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〜エルフに転生した元病弱少女!剣も魔法も拳一つで『ボクシング』で超えていく〜  作者: あえch
拳

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2/12

1話 初めての接近戦

「――よし!」


私は拳を握りしめ、森の中で大きく伸びをした。深く息を吸っても胸は痛まない。少し走ったくらいでは息も切れないし、心臓が苦しくなることもない。


気持ちいい。本当に、気持ちいい。


「ふふっ……あははっ!」


嬉しくて、思わず笑い声が漏れた。前の人生では、走ることすら怖かった。少し無理をすれば身体に負担がかかり、いつ倒れてもおかしくなかったからだ。でも、今は違う。私は両足に力を込め、地面を蹴った。


タッ、タッ、タッ!


木々の間を駆け抜ける。足が軽い。身体が思いどおりに動く。もっと走りたい。もっと動きたい。今までずっと我慢してきたものが、一気に溢れ出してくるようだった。


「ははっ! すごい、すごいよこれ!」


しばらく走り回ったあと、私はようやく足を止めた。少しだけ息が弾んでいるけれど、胸はまったく苦しくない。それどころか、まだまだ動けそうだった。


「……せっかくだし、やっちゃおうかな」


私は両足を肩幅より少し広く開き、片足を前に出した。顎を引き、両手を顔の前に構える。懐かしい構えだった。前世で何千回、何万回と繰り返してきた動き。もう二度とできないと思っていたものだ。


「……ふぅ」


息を吐き、左手をまっすぐ伸ばす。


シュッ!


続けて右。


シュッ、シュッ!


左、右、左。軽く足を踏み替えながら、拳を繰り出す。ジャブからストレート。そこから左フックへつなぎ、頭を振って相手の反撃を避ける。さらに一歩踏み込み、左右のボディーブローを打ち込んだ。

もちろん、目の前に相手はいない。ただのシャドーボクシングだ。それでも、楽しかった。


「ふふっ……!」


思わず頬が緩む。身体が動く。思い描いたとおりに拳が走る。それだけで、こんなに幸せな気持ちになれるなんて。


「……ああ、もう! 最高じゃん!」


誰も見ていない森の中で、私はしばらく拳を振り続けた。

前世では、体調が悪くて練習できない日も多かった。身体を休めながら試合の映像を見て、頭の中で何度も動きを繰り返したこともある。それが今はどうだろう。何度拳を振っても、息が乱れない。少し疲れてきた気はするけれど、胸が痛むこともなかった。


「……うぅ、嬉しい」


目の奥が熱くなった。でも、いつまでも泣いているわけにはいかない。せっかく健康な身体を手に入れたのだ。これからは、今までできなかったことをたくさんやる。美味しいものを食べる。知らない場所へ行く。友達だって作りたい。それに、ボクシングも続けたい。


今度は、お金を稼ぐためだけじゃない。自分が好きだから、自分がやりたいから、拳を振るうのだ。


「よーし……!」


私は改めて拳を構えた。そこで、ふと思った。


「そういえば、私って今、何歳なんだろう?」


自分の身体を見下ろす。小さな手に、細い腕。どう見ても大人ではない。前世の私は、死ぬ直前まで少女と呼べる年齢だったけれど、今の身体はそれよりもずっと幼い気がする。


「うーん、十歳くらい?」


正直、よく分からない。鏡もないし、自分の顔だって水たまりで見ただけだ。


「まあ、十歳くらいってことにしておこう!」


……いや、適当すぎるか。


そもそも、ここはどこなんだろう。さっき見えた大きなお城に、尖った耳、長い金色の髪。どう考えても前世の世界ではない。魔法とか、魔物とか、そういうものが存在する世界なのかもしれない。


「……魔物、かぁ」


口に出してから、私は少し考えた。もし本当に魔物がいるのなら、気をつけなければいけない。前世のボクシングは、人間と戦うための技術だ。相手の動きを読み、攻撃を避け、隙を突く。体格差があっても、技術と工夫で勝機をつかむ。

