第二話 火曜日
自分の部屋にいるのに、どうしても落ち着くことのできない理由があった。
それは、
「何で、キミはここにいるの?」
先月末にお亡くなりになった木村里歌さんが、僕の部屋にいるからだった。
「まぁ、どうせしゃべれないんだから、訊いても仕方ないだろうけど・・・。」
僕は、ベッドに入って、布団の中にくるまった。
すると、
「しゃべれるよ。」
女の子の声が聞こえた。
僕の「彼女いなくて寂しい病」は末期のようだ。
「ねぇ、聞いてる?」
僕の布団を誰かが引っぺがした。
驚いた。
今聞こえた声の主は、木村里歌だったのだ。
「しゃ、しゃべれないんじゃなかったっけ・・・?」
僕の明らかな動揺ぶりに、木村里歌はクスクスと笑い出した。
しかも、魂でしかないはずの彼女が、僕の布団を引っぺがしたのは、一体なぜ?僕は、だいぶ混乱していた。
「さっき、公園で天使さんが指を鳴らしたでしょう?最初の一回は木に対して。次の二回目は、私に対して鳴らしたの。」
それでも、僕の頭の上にはクエスチョンマークが複数躍っていた。
「だって、私がしゃべれなかったら、困るでしょ?」
僕は、ただ頷いた。
「じゃあ、いいじゃない。細かいことは。」
木村里歌は、笑うと可愛かった。
僕は、再びただ頷いた。
昨夜、僕は彼女に訊いてみた。
「何で、彼氏に気持ちを訊きたいの?付き合ってたんだから、聞くまでもないんじゃないの?」
その僕の質問に、
「でも、分からなかったの。彼のことが・・・。だから、聞きたいの。本当の気持ちを。」
微笑みと、微かな哀しみを合わせた表情で彼女は答えた。
僕には、その言葉の意味がいまいち理解できなかった。
「恋愛」って、難しいんだ。
ただ、そう感じた。
今日は火曜日。
公園の木の葉は、まだまだたくさん残っている。
昨日のミラクルは早くも噂として広まったらしく、朝から不思議な木を見に来る野次馬がチラホラ見えた。
「ところで、彼氏に伝えたいことって、何なの?」
僕は、自宅の最寄駅で電車が来るのを待ちながら、横にいる彼女に尋ねた。
「素敵な時間をありがとう。けして忘れません。」
なぜか、僕は胸が熱くなった。
「どうしたの?ちゃんと、伝えてよね!」
「分かってるよ!「素敵な時間をありがとう。けして忘れません。」でしょ!?」
それは、周囲の人たちから見れば、僕の不気味な独り言だった。
いつも通りの時間に、電車がホームに入ってきた。
そして、電車はいつも通りの満員ぶりだった。
学校の近くの駅に着き、僕は人を押しのけてようやく下車した。
「懐かしいなぁ。私も毎朝このギュウギュウな電車に乗ってたっけ・・・。」
彼女が、電車を振り返りながらポツリと言った。
しかも微かな笑みを浮かべた表情で。
しかし、彼女にとっては懐かしの満員電車でも、僕にとっては迷惑な満員電車でしかなかった。
とても、微笑を向けられるような存在ではない。
「じゃあ、もしかしたら生前、知らないうちに出会ってたかもしれないね。」
その僕の何気ない言葉に彼女は、
「え?うん。」
まるで不意をつかれたかのような表情で、それに応えた。
駅から学校までの道中、僕は透を見つける。
「あ。透だ。」
と、僕が透の方へ駆け寄ろうとすると、彼女が思いがけないことを言う。
「透君。」
しかも、その表情はどこか柔らかな様子で、先ほどまでとは別人のようだ。
「え?」
僕が聞き返すと、
「透君なんだ。私が付き合ってた人。」
彼女は、満遍の笑みを浮かべて、僕の顔を見た。
「そ、そうなの・・・?」
僕は、無意味に動揺してその場に立ち止まった。
「うん。実はね・・・、信次君のことも知ってたの。透君と仲良いでしょう?」
彼女の思いがけない言葉に、僕はさらに動揺してしまった。
透とは確かに親しくしているが、彼女のことは知らなかった。
「じゃ、じゃあ、透と話せば良いんだ・・・?」
その、僕のぎこちない笑顔での問いに、彼女はゆっくりと頷いた。
僕は息を呑んだ。
透が複数股男であることは、もうすでに述べたが、そうなると、彼女に対しての気持ちなど、聞くまでもないことが予想された。
僕は、透にウソでも良いから彼女が大好きだったと、言ってほしいとさえ思った。
そうでないと、彼女が傷つくからだ。
しかし、それは叶わないかもしれない。
なぜなら、透は先月末に彼女が死んだ男とは思えないほどの、明るさだからだ。
「よし!じゃあ、行こう!」
彼女が、考え込んでいた僕の背中を押した。
僕は、そのまま透のもとへと押されていった。
自分の目の前に突然走りこんで来た僕に、透が驚いた表情を浮かべた。
「信次、何だよ!?朝から随分元気そうだな。」
僕は何と答えて良いのか迷いながら、愛想笑いで返した。
「さっさと行こうぜ。のんびりしてたら遅刻になっちまう。」
透が、足早に前に進んでいった。
それを追いかけるようにと、彼女が僕にめくばせする。
僕は複雑な思いはあったものの、急いで透を追いかけた。
「透!」
僕の声に、透は立ち止まった。
「何だよ?」
明らかに、透から迷惑そうなオーラが感じ取られた。
「あ、あの、さぁ。」
目が泳いでいる僕に、透は少しイラついた様子さえある。
僕の横では、透には見えない彼女が、僕のわき腹を何度も突付いていた。
