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男女比がバグってる世界へ転移したらギャル美女に「今日からうちの貸し切りね!」と宣言され空腹も忘れるほど困惑している。だが、それでも腹は鳴る!

作者: Ciga-R

貞操観念逆転世界の序章でよくあるテンプレみたいな短編ものです。ゆるっと読んでもらえたら幸いです。

 


 朝の日差しは、やけに爽やかだった。


 なのに、日下部(くさかべ) 悠真(ゆーま)の足取りは、爽やかとは正反対の湿気を帯びていた。


「……あー……終わった……」


 ネカフェを出たのは朝の8時。


 昨夜は、店のフリードリンクのコーンスープだけで腹を膨らませた。


 いや、正確にはワカメスープも頂いたが……膨らませたつもりになった、だけだ。


 貴重な三食代わりだった無料ポテトや食パンよ……なぜ消えたし。


 そして今、期待していた即金バイト。


 受付の女性がにこやかに言った。


 “あ、ごめんねー、今日の募集、もういっぱいだよ”


 にっこり笑顔。


 その笑顔の向こうで、悠真の今日の昼飯と夕飯と、場合によっては明日の命すら消えていった。


「……募集人数一名って書いとけよ……!」


 朝の通りを歩きながら、自然と腹が鳴る。というか鳴るというより、主張してくる。


 “飯よこせ”と内臓がデモを起こしている。


「……最近まともに噛んでねえな……」


 ポツリとこぼす。


 思い返せば、最後に“固形物”を食べたのは二日前の格安スーパーの一山なんぼの割引のパンぐらいだ。それ以来、飲み物かスープぐらいしかお腹に入っていない。


 カバンの中に財布はあるが、中身はほぼ空。


 小銭を確認するまでもない。振っても音がしない。


「……おい、振ったら1円くらい出てくるとか、ねえ?」


 軽く振ってみる。


 からん、とも、しゃりん、とも言わない。


 沈黙。財布の沈黙はとてつまなく痛い。


「ですよねー……」


 ため息を吐くたびに、胃がきゅるきゅると抗議する。


 その音をごまかすように、悠真は駅前広場のベンチへ向かった。


 朝の通勤ラッシュが過ぎ、少し静まりかえった駅前。


「……とりあえず、座ろ……」


 腰を下ろした瞬間、ベンチの背もたれから金属の冷たさがじんわり伝わる。全身から“疲れた”という淀みが渦巻いた気がした。


 そしてそのとき──


 淀みとは真逆な、妙に空気が澄んだような、違和感のある静けさが一瞬、彼の肌を撫でた。


「あれ……?」


 気のせいかもしれない。


 ろくに寝てないせいかもしれない。


 ただ、朝の街にしては、妙に……すこぶる静かだった。


 そこに至るまで、まだ悠真は“異世界”だなんて思いもしない。


 ただただ、疲れと空腹で感覚が揺らいでいるだけだと、そう思っていた。


「はぁ……朝メシ……どうしよ……」


 空は青い。


 財布は空っぽ。


 人生は、もっと空っぽ。


 そんな悠真の周囲で――小さな、しかし確かな“違和感”が静かに積み重なり始めていた。


 腹が鳴る。


 情けなくて、音が外に漏れなかったことだけが唯一の救いだった。


「……今日はマジで……どないしよ……」


 ベンチに座り込み、前かがみになってうなだれたそのとき。


 ——どっっっっはぁぁぁ……!


 隣に、重量こそ軽いものの、存在感だけはやたら重たい“気配”とともに誰かがドサッと腰を下ろした。


 まるで世界の憂いをすべて背負ったかのような、盛大な溜息つきで。


(……だれ? こんな朝っぱらから溜息で今のこの俺に勝負を挑んでくる人いる?)


 しかし、ふわりと鼻をくすぐるのは──いい匂い。とてつもなくいい匂い。


 シャンプーか香水か、それとも柔軟剤か。


 安物のネカフェの空気に慣れた悠真には、あまりにも異質で、あまりにも豊かな香りだった。


(な、なんか……すごくかぐわしい匂い……いや、いい匂いすぎ……誰だよ……)


