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短編2

愛を免罪符にしようってのがそもそもの間違いでしてよ

作者: 猫宮蒼



 アザレア・ケリュイスは伯爵家の娘である。

 将来的には嫁入りする、どこにでもいるような娘であった。


「お父様、この婚約、解消できませんか?」

「いよいよか……」

「えぇ、わたくしも一応ね、様子を見てはいたのですけれど。

 一向に、これっぽっちも改善されぬとなればいい加減見限ろうというもの」


「そうよそうよ、この婚約そのまま進めたってアザレアが幸せになれる未来はないわ!」


 なお合いの手を入れたのはアザレアの母である。


 アザレアの両親は貴族には珍しく恋愛結婚だった。

 家柄含めたその他諸々が上手いこといった稀有な例である。


 政略結婚からの愛情が芽生えて~なんてところもあるにはあるが、最初からお互いに恋をして……からの結婚は大体どちらかの家柄に問題が、などですんなりいく事が少ない。


 そんな両親なので、まぁ自分たちと同じような恋愛結婚が難しくても娘にも幸せな結婚をしてほしいと思っていたのだ。


 そこに名乗りをあげたのが、パヴァンス侯爵家である。

 なんでもそこの子息がアザレアに惚れて是非とも婚約を、との事だったのだが……


 パヴァンス侯爵家が子息、キースは恐らく精神に異常を抱えていた。

 もしかしたら正常かもしれないが、その場合はキースの性格がクソという一言に尽きてしまうので何がどうクソかというと、彼は素直に愛情表現をすればいいのに、アザレアの困った顔が見たいだとか、泣き顔が見たいだとか、その他にも嫉妬してほしいとか、そういった理由から彼女に対して冷たくあたるのである。


 好きだからこそ、色んな表情を見たい。


 という気持ちは理解できなくもないけれど、だからといって率先して相手が嫌がるような事をするのはいかがなものか。


 婚約が結ばれた最初の頃はそれでもまだ、二人は上手くやっていたのだ。

 けれども徐々に己の欲望を優先するようになったキースによって、アザレアの心の中にあったキースへの愛情はすっかり枯れ果ててしまったのである。当然の結果だった。


 最初はちょっとした意地悪程度だったから、まだアザレアもちょっと嫌な気持ちになってもまぁ許せた。男の子ってそういうものよ、という話を聞いていたのもあって、キース様はまだ心が成長しきっておりませんのね……とこっちがお姉さんぶっていたこともあったけれど。


 だからそういうのは止めてくださいね、と伝えてきたのに嫌だと言った事を嬉々としてやり始めたのである。

 虫を捕まえて目の前に持ってこられるのとか特に。


 それビックリするから本当にやめてと言ったのに、何度言ってもしつこくしぶとくやらかすのだ。

 いい加減我慢の限界になったアザレアがその手をパァン! と振り払った結果キースが持っていた虫がキースの顔面に直撃してからはどうにかやらなくなったけれど。

 そこまでしないとやらなくならない、というのは下手をすると犬の躾けよりも手間がかかるのである。


 ちなみにそういった嫌がらせでしかない数々はアザレアしか知らないわけでもなく、アザレアの両親も知っていたし、キースの両親も知っていた。


 知っていたからこそ、キースは両親に――特に母親――それはもう酷く叱られたのだ。

 夫人だって同じように顔面に突然でかい虫持ってこられたら悲鳴だけでは済まないとわかっているから、余計に。

 自分がやられて嫌な事をしている息子を放置などあってはならぬ事だった。


 好きだから意地悪しちゃう、の範囲がまだ可愛いものなら周囲だって見守るだけに留めたかもしれない。

 だがどう考えても可愛くないので。


 アザレアに対してこの婚約を結んだのは早計だったかな、とアザレアの両親は思っていたし、キースの両親もまた嫌になったらいつでも解消していいと言ったのである。


 そういう事をやっているとアザレアに嫌われてしまいますよ、という言葉が一応響いたのか、その後はあえて虫を持ってこられるとか微妙な贈り物をしてしょんぼりするこちらを見て笑うなどの微妙な嫌がらせに入りそうな事はなくなりつつあったものの。


