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忘れられた誕生日

作者: 妙原奇天

 十月の雨は、降るときは音がないくせに、やんだあとだけは妙に世界を洗い立てにする。濡れたアスファルトが街灯をまるく攪拌し、路地の曲がり角では塾帰りの子どもたちが声をひそめる。それぞれに白い息を持ち、誰かの家に吸いこまれていく。私も、吸いこまれる先を持つ一人だ。井原美琴、十四歳。来年、受験生。今日、誕生日。

 玄関のドアを開けると、湿った靴の匂いに混じって、少し甘い酸素が漂ってきた。母のエコバッグが壁にもたせかけられている。派手でもないけれど、持ち主の疲れた肩の線が布に移って、しずんで見える。床に小さなしみが点々と残っていて、誰かが傘を払い忘れたらしい。私は自分のスニーカーの靴底を合わせて拭き、伏せたままの傘は立てずにおいた。

 ダイニングテーブルの上には、しわだらけのコンビニ袋。薄いレシートが折られずに横たわっている。母は流し台の前で、背中越しに「おかえり」と言った。割れたマグカップの持ち手部分を、ビニールテープで巻いた状態のまま使い続けている姿が見える。右手にスマホ、左手で水を流し、画面を滑らせながら「職場で急にシフトが伸びて」と、いつもの言い訳の言い方で、いつもと同じ理由を、ほとんど息継ぎもなく発音した。

「今日ね」と、私は言った。「誕生日なんだ」

 背中の脇の下あたりが、少しだけ動いた。母は顔をこちらへ向けないまま、流しの横に置いたコンビニ袋に手を伸ばし、プリンを一つだけ取り出した。黄色いプラのふたには、小さく「濃厚」と書いてある。母は「ほら、甘いの好きでしょ」と笑顔の形を作り、次の瞬間には、スマホの通知を縦に追いかけていった。LINEの画面が母の瞳に四角く映り、既読の数が増えることだけが、母と世界の接続の印になっている。

「瑠璃は?」と私が聞くと、母は「あの子は部屋」とだけ言った。廊下の先、姉のドアの隙間から、香水の甘さとドライヤーの熱の線が漏れてくる。高三の受験生。進学クラス。制服のスカートはいつもきちんと折り目がついていて、校則ぎりぎりの長さを保っている。姉の時間は、外部と予定表にしか開かれない。私の時間は、家の中にこぼれて、吸い取り紙みたいに拡散する。

 父のことは、言わない。離婚届のコピーの色、インクのかすれ方、母の苗字が女手ひとつになった日付。全部覚えているけれど、言葉にすると紙の厚みが薄くなる。父から私に、ここ数年連絡はない。最初は季節の端に、年賀状の余白に、それから途絶えた。気配の練習をしなくて済むぶん、楽だと思うことを、私は自分に言い聞かせてきた。

 冷蔵庫を開ける。白い灯りがまぶしく、湿った台所が急に病院の待合室みたいに透明になる。そこに、ホールケーキ。苺が整列していて、チョコのプレートには、白い筆記体のチョコペンで「RURI HAPPY BIRTHDAY」。姉の誕生日は、来月のはず。私は反射的にドアを閉めて、もう一度ゆっくり開けた。ケーキは消えない。苺の艶、プレートの角の欠けまで、そこにいる。

「店員さんが、間違えたのよ」と母が言った。「予約したの、わたしじゃないし。ねえ、そういうことってあるから」

 テーブルのレシートを手に取る。白い紙の上、黒い数字の列。印字された「予約商品」「ホール」「チョコプレート」「名入れ」の文字が、嘘を吸収しない材質でできていることに気づく。店員のせいにできない型の、間違い。私はレシートを裏返し、折りたたむ。その薄さが指先にまとわりつく。目の前の空気の温度が少し下がり、呼吸のスピードと体温の釣り合いが崩れる。

 母は笑顔を保とうとして、口元の筋肉を左右で別の方向に引っ張ってしまう。笑顔の形だけが顔に残り、目には画面の光。台所の蛍光灯が、古い手術台みたいに冷たい。私の脳裏で、「忘れられた」という単語が硬く結晶化した。忘れるのは、一度きりの事故じゃない。習慣だ。繰り返されると、いつのまにか家具になる。見慣れて、気づかないふりを強いられる。

 部屋に戻る前に、私はテーブルの端に置かれていたプリンに手を触れた。プラスチックのふたが、微妙なへこみを持っている。店員が棚に積み上げるときに、どこかの角で押されたのだろう。ふたのへこみは、今日の私の誕生日の形に似ていた。そこに指を当てると、プリン特有の冷たさが、皮膚の薄いところから骨の近くまで侵入してくる。冷たさは、入ると出ていかない。私は手を引っ込め、冷蔵庫の灯りに戻った。保冷材。ケーキの箱の横に積まれた、四角い透明の袋。柔らかくて硬い。持ち上げると、熱を奪われる感覚が急に強くなって、指先から腕へ、冷気が上っていく。怒りと悲しみ。どちらの温度が高いのかわからなくなって、私は箱のふたを少しだけ持ち上げて、また閉めた。ケーキの箱には、姉の名前が正しい字で印字されている。誰かが間違えようのないやりかたで、私ではない誰かを祝う準備をしたこと。その事実だけが、台所の真ん中に置かれている。

 部屋に戻る途中、廊下の壁に貼られたカレンダーに目がいった。十月の欄、私の誕生日のところに、小さなボールペンで「みこと」の字。字は、私自身のものだった。何年か前の私が、未来の自分に宛てた、か細い「ここにいる」の印。私はその丸に、もう一つ、濃いペンで丸を重ねた。二重丸。こちらを見て、と丸は言う。丸の声は紙の繊維の奥に吸い込まれて、誰にも届かない。

 私の部屋の棚の上には、古い家計簿や写真アルバムが眠っている。母が昔、几帳面に書いていた家計簿。パート、スーパー、ガス、水道、学費。欄外のメモに「R——の冬服」など、姉に割かれる費用がいくつも並んでいて、私に関する字は縮れている。「給食費美琴」など、必要最低限の帳面言葉だけが、薄いペン先で滑っている。写真アルバムを開くと、姉の七五三のページは、金色の折り紙で飾られ、祖父母の笑顔が重なっていた。合唱コンクールの写真では、瑠璃は中央寄りに立ち、花束を持っている。私の欄になると、ページは急に呼吸をやめる。学年の演奏会の集合写真、私は端っこで半分切れている。指先をガラスに当てて、半分の頬を探したけれど、見つからない。写っていない顔は、存在しない顔として扱われる。アルバムの中の私は、影のピースを与えられたジグソーパズルだ。

 吹奏楽部の地区大会の写真もあった。画面の左下、トランペットの行の端、誰かの肩が光を遮っていて、私は二の腕だけ。隣のページでは、姉が友人たちとピースをしている。視線が交差し、笑い声が紙の上を移動する。紙の上の楽しさは静かで、だから余計に強い。私がいないコマは、数える手間がないほど、続く。

 そういうのは、偶然じゃないのかもしれない。色とりどりの偶然が、一定の方向に偏ると、別の名前がつく。「習慣」。忘れられる側は、いつも忘れられ方を説明しなきゃいけないのか。説明のための言葉を持ってこない限り、忘れた側の時間だけが、予定通りに進む。

 制服のネクタイをゆるめてベッドに倒れ、天井を見ながら息を整える。スマホを手に取ると、唯一の友人、沙紀からのメッセージが画面に浮き上がった。「明日は絶対空けといてね」。顔文字もスタンプもない。断定の文。明日、何かが起きるらしい。「何が?」と打とうとして、やめる。問いは、相手に説明の義務を課す言い方だ。私が普段、家で負わされている義務の反対側に立つ練習を、友達相手にしたくなかった。

 風呂に湯を張る。水面の上に湯気が薄い膜を作り、浴室の照明が雲に隠れるみたいに鈍る。湯の温度は正直だ。触れば熱く、離せば冷める。私は湯船に身を沈め、目を閉じる。耳に、水の音とは別の音が入ってくる。玄関のほうで、ドアの隙間が開く音。靴が軽く床をこする音。母が誰かと電話している。「うん、明日の打ち合わせ、夜でもいい。あの子は大丈夫よ、もう中学生だし」。浴室のドアの向こう、冷たい空気が口の中に入ってくるみたいに、言葉が胸に刺さる。

 「大丈夫」の定義は、話す側の肩にだけ置かれている。相手が運べる荷物の量を、荷物を渡す側が勝手に決める。「もう中学生だし」。私は湯の中で膝を抱え、膝頭に顎を置いた。湯が跳ね、泡のような考えが断片的に浮かんで、弾け、残った表面張力だけが指の間にまとわりつく。忘れられた誕生日は、事故じゃない。誰かの都合のいい手順だ。手順は、壊さない限り、手順として続く。

 湯からあがると、脱衣所の鏡が曇っていて、姿がぼやけている。手のひらで円を描いて曇りを拭うと、鏡の中の自分の顔に、いくつかの線が現れた。濡れた髪の束が頬にくっつき、まばたきの回数が増え、目のふちに小さな赤が灯る。泣いたわけではない。泣くのは、理由の貸し借りが面倒だ。泣かないことでしか守れないものがある。私は髪をざっと乾かし、部屋へ戻る。

 机の引き出しを開ける。奥のほうに、色あせた封筒が重なっている。小学生の頃、自分で作った「誕生日招待状」。カラーペンで蛍光の線を出したかったのに、薄暗い部屋では色が見分けにくく、オレンジと赤の境界が曖昧になっている。「みことのたんじょうびにきてね」。ひらがなの列が不規則に踊り、文の終わりに小さな星のマークが押してある。封筒は未投函のまま、角が擦れて丸くなっていた。私が誰かを呼ぶ練習をしていた証拠。呼ばないまま時間だけが過ぎる練習を、同時にしていたのだ。

 引き出しの前に座り、私は白紙のカードを一枚抜き取った。何も書かれていない面は、偶然にまだ傷ついていない場所に見える。そこに文字を置くことは、傷をつけることでもあるけれど、輪郭を与えることでもある。私はペンを手に取り、深呼吸をした。呼吸の速さを、ペン先の動きに合わせる。文字の中に、今日の温度を閉じ込める。

「家族と友人へ。来週土曜、わたしの誕生日会をします」

 宛名は三つ。母、姉、そして沙紀。封筒の表に名前を書くとき、文字の縁がわずかに濃くなる。わざとじゃない。手が、その人の輪郭への苛立ちを吸って、力を増すのだ。投函先は目の前にある。ポストの投入口は家の外にあるけれど、今、私の前にあるのは、家の構造そのものの投入口だ。入れる場所は、構造の継ぎ目に、隙間に、段差に。私は封筒を一度、机の上に並べ、順番を考えた。出す順番で、言葉の重さが変わる。最初に姉の部屋の隙間。次に母のスマホの横。そして、最後に、沙紀の手のひら。

