第一章 いい子なら、言うこと聞けるよね?
この物語は、オリジナル楽曲
**『言いなりシンドローム♡』**から生まれた、玲と澪――二人の成人女性の百合物語です。
「ねぇ、“いい子”なら……ちゃんと言うこと聞けるよね?♡」
優しくされたい。
必要とされたい。
そしていつしか――彼女の言葉に従うことさえ、心地よくなっていく。
これは恋なのか、それとも支配なのか。
優しく微笑みながら澪を自分の色に染めていく玲と、戸惑いながらも「いい子」と呼ばれることを待つようになっていく澪。
甘くて、少し危険な二人の関係。
楽曲では描ききれなかった玲と澪の心情や、二人が少しずつ深みに落ちていくまでを、小説として綴っていきます。
それでは――
『言いなりシンドローム♡』、始まります。
「ねぇ、“いい子”なら……ちゃんと言うこと聞けるよね?」
耳元に落ちてきた声に、澪は息を止めた。
逃げられないわけじゃない。玲は澪の腕を掴んでもいないし、道を塞いでもいない。ただ隣に座って、いつもの穏やかな微笑みを浮かべているだけだった。
それなのに――。
「…………はい」
気づけば、そんな返事をしていた。
玲の唇が、満足そうにわずかに緩む。
「ふふ。いい子」
たった、それだけ。
なのに胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
「……ずるい」
「何が?」
「分かってるくせに」
「分からないな」
絶対に嘘だ。
玲はいつだってそうだった。澪が隠しているものを、本人より先に見つけてしまう。
誰かに必要とされたいこと。本当は寂しがり屋なこと。強がって、一人でも平気なふりをしていること。
そして――誰かに「こっちへおいで」と言ってもらいたかったことまで。
全部。
◇ ◇ ◇
二人が知り合った頃、澪は玲が苦手だった。
綺麗な人だった。長い黒髪に、落ち着いた声。感情を表に出しすぎない瞳。
何より嫌だったのは、澪の嘘が玲には通用しないことだった。
「大丈夫」
そう言えば、
「そう」
玲はそれ以上追及しない。
けれど、帰ろうとする澪に傘を差し出したり、疲れている日は何も聞かず隣に座ったりする。
笑顔を作れば、
「今日は無理して笑わなくてもいいよ」
なんて言ったりする。
「……玲ってさ」
「ん?」
「人のこと、見すぎじゃない?」
「澪が分かりやすいだけ」
「分かりやすくないし」
「そう?」
玲が笑う。
その笑い方を見るたび、なんとなく負けた気分になった。
だから距離を置けばいい。
そう思っていた。
――なのに。
ある夜、澪は玲の前で初めて泣いた。
理由なんて大したものじゃなかった。嫌なことがいくつも重なった。ただ、それだけ。
ずっと我慢していたものが、最後の一滴で溢れただけだった。
「……ごめん。こんなの、面倒だよね」
俯いたまま、澪は言った。
玲は答えなかった。
代わりに、そっと澪の髪へ触れた。一度だけ。壊れ物を扱うみたいに、優しく。
「無理しなくていいの」
「…………」
その瞬間だった。
澪の中で、何かが崩れた。
強く抱きしめられたわけでもない。甘い愛の言葉を囁かれたわけでもない。
ただ――玲の声が、あまりにも優しかった。
「澪は頑張りすぎ」
「そんなこと……」
「あるよ」
「……ない」
「ある」
「ないってば」
「じゃあ、今日は私の言うこと聞いて」
澪は顔を上げた。
「……え?」
玲は穏やかに笑っていた。
「今日はもう頑張らない」
「でも……」
「反論しない。温かいもの飲んで、ちゃんと休む」
子ども扱いされているみたいだった。普通なら腹が立つはずなのに。
「分かった?」
不思議だった。
その言葉を聞いた瞬間、ずっと自分一人で抱えていた荷物を、玲が半分持ってくれたような気がした。
自分で決めなくていい。頑張らなくていい。
今だけは、玲の言う通りにすればいい。
そのことが――どうしようもなく心地よかった。
「……はい」
玲が目を細める。
「いい子」
まただ。
胸が鳴った。
「……それ」
「なに?」
「その言い方、禁止」
「どうして?」
「なんか……変になるから」
「へぇ」
玲の顔が、ほんの少し楽しそうになった。
澪はそのとき、まだ気づいていなかった。
その一言が、玲にとっても何かの始まりになっていたことを。
◇ ◇ ◇
それから、二人の間には小さな「命令」が増えていった。
「澪、おいで」
「……はい」
「ちゃんと食べて」
「分かった」
「夜更かししない」