 その頃にはそれなりに成長してきたのもあって、キースの嫌がらせ――最早愛情表現とは言い難い――は別方向に変化しただけであった。


 他家で開かれるパーティーなどに参加する際、エスコートをしない。しても会場につけばすぐにアザレアを置いてどこかへ行ってしまう。そういう事をして困ったアザレアを遠くから見てにやにやしていたキースの事を、周囲だって一応窘めたのである。


 キースにも友人はいた。これが同類なら貴方たちの影響を受けたのではなくて? と他人に責任を擦り付けられたかもしれないが、しかし友人たちはキースに対して「そんな事やるなよ」「何が楽しいんだそれ」「婚約が嫌なら親に訴えればいいし、それをケリュイス嬢にぶつけるのは違うだろ」ととてもマトモな事を言っている側だったので。


 本当にどうしようもないのはキースだけであった。


 彼女の色んな表情が見たくて……なんて言い訳も、友人たちは限度があるとバッサリ言っていたのに、キースには何一つ響かなかった様子。

 まぁ親の言う事もロクに聞かないのだから、友人の言葉を真摯に受け止めるとか無理だったのだろう、とアザレアも納得したので彼らを悪く思うつもりはない。むしろそんなのとよく友人やってますね、え? 家の都合で? まぁそれはそれはお可哀そうに。それはわたくしもですけれど。という気持ちである。


 正直、成長期における思春期や反抗期の一種である可能性もあったから、少しだけ様子を見る事にしていた。

 実際、若かりし頃に色々とアレな噂があった別の家のご子息が成人した後落ち着いて今では誰が見ても紳士の中の紳士と呼ばれている例もあったので。



 だがしかし、成人後まで様子見しようという気持ちはアザレアにはなかったのである。


 自分に対する小さな嫌がらせであれば、まだ内心イラつきながらもいずれ仕返しすればいいだけの話だと思っていたのだが、キースはアザレアの我慢の限界を超えてしまったので。


 アザレアに嫉妬してほしいから他の女の子と一緒にいるところを見せつける、というような事をしでかしたのだ。


 婚約してる時点でそれやると浮気なんだけどな……とアザレアは冷静に思っていたし、キースの両親も叱ったのに、しかしアザレアがキースと自分以外の女と一緒にいるのを嫌そうに見ていたのを、キースは嫉妬したと思い込んだようで、中々やめる気配がなかった。


 またキースは見た目だけなら極上なせいで、当て馬に選ばれた女性も婚約者がいるのにあえて自分を選んでくれた……と夢を見てしまったせいで。


 貴方がいなくなればわたしが彼の妻になれるのよ、と思い込んだ女性からの嫌がらせがアザレアに向かったのである。


 相手の家が子爵家や男爵家であったなら、婚約者を略奪しようなんてお宅の教育どうなっていらっしゃるの? と実家に手紙で抗議すれば簡単に済んだ。

 ついでにアザレアがキースに向かって、そちらの令嬢とご一緒になるのでしたら婚約破棄でよろしくてよ、と言えば、単なる当て馬でしかなかった令嬢は呆気なく捨てられた。


 可哀そうだな、と一瞬思わなくもなかったが、しかし自分に嫌がらせをしてきた令嬢であればそこまで同情もしない。

 そうして当て馬を捨てた後、キースは言うのだ。


「愛しているのは君だけだ」


 アザレアが鼻で嗤うのを咎める者が、果たしていただろうか。


 その一件だけで済めばよかったが、しかしある程度ほとぼりが冷めたらキースの中の悪い虫が働くのか、同じ事をまたやりだした。それを何度か繰り返した時点で、アザレアの中の愛なんてほとんどなかったどころかすっからかんになっている、とキースは果たして気付いているのだろうか?