でも、相手が人間ではなかったら? そもそも、拳が通用するのだろうか。


「……まあ、何とかなるでしょ!」


我ながら楽観的だと思う。でも、せっかく健康な身体になれたのだ。何もせずに怖がっているなんてもったいない。

私は軽く拳を打ち合わせ、森の奥へと歩き出した。この世界がどんな場所なのか、少しずつ知っていこう。


そう思っていた。


――ほんの数分前までは。


「……ん?」


足を止めた。何か聞こえた気がする。


ガサッ。


草木が揺れる音。私はそちらへ顔を向けた。


ガサガサッ。


……大きい。


何かがいる。しかも、かなり大きい。


背中に嫌な汗が流れた。いやいや、待ってほしい。私は今、転生したばかりなのだ。異世界に来て、健康な身体を手に入れて、ようやくこれからというところなのだ。いきなり危険な目に遭うのは、さすがに展開が早すぎないだろうか。


そんなことを考えていると、茂みの向こうからそれが姿を現した。


「…………え?」


熊。


最初はそう思った。けれど、すぐに違うと分かった。


大きすぎる。


四本足で立っているのに、頭の位置が私の背丈を軽く超えている。全身を覆う黒い毛並み。太い腕。口元から覗く鋭い牙。そして、額には小さな角が一本生えていた。


魔物だ。


どう見ても魔物だった。熊に似ているけれど、普通の熊じゃない。


そいつは私を見つけると、低く唸った。


「グルルルル……」


私はゆっくりと後ずさった。


……うん。逃げよう。


そうだ。逃げるのが正解だ。相手は巨大な熊型の魔物。対して私は、十歳くらいのエルフの少女。いくら前世でボクシングをやっていたからといって、勝てる相手ではない。

そもそも、ボクシングは人間同士が拳で戦う競技だ。牙も爪もある魔物と戦うためのものじゃない。


「……じゃ、じゃあね!」


私は踵を返した。

その瞬間。


「グオオオオオッ!」

「ひゃあああああっ!?」


魔物が吠えた。そして、突進してきた。


「ちょっ、待って待って待ってぇぇぇっ!」


私は必死に走った。後ろを振り返る余裕なんてない。


ドドドドドッ!


地面が揺れる。足音が近づいてくる。


「速い速い速いっ! 何なのあれぇっ!?」


あっという間に距離を詰められた。横目に見えた巨大な影に、私は思わず悲鳴を上げる。


「いやぁぁぁっ!」


振り向きざまに飛び退く。直後、魔物の前脚が地面を叩いた。


ドゴォンッ!


土と草が派手に舞い上がった。


……うそでしょ。


今のを食らっていたら、どうなっていた? 考えたくもない。


私は荒い息を吐きながら、魔物と向かい合った。いや、正確には向かい合うしかなかった。後ろは木々が密集している。逃げようにも、相手の巨体なら木をなぎ倒して追ってきそうだ。


それに、私はまだ走れる。


健康な身体を手に入れたばかりなのだ。ここで簡単にやられるわけにはいかない。


「……落ち着け、私」


自分に言い聞かせる。

相手は大きい。力も強い。爪や牙だってある。まともに攻撃を受けたら、一発で終わるだろう。


なら、どうする?


私は魔物の動きを観察した。前脚が地面につくたび、巨体が大きく揺れる。突進の直前には頭が低くなり、勢いをつけるために後ろ脚へ体重が乗る。


……なるほど。


「意外と、分かりやすい?」


いや、そんなことを言っている場合じゃない。


私は拳を構えた。

ボクシング。前世で私が生きるために身につけた技術だ。


ボクシングは、ただ拳を相手に当てればいいというものじゃない。相手との距離を測り、攻撃を避け、隙を見つける。足を使って位置を変え、自分に有利な距離で戦う。相手の得意な距離で戦わず、自分の得意な距離に持ち込む。

そして、私が最も得意としていたのが――インファイトだった。


相手の懐へ潜り込み、近距離で打ち合う戦い方。リーチの長い相手には懐へ入り、長い腕を振り回しにくい距離で攻撃する。近づくまでが難しいけれど、そこまで入ってしまえば、こちらにも勝機が生まれる。

もちろん、相手が人間なら、という話だけど。


「……やるしかないか」


魔物が前脚を振り上げた。


来る!


