように聳えるのは、岩の壁だ。
「―――……知り合いが、死んだんだ」
「……そうなの」
「僕と同じ病気に、なっていて……【機病】って言うんだ。治す方法は、まだ見つかってなくて」
どうして、出会ったばかりの少女にこんなことを話して聞かせているのか、ヴァルにはわからなかった。
それでも、話したかった。
「いつ死んでも後悔しないようにって……今を、全力で生きてた。でも、死んだ」
薬をたった一度、飲まなかっただけで死んでしまった。
ヴァルは薬を飲まないまま二、三回は発作を経験しているというのに、トムはたったの一度だけで。理不尽だと思う。
「友達だったの?」
「…………そう、なるのかな」
友達。彼女にそう聞かれても、ヴァルにはあまり実感がわかなかった。
親しいし、よく話してたのは確かだが。
「ヴァルは、哀しいのね」
哀しい。フリューの言葉は存外あっさりと胸の奥に落ちてきた。
「…………そうだね。少し、哀しいよ」
親しげに話しかけてきた青年の姿を思い出す。
右腕が機械に変貌を遂げていた、ヴァルの『同類』。
彼は一体どんな気持ちで、ヴァルに手袋を渡そうとしたのだろうか。
「僕なんかより……トムの方が生きてた方がよかったよ、きっと」
手袋を握り締め、人工太陽の光に照らされていた町を見下ろしていたヴァルの耳に、静かな声が聞こえてきた。
「そうしたら、私が困ってしまうわ」
「……どうして?」
フリューはこてりと首を傾げる。何を当然のことを聞くのかと言わんばかりの表情だ。
「だって、ヴァルがいなかったら、私は今此処にいないでしょう?」
そして、彼女は当たり前のことのようにそう言った。
ヴァルの両手を包むように握り、柔らかな微笑を浮かべる。
「何回言っても足りないくらい……嬉しいの、とても。だからもう一度、言わせてね?」
茫然とした様子で少女の笑みを見つめていたヴァルに、フリューが言った。
「―――私を助けてくれてありがとう、ヴァールハイト」
ヴァルは思う。
その声に、言葉に―――泣きたくなったのは、何故だろうと。
「ヴァールハイト!」
その時突然、聞き覚えのある声がヴァルの名を呼んだ。
彼は視線を町から背後に向けて、目を見張る。
「……バルシュミーデさん?」
「帰っていたか……ああ、よかった」
背後に立っていたのは医者のバルシュミーデ。
彼はヴァルを見て安堵の息を吐き出したが、すぐに目元を険しくしてヴァルの方に詰め寄ってきた。
「三日も家に帰らず、地上にいるなんて……何を考えているんだ、君は!」
開口一番、怒鳴り声。
滅多に聞かない医者の怒りの声に、ヴァルは目を瞬かせる。
医者はそれに気付かず、言葉を続けた。
「今回は偶々運が良かったから生きていられたがね。疲労で倒れた所を竜に襲われていたら、君は死んでいたんだぞ?」
死。その言葉が、ヴァルの胸に重くのしかかる。
以前ならば平気だと言えた医師の言葉が真実だと、彼は身を以て知っているからだ。
「薬は? ちゃんと飲んでいるだろうね?」
医者の言葉に彼はハッと思いだす。フリューと出会う少し前に、薬が入った小瓶を落としたことを。そして、その小瓶を拾わないまま、この町に帰ってきてしまったことを。
……そもそも、薬には一度も手を付けていない時点で、ヴァルが医者に怒られるのは、明白であるが。
「……えと、その……」
「……………」
何か言い訳をと唇を開きかけ、医者の医者と思えない程に鋭く殺気立った眼光に、ヴァルはひくりと唇をひきつらせた。
少しばかりの沈黙の後、彼は素直に頭を下げる。
「……すいません……狩り中に落としました…………」
「…………成程。」
医者のやたらと冷静な声がヴァルの背筋を凍らせた。
おそるおそる彼が視線を上げてみれば、絶対零度の視線に射抜かれる。唇だけは、歪に弧を描いていたが。
「そうか……そう、だったな。お前もあの兄妹と同じで、医者の言うことなどちっとも聞きやしないんだったな」
「あ、あの……バルシュミーデさ、ん!?」
