プロローグ~零曲目【机上の空論】~
大阪駅の周辺に建ち並ぶ高層ビル。その一つに、高級イタリアンレストランが入ってるビルがあった。高層ビルの九階。物静かな、なんとも言えない、高級感溢れた空間であった。
食事をしている客はみな、お金持ちといったような服装をしていた。その中にスーツを着た、中年よりやや年を食った男が二人、ワインを口にしていた。そのうちの一人、頭髪が乏しい男は、ナプキンで口をふき取り、口を開いた。
「美味しいな、ここのワインは」
「ふふふ。満足していただけたかな」
もう一人の、白髪が混じっているものの、青年のような顔つきをしている男がにこやかな笑顔で答えた。その男は、またワインを口に近づける。
「料理も美味しいじゃないか」
頭髪が乏しい男は、ペペロンチーノをくるりとフォークに絡ませて、口に運んだ。そしてまた、ナプキンで口をふき取る。白髪が混じっている男は、その様子をにこにことした表情で見守っていた。
「――――で、話というのは、何かね」
「単刀直入だね」
白髪が混じった男は、表情を崩さず、ワインを一杯飲んだ。
「最近、自分の寿命を考えるようになってね」
「おじいちゃんかい、君は」
「もうおじいちゃんでしょう。私も五十二歳だ」
白髪が混じった男は少し冷たい顔になり、鼻を鳴らした。頭髪の乏しい男は、料理を食べる手を止める。
「――――それで?」
「やり残した事がないかな、と思うようになってね」
「やり残したこと……ね。ないだろう、君の場合」
頭髪の乏しい男は声を出して笑い、ペペロンチーノをくるくると、フォークに巻きつけた。
「作曲家として、はたまたTVプロデューサーとして、時には脚本家、小説家と。やることはやったんじゃないか。私には十分に思えるがね……」
「あるのだよ。やり残した事が」
白髪が混じった男は遠くを見つめた。頭髪の乏しい男は、奇妙な顔で訊ねた。
「それは……なんだね」
「アイドルのプロデュースだよ」
白髪が混じった男がそう言うと、頭髪の乏しい男は高笑いをした。
「何がおかしいのかね」
「何がおかしいって……そりゃあだって、君は過去にアイドルをプロデュースして、成功させたじゃないか」
「フルーディーズは成功した……のかもしれない」
「かもしれない?」
白髪が混じった男は、ふぅと一息をついて、続けた。
「私は成功したとは思えない。たまたま当たっただけだ。結局のところ、頂点に立ったのは一年だけだよ。その後は、人気も冷め、経営難に陥り……。私の中では失敗だと思っている。悔しい過去だよ」
「だから、もう一度アイドルをプロデュースしたいのかい?」
白髪が混じった男は、小さく頷いた。
「ああ、そうさ。息の長い、どの世代からでも愛される、そんなアイドルを作りたい」
「それは、難しいね」
「ただのアイドルじゃない。ローカルアイドルだよ」
頭髪の乏しい男は、神妙な面持ちになった。
「ローカルアイドル?」
「ああ。東京、大阪、などの都市を本拠地としないアイドル。まぁゆくゆくは東京進出も考えているが、それでも地方に本拠地を置くグループだ」
「面白いねぇ……わざわざ地方で活動をするのかい」
頭髪の乏しい男は、にやりと頬を緩ませて笑う。白髪が混じった男は、苦笑した。
「でも、まだまだ構成段階でね。場所も決まってないのだよ」
「そこで、私というわけか……なるほど」
頭髪の乏しい男は、自分の横の席においてあった鞄を膝において中を開き、分厚い名刺帳を取り出した。数秒間、ペラペラとページをめくっていたが、やがてその手がぴたりと止まった。名刺帳から、一枚の名刺を取り出した。
「これなんかは……どうかね」
「どれどれ……レイクブルー、神園玲子……?」
その名刺には、芸能事務所レイクブルー社長、神園玲子と書かれてあった。
「この人は、滋賀県の小さな芸能事務所の社長さんでね。若いお嬢さんだけど、今の若い子にはない、向上心と野望心を持っているよ」
「滋賀県……か。大阪や京都のベッドタウンとして、近年人口が増加しているとか。確かあそこはまだ、ローカルアイドルが存在していなかったはず……」
白髪が混じった男は、名刺をじっと見つめ、何度も頷いた。頭髪の乏しい男は、明るい表情になる。
「お気に召されたかな?」
「勿論だよ。今回もありがとう」
白髪が混じった男は手を差し伸べると、頭髪の乏しい男がその手をがっちりと握った。