私は横へ跳んだ。


ドゴォンッ!


地面が砕ける。


すぐさま反対側へ踏み込んだ。魔物の身体の横。攻撃を終えたばかりで、体勢が崩れている。


今しかない。


「せぇいっ!」


私は拳を握り、魔物の脇腹へ打ち込んだ。


ドスッ!


……硬い。


「いったぁっ!?」


拳がじんじんと痺れた。


何これ!? 毛皮の下、筋肉が分厚すぎる! 人間の身体とはまるで違う。普通に殴っても、こっちの拳が壊れそうだ。


魔物が唸り、身体をひねった。


「わっ!」


私は慌てて後ろへ飛び退いた。危なかった。今の一撃で倒せるなんて、もちろん思っていなかった。けれど、ここまで硬いとは予想外だ。


正面から殴り合うのは無理。


なら、もっと工夫するしかない。


私は一度距離を取り、拳を握り直した。


前世でも、体格の大きな相手と戦うことはあった。リーチが長く、パンチが重い相手。真正面から打ち合えば、こちらが不利になる。だからこそ、私は相手の懐へ潜り込む技術を磨いてきた。

相手が腕を伸ばした瞬間に頭を外へずらす。肩の動きを見てパンチを避け、踏み込む。攻撃をもらわずに近づき、相手が力を発揮しにくい距離で拳を打ち込む。


そして、私の得意技はもう一つ。


ボディーブロー。


腹部へのパンチだ。


人間なら、腹に強い一撃を受ければ呼吸が乱れ、動きが鈍ることがある。顔面へのパンチほど派手ではないけれど、相手の体力を削り、戦う力を奪うための重要な技術だ。


ただし、魔物にも同じことが通用するとは限らない。


「……試すしかないよね」


魔物が再び吠えた。今度は、私も逃げなかった。

相手が突進してくる。私はぎりぎりまで引きつけ、地面を蹴った。


巨体が迫る。あと少し。もう少しだけ。


魔物が前脚を振り上げた瞬間、私は身体を横へ滑らせた。風圧が頬をかすめる。そのまま懐へ潜り込む。


「ここっ!」


左の拳を、魔物の脇腹へ打ち込んだ。


ドスッ!


すぐに右。


ドゴッ!


さらに左。


ドスッ!


連続したボディーブロー。


人間相手なら、一発ごとに呼吸や姿勢を崩させることを狙う。でも、こいつは違う。毛皮も筋肉も厚い。拳を当てても、手応えが浅い。


それでも、打ち続けた。


一発で倒れないなら、何発でも打つ。


相手が大きいなら、そのぶん動きを観察する。拳が通じないなら、通じる場所を探す。前世の私は、そうやって勝ち続けてきた。


「まだまだぁっ!」


右、左、右。


魔物が身体をひねり、私を振り払おうとする。私はすぐに頭を振り、その動きに合わせて足を踏み替えた。

インファイトの強みは、ただ近づいて殴ることじゃない。相手の動きに合わせて位置を変え、攻撃を避けながら自分のパンチを当て続けることだ。


もちろん、相手が熊のような魔物だなんて初めてだけど!


「ちょっとくらい、効いてよぉっ!」


私は最後に、身体をひねって右拳を突き込んだ。

今までよりも深く。魔物の脇腹、その奥へ。


ドゴンッ!


「グオオオオオッ!?」


魔物が大きく吠えた。そして、よろめいた。


……効いた!