ヴァルが医者に声をかけようとした瞬間、ガッと勢い良く肩を掴まれた。
そのまま、有無を言わせぬ強引さで、ずるずると引きずられていってしまう。
「わがままはもう許さん。今日は私の目の前で薬を飲むまでは、絶対に病院から出さんからな」
「え、あ、ちょ……ま…ぁぁぁ……!」
瞬く間にすぐ傍の病院に引きずり込まれていくヴァルを見送って、フリューは困ったように首を傾いだ。
「私……どうすればいいのかしら?」
少女の問いかけに答えてくれる者はいない。
彼女は迷った末、ヴァルと医者の後を追ったのだった。
***
病院では容赦なく薬を口の中に突っ込まれた。
カプセルはともかく、丸薬の方は舌に触れた途端にぴりぴりと痛み始め、そしてとても苦い、不味いとかそういう何かを超越した、一言で言うならば「物凄い味」だった。
「……ぅぐ……っ、み、みず……!」
ヴァルは医者が差し出した水を受取ると、一息に飲み干してしまう。それでもまだ、口の中には丸薬の苦さが残っていたので、彼は至極形容しがたい顔をしながらもう一杯の水を要求した。
「……はぁ。まだ口の中が気持ち悪い……」
「君が薬を飲まないからだ。ほら、飲みなさい」
「……ありがとうございます」
再び注いでもらった水をヴァルがごくごくと飲み干している最中、医者がふと、扉の前に立っているフリューに目を止めて首を傾げる。
「ヴァールハイト、彼女は誰だい? この町の者ではないようだが……」
「私はフリューリング=D=フリューゲル。ずっと歩いていたら、ヴァルと会ったのよ」
医者の言葉に答えたフリューだが、あまりに説明が足りなさ過ぎた。
予想通り頭に疑問符を浮かべる医者の姿を見て、ヴァルが先程フリューから聞いた話を簡潔に伝えると、難しい顔をして深々と溜息を吐く。
「記憶喪失か―――」
暫く何事かを考えていた彼は、扉の前に立っていたフリューを手招いた。
近寄って来た彼女を椅子に座らせ、医者が静かな声で話しかけてくる。
「フリューリングさん、だったね?」
「ええ、そうよ」
「君が目覚めた時、君は怪我をしていたかな?」
「…………怪我はしていなかったわ」
ふるふると首を横に振って医者の問いに否定を示したフリューに、医者が二つ目の質問を口にした。
「この世界について、君が知っていることを答えてごらん?」
「…………ええと……この世界の名前が【モルゲンレーテ】ということと、朝が来ないということと…………地上に、水も、草も無いって、こと……くらい?」
「君が目覚めたのは、いつ、どこでだい?」
「目覚めたのは、とても前。でも、いつかはわからないの、ずっと空は暗いから。…………………場所はわからないわ」
「それから、なにを?」
「ずっと、ヴァルに会うまで歩いてたの」
目覚めたことの後は覚えているか、この数字はわかるか、文字はわかるか、などの長い問答の後、医者がフリューの頭に大きな傷が無いかなどを確認し、気難しそうに眉間を指で揉む。
そのまま目を閉じ無言で考え込む医者に、フリューが問いを投げかけた。
「私の記憶、戻るのかしら?」
「…………目覚めた後の記憶がはっきりしているから、物事を覚えられないという状態ではない。文字や数字は理解できる。だが、地下都市や竜についてはわからないことから、ある程度の常識しかなく、自分自身についても名前しか思い出せない……」
そこまで呟いた後、医者は深々と溜息を吐く。
「正直、微妙と言った所だ」
「…………そうなの?」
「ああ、記憶喪失というのは厄介なものでな。失ってもすぐに取り戻すこともあれば、一生戻らない場合もあるんだ」
フリューが驚いたように、軽く目を見開いた。
それから、手で口元を押さえると、ぽつりと小さな呟きを零す。
「……どうしましょう」
あまりに、緊張感のない言葉だった。
横ではらはらと医者の言葉を聞いていたヴァルとしては、彼女の声は拍子抜けするくらいには軽いものだったのである。
「あの、ねえ……フリュー」