「それは善処します」
「返事は?」
「……はい」
「いい子」
「だからそれ言わないで!」
「嫌なの?」
そう尋ねられると、答えられない。
嫌じゃないから。
むしろ――。
「……知らない」
「顔、赤いよ?」
「玲のせい」
「私、何もしてないけど」
「してる!」
くすくす笑う玲が憎らしい。
なのに、一人になれば考えてしまう。
次はいつ、「おいで」と呼んでくれるのだろう。
次はいつ、「いい子」と言ってくれるのだろう。
そんなことを待っている自分がいた。
おかしい。
絶対、おかしい。
これはただの恋じゃない。
もっと甘くて、もっと危険で。
知らないうちに心の深いところまで入り込んでくる――何か。
◇ ◇ ◇
ある日。
澪が別の女性と楽しそうに話していると、少し離れたところに玲が立っていた。
目が合った。
玲は笑った。
いつもと同じ笑顔。
なのに――何かが違った。
その夜。
「澪」
「なに?」
「おいで」
いつもより少しだけ低い声。
澪の心臓が跳ねた。
「…………はい」
呼ばれるまま、玲のそばへ行く。
「今日、楽しそうだったね」
「今日?」
「昼間」
「ああ……」
ようやく意味を理解して、澪は玲を見る。
「もしかして、嫉妬?」
「まさか」
即答だった。
「ほんとに?」
「ほんと」
「じゃあ、なんで機嫌悪いの?」
「悪くないけど?」
沈黙。
先に目を逸らしたのは玲だった。
その瞬間、澪は少しだけ嬉しくなってしまった。
「……玲」
「なに」
「こっち見て」
玲の眉がわずかに動いた。
澪は笑う。
「いつも玲が言ってるじゃん。『こっち見て』って」
「生意気になったね」
「玲が育てました」
「誰がそんなふうに育てたの」
「玲」
即答すると、とうとう玲が吹き出した。
けれど、そのあと。
玲の指先が、澪の髪をそっと撫でた。
「……澪」
「ん?」
「私の前では、無理して笑わなくていい」
優しい声だった。
初めて泣いた夜と同じ声。
「甘えていい。弱いところも見せていい」
また一つ、心の鍵が外れていく。
そして最後に、玲は澪をまっすぐ見つめて言った。
「だって――あなたは私のものだもの♡」
「…………っ」
冗談みたいな言葉だった。
笑えばいいのに。
「何その顔」
「玲が変なこと言うから……」
「嫌だった?」
その質問だけは、ずるかった。
澪はしばらく黙ったあと、小さく首を横へ振った。
「……嫌じゃない」
「じゃあ?」
「言わせる気?」
「ちゃんと言えたら褒めてあげる」
「…………ずるい」
「澪?」
逃げ道なんて、最初から用意されていない。
――いや、違う。
用意されていたのに、自分から選ばなかったのだ。
澪は玲を見つめた。
「……玲のそばにいたい」
玲の瞳が柔らかくなる。
「いい子」
その瞬間、また胸がきゅんと苦しくなった。
ああ。
もうダメだ。
この声を知ってしまった。この優しさを知ってしまった。この人に「いい子」と言われる喜びを、知ってしまった。
だったら――。
「ねぇ、玲」
「なに?」
「もう一回……言って」
「何を?」
分かっているくせに。
澪は頬を赤くしながら、それでも玲から目を逸らさなかった。
「……いい子って」
一瞬だけ驚いた玲が、やがて嬉しそうに微笑む。
そして、澪の耳元へそっと顔を寄せた。
「澪」
甘い声で名前を呼ぶ。
「いい子だね♡」
「…………うん」
もう逃げられない。
でも、それでいい。
これは恋?
それとも支配?
まだ澪には分からなかった。
ただ一つだけ、分かっていた。
玲の声で呼ばれたら――きっと明日も、同じように返事をしてしまう。
「ねぇ澪。“いい子”でいてくれる?」
澪は微笑んだ。
「……うん」
そして今度は、迷わず答えた。
「あなたのためなら♡」
――第一章『言いなりシンドローム♡』了
最後まで読んでくださり、ありがとうございました♡
オリジナル楽曲**『言いなりシンドローム♡』**から始まった、玲と澪の物語。
最初は戸惑っていたはずなのに、玲の「いい子」という一言に、少しずつ心を奪われていく澪。
これは恋なのか。
それとも、甘い支配なのか――。
第一章では、まだ二人の関係は始まったばかりです。
玲の言葉を待つようになった澪。
そして、そんな澪を愛おしく思うほど、玲の中にも少しずつ芽生えていく独占欲。
二人がこの先、どこまで深く惹かれ合っていくのか。
次章では、もう少しだけ――
甘く、危険なところまで。
また玲と澪に会いに来ていただけたら嬉しいです♡
桜庭 蒼




