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生きるすべ

作者: moon

タイで夢を見て暮らす中

はじめは面白半分でも気が付けば

運命共同体に参加している

人は 生きるすべを 心得ている



朝早く

バンコク中央駅から列車に乗り 北へ向かう

2等エアコン無し 一応座席指定だけど ビニールのシート

ガタがきていて黄色く手垢で曇る窓を全開にして

車内にたちこめる床油の匂いを追い出す

さっき駅構内で買った

甘いクリームをサンドしてあるブラックビスケットと 水を

前席の背もたれの部分にくくりつけ 

頭上の網棚へは ランの大きな荷物を2つ積み上げてある

ガタン というショックとともに前へ押し出されるように

バンコク中央駅の大きな屋根から列車が出て行く



ランは いつも口癖のように 言う

「ミー バーン ナ」

「パイ ドウアイ ぺフエー ナ」

(直訳=「家もってるからね」「ぺフエー(チエンマイ手前の町の名)に一緒に行ってね」)

と 私に話し掛けてくれる

だから こうして 一緒に列車に乗ってる

それが 彼女の満足なのでしょうか



列車は市街地を出るまで ゆっくり走るから

線路端で生活する家族が見える スラムのバラックがゆっくり見れる

焚き火の匂いがする

列車が通ってもこちらに見向きもしない住人達

こうゆう列車にも 生活にも慣れているから   

ゴトン ゴトン     ゴトン ゴトン


飛行場への道路と平行して走り

やがて 飛行場を通り過ぎる

速度を上げる列車の窓から眺める景色は

都会の色が だんだん消えてくる


セメントのプレートを敷いただけの 駅

ポイントの切り替え 信号待ち 

垂れ流しのトイレ 禁煙車両 警笛の響き


同じ車両に乗ってる人たちは

カオサンからやってきたフアラン(欧米人)のカップル

頭にタオルを巻いた 日本人の若者達

故郷へ帰るタイ人労働者

そして 私達が居る


車内販売のオバちゃんから

「ムーヤン カオニャォ セット」

「ビアチャ―ン」

「夏みかんのむいたやつ」を買って

列車の旅らしく外を眺めるように ほのぼのと二人で食べる

食べ終わり

お腹いっぱいになって グーグー寝ているランの横で

私は ワンパターンな窓からの景色を眺めながら

考え事をしていた


このまま私は

バンコクの飲み屋で知り合った

いつも私のATMの暗証番号を狙ってる女に

右も左もわからないタイの山奥に連れて行かれて

良いのだろうか?