 そうして次にやらかしたのは、アザレアの家よりも家格の高い家の令嬢である。

 そうなると、こちらが簡単に手を出すのも難しかった。


 次なる当て馬令嬢は、最初こそただの遊びと割り切っていたようだが、しかしアザレアを嫉妬させたいがためにキースが彼女に甘い言葉を囁き熱烈な思いを上っ面でも向けていく事で、気付けばすっかり恋に溺れてしまっていた。


 そうなると邪魔なのはアザレアである。


 家の権力ちらつかせて、アザレアとキースの婚約をなかった事にしようと画策し始めたのである。



 まぁいいですけど、とアザレアは思った。

 その結果が、冒頭である。


 ちょっと長く様子見しすぎた感は否めないが、婚約破棄をしてもいいとアザレアが言えばキースが縋りついてくるものだから、正直鬱陶しかったのである。愛しているだの君がいないと生きられないだの歯の浮くようなセリフのほとんどは多分言われたと思う。


 だがしかし、それを言う前の行動を己の胸に手を当てて思い出してみろ、というのがアザレアの隠す事のない本音だ。


 キース的には恐らくアザレアにこそ縋りつかれたいのかもしれないが、縋る程の価値を自身がぶち壊していると気付いてもいない。キースの両親は必死に矯正しようとしていたので、アザレアが嫌っているのはあくまでもキースだけである。

 キースの両親はアザレアの両親と違って貴族によくある政略結婚だったが、その後お互いに歩み寄って今ではお互い想い合っているのがよくわかるくらいに仲睦まじいので、親の恋愛事情を見て性格が歪んだとかでもないはずだ。


 けれど、恐らく。


 反抗期とか、あったんだろうなぁ……

 と、アザレアは思っている。

 もしかしたら自分のやり方が間違っている、とほんのちょっとでも思っていたかもしれない。

 けれども、それを真っ向から強く否定されて、それが同時に自分自身を全否定されたものだと思ったのだとしたら?