 恐る恐る、横目で視線をずらす。


 そして、悠真は固まった。


 ギャル。圧倒的ギャル。しかも美少女よりの美女。


 彼の人生ではほぼファンタジーに分類されている存在が、隣でふてくされて座っていた。


 光を含んだような金髪がゆるく巻かれ、毛先が日の光を受けてつやつやと輝いている。


 長い睫毛の影が頬に落ち、アイラインはくっきり、しかし品はある。


 肌は明るく、健康的な色をしていて、その頬はほんのりピンクで、怒っているのか拗ねているのか判断に困る絶妙な温度感。


 服装は、見慣れないブランド物のようだ。


 トップスは肩が少し出たデザインで、淡いクリーム色のニット。


 ショートパンツは質の良さそうな素材で足がやたら綺麗で長い。


 アクセサリーは小ぶりだが統一感があり、貧乏暮らしの悠真からすれば、“全身に文明が詰まっている”とすら思える。


 そんなギャル美女が、


 ——はぁぁぁぁぁぁ……

 ——もうムリなんだけど……

 ——はぁぁぁぁ……


 と、世界を呪うように溜息を連発している。


(いやいやいや……なんでそんな美人が俺の横で溜息大会してんの!? てか近い、近い、距離近い!)


 香りが濃くなるたび、悠真の心臓は妙に忙しくなる。


 しかし美女のほうは、悠真が隣にいることすら気づいていないようだった。


 溜息の合間に、つぶやく。


「あー……もう最悪……マジ最悪……聞いてないんだけど……」


 内容までは聞こえない。


 でも、ただならぬ怒りと不機嫌が全身から漂ってくる。


 悠真は、隣でテンパりながらも、こっそり横目で彼女を見続けた。


(……いや、ほんと誰なんだこの人……)


 彼女は溜息を繰り返す。


 朝の駅前に、彼女の麗しい吐息と、悠真の空腹音が交互に響く。


 その違和感が、異世界の気配の第一歩だと、悠真はまだまったく気づいていなかった。


 ギャル美女が三度目の盛大な溜息をついた直後。


 ふと、こちらへ顔を向けた。


 そのまま視線が、真正面からぶつかる。


 ——ぱちん。


 まるで音がしたように、彼女のまつげが揺れた。


「…………え?」


 驚きで瞳がまんまるになり、口元が少し開く。


 その表情は、今の彼女の“ふてくされギャルモード”とは別人のようだった。


(え? え、なに? 俺? 俺なんかした!? いやいや気づいたら目が離せなくて、ガン見してたけども!)


 視線を逸らしていいのか迷う悠真。


 しかし彼女は逸らさない。むしろじぃっと食い入るように覗き込んでくる。


「まさか……男……?」


 ぼそりと呟く。


 その声は小さかったが、耳にはっきり届く。


(いや俺、男だけど? てかそれに驚くの?)


 困惑している悠真をよそに、ギャル美女は自分で自分の言葉を否定するように首をぶんぶん振った。


「ないないない! そんなわけないじゃん! 男なんてここにいるはず——」


 そこまで言って、再び悠真を見る。


 そして、弾けた。


「——てかあんた、見た目、男そのものじゃん!!」


 さっきまでの地獄みたいな溜息モードはどこへ行ったのか。


 ギャル美女は瞳をキラッキラさせて身を乗り出してくる。


「やっばぁ! 超レアじゃん! こんなの初めて見たんだけど!!」


 距離が近い。


 近すぎる。


 いい匂いが、さっきの二乗で押し寄せてくる。


「ねえねえ、もしかしてさ——有名なアクタさん?」


「あ、あく……たー?」


 知らない単語。

 急に高速トーク。

 距離感バグ。


 悠真の頭は、すでにショートし始めている。


 ギャル美女は勝手に会話を進めた。


「そうだよね!? だってその顔、その骨格! わざとやってるレベルじゃん!ここまで“男寄り”に仕上げてるアクタさん、そうそう見ないって! やば! もしかして超人気者さん!?」


「……え、いや、あの……?」


「ねえ、どこのサロンで整えてるの? メイク薄いのに完成度やばいし、声まで低いとか反則じゃん!」


「い、いやいやいや!? ちょっと待って!?」


「むしろ待てると思う!? うち今日めっちゃついてるんだけど!? 最悪からの超激アゲなんだけど!?」


 ギャル美女は一人でジェットコースターの最高到達点に到達していた。


 一方の悠真は、朝から絶食、即金バイトにふられ、見知らぬ美女に急接近され、謎の単語の雨を浴び、脳が理解を放棄しつつある


 そんな状態だった。


(なに……? アクタ? 仕上げ……? 人気? 俺、ただのフリーターのネカフェ民なんだけど? それってフリーターの亜種?)