連れて行かれ

そのまま

村人達の人身御供にされ

有り金全部

ケツの毛まで抜かれて「ポイ」されるんじゃないか

という 単純な猜疑心と言おうか

それが あたりまえの成り行きと言おうか

そうゆうことが普通に心配になってきた訳だが

考えれば 考えるほど

当然

心配になる


強がりのように聞こえるが

私の人生の基本方針としての「命までは盗られないだろう」

という短絡的な思考と言おうか

まったく甘い考えがまねいてしまった結果が

これである

結局

成り行きを楽観視して「こうなるまで楽しんでしまった」

というところに

私の精神に問題があるなと

反省するしか無い

「いつまでズルズルつづくのだろうか?」

しかし

「まあ なにかあれば」

「モトサイ(バイク)なり車を盗んで トンズラ かまそう」

という 安易な方法が浮かんできて 

こうなったんだから「それで行こう」と 流れに身を任す根性を決めた


「これからどんな事になるのだろう」 という 好奇心だけが 先走りし

私の脳内には「冒険」という二文字が浮かび

「タイの秘境へ」という序曲 イントロとしては充分である



ヤワラーの「北京飯店」で借りてきた チャンバラ小説を読む

日本を離れているせいで 

なんとなくナショナリズムを高揚させる内容にひかれる傾向らしい

この半年ほど 

タイ人と同じ生活をし すっかり外見的にタイ人化した 私ですが

「どうだ」

日本語の「本を読んでいるから イープン(日本人)だ」 

というナンセンスな自己顕示欲が現れている



人間的に余裕の無い現われなのか

性格的に 自意識過剰も タイ人化した現われなのか

まあ どうでも良いけど


とにかく 周りの乗客から見れば 私は

バックパッカーでもないし 旅人でもない

タイの女に2等車両で連れられて行く 変なオッサン でしかない

そうゆう状況で 良い

そうゆう状況でしかない


本を読み進むうちに「チャンバラ小説」の影響を受け

広い湿地帯を抜けたあたりで 

私の単純な脳内はすでに「剣豪」に出来上がっている

ゆれる列車の中

私の姿勢は おのずと背筋がピンと張り

ニヒルな薄笑いを浮かべるようになり

剣豪のイメージから時間が経てば

真に勇気ある人間は「静かである」と 悟るようになった

悟りきった私は

2等ビニールシートの上で静かに胡座をかき

敏郎三船のイメージで腕を組み 目を閉じ

うつらうつら静かに 眠る


このイメージのまま タイの山奥に乗り込めば 良い

何も 怖いものは無い


チエンマイの少し手前「バンピン」に着いた

駅の売店に 猫 がいる

駅前は 何も無い広場

イメージ的に JRの無人駅に着いたような感じだ


モトサイとトラックのタクシーが

大きな木の下で ビールの栓将棋をしながら客待ちしている

列車が通り過ぎたあとは もとどおりの のどかな空気が流れている


私は 供のランを従えて

列車からおりた数人の乗客とともに

トラックの乗合タクシーに「静かに乗り込む」が

敏郎三舟のニヒルな雰囲気は

ランの大きな荷物をエッチラ オッチラ持ってる時点で消えている


走り出すと 順番に

お寺が見える 市場が見える 役所が見える 学校が見える

街の配置を観察すると

鉄道が町より後から来たものだと わかる

あとは 畑 田んぼ 遠くに見える山々


遠くの切り立った岩山が 印象的だ

垂直に300メーターはある断崖が太陽に光っている

ランも岩山を指差し「ここだ」「近いぞ」みたいなことを言っている

私は しんどい事はやらないが

クライマーには 充分魅力的だと思われる


ぺフエー方面へタクシーは走る

20分ほど道路を行ったところで

右にガソリンスタンド 左に給水塔が見える交差点を 左へすすむ

そこから また20分ほどで

小さな村を2つほど過ぎて 小川を渡り 小さな丘の上の三叉路を また左へ

そこが 「バーン ハーモ―」

村の中を縦断する道に沿って

村の学校を過ぎ なんでも売っている商店を過ぎ

バーミー(ラーメン)屋を過ぎ 川にかかる橋の手前を 右

少し坂を登ったところに ランの実家がある


高床式