 ま、アザレアからすればもうどうでもいい事ですわ、となるのだが。


 キースがそこらの女性に手を出す軽率かつ軽薄な男であるというのは既にそこそこ知れ渡っている。

 実際はアザレア一筋なのかもしれなくても、周囲の認識はそうだ。

 アザレアに嫉妬してほしいがためにやらかしているなんて、それこそキースの口から協力してほしいと言われでもしない限りわからないだろう。


 だって、周囲から見たキースはアザレアを蔑ろにしているようにしか見えないのだから。


 婚約者としての礼儀として、季節の挨拶を兼ねた手紙のやりとりだとか、贈り物だとか、そういうのもキースがやらなくなってきたので、こちらもそれに倣ってやらなくなった。

 それをどうやら彼は拗ねていると思っているようだが、一体何をどうしたらそんな考えになるのか。


 同じだけの礼儀しか返していないという話でしかないのに。

 ちなみにアザレアの両親にも、キースの両親にも話を通してあるのでアザレアがお咎めを受ける事はなかった。

 どこまでも何を言っても聞く耳持たない不誠実なキースが悪い。


 キースの見た目が極上であるせいで、彼の本性を知らない哀れな令嬢たちがきゃあきゃあ言うから、もしかしたら自分は好かれて当然と思い込んでいるのかもしれない。

 内面を知れば誰も今のお前を愛さない、と伝えたところで、果たして通じるかは謎である。

 そもそもアザレアが伝えたところで、自分の事を試しているとかそういう風に捻じれた解釈に至るだろうから、アザレアは指摘してやる義理もないなと思っている。



 ともあれ、有責カウンターをコツコツと積み上げた事もあって、それでいていつでも婚約をなかった事にしていいからとキースの両親までもが認めていたせいで。


 キース本人がいない隙に、両家の親とアザレアとで集まって、さっさと婚約の解消をしてしまったのである。

 キース有責の破棄にすると噂があっという間に広まって、アザレアに執着し始めて面倒な事になりかねない、という両親たちの判断から、解消はそっと、恙なく行われたのだ。

 解消だけどキースの有責なので、慰謝料ももらってしまった。

 慰謝料とは別の名目だったが、状況を知る者が見ればどう足掻いても慰謝料でしかない。


 どうしてあんな素敵でマトモなご両親からアレが育ってしまったのかしら……と思いながらも、アザレアからすれば晴れやかな気分である。

 両親はキースがこの婚約解消にいつ気付くかわからないが、知ったら知ったで面倒な事になるだろうから、と急いで次の婚約を決めようとしている。

 アザレアもそれには賛成だった。

 だって解消して相手が決まっていなければ、あのキースの事だ。


 そうやって自分の気を引こうとしているんだね、なんて解釈をしてくるに違いない。

 あの人の頭の中身はどうなっているのかしら……と思うものの、正直理解したいとは思えないので知らないままでいいと思っている。



 その後、案外すんなりと次の婚約者が決まった。


 同じ家格である伯爵家の次男のスティーブ・ノーウェンだ。

 彼はキースとは正反対と言っていいくらい生真面目で堅物であったけれど。

 きちんと自分の思った事を伝えてくれるし、こちらの言い分にも耳を傾けてくれる。

 愛の言葉はまだ言えないし、好きという言葉も言うには若干の照れがあるようだけど、それでも好意を伝えようとしてくれているのはわかるので、アザレアもそれに応えたいと思っている。


 今までの弊害と言えるのは、キースが今の今までアザレアの嫌がる事ばかりしてきたせいで、自身もまた好意をどう伝えるべきなのかちょっとだけわからなかった事だろうか。

 それでも、小さな歩みであっても、アザレアはスティーブに自分の気持ちを伝える努力をしていたし、それはスティーブも同様だ。


 なんだか胸がくすぐったくて、気恥ずかしい気持ちもあったけれど。


 彼の顔を見ると知らず笑みが零れるのも、キースの時には無かったもので。


 気恥ずかしさから、

「貴女の前ではどうも格好がつかないな……」

 と困ったように笑うスティーブに、

「わたくしも、貴方の前だと淑女としての仮面が外れてしまいますの。困りましたね」

 同じように眉を下げた笑みを向ければ。


 数秒してから今度は楽しくてたまらない、とばかりに二人同時に笑うものだから。


 アザレアにとってキースとの関係を断ち切ったのは間違いではなかったのだと、そう素直に思えたのである。


 ところでスティーブは次男であるが、家の跡継ぎである。

 長男は公爵家のご令嬢が見初めてしまったので、そちらに婿入りをする事になっていた。


 仮に長男が家を継ぐ場合であっても、スティーブには子爵位が与えられるそうだったので、アザレアにとってはそこまで大きな変化はない。


 ともあれ、そういった経緯などを含めて友人たちに話せば、友人たちは素直に祝福してくれた。

 キースと比べると圧倒的にスティーブがマトモすぎたのである。彼はむしろ普通では……? と困惑していたが。


 同時に、キースの友人たちにもアザレアの新たな婚約が決まった事が知られてしまったが、しかしキースにはその話が流れていなかったようだ。

 まぁ、彼らも散々キースにそういうのやめといた方がいいぞ、と言っていたのに無視されてきたのだ。派閥の関係などで簡単に縁を切れないから一応友人関係を続けている……というだけで、婚約解消した事も、更には次の婚約者がアザレアに決まっている事も、面白いくらいキースの耳に入らなかった。


 キースの当て馬として利用されかけていた令嬢たちもまた、誰一人として話さなかったようだった。


 あの邪魔な婚約者が消えたのでこれで次は自分こそが! と思った者もいたはずだが、そういう相手は嬉々として邪魔者が消えましたね! なんてキースに言わなかったし、そうではないマトモな令嬢たちはむしろ自分からキースと関わろうとは思っていなかった。


 キースが手を出した侯爵家の令嬢がいるので、そもそも邪魔者が消えたからと言ってキースに近づいたところで、次はそのご令嬢に目をつけられて自分が危険になると思ったのかもしれない。