 美女のハイテンションはますます加速していく。


「ねえねえ、ほんとにアクタさんじゃなかったらどうするの!? 逆にすごいんだけど!!」


 悠真は唖然としたまま、口を半開きにするしかなかった。


 まだ——ここが“異世界”であることに、まったく気づかないまま。


 ギャル美女は、まだ興奮が収まらないらしくキラキラした瞳のまま、ぐいっぐいっと悠真に顔を寄せた。


「ねぇねぇ、名前教えて?」


「あ、えっと……日下部……悠真……」


「ゆーま!! 名前までイケてんじゃん!!」


「えっ、そ、そう……?」


 その瞬間だった。


(い、イケてる!? 俺の……名前が!? 二十二年間、誰からも“イケてる”なんて言われたことなかったのに!? ていうか美女から褒められるって……なにこの……なにこのご褒美!?)


 普段なら“いやいや俺なんて”と卑屈に逃げたはずなのに、目の前で笑う小春のあまりにまっすぐな姿に、胸の奥でこり固まっていた男心が、パチパチと火花を散らしながら蘇っていくのがわかった。


 それは急に褒められ、曇りきっていた心が、分厚い雲の隙間から光が差し込んだように、晴れ渡る気持ちだった。


(……もしかして俺、今日……なんか人生変わる!?)


 気づけば悠真の口元にも、自分でも驚くほど自然な笑みが漏れていた。


 しかしそれを上回るスピードで、話は次へ進む。


「ねぇねぇ、時間ある? というかさ、アクタ業って今空いてるの?」


「ア、アクタぎょ……? いや、その……めっちゃ空いてる……けど……?」


(てか俺メシすら買えないほどお腹も時間も空いてるんだけど……)


 言いかける暇もなく、彼女は手を叩いた。


「じゃ! デートしよう!!」


「……は?」


 言葉の意味を理解するまで、三拍くらい必要だった。


 ようやく意味が脳に届いた瞬間、悠真は全身を前後に揺らして大混乱。


「え、え!? デ、デート!? そんな、いや、嬉しいけど……あの、俺金ないけど……!!」


 正直すぎる返答。


 情けなさの極みだが、今はそれしか言えなかった。


 しかしギャル美女は胸を張った。


「大丈夫!! うち、こう見えて——めっちゃ金持ちだから!! 任せて!!」


「……まじ!!? 神!? 美女で太っ腹って神!!!」


 テンションが上がりすぎて、悠真の語彙力が一時的に“小学生”になる。


 その瞬間。


 ギャル美女のこめかみがピクッと動いた。


「…………は?」


「え?」


「太っ腹……?」


「い、いやその……!」


 次の瞬間、顔を真っ赤にして叫ぶ。


「うち太ってない!!!!!」


「ちがう! ちがう、ちがう!! そっちの意味じゃない!! 器がでかいってことで!! マジで!!」


「わかってるけど!! 言い方ってあるじゃん!!」


 ぷんすか怒りながらも、どこか嬉しそう。


 そのギャル的リアクションに、悠真もつい笑ってしまいそうになる。


 しかし――


 彼女のテンションの高さと、デートに誘われるという現実離れした展開に押されて、この世界で男がどれほど貴重か、なぜ彼女がここまで驚き、食いつくのか。


 その核心に、悠真はいまだ気づいていなかった。


 駅前でざわつく空気の中、ギャル美女は悠真の腕を掴んだまま、くるっと振り返る。


 陽の光を受けて、ゆる巻きの金髪がきらきらと揺れた。


「そうだ、名前言ってなかった!」


 ぱっと満開の笑み。


 それだけで風景が一段明るくなるような、そんな存在感。


「うち、朝比奈 小春! コハルでいいよ!」


「……こ、はる……」


 名前を口にした瞬間、心臓が跳ねる音が自分でも聞こえた気がした。


 その反応に、小春はさらにニコッと笑う。


「んでさ、ゆーま!」


 ぐいっと腕を引かれ、距離がまた一段階近くなる。肩が触れ、ほのかな甘い香りが鼻をくすぐる。


「今日は、うちの貸し切りね!!」


「か……貸し切り……?」


「そー!! 文句なし! だってゆーま暇なんでしょ?」


「ひ、暇っていうか……その……めっちゃ空いてるけど……」


 小春はぱちぱちと嬉しそうに瞬きをする。


「じゃ、決まり! 今日は朝から夜まで、ずーっとゆーまとデートするから!」


 その言葉に、悠真の胸の内で何かが爆発した。


(な、なにこれ……!? こんな……こんな可愛い子が、こんな近くに……! 腕つかまれてる……香りすごい……距離おかしい……! 俺、今日バイト断られたけど……これ……むしろ……最高なのでは!?)