何が決め手になったのかは分からない。けれど、確かに今の一撃で動きが鈍った。

私はすぐに距離を取った。追撃はしない。相手の反撃が届く場所に居続けるのは危険だ。まずは様子を見る。

魔物は荒い息を吐きながら、こちらを睨んでいた。その腹部が、わずかに上下している。


「……そっか」


私は小さく呟いた。

こいつも生き物だ。どれだけ大きくても、どれだけ頑丈でも、身体の構造がまるで違うとは限らない。なら、狙う場所を変えればいい。


私はもう一度、拳を構えた。


今度は魔物の動きが少し遅くなっている。突進してくる魔物を横へ避け、前脚が地面を叩いた瞬間に踏み込む。左、右、左。脇腹へ拳を打ち込む。


魔物が身体をよじる。私は頭を引いて爪をかわし、空いた場所へ潜り込んだ。


「これで――!」


腰を回し、右拳を振り抜いた。


ドゴォッ!


魔物の巨体がぐらりと傾いた。


「グ……オ……」


膝が地面につく。私は拳を構えたまま、息を止めた。


倒れる?


それとも、まだ動く?


魔物は何度か身体を揺らしたあと、ついに横倒しになった。


ドスンッ!


地面が揺れた。


静かになった森の中で、私はしばらく動けなかった。


倒した。本当に? あの巨大な魔物を?


「…………勝った?」


返事はない。


「……勝ったぁぁぁぁっ!」


私は両手を突き上げた。


「やった! やったよ! 私、勝った! 熊みたいな魔物に勝ったぁっ!」


嬉しかった。とにかく嬉しかった。

前世では、どんなに練習しても、身体の調子が悪ければ思うように動けなかった。試合に勝てた日でさえ、帰り道には疲れ果てていたこともある。

それが今はどうだろう。魔物と戦って、あれだけ動き回ったのに、まだ立っていられる。もちろん疲れてはいる。でも、胸は痛くない。


私は胸に手を当てた。


ドクン、ドクン。


心臓が動いている。


「……ありがとう」


誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。神様なのか、この身体なのか。それとも、もう一度生きる機会をくれた何かに向けてなのか。ただ、言わずにはいられなかった。


「……私、今度こそ生きるからね」


そう呟いてから、私はふと気づいた。


「……あれ?」


身体が、妙に涼しい。


いや、涼しいというか……風が直接、肌に当たっているような。


私はゆっくりと、自分の身体を見下ろした。


そして。


「………………え?」


固まった。


もう一度、見下ろす。


見間違いじゃない。


服がない。


一枚も。


「………………は?」


私は自分の腕を見た。脚を見た。お腹を見た。そして、慌てて両手で身体を隠した。


「い、いやいやいやいやっ!?」


声が裏返った。


「な、なんで!? なんで裸なの!? 私、いつ脱いだの!? 脱いでないよね!? そもそも服なんて着てなかったっけ!?」


思い返してみる。

前世の記憶。病院。リング。死。森。

……そういえば。


転生してから、自分の身体が健康なことに夢中で、服のことなんてまったく気にしていなかった。


というか、気づかなかった。


「うそでしょぉぉぉっ!?」


私はその場にしゃがみ込んだ。

恥ずかしい。

いや、誰も見ていない。周りには木しかない。さっきの魔物だって倒れているだけだ。


だから大丈夫。


大丈夫……だよね?


「……うぅ」


顔が熱い。誰かに見られたわけでもないのに、穴があったら入りたい。そもそも、どうして裸なんだろう。転生するときって、普通は服くらい一緒についてくるものじゃないの?


いや、普通が何なのかは知らないけど!


「神様ぁっ! いるなら説明してよぉっ!」


森に私の叫び声が響いた。当然、返事はなかった。


「……もうっ!」


私は頬を膨らませた。

とりあえず、服を探さなければ。葉っぱでも、布でも、なんなら魔物の毛皮でもいい。とにかく、この状況をどうにかしなければ!


「あ、あの……」


そのとき、背後から声がした。


「…………え?」


私は凍りついた。


今の、誰?