「―――ヴァル。私、外の空気が吸いたいの。先に此処から出ていていい?」
「え? いきなり、何を―――」
フリューは困ったように笑って、ヴァルを見つめた。
戸惑うヴァルに変わって答えたのは、引き出しをがさごそと漁り始めた医者である。
「ああ、そうだな。診察はもう終わったから、外で待っていてももう平気だよ」
「わかったわ。お医者様、診てくれてありがとう」
フリューの白銀の髪が靡くのが見え、そのまま扉の奥へと消えた。
その背中がどこか寂しそうに見えたのは、ヴァルの気のせいなのだろうか。
「……っ」
「今は、そっとしておいた方がいい」
思わず後を追いかけようとした少年を止めたのは、医者の淡々とした声だった。
足を止めながらもまだ視線を扉へと向けるヴァルに対し、医者が続ける。
「追いかけるならその前に、これを読んで行きなさい」
一冊のノートを取り出して机の上に置く。傍目から見ても随分と古いノートだとわかった。
「……それは?」
「息子が【機病】治療の研究を書き留めているノートだ」
「ディールが……」
医者がノートを手に取り、ぱらぱらと頁をめくり始める。
ちらりと映る頁はどれも文字や図、絵などで埋め尽くされていて、このノートの持ち主がどれだけ熱心に研究に打ち込んでいたかが見て取れた。
「―――ここだ」
その分厚いノートの最後の方のページを開き、医者がある部分に指を射す。
医者からノートを受け取ったヴァルは、彼が指で示した部分の文字を読み上げ始めた。
「『マルタ暦1315年 5/13 ロートケプヒェンの町に薬を届けに行った所、珍しく旅人に出会った。珍しい話を集めるのが趣味だという彼は、俺が【機病】について研究していると聞くと、ある噂話を教えてくれた』―――!?」
その先の文を読み、ヴァルは息を呑む。
彼が予想だにしなかった文字の羅列に、一瞬呼吸をすることすら忘れていた。
「……『【機病】を治せる者が、いる』?」
俄かには、信じられない言葉だった。
なんせ、【機病】は死病である。いつ頃からか、この世界【モルゲンレーテ】に席捲し始め、そして100年以上治療薬が出来ずに猛威をふるい続けている疫病だ。
―――それを治せる者が、存在する?
「……そんな、馬鹿なこと……」
「ありえないだろうか? ―――本当に?」
「え……」
何を世迷いごとを、などと思う。本当にそんなことを思っているのかとヴァルが顔を上げ、目を見開いた。
医者の目は、どこまでも真剣だった。
「100年前は約1年程度しか生きられなかった病が、今では6年伸びた。それでどうにかなると思える程、楽観視はしていない」
「…………」
「だが、ディールの話によると、その噂は遥か北東、当代最高峰の錬金術師がいるとされる町で聞いたのだと言っていた。……最初の治療薬を発明したのは、そして、今日に至るまで発展させたのも、錬金術師だ」
強ち嘘とも言えないだろう?
そう言って話を締めくくった医者に対し、ヴァルは何も答えなかった。
ただ無言で鈍く輝く左手を見下ろし、力強く握り締める。
「………………そんなの、希望論です」
言い放った声はひどく冷たく、哀しげだった。
ヴァルの言葉を聞いて肩を竦めた医者は、ところでと唐突に話題を変える。
「フリューリングさんはどうするつもりだい?」
立ち上がろうとしたヴァルの動きがぴたりと止まった。
そのままの体勢を維持していた彼は、やがて淡々とした声で問いに答える。
「…………僕の家に住まわせます。助けた以上は、面倒はちゃんと見るつもりですので……」
「……死ぬまで、などとは言わないように。『病は気から』と言うだろう?」
言おうとした言葉を先回りに封じられて押し黙ったヴァルは、静かに首を振り、暗い声で医者に言った。
「…………一応、新しい竜狩りの方が来てもらえるように、頼んではおきます。もしもの時の為に」
ばたん。扉が閉まる。
少年の後ろ姿を眺めていた医者は肩を竦めながら、やれやれと溜め息を吐いたのだった。