 現金バイトに落ちたことによる絶望感。


 空腹による生きる気力の低下。


 それらすべてが、小春の笑顔一つで吹き飛んだ。


(いや……今日バイトなくなってよかった……のか……? いや、よかった! 絶対よかった!! ネカフェ民人生で、こんな美女が腕つかんでくることある!? ない!! 一生ない!!)


 頭がのぼせるほどの興奮。


 冷静さなんて、ひとかけらもない。


 その一方で――


 周囲の女性たちはさらにざわつきを強めていた。


「え……あれやっぱ男じゃない?」

「うそ……本物……?」

「なんでこんなところに!? え、あの人とデート!?」

「超羨ましいんだけど……私も貸し切りたい……」

「アクタじゃないならガチ男だよね!? は!? それはないか!!」


 どれも異様に驚いた声。


 そしてすべて女性の声。


 けれど悠真は、小春の腕の温もりと香り、そして“貸し切り宣言”で頭がいっぱいで——周囲が全員女性という異常さに、まだ気づいていなかった。

 

 小春に腕をガッチリ組まれたまま、悠真は半ば引きずられるように街の大通りへ。


「ほらほら、ついてきてよゆーま~。今日からは……今日のゆーまは、うちの貸し切りなんだから!」


「か、貸し切り……? なんか語感が怖いんだけど……」


 そう思いつつも――


(いやいやいや! 腕、近い!! やば……! いい匂いするし……! 今までこんな美女と密着したことなんて人生で一度もないぞ!?)


 悠真の脳内は常に花火大会。


 ところがそのロマンティック脳に、現実が殴り込む。


 ぐぅぅぅぅ~~~。


「……っ腹減った……し、しぬ……」


「え、言ってよゆーま! お腹すいてたの? ちょうどこの先のレストラン空く時間だし、行こ?」


 小春が指差したのは、明らかに高級感あふれるレストラン。


 入口にはドレスの女性たちが並び、ホールスタッフの女性たちの動きも優雅で華やか。


「いやいやいやいや! 絶対高いって! そんなとこ俺入れない! ファミレスで十分だから!」


「ファミレスぅ? あははっ。ゆーまってさ、見た目めっちゃ人気出そうなアクタさんなのに謙虚なんだね!」


「だからさっきから“あくた…”って何……もういい、小春さまなんか食べさせてくださいお願いします!!!」


「よろしい♡」


 満面の笑みで小春が親指を立てる。


「じゃ、ファミレス行こ! 安いとこ好きなとこも、逆に可愛い~!」


 ガシッと腕を組んだまま、小春はすたすたと歩き出す。


 悠真は半ば吊られながらも、天に手を合わせるような気持ちで叫んだ。


(神様……いや女神様……ありがとう……! バイト切られてよかったぁぁぁ……!!)


 こうして2人は、昼前の街をファミレスへと向かっていくのだった。


 ファミレスの自動ドアが開いた瞬間――店内の女性客たちの視線が「ビッ!!」と一点に集まった。


「えっ……男……?」

「うそ、初めて見た……!」

「アクタさん? アクタさん来たの!? あの娘の連れ……?」


 ざわざわと静かな騒ぎが広がる中、小春は気にもせずハイテンション。


「はいはーい、二名さまねー! あ、できれば奥の席! ゆーま隠しときたいし!」


「隠すってどういう……」


 よくわからないまま、ふわふわしたソファ席へ座らされる悠真。


 座った瞬間――


 ぐぅぅぅぅぅぅ~~~~~……!


「やば……限界……しぬ……」


「はいはい! 好きなの頼んでいいよゆーま! 今日はうちがぜ〜んぶ奢るんだからっ!」


 メニューを渡され、悠真は感動で震えた。


(神……小春様……俺、あなたにどこまでもついて行きます……!)