 ライトを消す前、私はもう一度冷蔵庫の前に立った。ドアを開けると、ケーキ箱の保冷材が白く光り、透明の袋の中の水が、まだ凍っているふりをしている。ふり、という言葉を選んでしまうのは、私の悪い癖だ。世界がふりをしているのではなく、私が世界にふりを上塗りして、傷つかないで済む理由を拾っているのだ。保冷材をひとつ取り出し、手のひらに乗せる。ひやりとした冷たさが再び腕を伝う。冷たい、と口に出して言うと、冷たさはたしかな輪郭を持った。私は保冷材を元の場所へ戻し、冷蔵庫の扉を閉める。灯りが消えた直後の暗闇の濃さは、ほんの数秒、目を欺いてくれる。暗いから、何もない。暗くなったから、見えないだけ。見えないだけのものは、見えないうちに、少しずつ形を変える。

 翌朝の学校は、湿った校庭の土が靴の底にくっついて、廊下に小さな泥の点々が並んでいた。職員室前で注意を受けた男子がフロアモップを引きずって、点々の上にもっと大きな水の筋を作っている。教室のドアを開けると、沙紀が窓側の二列目、そのいちばん後ろに座って手を振った。髪は肩でゆれて、リボンはいつもよりきつく結ばれているように見えた。私が席に着くと、彼女は机の上に腕を組みながら、ある種の内緒話の顔で「明日は絶対空けといてね」ともう一度言った。昨日のメッセージと同じ文だけど、声にすると、端々が別の意味に見える。「絶対」という部分が少しだけやわらかく、「空けといて」のところに、彼女自身の都合が薄く混じっている。

「何か、あるの?」と私は聞いた。問いは貸し借りだけれど、友達には少しだけ短い利息で貸しつけてもいい。

「うん」と沙紀。「まだ言えないけど、明日、空けといてくれたらわかるよ」

 言えない理由を、私はその場で詮索しなかった。家で、聞いても答えが来ない会話をたくさんしてきたせいで、私はいつのまにか、聞かないスキルを育ててしまったのかもしれない。聞かないことで守れるものがある。壊さずに観察できる距離というのは、無関心のふりを必要とすることがある。必要とする、と私はもう一度心の中で繰り返した。

 授業は、いつものように黒板の上を過ぎていき、教科書の角が少しずつすり減り、昼休みのざわめきとパンの袋の音が教室を満たす。帰りのホームルームで、先生が「明日、模試あります」と言うと、教室の空気の温度が一度分だけ下がった。瞳が一斉に現実へ戻る感じ。私は机の中で白紙のカードの余りを指でなぞり、封筒の口の糊の感触を思い出した。自分で貼った封の確かさ。剥がすのは簡単だ。でも、一度ついた指紋は、完全には消えない。

 家に帰る道すがら、パン屋のショーケースを覗く。苺のショートの列、モンブランの眉の形。ガラスにうつる自分の顔は、少し硬く、少し薄い。ケーキは、誰かを祝うための形と、誰かを傷つけるための形を、同じスポンジで持っている。箱に入れてしまえば、温度は均等になって、誰のためにも見える。名前を書けば、均等は崩れる。崩れたところに、人はやっと自分の立ち位置を認識する。

 玄関に入ると、昨日と同じ匂い。エコバッグの位置も、床のしみも、ほとんど変わっていない。ダイニングテーブルの上、コンビニの袋は片づけられず、レシートは端に寄せられていた。母はまだ職場だとメモが残っている。「夕方まで。夕飯は冷凍庫のうどん」。姉の部屋のドアは閉まっていて、隙間の香りは朝より薄い。ドライヤーの音はしない。模試前の夜、姉が家で勉強するという風景に適応した人の生活の音が、どこにもなかった。

 冷蔵庫を開けると、ケーキの箱は同じ角度で置かれていた。保冷材の数が、ひとつ減っているようにも見える。開けずに、私は扉を元に戻した。箱の中身を確かめる権利は、名前に帰属する。名前が私ではないなら、私の視線はそのスポンジの断面に触れてはいけない。そういう気持ちが、日常の秩序として内側から染みこんでいる。秩序は、いつでも誰かの側に立ち、誰かの側で目をつむる。

 私は机の上に三通の封筒を並べ、宛名の文字をもう一度見直した。母の名前。姉の名前。沙紀の名前。封の裏には、小さな丸いシール。家に残っていた唯一の金色のやつ。三つ貼ると、シールはもうない。必要なものは、いつも三つ目で尽きるようにできているのか、とどうでもいい思考が割り込んでくる。私はその思考を追い払うみたいに、封筒を左手から順に持ち上げ、歩き出した。

 最初に姉の部屋の前に立つ。ドアの前の空気が、わずかに香水を覚えている。ノックはしない。隙間に封筒の端を差し込む。紙が木の枠に擦れる音がして、暗い部屋の中へ落ちた。落ちる音はしない。落ちるものが音を出さないのは、落ちる先が柔らかいからだ。ベッドか、衣類か、あるいは床に積み上がった参考書の山か。どれでもいい。封筒は、姉の部屋の空気の温度に馴染み、私の字が姉の視界に届く日を待つ。

 次にダイニングへ戻り、母のスマホの横に封筒を置く。スマホの画面は伏せられていて、通知の光は四角い影の下に隠れている。私は封筒の縁をテーブルの木目に合わせ、角を少しだけ浮かせて、気づきやすい角度にした。気づきやすいことと、気づくことは同じじゃない。それでも、人が意識を向けるための段差をつけるのは、こちら側の仕事だ。仕事、という言葉を使った瞬間、母の「シフトが伸びて」の声色が頭に蘇り、私は封筒から手を離した。

 最後に、私は自分のスマホを持って外に出た。空はもう、夜の手前の色をしている。ポストの赤は雨上がりで少し濃く、投入口の黒は湿った口を閉じたままだ。私は階段を降り、通りの角に立った。風が、十月をまっすぐ運んでくる。スマホを手の中で転がし、沙紀に「明日、空けとくね」とだけメッセージを送る。そのあと、封筒をもう一度持ち直し、彼女の家まで歩いた。歩いている間、私は考えないように、足元のマンホールの蓋の模様を数えた。三、六、九。角の数。街の蓋は、誰かのために開くためではなく、誰かのために閉じている。

 沙紀の家の前で呼び鈴を押す勇気は持ち合わせていない。郵便受けの口をそっと開け、封筒を滑らせる。金色のシールが夕方の光を一瞬だけ反射し、すぐに陰に溶けた。閉めるとき、指先に金属の冷たさ。冷たさは正直だ。指に残った感覚だけが、私が動いた証拠になる。

 家に戻ると、廊下に置きっぱなしの傘の柄に、水滴がまだ残っていた。母からのメモの横に、もう一枚、小さな付箋が増えている。「会議、夜に変更。夕飯各自で」。私は付箋を指先でつまみ、軽く持ち上げただけで戻した。触ったことを、痕跡として残したかったのだと思う。触ったのに、何も変わらないものに触れる行為は、自己確認でしかない。自己確認だけが、今日の誕生日に手渡された贈り物。包装紙はない。リボンもない。箱は、冷蔵庫の中。

 寝る前、私はカレンダーの二重丸を見て、さらに小さな点を一つ、丸の中に打った。点は、目玉のようにこちらを見ている。見返すことで、存在が成立する対象。私は点に目を返し続ける。目を逸らしたら、明日、私は急に違う名前を持たされているかもしれない。「RURI」のチョコプレートの上に、別の名前が重ねられるみたいに。

 消灯。布団に潜り、目をつぶる。暗闇の中で、ケーキの箱の角ばった影が、冷蔵庫の灯りに照らされて輪郭を持つ光景を想像する。箱の中の甘さは、きっと今も均等だ。苺は位置を変えず、スポンジはやさしい顔でこちらを見ている。顔は、誰にでも向けられる。名前を呼ばれるまで。

 私は、呼ぶ側に回る。招待状は出した。家の中の手順を、少しだけずらす。ずらしたことで起きる不具合を、たぶん私は責められるだろう。それでも、ずれないことを前提に割り振られてきた役を、演じないでいる練習が必要だ。練習は、うまくいかないときのほうが意味がある。意味は、あとからつく。

 明日、沙紀が何を用意してくれているのか、少しだけ期待する気持ちが胸の中で膨らみ、同時に、膨らんだぶんの不安が同じ形で生まれる。期待と不安は、どちらも甘いにおいがする。ケーキのにおいと一緒に嗅ぐと、酔う。酔った頭で、私は小さな声で言ってみる。「おめでとう」。声は、自分に向けて。聞こえにくいほどの小声で。誰かに聞かれたら困るからではなく、誰かに聞こえたところで意味が変わってしまうから。

 冷蔵庫の中の箱に、名前が刻まれている。刻むという動詞は、削って、残す。私の名前は、どこに刻まれているのだろう。紙の封。カレンダーの丸。スマホの履歴。アルバムの端。どれも、簡単に剥がれ、破れ、消える。消えるものにしか、今の私は置き場所を持っていない。だから、消えるものを集めて、束にして、結び直す。結び直したところで、結び目はきっとまた解ける。解けたら、また結ぶ。そういう繰り返しでしか、私の家は組み替えられない。

 明日の朝、私はポストを覗く。誰も返事を入れていない空洞が、私の顔を映すだろう。そのとき私は、もう一枚、白いカードを取り出す。次の言葉を準備する。新しい手順を、もう一段、ずらす。ずらした先で、誰かが足を取られるかもしれない。足を取られた人が、私を恨むかもしれない。恨みは、甘さと同じで、冷やすと固まる。固まったものに、刃を立てるには力がいる。力は、今、私の手の中にある。ペンの重さというかたちで。

 眠りの底で、あの箱のふたが開く音を私は想像する。苺がかすかに息を吸い、チョコのプレートが光を返す。そこに書かれた名前を、私は読まない。読まないかわりに、自分の名前を、心の中でゆっくりと書く。みこと。画数の少ない、簡単な字。簡単で、忘れやすい。忘れられないように、濃く、濃く。文字の縁だけ、ほんの少しだけ濃くなる。濃くなった縁が乾くまで、私は目を閉じて、待つ。待つことは、何かが来ると信じることじゃない。何かが来ないことに、形を与える行為だ。私はそれを、今夜、初めて、誕生日の夜に、練習する。


 雨上がりの匂いは、十月になると一段と薄情になる。街路樹の葉はまだ落ちきらず、水滴を抱えたまま光に無関心で、アスファルトに残った小さな水たまりは、空の色を映すことさえ面倒がっている。そういう風景の中を、私は歩幅を一定に保って進む。受験生は、歩幅まで評価される。無駄に速くても遅くても減点対象。県立高の進学クラス三年、井原瑠璃。学校の評定は足りている。推薦の話も、担任からは既定路線みたいに扱われている。だからこそ、私生活の乱れは、見えない場所にしまっておくのが礼儀だ。