倉庫のようなリビング 犬と猫と鶏と人間が共存している

完全に 弥生時代である

母親の家を中心に 兄弟姉妹達の家が並んでいる

その1つの「建設途中の家」が ランの家だ

あたりには木が生い茂り 

少し行けば ダムでせき止められた川が流れている

風が吹いて 木がざわめく

好奇心旺盛な 犬と村人が 林の中の細い道から 私を迎えに出てくる

私達を運んでくれた タクシートラックのエキゾーストノートが だんだん遠ざかって行くと

そこには 自然の音しか 残っていない


そんな「ところ」


建設途中のランの家は

骨組は どこかの「フアランに金出してもらった」らしいが

そのフアランに なにがあったか定かじゃないけど 

どこかへ行ってしまって

結局 お金がとどこおり それっきりで ほったらかしになっている


「ミー バーン ナ」という言葉を思い出し

しかたないなと思うしかない

家には違いない


そもそも

こうゆう事になったのも

私が バンコクで屋根代をランに渡したのが 事のきっかけ だった

「渡した」というより

私の部屋の お金を隠してある場所から ランが勝手に持っていった 

という事実で

金を回収しようと ラン相手に いろいろノタウチ廻ったけれど

結局 根負けして

まあ単純に カネズル として 今のところ

ランの家の建築スポンサーのあとがまが 私 という事になっている状況だ


まあ あれだけの金でこれだけの物が出来るのかと 感心し

タイでの お金の価値を見直す必要を感じる

建坪が20坪ぐらいの 平屋建てフラット 大きく玄関前にせり出した屋根

なんか こうして出来上がりつつあるものを見ると 良いものだ 

おもしろい

あとは 床と窓と便器 天井のパネル

ペンキで色塗って いい感じの扉つけて 電気と水道をひいて

仕上げに 

お坊様を呼んで 御払いのセレモニーをすると 完成らしい


まあ そこまで付き合う必要は無いけれど

当分 「事の成り行きを見させてもらう」 ということで満足している


ここは 自然がすばらしい

冷たくて飲んでも平気な美味しい水

ふっくらしたカオスアイ

枝豆 たけのこ うずら きじ

高床式の 床下で縁台に寝転び 昼寝する

おんな達は 家事をしながら 鳥が囀るようにお喋りし

おとこ達は オフロードのバイクで ライフル背負って 山に入り猟をする


そして 家族のもとへ獲物を持ち帰ってくる

ランは 私という 獲物をバンコクで釣り上げ 兄弟姉妹達に 披露する

しょせん そんなものだろう


そうゆう生きるすべ らしいな そうゆう村 なんだろうな



母親の家のリビングで 宴会が始まる

何かわからない動物の料理と 私しのために カオパット(やきめし)

こうゆうのは

私が小さい頃TVでよくやっていたドキュメント番組「新世界紀行」状態である


20人ほどの ランのフアミリー達と密造酒で乾杯をかさね

盛り上がり

私の前で 歌がはじまり 踊りだす

村人達が みんな見にくる

そのたびに 密造酒を 飲まされる 飲まされる

気分は ハイだけど グラグラになってうまく歩けなくなる


台湾の工事現場まで出稼ぎに行った 兄弟の話し

チエンマイのデイスコで歌っていた 姉妹の話し

もうすぐ高校へ通う予定の 子供達の話し

バンコクへ働きに出る 近所のおんなの子達の話

結局 みんなで お金の話をしている


カルチャーショックと密造酒の酔いが合わさって もう どうでも良くなる



そのままリビングで 雑魚寝になったようである

深夜 気がつけば ランは 私を後ろから抱きしめるように眠っていた

そして 私のふところには ランの姉が入っており 

両方からサンドイッチにされていた

オシッコをしたいけれど あたりは真っ暗

暗闇に目を凝らして 目を慣れさしていると 星が見える

星かと思ったが よく考えれば家の中に蚊帳を吊って寝ているから 

星が見えるはずない

それに星がゆらゆら動いている

「蛍だ!」

星のように見えるのは 蛍が家の中まで入ってきて 蚊帳の外を飛んでいる から 

そうなんだ はじめてみる「野生の蛍」

シテイボーイの私にとって「感動もの」である


「ダオ マレン」(星の虫)