 ページを開いた瞬間から目に飛び込むのは悠真基準では、それは豪華な料理の数々。


 その中でも一番目を引いたのは――


「こ、小春様……こ、このステーキセット……頼んでも……よいのでしょうか……?」


「えー? そんなの五人前でも十人前でもいいよー? 食べれるんだったらね!」


「まじ!? まっじ!? 神! 神がおる!!」


「うち太っ腹って言われるの好き〜! でも太ってないからね!? 見てわかる通り!」


 テーブルの上で、悠真の理性が完全に崩れ落ちる。


「じゃあ遠慮なく!!」


 ステーキ

 ステーキ(サイコロ)

 グラタン

 ミートパスタ

 クリームパスタ

 ピザ(Mサイズ)

 カレー

 ポテト

 ハンバーグ

 デザートセット


 次々と注文票にタッチしていく。


 小春は目を丸くして笑い出す。


「ちょ、ちょっとゆーま!? すご! え、こんなに頼む!? 女だったら絶対食べれない量なんだけど!!」


「俺は……俺は今日まで……まともに飯を食ってなかったんだ……!!」


 小春は頬杖をついてニコニコ。


「いいよいいよ、食べなよゆーま。なんか……かわいいし」


(かわ……!? 今かわって……!?)


 と、ついに食欲と感情と混乱で頭がショート寸前の悠真。


 そこへ、注文した料理の第一陣が湯気を立てて運ばれてくる。


「では……いただきまぁぁぁす!!」


 悠真の手が、ナイフとフォークを握った瞬間――それはもはや食器ではなく、食をさばくための武器だった。


 ステーキの表面が切り裂かれる。


 肉汁がじゅわっと溢れ、それを悠真は獣のような勢いで頬張った。


「うっっっま…………!!!」


「わぁ! すごい食べっぷり……!」


 小春が目を輝かせて見守る横で――悠真の食欲は止まらない。


 ステーキが消え。

 グラタンが溶け。

 パスタが吸い込まれ。

 ピザが跡形もなくなり。


 気づけば、テーブルに並んでいた十皿以上が、ほぼ戦場(完食)となっていた。


 ファミレス中の女性たちが、呆然とこちらを見る。


「えっ……あれ全部食べたの……?」

「アクタさんってそんな食べるんだ……?」

「す、すごい……ドラマのなかの男ぷりな食べ方……素敵」


 ざわざわという声が遠くなるころ、ようやく悠真は――ふぅ……と椅子にもたれかかった。


「……生き返った……マジで人間に戻ったわ……」


 ようやく満腹で冷静になった悠真は、正面に座る小春の顔を、改めて――しっかり見た。


(……え、ちか……近っ……)


 距離が近い。


 本当に目の前。


 その大きな瞳が、じっとこちらを見ていて――


 まつ毛、長っ。

 肌、綺麗すぎ。

 唇、形よすぎ。


 ギャルだけど、品がある。


 むしろ可愛いの暴力。


 悠真の脳に雷が落ちた。


「……こ、小春って……めっちゃ……めちゃくちゃ可愛いな!? てかレベル高すぎない!? 芸能人でもそうはいないよ!!」


 言ってから自分で驚くほどの本音だった。


 小春は一瞬、きょとんとした。


 次の瞬間――


「~~~~~~~っっ!!?」


 真っ赤。

 耳まで真っ赤。

 肩まで真っ赤。


「な、なにそれ……急に……っ! そ、そんな……褒め……られても……!」


 彼女は顔を両手で覆い、身をよじる。


「むり……っ、近い……っ……変な感じする……!!」


(かわっ……!? 照れ方まで可愛いのかよ……!?)


 なぜここまで照れるのか、悠真にはわからない。


 だが、この世界では――小春ほどの美女であっても、男から褒められる経験がまるでない。


 だから、小春は完全に防御力ゼロで、悠真の言葉がそのまま心臓に直撃したのだった。


 まだ頬を赤くしたまま、指先をいじいじしている小春。


 その姿を見るだけで、悠真の胸がどきどきしっぱなしだった。


(え、こんな可愛い子が目の前で照れてるの、人生で初めてなんだけど……? てか今なら告白されたら泣く自信ある……)