 一週間前の午後。塾のない日。家に帰ると、母はパートの遅番へ出ていて、妹は部活からの帰りが遅い時間帯。玄関を開けると、室内が少し冷えている。人の気配が薄くなると、家の温度は正直になる。段ボールの上に置かれた郵便物の束から、白い封筒を選び出す。差出人は「井原智也」。父の名は、私の姓からすでに外されたけれど、封筒の左上に四角く印字された文字は、まだ私の生活のどこかに入り込む権利を主張している。


 父は、家を出たあと、養育費に関しては一度も私に直接話していない。母が何度か電話で言い争っている声を台所の壁越しに聞いたことがある。けれど、不思議なことに、私宛の荷物は月に一度は届く。名の知れたブランドのロゴが印刷された箱。中身は、私の年相応より少しだけ背伸びを必要とするアクセサリー。ピアス、細いネックレス、ロゴの主張が強いブレスレット。プレゼントの中身に規則性はあるけれど、包装紙の角の折り方にだけは一定の几帳面さが感じられる。店員に任せたのか、父が指示したのか。どちらでもいい。角に手を切らないようにできていれば、それでいい。


 私は箱を自室の机の引き出しのいちばん奥に積み上げる。母に見つからないように、ではなく、私自身の視界に入りすぎないように。箱は、見えるところにあると主張を始める。人は、主張する物の前では冷静でいられない。私が冷静でいることは、推奨される「良い娘」の要件のひとつだ。


 その日同封されていたカードには、父の崩れない字で「来年は一緒に食事でも」とあった。句読点がすべて、無駄に正しい場所に打たれている。正しい句点ほど、こちらの息を止める。私はカードを読み終えると、丁寧に封筒へ戻した。指がわずかに震えたのは、たぶん空調のせいだ。家の中の温度は正直だから。


 机の前の姿見に向かう。髪を後ろでまとめ、白いシャツの襟元に薄いチェーンを通す。鏡は、こちらを裏切らないふりが上手い。私は微笑む角度を三つ用意していて、学校では一番目、先生の前では二番目、家では三番目を使う。三番目は、口角だけが上がって、目の奥は動かない。鏡の中の私は、チェーンの小さなトップが鎖骨の上で光るのを確認し、ほんの少しだけ首を傾けた。その視野の端に、写真立て。幼い私と妹が肩を寄せ合って笑っている。台所のテーブルで苺を分け合う瞬間。写真の隅、フレームの角に小さなひびが入っているのを、私はずっと前から知っている。落とした覚えはない。埃を拭うとき、かすかに擦れただけ。それでも、ひびはひびで、写真の中の二人の顔を狭い枠に応急処置のように閉じ込めている。


 学校では、「誰かの姉」と呼ばれることが嫌いだ。私の名前のあとに、必ず括弧がついて、妹の名前で補足されるあの感じ。私は笑いながら受け流す。冗談の形をした防御。「妹は母似で地味だから」。言いながら、相手の反応を診る。笑いの温度、驚きの速さ、同意の浅さ。冗談は、相手の距離を測る道具だ。測ることで、こちらの安全圏がわかる。安全圏の外で何が起きても、私は無関係でいられる。そういう立ち位置を、私はずっと選び続けてきた。


 内心では、私は母の愛情が長女である私に偏っていることに、安堵している。偏りは、均等よりも扱いやすい。均等は、いつも「平等であるべし」という圧を発生させるけれど、偏りは、偏っていることをうまく活用する人間にだけ甘くなる。私は甘さの扱い方を、早い時期に覚えた。父からの“特別扱い”は、また別の甘さだった。母の甘さは、家の匂いに似ていて、時間とともに薄れる。父の甘さは、包装紙を剥がすたびに新しく補充された。私はそれを、自尊心の燃料として使った。自分で火をつけるときの小さな音が、確かに胸の内側から聞こえた。


 その燃料で動いている自分が、ときどき滑って転びそうになるのも知っていた。滑るのはいつも、妹の話を聞いたときだった。彼女は、家の中で私に直接頼ってくることは少ない。頼りたいのに、頼らない練習をしてきた人の距離感で居る。私はそれを、尊重という名で見ないふりをした。見ないことが、見守ることだと信じているふりをした。


 ある日の夕方、郵便受けに薄い封筒が届いた。差出人の名前はない。裏面も白い。開けると、中から出てきたのは一枚のカラーコピー。画質は荒くない。印刷された日付は最近。喫茶店のテーブルを挟んで、母と父が並んで座っている。マグカップの取っ手の向き、砂糖のスティックの散らばり方、二人の体の角度。偶然より、記憶の匂いがする近さだった。私は数秒間、呼吸の速度を忘れた。喉の奥に何か薄いものが貼り付いて、はがすと痛む、あの感じ。


 母に問いただすと、彼女は少しだけ目線を泳がせてから「偶然会ったの」と言った。職場の帰り道、角の喫茶店で、向こうから声をかけられて、少しだけ話したのだ、と。言葉の中に「少しだけ」が二度入るとき、人はその場面を縮めたいのだと、どこかで読んだ。その「少しだけ」の重さが、コピー紙より重く感じられて、私はテーブルの上に置いた紙を指の腹で押さえた。


「写真、誰が撮ったの」と聞くと、母は答えなかった。問いは、沈黙のための器になる。器を置いておくと、人は勝手にそこに黙りを注ぐ。母の沈黙は、注がれ慣れた水のように、器の縁までぴたりと満たされた。私はそれ以上は追わなかった。追うことは、追う側の責任を増やす。責任の数は、受験生が抱えていい上限がある。


 部屋に戻り、机の奥から父の古い名刺を引っ張り出す。独特の紙質。角が少しだけ丸くなっている。番号にかける。呼び出し音のあと、留守電に切り替わる。録音された声が、私の中のいくつかの時間を直線に並べる。「ご用件をどうぞ」。私は少しだけ息を吸い、「もう贈り物はいりません。受け取るたび、家の中が少しだけ壊れます」と残した。喉の奥の薄いものが、剥がれた音がした。良い娘の仮面は、表面の光沢だけがほんの少し曇ったけれど、ひびは入らなかった。ひびを入れるのは、もっと大きな出来事の役目だ。私はその役目を、当分は他人に譲るつもりだった。


 夜、階段の下から声がした。台所で、母と妹の会話。「お姉ちゃんのケーキ、どうするの?」妹の声は、何も知らない人間の無邪気さの形をしている。母は慌てて「予約日を間違えたの」と言い繕う。階段の途中で私は足を止め、手すりに指をかけた。木の感触は冷たい。嘘の瞬間に家の温度が下がるのだとしたら、我が家は何度目の冬を迎えたことになるだろう。


 ドア越しに息を潜めながら、私は自分の耳が拾ってしまう音の種類に驚く。妹の名前が、私の「特別な日」の文脈に混ざり込む瞬間の不快感。混ざったからといって、何かが減るわけでもない。なのに、不快。合理的ではない。合理的であることは、推薦を取る子の必須条件ではない。合理性を装うことが必須条件なだけだ。私はそっと自室に戻り、クローゼットを開けた。暗がりの中に身を入れる。布の匂い、洗剤の残り香、季節外れのコートの重み。暗さは、人の形を簡単に甘やかす。私はコートの袖に指を入れ、内側の縫い目をなぞった。


 そこで私は、自分の弱さに気づく。妹の存在が、母と父のあいだにもう一本の橋を作っているのではないかという恐れ。橋が妹に渡れば、私は川面に落ちる。私は今まで、母と父の橋の上で、真ん中より少しだけ高い位置を歩いていた。橋の形は、私のかかとに合わせて作られているのだと思っていた。妹は、いつも橋のたもとで立ち止まっているだけに見えた。視線を逸らし続けたのは、私だ。彼女が橋の中央まで進んでくるかもしれないと想像すると、呼吸の速さが上がる。落ちるのは、水の中だけとは限らない。落ちた先が床だったら、音はもっと大きい。


 私が「忘れさせた」のかもしれない。妹の誕生日を。直接何かをしたわけじゃない。ただ、見ないでいることで、誰かが見なくていいと勘違いする環境を作った。姉としての沈黙は、教育の一種として履歴に残る。残るけれど、誰にも提示しない。提示したら、立場が変わる。立場が変わると、推薦の書式に空白が生まれる。空白は、評価者に嫌われる。私は嫌われることを避ける技能を、誰よりも早く、誰よりも熱心に練習してきた。


 その夜、机に戻ると、一枚のカードが置かれていた。白い、市販のカード。表には、妹の字で「来週土曜、わたしの誕生日会」とある。宛名は私の名前。裏に、集合時間と場所。家のダイニング、とある。余白に、インクの小さな染み。泣いた人が紙に近づきすぎたときに落ちる種類の丸い跡。私はふと、笑ってしまった。笑うという行為が、皮膚に小さな割れ目を作ることを、鏡の前でいつも忘れてしまう。笑いながら、私は呟く。「出られない、が正解か。出る、が本音か」。笑顔の角度が、鏡に映さなくてもわかるくらい、少しだけ歪んだ。


 翌日は模試だ。時間は、妹の「会」と重なる。模試を優先するのは当然だ。推薦のためのポイントは、こういう場面で正しく選択することで加算される。妹のカードを、私は机の引き出しの中へ滑らせた。父からの箱の下、カードの上に薄いスカーフを一枚置く。重しのつもりだった。重さを与えないと、言葉は簡単に浮く。


 翌朝、家を出る前に、私は台所の冷蔵庫の前で立ち止まった。扉を開けると、白い灯りとともに、名前のついた箱が目に入る。チョコレートのプレートの上の白い字。「RURI」。母が私のために用意したのか、父が母に気づいてほしかったのか。どちらでもいいはずなのに、どちらでもよくない。箱の横には保冷材が積まれている。透明な袋の内側で、冷たさが規則正しく震えているように見えた。私は箱を閉め、扉を押し戻す。押し戻す手のひらに、自分の体温が戻ってくる。戻ってきた温度は、冷たいものより扱いにくい。


 学校では、友人たちが推薦の話題で騒いでいた。誰がどの大学、誰と誰が同じキャンパスに行けるかもしれないという空想の地図。私は地図の上に自分のピンを置く真似をしながら、心は別の地図を広げていた。家の間取り図。ダイニング、冷蔵庫、階段、私の部屋、妹の部屋。母のスマホの定位置。ポストの場所。写真立てのひび。どこに誰の名前が置かれているのか。名前のついていない場所に、私は立っていたい。名前がある場所では、誰かの目がこちらを見ている。


 放課後、担任に呼ばれ、面談室で推薦の最終確認をした。志望理由の文面に、指導の赤鉛筆が入る。言い換え、順序、語尾の調整。私は「調整」という言葉が好きだ。大きな変更をせずに、印象を変えることができるから。家でも、私がしてきたのは調整だった。声の大きさ、ドアの開閉音、視線の高さ、笑いの頻度。調整の積み重ねが、生活を整える。整った生活は、写真に残りやすい。写真に映らない人間が、整った生活のまわりにいることも、私は知っている。