聞き間違い? いや、絶対に誰かの声だった。


恐る恐る振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。


赤い髪。尖った耳。整った顔立ち。私と同じ、エルフだ。青年は片手に弓を持ち、倒れた魔物と私を交互に見ていた。


そして、戸惑ったように口を開いた。


「……あの、君がこれを倒したの?」


「…………」


私は答えられなかった。


だって。


だって、そんなことより。


「………………っ!」


私は勢いよく両手で顔を覆った。


「きゃああああああああっ!!」


森に、今日一番の悲鳴が響き渡った。


「えっ!? あっ、ご、ごめん! 僕、何もするつもりは……!」


青年が慌てて背を向ける。


「見たぁぁぁっ! 今、絶対見たでしょぉぉぉっ!」

「い、いや、その……目の前にいたから、少しだけ……!」

「言い訳しないでぇぇぇっ!」

「ご、ごめん! 本当にごめん!」


青年の声も、だんだん悲鳴じみてきた。

……ごめんなさい。

でも、仕方ないじゃない!


転生して早々、魔物と戦って、裸のまま知らない男の人に遭遇するなんて、誰が想像できるの!?

私は顔を真っ赤にしながら、周囲を見回した。

服。何でもいいから服!

葉っぱでも、布でも、なんなら魔物の毛皮でもいい!

とにかく、この状況をどうにかしなければ!


「あ、あの……これ、使ってくれる?」


青年が、背を向けたまま口を開いた。


「僕の上着なんだけど……。その、よかったら着て。僕はあっちを向いているから」


そう言って、何かを後ろへ差し出した。

上着だった。

私はそれをひったくるように受け取ると、慌てて身体に巻きつけた。


「…………」


着た。


服を着た。


助かった。


私はその場にへたり込んだ。


「よかったぁ……」


心の底から安堵した。

青年がゆっくりと振り返る。今度はちゃんと服を着ている。いや、上着を巻きつけただけだけど。それでも、さっきよりはずっとマシだ。

青年は私を見て、ほっとしたように息を吐いた。


「……よかった。少しは落ち着いたかな?」

「…………」


私は顔を上げた。


「……今のこと、忘れて」

「えっ? あ、うん……できるだけ、そうするよ」

「できるだけ!?」

「ご、ごめん! 忘れる! 絶対に忘れるから!」


青年は慌てて両手を上げた。

私は膝を抱え、顔を埋めた。

……もう嫌だ。

魔物を倒したときは、あんなに格好よく決められたのに。どうしてこうなった。

転生初日。熊型の魔物を撃破。その直後、全裸でエルフの青年と遭遇。


……うん。


最悪だ。


「……帰りたい」


ぽつりと呟く。


「えっ……どこに?」

「……何でもない」


前世には戻りたくない。でも、せめて服を着てから人と出会いたかった。

私は上着の裾をぎゅっと握りしめた。その横で、青年が倒れた魔物を見て、改めて驚いたように呟く。


「でも、本当に君が倒したんだよね? あの魔物を……すごいな。僕だったら、逃げることしかできなかったと思う」

「…………」


私は顔を上げた。

そうだ。この人は誰なんだろう。そして、ここはどこなのだろう。聞きたいことは山ほどある。

……あるのだけれど。


「……その前に」


私は青年をじっと見つめた。


「服、貸してくれてありがとう」

「あっ、うん。どういたしまして。僕の服でよければ、いくらでも使ってくれていいから」


青年は少し照れくさそうに笑った。


「僕はレオン。君の名前を聞いてもいいかな?」


私は少し考えた。

前世の名前を名乗るべきなのだろうか。それとも、この身体には別の名前があるのだろうか。


……分からない。


でも、名前くらいは自分で名乗ってもいいはずだ。


私は小さく息を吸った。


「私の名前は――」


そうして、私は新しい世界で初めて、誰かと向き合った。

もっとも、そのときの私の頭の中は、魔法や魔物や異世界のことよりも、


『この人、あとで絶対に裸のことを思い出すんじゃないかな』


という不安でいっぱいだったのだけれど。

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