 自分がちょっと浮かれてるのを自覚しつつ、ふと思い出した疑問を口にした。


「そういえばさ、小春さぁ……ベンチに座ってた時、めっちゃ盛大に溜息ついてなかった?」


 ピタッ。


 小春のテンションが一瞬で下がった。


「あー……うん……あれね……」


 さっきまで満面の笑みだった彼女が、しゅん……と肩を落とし、テーブルに頬を乗せる。


「小春さ、……最近……会ったこともない男に……貢いでんのよ……」


「はぁあああ!?!?」


 悠真は素で叫んだ。


 店内の女性たちがビクッと振り向くほどの音量で。


「ちょ、え? 貢いでる? 会ったことない男に? ど、どういう話それ!?」


 小春はスプーンを弄びながら、ぼそぼそと話し始めた。


「月に何回かね……連絡くるの。声だけ……しかも超だるそうで……義務みたいな感じで喋ってくるだけ」


「声だけ? 会ってもいないのに?」


「うん。でも……直に本当の“男の声”聞けるだけで……なんか……“幸せなのかな”って思うじゃん……?」


 途端に小春はため息をつく。


「でもさー……『もっと金払えよ』とか言われんの。ほんっと、やるせなくてさ……」


「いやいやいやいやいやッッ!? なんで小春みたいな美女が、そんなクソ男に貢がされてんだよ!!??」


 ぷんすこ怒る悠真。


 小春は驚いた顔で悠真を見た。


「え……そんな怒ってくれる人、初めて……」


「怒るでしょ! 普通! その男、絶対ろくでもねぇし!!」


 小春は複雑そうに笑う。


「だって……この世界ってほら……男、めちゃくちゃ希少じゃん? うちらみたいな女が男の人に会えるなんて、夢のまた夢だし……」


「……え?」


 悠真の脳が、一瞬だけフリーズした。


(男が……希少……? え、なんだそのワード……)


 悠真はまだ完全に理解できていない。


 でも、胸の中にうっすらと――


 “何かおかしいぞ”


 という違和感が、初めて芽生えた。


 小春の話を聞きながら、悠真はふと――胸の奥にずっと引っかかっていた何かが、むくりと顔を出した。


(……いや、待てよ?)


 こんなギャル美女。


 高校にいたらクラスカースト最上位。


 近づくだけで取り巻きのパリピたちが立ちふさがる案件。


 そんな女の子が――


 “俺とデートしてる” ???


(いやいやいやいやいや!! オカシイだろ普通に!!!)


 お腹もいっぱいになって、ようやく当たり前の思考ができるようになり、そのことに気づいた悠真はガタンと椅子の背もたれから身を起こした。


 そして、店内を見渡す。


 見渡す。


 ……見渡す。


(……ん?)


 どこを見ても女性。


 カウンターも、テーブルも、隅の席も。店員も、客も、全員女。


「……え、ちょっと待って」


 ざわざわ……

 ざわざわ……


 さっきから感じてた視線。


 それが一斉に悠真へ向いている。


「あれ……まさか……俺……めっちゃ注目されてる……?」


「うん。そりゃそうでしょ?」


 小春は当然のように頷いた。


「だってゆーま、“男”だし?」


「……いや、それなんだけどさ。男が希少ってどういう……こと?」


 小春はストローを咥えながら、軽く言う。


「なんか、ゆーまのアクタって”設定”ちゃんとしているね♡ 知らないってことで言うけどこの世界、男女比が――1:1万なんだよ。男の人って、超レアなの」


「……1:1万…………!?!?!?!?」


 頭を殴られたような衝撃。


 思わずテーブルに両手をつく悠真。


「そ、そんなバカな……! 俺、さっきまで普通に日本いたし……」


 小春は苦笑しつつ続ける。


「まぁ、男の人は基本的に保護対象だし、街中なんてまず滅多に見ないんだよ。だからね、アクタさんって言って、男の人“みたいに”見せる芸能職が超人気なの」


「芸能……職……?」


「うん! アクタさんはメイクも髪型も声も全部こだわって、“男っぽく”演出するの。で、ファンがついて、めっちゃ稼げるの!」


 小春はキラキラした目で悠真の顔をじっと見つめた。


「ゆーまなんて、見た目ほぼ男そのものだしさ! ちょー芸が細かいねって、みんな思ってるよ!」


「いや、本物なんだけど!? 演出じゃなくて本物なんだけど!?」


「アハハ! そんなにキャラ崩ししなくても大丈夫だよ〜?」


 小春はまるで信じていない。


「ゆーまみたいなレベルのアクタさん、絶対人気出るよ! 今日からでもファンつくって余裕で億稼げるって!」


(億!?!? ちょっと待て、なんだこれ……なんでこんなわけのわからない世界に俺は……)


 混乱しながら、悠真の視界は揺れた。


 ようやく――


 本当に“どこかおかしい世界”にいるという事実が、はっきりと形を帯び始めていた。


 ファミレスを出ると、昼前の街は明るく、そして――


 女性でぎゅうぎゅうだった。


「うお……」


「どしたのゆーま? 歩きづらい?」


「歩きづらいっていうか……女しかいない……!!」


 目につくのは買い物袋を提げた主婦風の女性、制服姿の女子高生、警備員の女性、スーツの女性。


 しかもみんなスカートかショートパンツ。


 男女比1:1万という言葉を裏付けるような光景。


(マジかよ……本当に“そういう世界”なのか……?)