 家に戻ると、妹の靴が玄関に置いてあった。泥が少し付着している。玄関マットの端に、彼女の足跡が途切れ途切れに残っている。台所では、母がスマホを片手に誰かと話していた。「うん、あの子は大丈夫。明日は模試だから」。私は靴音を静かにして、階段を上がる。自室のドアを閉める直前、下から妹の声。「お姉ちゃん、明日……」。私は聞こえないふりをした。ふりは、罪の軽量化に役立つ。聞こえなかったことにすれば、返事をしなかったという事実が薄くなる。薄くしたところで、紙の強度は変わらない。


 夜、眠る前に、カードをもう一度手に取った。日に透かすと、インクの染みのところだけが少しだけ濃く見える。涙の跡かどうか、確かめる方法はない。確かめなくてもいい。私の中で、これは涙の跡であるべきだ、という声がある。そのべき論は、私を責めるために組み立てられたものだ。責められると、私は動く。動いて、調整する。調整して、正しい場所に戻す。戻した場所が、最初から正しかったかどうかを、誰も問わない。問わない人たちのあいだに、私は座る。座って、沈黙し、推薦の書類に必要な笑顔の角度を保つ。


 「出られない、が正解か。出る、が本音か」


 声に出すと、言葉は私のほうを振り返る。正解と本音。どちらも私の内部に属しているはずなのに、択一式の設問のように、四角い枠に並んでいる。私は鉛筆の先で、どちらにも薄く印をつけてしまう人間だ。試験官に見つかったら減点だが、心の採点官は誰もいない。減点の印は、私の中でだけ赤く光る。


 翌朝、私は模試の集合時間より少し早く家を出た。玄関で、妹と目が合う。彼女は口を開きかけ、閉じた。私は会釈だけして靴を履く。声を出せば、何かが落ちる。落ちる音は、十月の朝には似合わない。冷たい空気は、音を遠くまで運ばないから。


 模試会場では、周囲のざわめきがやけにかすれて聞こえた。問題用紙に名前を書き、開始の合図を待つ。鉛筆を握る指先が、いつもより乾いている。紙の手触りが違って感じられるのは、昨夜から続く私の皮膚の態度のせいだ。私は一問目の指示文を読み、解答欄に線を引いた。線は、正確な幅で、正しい位置に。線を引くことは、私の得意分野だ。


 午前が終わり、昼休み。携帯はロッカーに預ける決まり。私は水をひと口飲んで、天井の染みを数えた。染みは、一定の距離を置くと地図になる。家の天井にも、似た染みがある。母が脚立に乗って拭いたけれど、消えなかった染み。消えないものは、消えないままの場所を与えられる。場所を与えられたものは、存在を正当化する。妹のカードの染みも、同じ理屈で私の中に居座っていた。


 午後の科目に入る前、私は決めた。模試が終わったら、その足で帰る。帰るための言い訳はいらない。言い訳は、聞かれる前に立てておかないと重くなる。重くなった言い訳は、同情を買うには便利すぎる。便利なものは、のちのち名前を奪う。


 試験がすべて終わり、校門を出た。夕方の光が、空を薄く分割している。私は急ぎ足でバス停に向かい、一本遅い便に乗った。家の前で降り、ポストを覗く。空洞。空洞は、私の顔を正確に映した。玄関のドアを開けると、ダイニングのほうから紙皿のこすれる音がした。覗くと、白い皿の上に、小さく切り分けられたショートケーキが三つ。苺が、それぞれの上で背伸びをしている。母がこちらを見て、一瞬驚いた顔をしたあと、笑顔の形を作った。「模試、どうだった?」


「普通」と私。


 妹はテーブルの端に座っていた。目が少し赤いのは、眠いからか、泣いたからか。判断しないことを、私は自分に命じる。判断は、こちらの正義の角度を固定する。固定は、あとから効いてくる。


「いまからでも、いい?」と、妹が小さな声で言う。「お姉ちゃんのも。みんなで」


 母は皿を配り、フォークを置いた。私は席につき、ナイフで切り分けを提案しようとしてやめた。提案は、所有権の確認を伴う。私は、自分の取り分を黙って選ぶことにした。


 ケーキの断面は、均等なスポンジと生クリームと苺の層で、名前はどこにも書かれていない。箱のプレートは、母が片づけたらしい。プレートがないと、ケーキは平和だ。誰のものでもなく、誰のものにもならない余白だけが、皿の上で光る。私はフォークを入れ、一口目を舌に乗せる。甘さは、予想より少し控えめだった。控えめな甘さは、罪悪感の居場所を探すのに向いている。


「ねえ」と、妹が言う。「カード、届いてた?」


「うん」と私。「ありがとう」


 ありがとう、という言葉は、相手を少しだけ遠ざける。距離ができると、安全になる。安全になった距離から、私は妹の顔を見た。彼女は笑って、すぐに視線を落とした。視線の落ちる速度で、その人がどれだけ練習してきたかがわかる。彼女はもう、充分に練習している。私の知らない場所で。


 私の胸の奥で、何かがわずかにずれる音がした。ずれたのは、仮面の位置か、笑顔の角度か、橋の中央の座標か。わからない。わからないけれど、ずれたものは、そこに留まる。元に戻そうとすると、もっと音が大きくなる。


 食べ終えた皿を流しに運び、私は自室に戻った。机の引き出しを開ける。父からの箱の上に置いたスカーフをどけ、妹のカードを取り出す。余白の染みを指でなぞり、そっと机の引き出しの別の場所に移した。ブランドの箱とは違う段に。名前のない段。そこなら、誰にも見つからない。見つからないから、存在する。存在するから、私の中で効く。


 窓の外は、十月の夕暮れの色でいっぱいだ。鏡に向かい、私は今日の笑顔を確認する。角度は、少しだけ浅くした。浅い笑いは、約束の前ぶれになる。私が約束するのは、誰に対してだろう。母に対してか、父に対してか、妹に対してか。それとも、推薦に対してか。答えは、次の箱が届く日まで保留しておく。保留にするのは、卑怯ではない。保留は、乱暴に選ばないことの別名だ。


 カードを机に戻し、私は灯りを落とした。暗闇の中で、フレームのひびだけが、なぜかはっきりと見えた。ひびは、直すことも、隠すこともできる。私は、しばらくこのまま見えている状態を選ぶ。見え続けるものは、いつか物語になる。物語になれば、誰かが読んでくれる。読まれることは、存在の証明になる。証明があれば、推薦の書式は、少しだけ軽くなる。軽くなった書式を、私はたぶん、まだ両手で持ちたいと思っている。


 「出られない、が正解か。出る、が本音か」


 もう一度小さく言って、私は笑った。歪みは、まだ私に似合っていない。似合う日が来るのかどうか。来る前に、誰かがこの歪みを指摘してくれればいい。指摘される前に、私は明日のスケジュール帳を開き、ペン先を走らせた。文字の縁だけ、ほんの少しだけ濃くなる。濃くなった縁が乾くまで、私は呼吸を数える。数えることなら、誰にも負けない。そうやって、私はまた一日、正解と本音のあいだに座る。椅子は、ひびの入ったフレームの前。鏡のこちら側。


 クラスのグループチャットは、朝のホームルームより早く始まる。アラームを止める指がそのまま画面を撫でると、誰かの「おは」のあとに、スタンプがいくつか跳ねる。うさぎ、パン、目玉焼き。かわいいの種類にも競争があるのだと、私は中学に入って知った。高校生のお姉ちゃんがいる子は大人びたスタンプ、塾で同じクラスの子は疲れたスタンプ、運動部の子は勢いだけのやつ。私は、いちばんふつうの、にこっと笑う黄色い顔を送る。ふつうは、誰にも刺さらない盾だ。


 通学路の角を曲がると、今にも泣き出しそうな空の下で、団地のベランダが洗濯物の重さを揺らしていた。だれかの赤いシャツ、だれかの白いタオル。干される色は、どれも家の匂いをまとっている。私は脳内でそれぞれの色に持ち主の名前を当てはめる癖があって、けれど最近は、名前が追いつかなくなった。中学に入ってから、学年の中心は派手な子たちに移り、名前の輪郭も一緒に遠ざかった。私は輪の端にいる。端には風が当たる。わかっていて、そこを歩く。


 美琴と一緒なら安全だ、と私は自分に言い聞かせてきた。安全という言葉は、彼女を下に見ているみたいに聞こえることがあるから、口には出さない。出さないかわりに、私は別の言葉で彼女のそばに立つ。「一緒に帰ろう」「明日、ノート見せるよ」「あの先生、今日機嫌悪そうだね」。言い方を選べば、支配と同情はよく似る。似ていることに気づかなければ、誰も傷つかないふりができる。


 教室のドアを開けると、白い蛍光灯の下で、机の端が朝の湿気を吸っていた。前の席の子が髪を巻きながら、鏡越しにこちらを一度だけ見る。視線の速さで、人の時間の価値がわかる。私は目を合わせず、窓側二列目のいちばん後ろの席に鞄を置いた。ここだと、先生の視界の死角に入る。死角にいられることは、朝にしか得られない自由だ。


 グループチャットのタイムラインに、昨夜の私の提案がまだ上位に残っている。「今週、アレやろうよ」。主語はない。目的語もない。絵文字だけが、意味の輪郭を曖昧にする。私は投稿する前に、何度も文を短くした。短いほど、逃げ道が多くなる。逃げ道の多い提案は、反対されにくい。反対されにくいものは、採用されやすい。でも、採用されたとき、それが自分の望んだ方向に動くとは限らない。


 案の定、流れは別の方向に滑っていった。みんなが「アレ」として思い浮かべたのは、学年の中心にいる子の誕生日だった。おそろいの紙花、ガーランド、クラッカー。彼女の好きな色——ショッキングピンク——で教室の飾り付けをしようと、メッセージが膨らむ。私は反対しなかった。反対すれば、提案者として責任を問われる。私が守りたいのは、発案者の顔じゃなくて、端に立ち続ける権利だ。


 美琴には、何も言わなかった。彼女が「明日は絶対空けといてね」と言っていたのは、私が曖昧な言葉を投げるより前の話だ。私の中で、時間はいつも都合よく順番を替える。替えることでしか、私は自分の行動の正しさを保てない。順番を正しく並べてしまったら、私はあっという間に加害者の位置に座らされる。それが嫌で、私は曖昧に生きる練習を続けている。


 当日の朝は、空気が乾いていた。ガムテープの端が机の天板からぺりっと剥がれる音が、やけに大きく聞こえる。飾り付けは、登校時間と同時に始まっていて、紙花の花びらがまだしっかりと開いていない。開く前の紙は、誰かの指の跡に弱い。私は花びらの端をつまみ、慎重に立体を作った。触れているあいだだけ、祝う側にいられる。手を離せば、私の位置は元に戻る。元に戻る私を、誰も見ない。見ないということは、私の他人への免罪符にもなる。