「歩きながらじゃ、ダメなのかよ?俺、今月遅刻すると、マジやばいんだけど。」
「あ、あぁ。そっか。じゃあ、歩きながらで。」
そして、僕は話を切り出す。
「お前ってさぁ、・・・先月の終わりくらいまで付き合ってた子がいたらしいな・・・?」
その僕の言葉に、透の口から予想を上回るほど衝撃的な返答がきた。
「先月?誰のこと?」
僕は沈黙した。
その言葉が持つ意味は、どう解釈すれば良いのだろうかと、真剣に考えてしまった。
「だ、誰って・・・?」
「だから、どの子のことを言ってんだ?ってこと。」
僕は再び沈黙した。
それは、どの子のことなのか分からなくなるほど、つまり、二股以上だったということに間違いなさそうなので、僕は横を見るのが恐ろしかった。
彼女の表情を見るのが恐ろしかった。
しかし、透の気持ちを聞きだすことが僕の役目とあっては、ここで中途半端に話を逸らすことができない。
やはり、彼女がこのまま話を続けてほしいと思っているのかを、確かめてみる必要はあった。
それとなく、彼女に確かめようとしたその時、透が勝手に気付いてしまった。
「あれ?もしかして、里歌のことか?」
「へ?」
僕は、思わず間抜けな声を出してしまった。
「何気に有名だもんなぁ。先月の終わり頃に事故で死んだってことで。」
透が彼女のことを覚えていたことには、内心ホッとしたが、それを語る表情に一抹の不安が抱かれた。
「お前に言ってなかったよなぁ?まぁ、普通に可愛かったけど、・・・」
それ以上先は言うな!僕が思わず透の口を塞ごうかと思うほど、透の口からサラリと彼女に対する気持ちが出てきてしまう。
「大して好きでもなかったし、正直事故で死んだって聞いたときは、ひいたね。」
透の顔は笑っていた。
僕には悪魔に見えた。
彼女の瞳からは無数の雫が流れ落ちていた。
僕は、大きな後悔を感じた。
その後、学校に登校はしたものの、いつの間にか僕の横から消えていた彼女のことが気になって、勉強どころではなかった。
僕が彼女を傷つけてしまったようで、実に腹立たしかった。
僕がもっと上手に透から話を聞きだしていれば・・・。
彼女は笑顔で天国に舞い戻れたのに。
昨日、廊下でぶつかった女の子と、僕は再び廊下ですれ違った。
僕は、思わずその子を呼び止める。
「あ、あの!」
女の子は、迷惑そうに僕の方を振り返った。
「もしかして、・・・木村里歌さんの友達・・・?」
その女の子は驚いた表情を浮かべたが、僕の質問に素直に頷いて見せた。
「木村里歌さんって、どんな子だったの・・・?」
「里歌ちゃんを知ってるんですか・・・?」
女の子の表情は一気に暗さを持つ。
「え?まぁ。知り合いといえば、知り合いかな。」
「・・・そうですよね・・・。透さんのお友だちですもんね。」
またか。
僕は正直そう思った。
僕は学校では、どうやら「透の友達」という意味では有名らしい。
「里歌ちゃんは、明るくて素直で、みんなの人気者でした。私も、ずっと一緒にいたかったのに・・・。こんなことになるなんて・・・。」
女の子の声が心なしか震えている。
「でもさぁ・・・、キミ、先月透に告ったんでしょ・・・?」
僕は、複雑な表情で尋ねた。
しかし、女の子の表情は一変した。
「告ってなんかいません!透さんが、そう言ってたんですか!?」
僕は、あまりに激怒する女の子を見て、ただ、うんうんと頷いた。
すると、女の子は大きくため息を吐いた。
「最低!私は、透さんが何股もかけてるって知って、里歌ちゃんをもっと大事にしてあげて!って言いにいっただけなのに!」
怒り心頭の女の子は、すごい迫力で僕の目の前から歩き去っていった。
透に集まる女の子の全てが、好意をもっているとは限らないようだと、僕は僕なりに何かを学んだような気さえした。
しかし、僕の友達は、なんて罪深い男なんだろうと、少し憤りのようなものも同時に感じていた。
家に帰る途中、例の公園の前を通りかかった。
朝よりも野次馬が増えていたが、木の葉は元気に生い茂っている。
僕は、少しホッとした。
しかし、彼女は一体どこに消えてしまったのか。
それが謎だった。
まさか、あまりのショックに天国に戻ってしまったのか?
気が付けば、僕はもう天使も幽霊も完全に信じてしまっていた。
その方が楽だった。
あれこれ彼女たちを詮索するのは正直、面倒だったし、あの必死そうな様子から、冗談やウソだとは考えづらかった。
もう、今は僕も信者というわけだ。
自分の部屋に戻ると、思いがけない出来事と遭遇した。
「おかえり。遅かったね。」
そこには、木村里歌の姿があった。
正しくは、姿はないが。
唖然としている僕に、彼女はあっけらかんとした様子で、話しかけてきた。
「マジ、驚いたよ。透の奴、思った通りのバカだったね。」
彼女はケラケラと笑い出した。
「あ、でも、透は信次君の友達なんだよね?ごめん、ごめん。」
あまりにサッパリとし過ぎている彼女に、不自然ささえ感じた僕は、
「里歌ちゃん、無理してない・・・?」
笑えるほど真面目な顔で、彼女の顔を覗いた。
すると、
「今、名前呼んでくれたね。」
彼女は、切ない笑顔で僕を見ると、無意識に流れ出した涙を必死に両手で拭った。
僕は不謹慎にも、そんな彼女を愛しく感じた。