 悠真は目の前の現実にくらくらした。


 そんな中、小春は脳天気に笑っていた。


「そりゃそうだよー。男の人なんて、出歩く時は絶対護衛つくし! 一人でふらふら歩く男なんて、この国にいないよ?」


「俺、めっちゃひとりで歩いてたけど……?」


「だからすごい芸が細かいねって言ってんじゃん!」


「いや俺はアクタじゃなくて本物の男……」


「んも〜ゆーま、設定守って? キャラブレするとファン減っちゃうよ?」


「何のファンだよ!!」


 本気で否定しているのに、小春は完全に「アクタさんのノリ」だと思って受け取ってしまう。


 あまりに会話が噛み合わず、悠真は頭を抱えた。


(なんだこれ……通じねぇ……“俺は本物の男だ”って証明する手段、何か……)


 考えながら歩いていると、すれ違う女性たちの視線が釘のように悠真に突き刺さる。


「きゃっ……男……?」

「あれアクタさん? 本物……?」

「顔ちかっ……やば……」


 ひそひそ声が次々と聞こえてくる。


(おいおい、見られすぎだろ……!! 女の人ばっかりの中で男一人って……そりゃ目立つわ!)


 動揺する悠真の腕を、小春がぎゅっと掴んだ。


「ね、歩こ? ゆーまが珍しがられるのは仕方ないよ。その、えっと……かっこいいし?」


「えっ」


 小春は照れたようにそっぽを向いた。


「……女の子が多い世界だとさ、男の人見るだけで胸がドキッてなるんだから……当たり前じゃん……」


 悠真は固まった。


(かっ……かっこいいって……!? 俺の人生でそんな台詞言われたの初めてなんだが!?)


 そのまましばらく歩くと、路地裏の掲示板に貼られたポスターが目に飛び込んだ。


《今月の人気アクタランキング——第1位:Luceルーチェ

《ファンクラブ会員数 180万人突破!》


 そこには“男装姿の中性的な美女”の写真が載っていた。


「これ、アクタ……?」


「そうそう! この人なんてもう、超絶人気で、ファンの女たちが大金払って会いに行くんだよー!」


「会いに……?」


「だって男みたいに見える人が、この国ではほんっとレアだからさ。男の声っぽいだけでファン殺到するし、男の匂いっぽい香水使うだけで億稼ぐんだよ?」


 悠真の脳がまたフリーズしかけた。


(え、そんな需要が……? 男一人の価値……どんだけ……)


 小春は悠真の横顔を覗き込む。


「ゆーまも、あれくらい人気出ると思うよ? てか、正直……顔面偏差値なら余裕で勝ってると思うし……」


「勝……!? いやいやいやいや!?」


「ほんとだって!」


 小春は真剣に頷く。


「ゆーま……この世界で男の姿して歩き回るとか……ちょー危ないからね? 女の視線で焼け死ぬよ?」


(俺の扱い……希少種ペットか何かか!?)


 ついに悠真の頭の中で――“やっぱりここは自分の世界じゃない”という確信が形を成し始めた。


「……だから俺はアクタじゃなくて、本物の男なんだってば!!」


 とうとう悠真は言った。


 だが小春は笑って肩をすくめる。


「はいはい、そういうキャラでしょ?“自分は本物の男設定”みたいな――」


「設定でもなんでもなくて! ほら、じゃあ……!」


 悠真は咄嗟に小春の手首をそっと掴んだ。


 その瞬間――


 ピタ。


 小春の身体が小さく震えた。


 その手のひらは細くて柔らかい。


 そして――


「……っちょ……えっ……?」


小春の目が大きく開かれた。


(……あれ? なんか反応がおかしい?)