 侯爵令嬢もまた、アザレアとの婚約がなくなった事を知っていたが、それを口に出さなかった。


 彼女は知っていたのだ。途中から気付いたというのが正しいのかもしれない。

 キースの歪んだ愛情を。

 だから言えば、すぐさま自分の事などなかったかのように振り払って、アザレアの元へキースが戻って行ってしまうと理解していた。


 その上で、仲を深めていった。キースにとっては形だけのものでしかなかったけれど。



 誰も、キースに真実を教えなかった。


 そうして公爵家主催のパーティーで、アザレアはスティーブを伴って参加し、そこでキースと出会ったのだ。


 キースの隣には侯爵令嬢がいた。

「誰だそいつは」

 だというのに、そんな事を忘れてキースはアザレアを咎めた。

 自分という婚約者がありながら……と。


 だがしかし婚約などとっくのとうに解消されている。

 だからこそアザレアは堂々と答えた。


「誰って、わたくしの婚約者ですけれど」

「きみの婚約者は」

「とっくに婚約は解消されておりますが。パヴァンス侯爵様もお認めになられております」

「僕は認めていない」

「そう言われましても。婚約者だと思っていたのならせめて手紙の一つでもやりとりしていればすぐ気付けたでしょうし、贈り物だってしていない。それ以前にこの場に来るまでにエスコートもしていない。隣には婚約者だと思っている相手とは別の女性。

 それで認めないとか言われましても。むしろわたくしの婚約者を名乗る事を認めないと周囲だって言ってくれますわよ」


 アザレアの言う通りすぎて、キースが周囲にちらりと視線を走らせれば、そこには彼の友人たちもいた。

 そして彼らの表情は「あーあ、だから散々言ったのに」と言わんばかりで。

 次に、キースが今まで当て馬として利用してきた身分の低い令嬢たちに視線が向くも、

「いい気味ですわ」

 なんて。直接声に出してはいないが、しかし扇子で隠した唇は確かにそう動いていたのをキースは知らない。

 けれども周囲は自然と察していた。


「スティーブ様との婚約は、わたくしも勿論ですが両親だって認めていますし、パヴァンス侯爵夫妻も祝福してくれましたわ」


「そんな……!」



 顔を青ざめさせてよろけて一歩後ろへ下がったキースに、アザレアとしては何が「そんな」なんだろう、と疑問に思う。

 無事に婚約が決まった後ならキースに知られてももうどうしようもなくなると思っていたから、一応連絡だけはしておいたのだ。息子の不義理を謝罪され――これについては今まで散々されてきたからもういいと思っている――それから幸せになってねとばかりに祝福もされた。


「そんな、嘘だろ……?

 な、なぁ、性質の悪い冗談だっていうなら今ならまだ許してやるから……!」

「許すも何も。わたくしとスティーブ様との婚約は結ばれましたし、いずれ結婚するのもスティーブ様ですわ」

「謝るから、今までの事謝るから。なぁ、だから機嫌を直してくれよ。愛してるのは君だけなんだ……!」

「この期に及んでわたくしが機嫌を損ね拗ねている、と思っているのもどうかと思いますが。

 謝られたところで意味がありません。

 だってそれって、愛しているから浮気しても許せという意味でそれを受け入れたらまた蔑ろにして他の女性と不実な行為を楽しむのでしょう?

 でしたら、愛してくれなくて構いません。愛などなくても誠実に接してくれれば良かったのですが……そこに愛があるのなら、わたくしとパヴァンス様とはこの先も縁など繋がる事は有り得ませんわ」


 許してやるから、どころか許すかどうかはこちら側のセリフであるが、未だにキースは自分の状況を理解できていないという事がよくわかった。


「さようなら、パヴァンス様。今後は気安く名を呼んだり関わってこないで下さいませ。

 そちらの方とお幸せに」


「待ってくれアザレア!」


 隣にいた侯爵令嬢の事をすっかり忘れて立ち去るアザレアを掴み止めようとしたキースだったが、それはスティーブに阻まれた。

 カッとなってスティーブに殴りかかろうとしたキースだったが、それを止めたのはキースの友人たちだ。

「離せよ!」

「だからいい加減にしろって言っただろうが!」

 振り払おうとしても振りほどけず、どころか他の友人か、はたまた令嬢が呼びにいったのか公爵家の警備を担う者がやって来てあっという間にキースを取り押さえて。


 そうして会場から連れ出されてしまった。



 ――その後、アザレアの前にキースが現れる事はなかった。


 屋敷から連れ出された後、パヴァンス侯爵家に戻されたキース宛に公爵家で騒ぎを起こした事に苦情が来たのは元より、両親にも今まで以上に厳しく叱られて、そこでようやく冗談でもなんでもなく本当に婚約が解消されていた事を知ったのだ。