そうゆうロマンテイックな雰囲気で そう呼びたい感じ

ライターの明かりをたよりにトイレへ行き 

トイレの電気をつけると

60ワットでも かなり まぶしい

オシッコをちゃんと汲み水で流して

トイレから出てきて 

眺める夜の風景は 自然 そのもの

目が暗闇に慣れてきて

鈴虫が鳴いている すずしい風に森の匂いが充満している

空には満点の星がきらめき 地球が丸いことがわかるように空が湾曲している

今まで見た 一番綺麗な星空だと瞬間的にわかる


そうゆう感動に浸り

しばし身動きもできない


長く明かりをつけていると 蛾が寄ってきそうなので 

電気を消して

もとの暗闇へもどし

また しばらく眺める


山の夜は寒い

手にしたライターを頼りに 蚊帳を目指し ラン姉妹の間に入る

眠たくなるまで 

蚊帳越しにプラネタリウムのような 蛍を眺めていた

アニメ映画「蛍の墓」を思い出す



田舎というものは 娯楽が少ないから 人の噂話が すごい

私が 一人でブラブラ歩いているだけで 噂の種になる らしい

ましては「村」だ

噂 よりも 監視されてるようで

しかたないのか…


この村に フアラン(欧米人)が建てた家がある

今は フアランのオンナの家族が棲んでいて 

フアランは見当たらない

かなり金をかけてある

衛星のパラボラが付いていて ピックアップがガレージに収まっている

「どうしてフアランがいないのだ」 という疑問を みんなに聞いても 笑って答えない

それよりも

おまえ車買わないのか? とか モトサイ(オートバイ)は? とか聞いてくる

ランの家の床の色は こんな色が良いとか 

便器の色は こんな色が良い と勝手に決めている

なんか 嫌な雰囲気だ


ここの自然は すばらしいんだけれど 

そこで暮らす人の心は 狡猾である

それが人間として普通かもしれない

自然の中で暮らすには 日本人からすれば想像以上に厳しく

体が丈夫て 生きることに長けていなければ 生き残れないようである

それに

毎日 毎晩 放送局から流れてくるTV番組や 

DVD 通信販売 等のメデイアに踊らされて

何かを「夢見ている」


バンコク等へ出稼ぎに行った者の姿を見 話を聞く

「娘がバンコクへ働きに行けば 家が建つ」という話

いろんなうわさ

美談だけのバンコックドリームを見ているから

しかたないのです


私の場合は タイの田舎に来て

うわべだけの自然の美味しいところに 感動している だけです

人間の生命など 一瞬で吹き飛ばしてしまうような自然の厳しさを 知らないだけです

それと同じように

ここの村の人達も

先進国といわれる国々の

表面上の物質文明の美味しいところに 目を向けているだけなのですが

そうゆう事を 話して 

たとへ理解されたとしても「欲しい物は ほしい」という感情は残る

それが 普通だと思う

しかたないことです


そうゆう「生きるすべ」を小さい頃から見てきた村人達は

そうゆう生活に慣れている

それに

そうゆう生き方をする上での

そうゆう「おきて」が存在するから

「しかたない」 という言葉がまかり通る ようです




「アパート」


正確に はっきりしたことは わからないが

バンコクの中心部は 面積的に 大阪の環状線の内側ぐらいだと思う

なぜか そんな感じがするだけで 脳内で決めつけているけれど

けっこうそれで 当たっていると思う

バンコク全体は かなり広いけど 中心部分となると

大阪の環状線の内側ぐらいの感覚で ちょうど良いと感じる


西はホアランポーン 東はオンヌット

北はラチャダー 南はサパンタクシン

そんなもんだろう

東京やLAみたいに広すぎず ちょうどよい 大きさ 広さだと思う


そうゆう「ちょうど良い」感覚っていうのは

大阪も昔はバンコクみたいに

川を利用した交通があって 「お城には殿様が住んでいた」

からなのでしょうか