 悠真はただ軽く触れただけ。


 なのに小春の頬が、みるみる真っ赤になっていく。


「こ、小春?」


「……ちょっ……待って……」


 小春は、掴まれた手首に視線を落とし、次いで上目遣いで悠真を見つめた。


「ゆーま……その……」


 声が震えている。息が浅い。


「……男の“体温”してる……」


「体温……?」


「アクタさんって、全部演出なの。声も、匂いも、歩き方も、仕草も……ぜーんぶ“男に寄せてる”だけで……本物の体温なんて……絶対、ない……の」


小春は自分の胸を押さえた。


「今、手首掴まれた瞬間……心臓バクッて鳴った。うそみたいに……はっきり……」


 彼女の喉が、ごくりと鳴る。


「ゆーま……本当に……?」


 悠真は真剣に頷いた。


「俺は“演出”なんてしてない。朝まで普通に日本っていう国のネットカフェで寝てただけの、ただの人間の男だよ」


 小春の目が揺れ、息が止まった。


 そして――


「…………っ、すご……」


 ぽつりと落ちた小さな声は、感動でも恐怖でも興奮でもなく――


 完全な“本気の衝撃”だった。


 小春は慌てて両手で顔を覆った。


「ちょ、ちょっと待って無理! 本物の男とか……奇跡すぎて……頭まわんない……!!」


 悠真は困惑したが、小春の肩が震えているのを見て、少しだけ優しく声をかけた。


「信じてくれた?」


 小春は指の隙間から、真っ赤な顔でコクリと頷いた。


「……うん。あれは……嘘の反応じゃ……できない……」


 二人の間に、しんとした空気が落ちる。


 そして小春は、弱々しく、けれど嬉しそうに微笑んだ。


「ねぇゆーま……今日、うち……人生で初めて……“男の人”とちゃんと会話したよ……」


 その言葉にはどこか、夢みたいな響きがあった。


「……ありがとう。今日……うち、めっちゃ幸せ……」


悠真は思わず照れた。


「俺も……幸せだよ。だって……こんな可愛い子に言ってもらえるなんて……」


 小春はまた耳まで真っ赤になった。


「も、もう……ゆーまのそういうの……心臓もたない……っ!」


 その瞬間、通りすがりの女性たちから、小さな歓声が上がった。


「きゃ……なんかドラマみたい……!」

「あの人すごい演技……!」

「本当、理想な男みたいな演技……!」

「映画みたい……!」


 街がざわつき始める。


 小春はその気配に気づくと、悠真の手をぐっと引っ張った。


「……ゆーま。今日からは……今日のうちは……」


 ぎゅっ。


 両手でしっかりと繋いだまま。


「ゆーまは……うちが守るから」


 悠真は驚きながらも、その手の温もりに安心した。


(……守るって、俺なんだけど……でも……なんか、悪くないな……)


 そして二人は人混みを避けるように、並んで歩き出した。


 最後に、小春が照れくさそうに笑って言った。


「ねぇゆーま……うち、さっきデートしよ! ってノリで言ったけどさ……」


「うん?」


「……本物の男の人と、こんな近くで歩くの、人生で初めてなんだよ」


 そして小春は、真っ直ぐ悠真を見つめた。


「だから……その……今日のこれは――ノリじゃなくて“本気”のデートでいい……?」


 悠真は、自然と笑った。


「もちろん。本気で行こう。小春となら……いくらでも」


 小春は顔を覆って、でもめっちゃ幸せそうに笑った。


「……もう!! ゆーまのそういうとこ……ずるいってば……!」


 最後に、小春は指先をもじもじと寄せながら、少し震える声でつぶやいた。


「……あのさ、ゆーま。うちね……こうやって、男の人と手つないで歩くの……ずっと、ずーっと夢だったんだよ。だから……ほんとに、すごく嬉しい……」


 その目は期待と不安が入り混じっていて、まるで答えを待つ小さな子どものようだった。


 悠真は、そっと彼女の手を握り返した。


「嫌なわけないだろ。むしろ……たぶん、小春が思ってる“百万倍”は嬉しいよ」


「えっ……!」


 小春は瞳を大きくして、そして照れたように口元をゆるめた。


「……じゃ、じゃあ……うちはその――“百万倍のさらに百万倍”嬉しいかなっ!」


「あはは、嬉しさがインフレしすぎ」


 悠真が笑えば、


「ふふっ、いいじゃん。これから、もっともっと嬉しいこととか、楽しいこと……二人でいっぱい作ってこ?」


 小春は、顔を真っ赤にしながら、でも誰よりも幸せそうに言った。


 その手の温もりは、この世界でいちばん大切な宝物みたいに、悠真の心に広がっていった。


                                         ――fin

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