 チャイムが鳴った。クラッカーの紐を握る手がいくつも上がる。ドアが開く気配。歓声。紙吹雪が空中で反射して、教室が一瞬、別の色になる。「おめでとう」。声の輪が中心に向かって収束し、私も口角だけを上げてそこに混じった。そのとき、ドアの外側に動きが止まる影があった。美琴だ。彼女は、扉のガラス越しに教室の内部を一秒だけ見て、表情を固めた。固まる、というのは、動かないだけではない。動かないふりをして、内側の何かが音を立てることだ。私はその音を、なぜか自分の胸のあたりで聞いた。


 床に白い封筒が落ちているのが目に入った。机の脚に寄りかかるように、無防備に口を開いて。私は何も考えないふりをして、足の甲でそっと押しやり、机の下に蹴り込んだ。紙が床とこすれて、小さな擦過音を残す。誰も振り返らない。私はしゃがんだふりをして、封筒をつまみ上げた。封は甘い。自分で何度も開けたり閉じたりした痕跡が残るタイプの甘さ。中を覗くと、私の字で書かれた「誕生日計画表」。美琴の名前は、何度もなぞって消され、別の子の名前で上書きされている。最初から上書きするつもりだったのではない。最初は、美琴のために書いた。時間帯、飾り付けの場所、クラッカーの枚数、歌のキー、写真を撮る係。丁寧に書いた。丁寧に書いたから、何度も消せた。消すための丁寧さに、途中から気づいた。気づいてから、私は計画表をもう一度最初から書き直した。上書きは、私だけの都合だ。誰にも頼まれていない。頼まれていない仕事ほど、達成感の形が歪む。


 封筒をポケットに押し込み、私は顔を上げた。主役の子は、クラッカーの残り香を浴びながら教壇の前で笑っている。笑いの種類には、正しい答え方がある。主役の笑い、取り巻きの笑い、距離をとる笑い、見守る笑い。私は、見守る笑いを選んだ。選んでいるあいだ、美琴の視線は教室の空気のどこにも引っかからず、すべっていった。彼女がそこに居合わせたことを、誰も物語に挿入しない。挿入されない人間は、輪郭を保つのが難しい。輪郭が薄いと、責める気にもならない。


 ホームルームが終わり、飾り付けの残骸を片づける時間。私はふいに、二年前の運動会の匂いを思い出した。土の、日焼け止めの、焼きそばの。スマホの写真アプリを開く。アルバムの底に沈んだ一つの動画。父兄席で喧嘩する大人たちの罵声、その端で泣く小学生の美琴。偶然に撮れた映像。偶然を、私は匿名アカウントのフォロワー数に換算した。「地元の民度」と書いてアップした。動いている映像は、善悪より先に拡散する。私は覚悟を、あとから付け足した。あとから付け足した覚悟は、軽い。軽いものは、どこへでも飛ぶ。数日後、動画は消した。でも、切り抜きは今も漂っている。忘れられない傷は、指先一つで量産できる。量産の一端を私が担ったことを、私は内側では知っているのに、外側では認めていない。認めない技術は、練習さえすれば誰にでも身につく。


 昼休み、廊下の端で水を飲みながら、私はポケットの封筒を指先で折り曲げた。折り目が新しく付くたび、罪の形が変わる。変わるたび、私は許されやすくなる。許されやすくなると、また同じことができる。エレベーター式の懺悔。ボタンを押すだけで上下する。上下しているあいだ、私は自分がどの階にいるのか忘れる。


 放課後、美琴からのカードがポストに入っていた。「家族と友人へ」。宛名の横に、私の名前。手書きの曲がった線は、彼女の呼吸のスピードを反映している。裏に、日時と場所。家のダイニング、とある。ピンポイントの指定。逃げ道のない招待。私はカードを握りしめた。紙の繊維が指の汗を飲み込み、インクがすこしにじむ。にじみは、泣き顔の目尻に似ている。私は迷った。参加すれば、彼女の“唯一”に戻れるだろうか。いいえ、戻りたくない。戻れば、あの日の動画と封筒の罪が形になる。形になれば、触れなければいけない。触れれば、指先が汚れる。汚れた指先で、私はまたスマホを触る。


 「出る」か「出ない」か。二択は、いつだってわかりやすい顔をして近づいてくる。わかりやすいものほど、人を誘惑する。「出る」を選べば、私は善人になれるのだろうか。なれるふりなら、できるだろう。半分だけ謝って、半分だけ正しいことをして、半分だけ笑う。半分だけの技術は、私の得意分野だ。全体を差し出す勇気の代用品。代用品で組み立てた家は、雨の夜に静かすぎる音を立てる。


 家に帰ると、母はテレビの前で通販番組に頷いていた。パスタの箱が山のように積まれている映像。私は「ただいま」と言って、自室に入った。机の上にカードを置き、部屋の灯りを一段階落とす。暗さの中で、紙の白さが目に刺さる。刺さる、という感覚に、私は生きている実感を代入する。代入すれば、答えはいつも埋まる。正しいかどうかは別として。


 私はメモ帳を開き、招待の日のシミュレーションを始めた。行くルート、最短と遠回り。玄関を開けるときの表情筋の角度。最初のひと言。「おめでとう」か「おじゃまします」か。「おめでとう」は、相手の期待を引き受ける言葉だ。「おじゃまします」は、距離を測る言葉。どちらも、使い方を間違えると刺さる。刺さらないための練習を、私は声に出さずにした。鏡の前で笑ってみる。口角、目尻、額の筋肉。笑えば笑うほど、内側のどこかが硬くなる。硬い場所に、私は名前をつけない。


 スマホが震えた。グループチャットで、今日の「サプライズ」の写真が流れている。クラッカーの紙片、ピンクのガーランド、主役の子の笑顔。タイムラインは祝福で満たされ、テキストの最後に「次は誰の番?」と軽い文。軽い文の後ろには、いつも重い沈黙が隠れている。そこに、美琴はいない。いないことが、彼女の居場所になっている。居場所に名前をつけると、それが固定される。固定されることを、私は恐れているのに、つい名前を探す。矛盾は、人を賢く見せる仮面にもなる。


 私はカードをもう一度握り、深呼吸をした。握った手の中で、紙がほどけて、またまとまる。ほどけたところから、字の縁がにじむ。にじむのを見て、私は自分を守るために“善人”のふりを決めた。招待には出る。そこで、全部を謝らず、半分だけ謝る。半分だけ謝る技術を、私はもう身につけてしまった。謝る内容は、言いやすいものから。「今日、言い出せばよかったのに、言えなかった」。それは真実だ。でも、核心ではない。核心はいつも、別の言葉の服を着ている。


 風呂上がり、濡れた髪をタオルで押さえながら、私はポストを見に外へ出た。夜風が、首筋の水分を素早く奪っていく。ポストの口は小さく、赤い塗装の角に爪の跡がいくつも重なっている。誰かが毎日、ここに用事を持ってやってくる。私もその誰かの一人になりたいと思ったことがある。けれど、用事のある人間は、用事のない人間より責められやすい。責められやすい場所に、私は長く立てない。


 今夜は、ひとつ、無記名の手紙が入っていた。白い封筒。裏も白い。指先の腹で紙の目を確かめる。郵便局で売っているのより、少しだけ厚い。封を切ると、中から写真が一枚出てきた。写っているのは、今日のサプライズの最中、机の下に蹴り込まれた封筒。私の足の甲が、画面の端にわずかに映っている。赤ペンで、写真の上からこう書かれていた。「主役を間違えないように」。文字の太さが、怒りの速度を伝えてくる。私は思わず、首筋に手を当てた。汗が、さっきの夜風と同じ速さで冷たくなる。


 写真の裏面に、場所と日時が手書きされていた。美琴の家の住所。来週土曜、午前十一時。カードに書かれていたものと同じ。でも、別の手の字で。少しだけ前のめりに倒れた角度。急いでいる人の書き方。私は背中を伸ばし、呼吸の回数を数えた。数えることでしか、私は動揺の体積を測れない。


 誰が撮った? いつ? それとも——撮らせた?


 問いは、宛先のないメールみたいに、宙に浮いたまま戻ってこない。戻ってこないうちに、私の頭の中で別の問いが芽を出す。撮らせたとしたら、誰が、誰に、何のために。美琴が? 彼女がそんなことを。わからない。わからないほうが、私は安心する。わからなさに身を置いているあいだ、私は判断されない。判断されないかわりに、私は決められない。決められない人間の結末は、大抵、他人の手の中だ。


 部屋に戻り、写真を机の上に置いた。封筒も、カードも、並べる。三つの紙が、灯りの下で別々の白さを見せる。白にも種類がある。新品の白、使い古した白、これから汚れる白。私は、そのどれにも自分を重ねられない。重ねると、はみ出した輪郭が目立つから。目立つと、誰かが指でなぞる。なぞられたところだけ、濃くなる。濃くなった縁は、乾くときに音を立てる。音を立てるものは、記憶になる。


 スマホの画面に、未読のメッセージが一件増えた。送り主はわからない。アイコンはグレーの人影。「土曜、来るんでしょ」。文末に句点はない。私は返信しなかった。返信をしないことで、私は時間を握る。時間を握っていると、自分が強くなった気がする。気がするだけで、実際には何も変わらない。変わらないことの上で、私は歩幅を一定に保つ。受験生は、歩幅まで評価されるのだ。


 ベッドに入っても、天井の四角い影が目にうるさかった。影の角度が少しずつずれていく。ずれた角度に名前をつけるのが好きな人たちが、世界にはたくさんいる。私は、名前のない場所を好む。名前のない場所では、誰も私を見つけられない。私自身も、私を見失う。見失う自由。自由は、責任の形をしていないときにしか、やさしくない。


 眠りに落ちる直前、私は自分に言い聞かせた。半分だけ謝る、でいい。半分だけ謝って、半分だけ聞く。半分だけ聞いて、半分だけ認める。半分だけ認めて、半分だけ忘れる。忘れた半分の上に、私は明日も立つ。立って、グループチャットにふつうのスタンプを送る。ふつうの顔で、ふつうの「おは」を。ふつうは、誰にも刺さらない盾だ。けれど、刺さらない盾の影に、今日の写真は置かれたまま、赤い文字だけが光っている。


 「主役を間違えないように」


 声に出すと、家のどこかが冷えた。冷えた場所に、私は毛布をかけるみたいに言い訳を重ねる。重ねた言い訳の重みで、紙が机の上に沈む。それでも、裏面の住所と日時は、透けて見えた。透けて見えるものは、見なかったと言い張りにくい。言い張りにくい夜は、あと何時間も続く。そのあいだ、私は呼吸を数え、次の朝の歩幅を計算する。計算の途中で、眠る。眠ることでしか、私は「決めない」を続けられない。決めないまま、朝は来る。朝の光は、紙の白さをいっそうはっきりさせる。私は目を開ける前に、もう知っている。今日は、昨日より少しだけ、誤差が大きい。誤差のぶんだけ、私の足元は滑りやすい。滑りやすさを、私はうぬぼれと呼ぶ。うぬぼれた足で、私はまた、端に立つ。端から見える世界で、半分の謝罪の練習をする。練習している自分を、私は今夜、初めて、ほんの少しだけ嫌いになった。