それがバンコクが便利に感じる理由の一つかもしれない


私の脳内だけの感覚的でも

パッポンが東通りで ソイカウボーイは太融寺

ナナが千日前 スチサンは今里新地

タニヤ宗右衛門町 ラチャダー十三 ソイ33北新地

ホアランポーンは天王寺 カオサンはアメリカ村

それで ヤワラーが新世界

という感覚も まんざらでなく

それで良いと思う


あくまでも 私の脳内での話で 別にわざわざ大阪の町に当てはめなくても良いのですが

そうゆう性格なので そう思っています

似ている 似ていないじゃなくて

そうゆう思い方だけで バンコクが精神的に身近に感じ

生活する上で 違和感のない いい環境になっているのです

タイに来た当初は「違和感」を楽しんでいましたが

「違和感」ばかりじゃ疲れてしまいますからね

まあ当然

今日も バンコクはバンコクでありつづけ

明日もバンコクの街は バンコクの街でしかありません




寝台列車にゆられて バンコクへ戻りました

エアコンのない寝台列車は

暗闇の中を重いデイーゼルの排気音を響かせ 突き進む

寝台車両の狭い通路に カーテンが風でなびく

トイレは なぜか 水浸し

食堂車両のもの売りは もう寝ている


私は

通路と寝台を仕切ってあるカーテンを ぴっちり閉じて

寝台の横の窓を全開にしている


音がうるさいけど いい気持ちです

そのうち うるさい音も ワンパターンなので慣れて 少しは気にならなくなる

上の段で寝るはずのランは 

はじめから 下の段に居座って

気が付けば とっくに熟睡体勢に入ってしまっている


私は ランにかまわず全開の窓からの暗闇を楽しんでいると


風に長くあたっているせいで 顔の表面にもう一枚皮膚を貼ったような

そんな感覚になっている


ランは相変わらず 

窓から外を眺めている私の横で 狭いのに グーグー寝ている

まったく良く寝ている 

まるで寝ることが丈夫で元気の秘訣だと言っているようだ

たしかに そう感じる


そうゆう具合に体ができているのだと思うと なんか単純に うらやましい

反面

そうゆう思考ですべて成り立っていると思うと 不安と安心が交差する


一緒に生活していると感情が流入して当然である

ランとは もう半年以上いっしょに生活している


ランは

ナナ(バンコクの歓楽街のひとつ)のカウンターバーで「ママ」みたいなことしていたから

「便利じゃないかな?」

みたいな軽い気持ちで付き合いだして「関係」を持った

実際に便利だった

ナナの事は熟知しているし

ランの店に行けば「特別な存在」だった

そうゆう気分にしてくれただけでも

「感謝」している


今となればね



そうゆう感じです


ハーモー村の林間学校状態を一週間ほどすごし

田舎のランの家も屋根をつけて

だいたい出来上がり 夜露がしのげるようになって 全景が見えてきた頃


まあ「このへんで勘弁したろ」という感じで


ランは私を連れてバンコクに戻りました

ちょうど中古のモトサイを安く買った次の日

駅までランのフアミリーが大勢でつめかけ

私を送ってくれた


私の手首には 無数の白い紐 が巻きつけられ

みんなで 私の健康を祈り 真剣に ワイ(拝む) していた

それを見て

私は 深く考えるのはよそうと 思った


この人たちは 純粋なんだ と

これは 善意 でしかないと思った


たまたま そうゆうタイミングだった のでしょう

家は夜露がしのげるようになったし モトサイも手に入ったのだから


そんなことより 私は

自然のパワーをしっかり吸収して すっかり タイの田舎者になった

そして なにごともなく 無事であり 健康である


パカノンのアパートへ帰ってきた

ここは 都会のはしっこ

月 2300バーツ

タイ人だけが住んでいるアパート


近所には

シャモを飼ってるケンカの強そうなプー太郎が メンチを切る

ムエタイ サッカー レンパイ

いつも何かの賭博で盛り上がっている


ここのソイは勉強になる

2つ わかった事がある


「1つめ」

となりの空き地では 牛が放牧され アパートに隣接するように鶏小屋がある

そこの「鶏」は 女性の発する奇声に敏感で

女性の発する甲高い声に反応して「コケコッコー」と鳴く

だから 鶏小屋のちかくの部屋で おんなが歓喜のナニの声をあげると

すぐにわかる

昼夜問わずに 鶏が鳴き始める


「2つめ」

モトサイライダーバイクタクシーは 

人を運ぶだけが仕事ではないことを 教えてくれる

ヤーム(警備員)状態でソイに出入りする人間に目を光らせる 

モトサイかたむろする

自分達のナワバリを誇示している チーマーのようである

だからタイ人達は 近くのところでも モトサイを利用することで

彼らといい関係を保ち 平和なソイを作っている

そうゆう シビリアンコントロール が成り立っているのが 見える


そうゆう感じでまた タイ文化への深いかかわりの中へ入っている

私を感じている

そうゆう自己満足である


アパートは エレヴェータなしの 階段のみ

ジュライ(その昔あった有名なホテル)のように部屋の中では 

大きな扇風機がカタカタ 天井で回る

使用するたびに 

一度ベランダに出なければならない トイレと水シャワー

8畳ぐらいの小さな部屋に テレビ 冷蔵庫 タンス ベット

その他もろもろで いっぱいになってしまう

ベランダでは 

ゴミ箱と洗濯機の上で洗濯物が いい感じで日よけのブラインドをしている

風向きによって 動物の匂いが やってくる

アパートのとなりのパン屋は ルークトウン(タイの演歌)をずっと鳴らしている

移動よろず屋が シュアチャチャチャ の歌を流しながら トラックでやってくる

耳につく電気信号のようなメロデイーの あの アイスクリーム屋が やってくる

そうゆう雰囲気のソイ


夕方には ガイヤンを焼く匂いとともに 

いつものコーランがはじまり

夕日いっぱいにコーランが響きわたる


そうゆうシチュエーションの時は きまって

テレビを消して 静かに 少しはやい夕食をとる

キン ドウアイ

仕事へ行く前のランと いつも そうしていた


アザーン

コーランの唸り手によるけれど

いい感じで コーラン唸ってる 

オッサンのメロデイは

バッハのアリア のようで すごい

唸ってるオッサンは 精神的にすごく良い世界にいて 

気持ちよさそう

陶酔感のある まったく そう感じさせる 唸り方だ

ナチュラルハイ という言葉が ハマル


夕食後

ナナへ仕事に行く ランの化粧をする姿を眺めながら 

今夜の予定を考える


おんな の化粧する姿を眺めるのは 好きだ

小さい頃は いつも 母親の化粧をする姿を眺めていた

それが始まりで

今までに いろんな おんな の化粧を眺めた

いろんなパターンがあったり やり方があったり

その時代により はやりすたりが あったり

そうゆう記憶がよみがえって 

なんとなく良いものである


ひとり苦笑いする


おなじアパートに住む 

ナナのオネーチャン達もいっしょに化粧しにやってくる


1Fのパーマ屋で髪をセットしたら 順番に化粧しにやってくる

夕方の賑やかな ひと時

なにか 私のなかに「運命共同体的意識」を感じながら

仕事へ行く用意ができたランと仲間達を BTSの駅まで送る


BTSのパカノンの改札まで 皆を送って

私は いつものインターネットカフエで

少し日本語と英語ができるマスターと 暗くなるまでオタクな会話をする

マスターは日本の情報を語ってくれるので ありがたい

サーバーが香港なので 回線状態が悪いと大変だけど 落ち着く場所だ


いつもの

晩酌は 「北京飯店」「ソイ10」「ウオンズBar」

気分転換は 「ビワ」「テキサス」「ハーレム」

小腹が空いて 「らーめん亭」「カオサンのクラブサンド」