 朝の冷気は、冷蔵庫の内側に似ている。扉を開けるたびに、手の甲にまとわりつく白い風。私は、さっきまで拭いていたテーブルクロスの皺をもう一度のばし、紙皿の枚数を数え直した。十、十一、……三。三人分。足りないわけではない。余らせないための数え方。ガーランドは百均の白い糸と薄い紙で作った。丁寧に折れば安っぽさは消える、と誰かの動画が教えてくれた。私は指先の湿りを袖で吸い取り、三角の旗が同じ間隔でゆれるかどうか、息を止めてみる。止めた息は、すぐに喉の奥で行き先をなくした。


 冷蔵庫を開ける。ケーキの箱と、透明なボトル。ワインは、ラベルをきれいに剝いだ。糊のあとが残らないよう、ぬるま湯でふやかして、ゆっくり、ゆっくり。母の好物だ。でも私は未成年。代わりにブドウジュースのボトルを並べる。ワイングラスは、背の高いのと低いのと二種類。光を入れると、空の器でも色があるふりをする。ふりの練習は得意だ。家族の前では特に。


 テーブルの中央に、小さな焼き菓子。クッキーと、サブレと、少しだけ高かったフィナンシェ。バイト代の半分を使った。半分は残した。残したことを責める声は、今のところ誰からも届かない。届かない声だけが、家をやさしくする。


 玄関の鍵が回る音。私は一度、台所の明かりを弱めた。薄い灯りのほうが、飾り付けがきれいに見える。母が入ってくる。紙袋と、もうひとつ、別の紙袋。私は笑顔の形を整えて、「乾杯はブドウジュースでね」と先に言った。母は「いいじゃない、少しだけ」と冗談みたいに言って、すぐに私の顔を見て引き下がる。「じゃあ、ジュースで」。大人は、引き下がる瞬間を見せるのが上手い。上手いから、見抜きにくい。


 グラスに、それぞれ違う色の液体を注ぐ。深い紫、薄い琥珀、水の透明。私はラベルを剝がしたボトルをテーブルの下へ滑らせ、足で触れる場所に置いた。触れていると安心する。安心は、いちばん早く蒸発するから。


 階段の上から、ドライヤーの止まる音。姉の足音。模試のプリントが、バッグの中で紙の匂いを立てる。姉はタオルで額を押さえ、遅れて着席した。三角形の旗が、その頭上で少しだけ揺れる。「間に合った?」と姉。「間に合ってる」と私。間に合う、という言葉は、遅れた事実をやわらかく包む。包み紙は、今夜たくさん用意した。


 呼び鈴。沙紀が、郵便受けの口をそっと押してから、扉の前に立つ癖を今日も守っている。小さな花の束。白い紙に巻かれて、茎の切り口が少し乾いている。「遅れてごめん」と彼女。私が「来てくれてありがとう」と言うと、彼女は視線を落とした。落ちる視線の速度は、練習の量だ。私たちはどちらも、練習が上手くなりすぎたかもしれない。


 第一幕の用意は整っている。私は椅子に座り、グラスを軽く持ち上げた。「今日は、忘れられた誕生日を思い出す会です」。言葉に角があるのを、あえて整えない。角があると、当たる。当たらないと、通り過ぎる。母は苦笑いを作り、姉は眼を細め、沙紀は笑顔の枠だけを置いた。私は合図のように、ガーランドの端を指で弾く。紙の音が小さく鳴る。


「ゲームをしよう」と私は言った。「思い出の“欠け”探し」


 アルバムとUSB。テーブルの中央に置く。アルバムは背表紙がゆるんでいて、開くと写真の角が浮く。浮いた角は、人差し指の腹で簡単に押さえられる。押さえられる瞬間だけ、記憶はおとなしくなる。


 母の番。私はアルバムの間から、一枚の光沢紙を引き抜いた。喫茶店、紙ナプキン、窓の影。母と——父。母の指が震え、写真を裏返す。「これは……だれが?」


「わたし」と私は言った。嘘だ。撮影者は別にいる。けれど、“誰が”より“何を隠していたか”が重要だ。私は空気の行き先を指で示すみたいに、言葉の順序を並べ替えた。「偶然だったの?」とだけ訊く。質問は短いほど、答えの逃げ道は減る。


「偶然……会ったの。職場の近くで」母は唇を湿らせた。「相談が、あっただけ」


 相談、という言葉は、よくできている。内容を空にしたまま、正当性の影だけを残す。私は次のカードを重ねた。コピー用紙に映った細い数字の列。領収書の複製。父から姉への贈り物。バッグのブランド名、決済日時、金額。母は沈黙し、姉は苛立ちを探すみたいに、フォークの先端で紙皿を小さく叩いた。


「養育費は渋るのに、どうして姉には?」私は淡々と言った。問いは、表面張力が壊れる音に似ている。静かに、でも確実に。


 姉は息を吸った。「わたし、頼んでない」そして小さく続けた。「たぶん、賄賂みたいなもの。推薦、あるから」


 母の目が姉に向かう。「あなたはいつも、選ばれる側だった」


 惜しむでも、嫉むでもない音程。私はUSBをパソコンに差し、モニターをこちらに向けた。フォルダの名前は整理していない。日付の羅列の中から、二年前の運動会の動画を選ぶ。再生。砂埃の上で大人たちの声がぶつかる。「どっちが先だ」「並べ」「常識がない」。その端に、泣く小さな私。画面の震え。拡声器の割れた音。沙紀の指が、膝の上でかすかに震えた。


「ごめん、私は——」


 私は遮らない。遮らず、ただ見つめる。謝罪は自発でなければ意味がない。沈黙の距離を延ばす。彼女は唇を噛む。噛む音はしない。音がしないぶん、映像の中の過去が部屋の空気と混ざり合う。


 第二幕は、自然に始まった。母はグラスを一気に空け、喉が動く形が明確に見えた。「偶然よ。ほんの、少しだけ話しただけ。あの人のほうから……」言い訳の文脈を、ワインが追い越す。姉は真っ直ぐに前を見る。「父の贈り物は、私への賄賂だった。そうだと思う。でも、私が選んだわけじゃない」選ばれる側の言い方。沙紀は、モニターを見たまま、声の位置を低くした。「私は……人気者の輪に入りたかっただけ。『地元の民度』なんて言葉、正しいと思っていなかったのに、正しいふりをした」言葉の服を着せ替えるのが上手い人は、脱いだ服の皺を見ない。


 私は頷く。頷くことで、部屋の粒子がひとつひとつ落ち着く。落ち着いたのを確認してから、第三幕に入る。テーブルの下。ボトルのガラスに指が触れる。触れた冷たさを道しるべにして、真新しい紙袋を引き出した。中から三つの封筒。無地。金の丸いシールを貼ってある。私はひとつずつ置いた。母の前、姉の前、沙紀の前。


「誕生日プレゼント、わたしから」


 母の封筒からは、コピーが出てくる。「シフト中の無断外出について」という匿名の告発文。職場のロゴの入った紙。差出欄は空欄。文末にある“匿名の権利”という単語の幼さ。母の指が、紙の端で止まる。私は声の温度を変えない。「勤務先に届いたものの写し。だれが送ったかは、わからない」


 姉の封筒には、音声の書き起こし。父と母の会話の切り出し。「推薦」「面談」「過去のことは水に流して」。さらに、推薦入試委員会宛の質問状の草稿。語尾を丁寧に整え、事実確認を求める文。姉は紙を両手で持ったまま、目を閉じた。「これ、誰が……」


「確認のための紙だよ」と私は言う。「出す前の、紙」


 沙紀の封筒からは、白黒の印刷。匿名アカウントの投稿履歴。IPの変換サイトの画面キャプチャ。夜中の投稿時刻。運動会の動画のリンクが拡散していく矢印。実際には誰でも辿れる痕跡。彼女は紙を近づけたり遠ざけたりして、焦点が合わないふりをした。ふりが上手いと、罪の輪郭は後回しにできる。


「これは“脅し”じゃない」と私は静かに言った。「‘確認’。今日、この場で全部話して、わたしの誕生日に“欠け”を返してくれれば、これらは紙のまま燃やせる」


 燃やす、という動詞が、部屋の酸素を少しだけ減らした。母は唇を開きかけ、閉じた。「許して」と言うまで、数秒。許して、という言葉が誰に向いているのか、言った本人でさえ決めかねている。姉は鋭い声で割り込んだ。「私だって被害者だよ。父と母の間の、何かの」被害者、という字は、被と害が並ぶ。並ぶと、読むだけで疲れる。沙紀は下を向いたまま、涙の落ちる音を紙に吸わせた。「半分だけ謝るつもりだった。ごめん。……全部は、まだ無理」


 私はグラスの縁に指を沿わせる。薄いガラスが微かに鳴る。鳴った音を、誰も拾わない。拾わない音は、壁に染みて、あとで戻ってくる。


「“欠け”は、あるものの輪郭をはっきりさせるために必要なんだと思う」と私は言った。「穴の形が見えれば、何が足りないか考えられる。今日は、その形を見たかった」


 母は自分の封筒の紙を折った。折り目が一本、二本。均等な幅。丁寧さは、懺悔の装飾にも使える。「偶然なんかじゃない。……会ったの。わたしから、連絡した」声が、紙の折り目に沿って細くなる。「家のこと、相談したくて。すみませんでした」


 姉は、書き起こしを持ったまま、笑った。笑いは、刃物の背のほうみたいに鈍い。「ねえ、私だけが悪いの? 賄賂って言ったけど、受け取らざるを得ない立場、ってあるよ。推薦が、どうしても欲しい人間の」


「欲しいものに責任がついてくるのは、知ってるでしょ」と私は言った。責任、という言葉は、説明を要求する。説明は、言葉の数を増やす。増えるほど、薄くなる。薄い責任は、燃えやすい。


 沙紀は顔を上げた。目の縁が赤い。「動画、私が上げた。『民度』とか、ほんと最低だった。拡散されて、切り抜きが残ってるのも知ってる。ごめん。……全部は、いま言えないけど、半分だけ謝る。半分だけでも、いまは、それが限界」


「限界を言葉にするのは、すごく正直だよ」と私は返した。正直は、刃のほうだ。刃の位置を間違えると、余計深く切れる。


 部屋の空気が、少しずつ傾いた。外から風の音。雨どいの隙間を抜ける高い笛のような音。サイレンの予備練習のようにも聞こえる。私は、電話はまだしていない。けれど、誰かがするだろう。この家の外には、音の理由を探す人がたくさんいる。理由が見つからないとき、人は、いちばん近くのものに名前をつける。


 母がふいに立ち上がり、台所へ行った。流しにコップを置く音がして、水の音が続く。戻ってきた母は、掠れた声で言った。「燃やして。……燃やしてほしい。あなたの前で」封筒を、私のほうへ差し出す。私は火を用意していない。用意していたら、今夜は別の劇になってしまうから。私は首を振り、代わりにゴミ箱を指さした。「明日、外で。私のいないところで捨てて。——それまで、その紙から目を逸らさないで」


 姉は封筒をバッグに入れた。入れたあと、再び取り出して、机の上に戻した。決められない人の手つき。彼女は笑って言った。「ねえ、美琴。あなたの“欠け”は、どこ?」勝ち目のある問い。私は焼き菓子の箱を開け、ひとつずつ並べながら答えた。


「私の“欠け”は、ぜんぶ“ふり”で埋めてること。笑うふり、許すふり、忘れるふり。ふりは便利。……でも、便利は持続しない。折り畳み傘みたいに、要るときに骨が折れてる」


 沙紀が小さく笑った。「うちら、似てるね」


「似てるところだけ、今夜は信じてもいい?」と私は訊いた。訊くことで、責任の半分を相手に渡す。彼女はこくりと頷いた。頷きの速さが、慰めになった。


 ケーキにろうそくを立てる。数字ではなく、細いのを十四本。一本ずつ火をつけるふりをした。火の代わりに、私たちは息だけを吹きかける。息の音が、紙の旗をわずかに震わせる。見えない火は、消すのが難しい。難しいものを、難しいままやるのが、練習だ。


 母が皿を配り、姉がナイフを持ち、沙紀が花をテーブルの端に置いた。三人の手が、同じテーブルの上にある。テーブルは安物で、角に小さな欠けがある。欠けは、そこにしかない地図。そこから始めるなら、私は迷わない。


 食べながら、私は紙袋の底を足先で探った。ラベルのないボトルのガラスが、足の甲に当たる。冷たい。冷たさは正直だ。私はグラスのブドウジュースを少し飲み、残りをテーブルの下へそっと流し込んだ。混ざった色は、もはや名前を持たない。名前のない液体は、どちらに加算されるでもなく沈む。


「来年は、何をする?」と姉が言った。来年、という言葉は、約束の形をしている。私は「未定」と答えた。未定は、私にとって救急箱だ。使い方を間違えると、薬と毒の見分けがつかなくなる。


 窓の外。風がまた抜ける。笛のような音は、さっきよりも遠い。サイレンではなかったのかもしれない。雨どいの、曲がったところ。曲がったままでも、役に立つ道具。私たちの家も、きっとそうだ。曲がったまま、雨を通す。溢れた分は、庭の土が吸う。土は何も言わない。言わない土に、私は来年の旗を挿してみる。倒れても、笑うふりをやめなければ、旗は見える。


 夜が深くなる。ガーランドの影が壁に増えて、同じ三角形が少しずつ位置をずらす。ずれた影を、人は誤差と呼ぶ。誤差は、責めるためにあるのではなく、次に正すためにある。私は、誤差のまま椅子を引いた。椅子の脚が床を擦る音が、今日いちばんの大きな音になった。


「ごちそうさま」と母。「ありがとう」と姉。「……行くよ、土曜も、また」と沙紀。


「今日は今日のぶんだけ」と私は言った。「残りは、明日以降に取っておこう」


 三人が帰ったあと、私は一人でテーブルを拭いた。紙皿は重ねて紐で縛り、焼き菓子の余りは密閉した。USBを外して机の引き出しへ。アルバムは、写真がこぼれないように帯で留めた。冷蔵庫を開け、ラベルを剝がしたボトルを持ち上げる。半分ほど減って、代わりに私のジュースが少し混ざっている。混ざった味は、想像できる。想像できる味は、もう飲まなくていい。


 洗面所の鏡に、ガーランドの影が反射する。顔に三角形が落ち、口角が少しだけ上がる。私は、笑うふりをやめてみる。やめると、顔の筋肉が、どこに置けばいいかわからないみたいに震えた。震えは、火のかわりになる。燃やす代わりに、震える。紙は明日、捨てる。捨てるのを見ないかわりに、今日を見た。見たぶんだけ、欠けの形がはっきりした。


 ベランダに出る。風が、蘇生の仕方を忘れた鉢植えの土を撫でる。遠くで、やっぱり笛みたいな音。サイレンなら、誰かがどこかで呼んだ。呼ばれたものが来る。来ない夜もある。どちらにしても、崩れる音は外から聞こえる。家の内側が崩れるときは、音はしない。音のしない崩落を、私は今日、少しだけ遅らせた。遅らせるのに成功したかどうかは、明日にならないとわからない。わからないから、招待状を書いたのだ。わからないから、旗を作った。わからないから、グラスに色を分けた。わからないから、嘘をついた。嘘の縁は、もう乾いている。


 部屋に戻り、カレンダーの二重丸の中に、小さな点をひとつ打った。今日の終わりの印。点は目玉のようにこちらを見返す。見返してくれるものがあるうちは、私はまだ、招待できる。次に招くのは、欠けた場所に座ってくれる勇気。来てくれなかったら、その椅子は空席のまま置いておく。空席は、責めない。責めない椅子の前で、私は灯りを消した。暗闇の中で、ガーランドが風もないのに揺れた気がした。気のせいでもいい。気のせいのぶんだけ、私は眠れる。眠ることで、今日の紙を紙のままにしておける。紙が火に変わるのは、いつだって一言の後だ。今夜は、その一言を誰も言わなかった。私は、その事実だけを、誕生日の真ん中に置いた。


 翌朝の家は、冷蔵庫の内側みたいにしんとしていた。空気が硬く、呼吸の音だけが自分の声のように大きい。窓ガラスの向こうで、十月の光が乾いた白に折り畳まれている。私はキッチンの蛇口をほんの少しだけひねり、指先に水を走らせた。昨夜のグラスの輪じみを拭きそこねた跡がテーブルの角に残っていて、爪の先でこすると、薄い音を立てて消えたように見えた。見えた、だけで、きっと木の繊維の奥では、別のかたちのしみになっている。

 階段の下に母がいた。毛布に身体を巻き、膝を立て、顔を隠している。幼い子どもみたいな寝方。睡眠ではなく、時間のやり過ごしとしての目閉じ。私は声をかけない。声をかければ、呼吸のペースを合わせる必要が生じる。合わせることに、私は昨夜、もう使い切ってしまった。

 二階では鍵のかかる音が一度だけして、その後は静かになった。姉の部屋のドアの下からは光が漏れず、気配は壁紙の柄と同化している。廊下に転がったヘアゴムが、誰にも踏まれないことの不自然さでそこにいた。鏡台の前で涙を拭ったであろう時間のあとが、まだ部屋の内側で硬く乾いている。「模試を休む」と呟いた姉の声は、昨夜のテーブルで聴いたときよりずっと小さく、可視性の低い感情でできていた。

 チャイムが鳴る。金属が震える高い音。私はドアスコープに目を当てる前に、誰だかわかった。近所の人の、すこし背中を丸めた姿勢を、玄関の扉はよく覚えている。私はチェーンをかけたまま少しだけ開け、「はい」とだけ言った。

「昨夜……怒鳴り声が」と、向こうは言った。言葉の尻尾に、曖昧な中立の粉がふりかけられている。「お宅だけじゃなくてね、広く、っていうか、その、聞こえるの。夜は音が通るから」

 私は頷き、謝罪の形を口の端に置いた。「すみません。片づけます。もう大丈夫です」

 会話のための音階は短く、すぐに終わった。それで終わりにしていいという合図でもある。合図を受け取るのは、こちらの礼儀のうちだ。

 十分もしないうちに、別のチャイム。今度は二度、間隔を空けずに鳴る。玄関を開けると、制服の上着の前を留めた警察官が二人、立っていた。若いほうが少し緊張していて、視線が肩の上を通り過ぎる。年配のほうは、口角の落とし方に慣れている。「昨夜、近隣の方から通報がありまして。事情をお聞きしても?」

 私は「どうぞ」と言い、靴を揃える音がいつもより大きいのに気づく。母は毛布を肩まで引き上げ、姉は鍵の向こうに残り、その二つの沈黙の真ん中に、啓蒙ポスターのような声が割って入ってきた。

 事情聴取は、紙に線を引く作業に似ていた。日時、構成人数、主旨。昨夜の会について、私は「誕生日会」と言い、警察官はペン先を一度止めて私の顔を見た。何歳? 十四です。飲酒は? していません。母は? ジュースです。テーブルの下に、ラベルの剝がれたボトル。私は足先でガラスの冷たさを探り、触れない位置に押しやった。

 年配の警察官は、母に視線を移した。「大丈夫ですか」

 母は毛布の隙間から「大丈夫です」と言った。大丈夫、という言葉の信憑性が、朝の光の中で薄い。勤務先に連絡は? つながらない、と母は答えた。出勤か、欠勤か。休みか、連絡なしの遅刻か。母の口から出る言葉に、朝の家の温度が少しずつ下がっていく。姉の部屋の鍵は、そこからでも固く見える。「模試を休む」と書かれていないのに読める字で、ドアに貼られている気がした。

 「何か、不審な手紙や、写真などは?」と問われたところで、私は視線をテーブルに落とした。そこに、一通の封筒が置かれている。白。封は閉じられ、宛名はない。母はそれにまだ気づいていない。姉は鍵の向こうで、気づかなかったことに気づいている。

「机の上に、一通」と私は言い、封筒を手渡した。

 年配の警察官が丁寧に開ける。中には、打ち出された手紙。冒頭の一行が、光の角度によって黒く濃く見えた。「忘れられた誕生日は、私の復讐のはじまりだった」。署名は、姉の名——瑠璃。

 文字は綺麗だった。場数を踏んだ作文の整いがあり、言葉の選び方に迷いがない。迷いがないのに、歪んでいる。「妹は、私の影から生まれた」「母は、私の皮膚を着て家事をした」「父は、私の成績表の裏にばかりサインをした」。比喩が、読み手の想像力の骨を折りながら進む。妹の存在が“最初から存在しなかった”かのような言い方。存在しなかったものが忘れられるのなら、忘却の責任は誰に着地するのか。行間が凍る。

 警察官は手紙の終わりまで目を通し、コピーを一部所持したい旨を述べた。私は頷き、プリンターの電源を入れる。紙が送り込まれる音が、十月の朝に似合わない機械的な規則性で部屋に響く。母は椅子に腰かけ、指の関節を撫でていた。「瑠璃、あなた——」と、言葉を組み立てようとして、組立図のないまま諦めた。