感傷的になって 「ジュライサークルのサンちゃん」



スクンビット71の通りから歩いて10分 ぐらいかな このアパート

71の通りから小さなソイを歩いて 立派なモスクを越えて ドブ川沿いに進む

モトサイに乗っても 7バーツ

そんな所で暮らすようになった


タイにきて2年が経って

もう そろそろ日本へ帰ろうかな? なんて考え出して 

ラチャ村(日本人コミュニテイー)を引き払って

ここで ぐずぐず している

そう 

なにか日本へ帰る「なにか」を感じるために

ぐずぐず している



朝はやく タラートまで 朝ごはんを買いに行く ラン

私の好きな 竹の子 が美味しそうだと たくさん買ってくる

私は「カイチアオ(卵焼き)」と「納豆」と「オクラ」と「竹の子」があれば 

満足だ

それだけで 良いのです

朝ごはん食べたら もう一度 二度寝して 

昼に起きる

近くの ロータス カフール ジャスコ までブラブラ買い物

そんな 毎日


タイにきて 一つ大きく わかった事があります

それは 「わたしは さみしがりや」だった という自覚が今までなかった

ということです

それが わかったのです


私は今まで一人で旅をすることが好きで ずっとそうしてきた

だけど なんかもう 良くわかったんだ 

ほんとの一人ってことが ね

ほんとの一人って ほんとに寂しいんだ

それが わかったんだ

あたりまえだけど

実際にわかった

そうしたら

自分のことがわかる以上に 相手の気持ちもわかるようになった

だから いろいろ考えるようになって


私は こんな脳内であると解りました


それは都合の良い思考です


私を求めている人がいる

そうゆうふうに感じる日本と

食い扶持にされているタイ が見える

という 簡単な図式が

わかっているけど 


なんとなく 

わかりたくない

そうゆう 思考

だから ここで ぐずぐずしているし

「帰れないし 帰えりたい」 ってなっている




「ねこ」


猫を飼いました

以前 ラチャ村に住んでいた頃

朝まだ うす暗いタラートへ 毎日 肉まんを買いに行っていました

その「肉まん」は

あっさりとした おいしい肉まんで 牛乳とすごくあいますから

朝食には ちょうど良かった

朝早く行かないと 肉まんが売り切れになるので

毎日早起きするのが日課となってしまった


市場では

朝早く行っても 人がたくさん買い物しています

店がたくさん並んで 人がたくさんいて 独特の活気を感じるぐらいです

だから

朝なのに まだうす暗いから 夕方と錯覚しそうです

食べ物屋のほかに

飛行機に乗ったら出てくる シンガポール航空のピノノアールの小瓶を売る店がある

手ずくりの掛け布団を売る店がある

20バーツ均一屋 ベットシーツ屋 ダッチミル屋


人も いろいろ いる

さっきまで仕事をしていたのでしょう

これから寝る様子らしい 高いテンションで化粧の残る 夜のオネーチャンたち


お布施の用意をして はだしになって お坊様を待つ人々

お布施セットを売る店 川に放す魚と亀 空に放すスズメ

犬が人の間をうろうろ徘徊し 屋台の下で猫が人間を見ている


私は 

袋に入った肉まんをブラブラ手に下げて 甘くない牛乳を1リッター買う

私は

朝市の 人と人の間を 漂う

そうゆう朝市の光景を眺めて 自分を確かめる

皆が生活している中に溶け込んでいるようで

タイの「ぬるま湯」につかっているようで 安心する

 

「タイのヌルマ湯」

肩まで浸かって じーっと

いくら浸かっても ノボせない

「タイのヌルマ湯」

外へ出たら 寒くて

また 帰ってくる

皆は「出るな」「ここに じーっと 浸かってなさい」

と 言ってくれる

「むりしないで」

「わかっているから」

「波立てない」

「お互いを 頼りにして」

とも 聞こえる


 そんな感じかな

 