 手紙は、紙面の上で別の生き物になっていた。署名が姉の名だからといって、手紙自体が姉であるとは限らない。誰かが誰かの肌を模倣するとき、毛穴の位置までは写らない。私はコップに水を注ぎ、口に含むふりをして喉の中に溜めた。飲み下すのを遅らせると、舌の上に今の時間の輪郭が浮かぶ。

 事情聴取が終わり、警察が去る。扉が閉じる音が、朝の空気に違和感なく沈む。私は窓を開け、風を入れた。立ったまま深呼吸をすると、昨夜のろうそくの残り香がベランダの隅から立ち上がる。溶けたロウが固まり、テーブルの焦げついた点が指先にざらりと当たる。停電はなかった。サイレンも、雨どいの風だったのだろう。昨夜の終盤、私の耳の奥で鳴った笛の音は、たぶん心臓の音だった。

 ここからは、別の紙が語る。手紙と違って、あらかじめ宛名のない紙だ。私の独白は、紙に乗ると温度を失う。失わせないために、わずかに息を吹きかけながら書く。

 昨夜の“連鎖”は、偶然ではない。偶然が続いたふりを、私は少しだけ上から整えただけだ。床に、ほとんど気づかない程度の傾斜をつけた。転がりたいものは勝手に転がる。誰もがそれぞれの力で動いていると思っているうちは、私のひと押しは透明だ。

 家計簿の改ざんに気づいたのは、夏のはじめだった。カレンダーの私の誕生日印が、細いホワイトで消され、翌週に小さく書き直されていた。書き直された文字は、打ち消し線の下でかすかに息をしていた。私はその上から、濃いペンで丸を描き、二重丸にした。わざと濃淡を残し、ふたつの記号が同居していることを見えやすくした。見えやすい対照は、家の中に音符を置く。音符は、人の耳ではなく目に聞こえる。

 学校のグループチャットに火種を落としたのは、私だ。メインのタイムラインではない。個別のダイレクトメッセージで、沙紀に「別の子の誕生日が近いね」とささやいた。主語は書かない。「アレやろうよ」の文型を、わざと彼女の指に覚えさせた。提案の形を決めるのは、最初の言い回しだ。群れ言葉の輪郭に沿わせれば、抵抗は少ない。沙紀は、私の言葉を自分の言葉だと信じた。信じたことは、彼女の罪にはならない。罪の名札は、もっとわかりやすい行動にぶら下がる。

 匿名写真の投函については、私ではない。母を尾行したのは父の現パートナーだ。ずっと前から、私はその存在を、玄関の傘立ての傾き方で知っていた。母の行動が直線である日と、少し蛇行する日。蛇行する日には、帰宅の足どりが映す壁の影が長い。ポストに届いた写真の封筒を、私は一度拝借した。開封痕が残らないように、蒸気の通り道を作り、写真をコピーし、同じ角度で差し戻した。写真の送り主を明らかにすることは、今回の物語の筋ではない。写った距離の近さが、偶然ではないと伝われば、それで足りる。

 父への音声データも、真実の証明ではない。店のBGMの同じ曲が二度かかった部分と、皿の当たる音を切り出し、母と父の音程が重なって聞こえるようにつなげた。嘘ではないけれど、全部でもない。曖昧でいい。人は自分の都合のよい罪を、曖昧の中に見つけてくれる。真実が一枚岩でないことは、誰もが薄々知っている。私はその薄さを、紙の厚みに換算しただけだ。

 姉の手紙については、もっと単純だ。昨夜、テーブルの端に“草稿”を置いた。印刷した白紙の上に、導入の形だけ。「忘れられた誕生日は——」。ハイフンの右側は空白。姉はそれを見て、ためらいながら座り、ペンで自分の言葉を流し込んだ。彼女の被害者性は、そこに一気に形を持った。姉は、誰かに「あなたは被害者だ」と言ってほしかったのだろう。言葉にされない傷は、傷の資格を得られないから。私は資格の欄にチェックを入れる係ではない。ただ、欄を見えるところに置いた。

 破滅は、私ひとりでは起こせない。私はルールの書き換えをしていない。導入を置いた。導入に本文を書き足したのは、それぞれの手だ。母は匿名の告発文のコピーに怯え、姉は推薦入試委員会への質問状の草稿に怒り、沙紀は投稿履歴の印刷に涙を落とした。紙は、彼らの表情と同じくらい素直だった。火をつけなくても、紙は燃える。視線と、息と、手のひらの湿りで十分だ。

 ドミノは一本目を倒す角度で決まる。私はそれを知っていた。知っているふりではなく、実際に。求めたのは、一番軽い力で一番重いものを倒すこと。重いものは家族、という言い方をすると、どこか優等生じみてしまうから避けたいけれど、実際問題、重い。重さは質量だけではない。歴史と、言い訳と、偶然の積層でできている。積層の層を数える人間は、倒れる前から倒れた後の音を想像できる。私は昨夜、その音を、最後に自分の胸で聴いた。

 警察が帰ったあと、私はベランダで昨夜のろうそくの匂いを嗅ぎながら、テーブルの焦げを指でなぞった。焦げは、見た目より浅かった。表面だけが黒く、触ると粉になった。粉は、息で散る。散ったあとの木目が、急に年輪の形をくっきりさせる。焦げたことで、見えるものがある。焦げていなければ、見えなかった輪。私は掌に粉を集め、掌の熱でそれをまとめ、また指先で壊した。壊す音はしない。音のしない壊れ方は、私に似ている。

 午後、私は郵便局へ行った。ガラスのカウンターの向こうで、制服の胸ポケットにボールペンを差した女性が、「封筒ですか」と柔らかい声を出した。白い長形三号を二つ。切手は記念のものではなく、いちばん普通の。宛名は、私宛て。ペンで「井原美琴」と書く。自分の名前を、封筒の表に書くのは奇妙に思えるはずなのに、手は抵抗しなかった。投函する自分への、遅れて届く通知のようだ。中には、昨夜の写真、姉の手紙のコピー、USB、そして、私のメモ。すべての“証拠”。忘れないために、私が私を告発する。すぐに誰かに渡すつもりはない。時間という密閉容器に入れて、先の自分に渡す。未来の私が読み返すとき、私は今夜の選択を正当化するだろうか。告発状は、いつも読み手の正義の位置を試す。

 局を出て、歩道の角のポストに封筒を落とした。乾いた音が、ケーキの箱を閉じる音に重なる。あの茶色い厚紙の蓋を閉じる一瞬の、あの中途半端な力加減に似ていた。中身が崩れない程度の速さで、しかし躊躇しない勢いで。私は手を離し、ポストの赤い塗装の角を人差し指で一度叩く。世界は静かだ。誰も拍手をしない場所で、私は拍手の形だけを手のひらに作る。手を合わせる音は出ない。内側からだけ響く。響いた音を外に漏らさないやり方は、もう身体が覚えた。

 帰宅すると、母はまだ階段の下にいて、毛布の裏の目が赤いとわかる泣き方をしていた。姉の部屋のドアの前に、プリントの束が置かれている。模試の過去問。表紙に鉛筆の先で小さな点が打たれている。きっと開いたページの目印だ。彼女が学ぶべき問題は、彼女の部屋の外に出てきた。部屋の中は、泣くことのために貸し切られている。貸し切りの中では、誰も正解を選ばない。

 私は台所に立ち、昨夜のグラスを洗った。洗剤の泡が、指の間で音を立てる。泡は軽い。軽さのまま、水で削ぎ落とされる。泡の消える速さで、罪悪感が軽くなればいいのに、と一瞬思う。その考えを自分で笑って、排水口の網を外し、詰まりかけた紙片を取り除く。紙は、水の中でも文字を保持する。消えにくい言葉と、消えやすい言葉の混在。私はそのどちらも、同じ指で触っている。

 部屋に戻り、机に座る。封筒の控えを書き、日付を記す。封筒の表に書いた宛名と同じ字で、手帳にも自分の名前を書いた。自分の名前を繰り返すのは、練習の一つだ。呼ばれなかった名前は、やがて自分の口の中で形を失う。形を失わないように、私は自分を自分で呼ぶ。呼ぶたびに、喉の奥の筋肉の反応が良くなる。身体が、私に寄ってくる。

 窓を開けると、風が旗を揺らした。昨夜のガーランドの三角形が、薄暗い部屋の中で影を二つに分ける。一つは壁、もう一つは床。角度が違う。どちらも本物の影なのに、本物が二つあると人は混乱する。影に優劣はない。影に優劣をつけるのは、光ではなく見る側だ。私は影の数を数え、余ったぶんだけ目を閉じる。目を閉じた暗闇は、絶対ではない。眼球の内側には、古い光の跡がいつまでも残る。残るもののために、私は昨夜の灯りを消したのだ。

 「忘れられたのは誕生日じゃない」と、私は声に出してみた。声は壁に吸われ、誰の耳にも届かない。「わたしが彼らの都合で“忘れることを許された日々”。その終わりを、わたしが選んだ」

 言い終えてから、笑った。笑いの音は出さない。表情筋だけが、手紙の紙面みたいに静かに震える。拍手の練習と同じく、笑いも内側で済ませる。済ませたあと、私は手を膝の上に置き、指の長さを一本ずつ確認した。十分。足りる。足りないときは、言葉で継ぎ足す。言葉は数の不足を埋めるには、少し重い。でも、重さが必要なときがある。ドミノの一本目に指を置くときみたいに。

 夜になり、母はようやく立ち上がって台所へ行き、姉の部屋の鍵が一度回って、また閉じた。誰も何も話さない。それでも、家は、何かを話し続けている。床板が僅かに軋む音、冷蔵庫のモーターの唸り、自分の血の巡るリズム。音は、選ばない。選ばない音の中に、私は招待状の残りを折ってしまった。折り目は、ひとつだけ。折り目が多いと、紙はすぐに裂ける。裂けた紙は、火が早い。私の計画は、火ではなく、湿り気でできている。湿ったものは、よく燃えない。その代わり、長く残る。

 布団に入る前、私はポストに投函した封筒が入っていないことを確かめる必要はなかった。封筒は、もう私の手を離れている。離れたものを追うのは、私の種類の仕事ではない。私は追われるほうが向いている。追われる、と言っても、誰かにではない。時間にだ。時間の足音は軽い。軽いものに追われると、人は走るふりをする。ふりを続けるうちに、本当に走る。走っているつもりで、私は自分の速度を、やっと今日、決めた。

 目を閉じると、ケーキの箱の蓋を閉める音が、遅れて戻ってきた。乾いた、簡単な音。あの音の中に、私は拍手を重ねる。誰も祝わない誕生日に、私だけが拍手をする。拍手の音は、内側からしか聞こえない。内側だけに響く音は、外側の静けさと喧嘩をしない。喧嘩をしない夜は、眠りの質が良い。眠りの質が良ければ、明日は、もうすこしまっすぐに歩ける。歩幅は自分で決める。誰にも測られない歩幅。測られない私。忘れられない自分。私はその三つを、同じ行に書いて、今日のページを閉じた。


<了>

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