 毎日同じ生活がつづいて 単調で無気力な毎日を送る一方 

反対に

そうゆう毎日の日課が知らないうちに出来上がってしまう

人間というものは 面白いものです

強迫観念という言葉の響きからくる迫力は 当てはまらないと思うけど

何かそうゆう「用事」のような

「何かしなきゃいけない」ことを作ることが必要みたいです

それが普通なんですよね

自分という性格が なんとなく判りだしたようです


 もう一つ

残念ながら

私は 特別な人間ではない

ということが わかった タイの「ぬるま湯」感覚です

正直なところ 甘えだと思いますが

みんなと同じ 人と人の間で暮らす事から 離れることは出来ない 

というのが現実で

他の人間との接触を断つことが 仙人への道すじの第一歩なのだと わかりましたが

私は 仙人になるわけでもない

タイで暮らせば暮らすほど そうゆう 孤独で生きる勇気も自信も 無くなってしまい

たんなる「さみしがりや」が出来上がっています

タイのせいにするのは 良く ありません

「はじめから そんな根性もありませんでした」というのが ホント

私は そうゆう夢をみていたのです

誰かが言っています

「夢を見ながらユル〜ク生きられるのがタイです」と


 そんな ある日

お寺の横の花屋で 子猫をもらいました

お腹の一部分と足の裏が白い毛の 黒猫 です

「さすけ」 という名前にしました

パカノンにも 一緒に引越しました

ハーモー村にも 一緒に行きました

タクシーに乗ったり 電車に乗るのが好きな猫でした

タイのスーパーは キャットフードが豊富にあります から

「さすけ」は どんどん大きくなります

猫用トイレの砂も 安いです


ランは「さすけ」を 3日に一度はアップナームさせます


いやがる「さすけ」を押さえつけて 石鹸つけて洗います

いやがる「さすけ」が抵抗するのを 楽しむように 洗います

その光景は まるで日ごろの憂さを晴らしているようで

とっても 怖いです

「さすけ」は 賢い猫ですから

そのうち

どうしょうもない ランのアップナーム を受け入れて 

あきらめて抵抗しないようになりました

そうしたら 3日に一度のアップナームが 一週間に一度の頻度に減りました

そうゆうものなのでしょうね


どうしても 逃れられない事は あきらめて「受け入れる」ということでしょうね

それが賢い生き方だと「さすけ」は 私に言っているようです


受け入れる勇気のある「猫」だと思いました

とても賢い猫でした

私がしゃべりかけると「さすけ」は 理解してるよな顔をします

だから いつも しゃべりかけていました


 「さすけ」は大切なことを 私に教えてくれました


それは

ランが「さすけ」に語りかけているとき 気づきました

ランは「さすけ」をだっこして

子供をあやす様にして「さすけ」に何かを語っていた

その声のトーンと話の内容 ランのリアクションを見た私は

なにか「夢から醒めるような」感覚に陥った


「私に 語っているときと同じだ」

ランが私と話している時と 言葉の雰囲気 トーン リアクション が同じなんだ

すべて 一緒なんだ

それを見たとき「夢から醒める」ように 

ランに対する感情がスルスルと冷めていく

私も

ランに語っている時と「さすけ」に語っている時は 

こんなふうに「一緒なんだ」

と 悟った


ランへの感情がさめるのと同時に 私の感情がランにも同調しているように

ランも 悟ったのが伝わった


私とランとの間に たそがれの風が吹く

私は「わかったね」とジョイントを巻きだす

ランは「それがどうしたんだ」と開き直る


 今までの幻想の感覚が

スルスルと冷めていけばいくほど 

体が軽くなったような 解きほぐされるような

そうゆう「呪縛」から逃れられたような感覚になった

だから

「なんや いっしょ やん」

「これで ええねん」

「しょせん こんなもん やん」

という気持ちになっちゃって 

冷めた


ランがどうだ こうだ じゃなくて

まあよく考えたら はじめから「わかってた事」だったんだ

それが いつのまにか「自分の中だけで盛り上がって」

「馬鹿みたい」になっていた

という「夢の中」で「勘違いの旅」をしていた自分自身が 見えた

ということなんだ


まあ これぐらいで いいでしょう 

はじめは遊びのつもりでも

いつのまにか生活にドップリ浸かってしまって

運命共同体……


「さすけ」は それを私に示してくれました

そして「勘違いの旅」に終止符を打ってくれました


  いい夢をみさせてもらって お腹いっぱい

もう許してください

 タイの女には「タイのおんな」の活き方があり

タイの猫にも「タイねこ」としての活き方がある

 じゃー 元気でね みなさん ありがとう





もうタイは卒業と思っているが

3年経った今

未だにタイへ年数回渡航している


同じ事を繰り返しても いいじゃないですか

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分で切り開き、成功を収め。子供達に託し隠居状態でタイへって人が身近に居ます。 古風な性格の私には戒めや慎みって物を捨てきれず不器用な生き方になってしまってます。 羨ましいような、歩みたくな…
2009/05/26 10:16 大阪人13号
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