 そして、彼に渡される資産の中から今までの慰謝料がアザレアに渡されていた事も。


 それだけであったなら、謹慎期間としてほとぼりが冷めるまで屋敷にこもる、という方法が使えたかもしれないが、その後キースは当て馬として利用していた侯爵家の令嬢の元へ婿入りする事が決まった。


 令嬢はキースの性格を良く理解していた。

 理解していたけれど、それでも彼を選んだ。

 自らの夫として支えてほしいというよりは、種馬として彼を欲していたのだ。


 アザレアに捨てられた事を理解した後、彼はきっと間違いなく彼女に縋りつく。

 そう理解していながらも、それでも最早言い逃れる事ができないくらいに仲を深めていた。キースが自分と仲が深まれば深まるだけ、それを見たアザレアが嫉妬するものだと信じていたが故に自分にとっても好都合とそれを利用したのだ。


 結果としてキースは侯爵家に婿入りするしか道が残されていなかったのである。

 彼を望んだ令嬢に、キースの両親はしつこいくらい念を押すように確認した。

 彼の事はわかっている。自分に愛が無い事も。

 それでも、それを望んだのだ。


 確かに一時期、キースとの恋を夢見ていた乙女もいたけれど、侯爵令嬢と仲睦まじい様を見せ始める頃には当て馬に使われた令嬢たちの噂も広がってキースを望む者はほぼいなくなっていた。

 いくら見た目がよろしくとも、彼と結婚したところで幸せになれる未来はない。


 愛しているとアザレアに言うが、しかしその愛している者を蔑ろにしているようにしか見えないのだ。

 それが彼の愛情表現だというのなら、結ばれたところで……となるのは当然の事で。むしろその時点で彼と距離を縮めようなどと思う娘はいなかった。


 結婚してその後の人生も共に歩まなければならないのなら、それならせめて、多少なりともお互いに歩み寄れる者を選びたい。どうしても家のために結婚しないといけないのであれば、それならそれで自分に少しでも有利な条件を取り付けるだろうけれど、そこまでする結婚でないのなら。

 では、わざわざキースを選ぶ必要などなかったのだ。


 恋愛ごっこをするには丁度いい相手かもしれないが、生涯を共に歩む相手としては選びたくない。


 それが、多くの令嬢の考えだった。




 だからこそ、そんなキースをわざわざ引き取った侯爵令嬢は変わっているな……と密かに思われる事になっていたのだけれど。


 しかし令嬢はそんな周囲の目などまったく気にもしていなかった。


 結婚したという話は流れたけれど、しかし夫婦で参加するような社交の場でも夫を伴って出てくる事はなかった。大抵は、夫が体調を崩して……という理由で夫人だけが参加しているのである。



 侯爵令嬢――いや、侯爵夫人も実のところ、歪んだ愛情を持っていた。

 彼女は自分が愛した者を人目に触れさせるつもりはなかった。故に屋敷の奥深くに閉じ込めて、使用人ですら滅多に彼の姿を見る事ができないようにしてしまった。

 貴方は外に出たら、他の女性に目移りするでしょうから……なんて言って。


 キースの心にはアザレアがいるのをわかった上で。


 キースにとって侯爵夫人の事は好きでもなんでもない相手だ。ただ、アザレアに嫉妬してほしいがための道具でしかなかった。

 だからこそ夫人を拒んだが、彼女にとってそれは些細な事。


 キースの愛が歪んでいるように、彼女自身も愛が歪んでいる事を彼女は良く理解していた。


 だから、自分の愛のためにキースの意見など知った事ではないのだ。

 彼がどれほど拒んだところで、既に彼の居場所はここにしかない。


 友人たちからも見放され、かつて利用した令嬢たちからも恨まれ、平民として市井に逃げ込んだところで、彼がマトモに平民として生活などできるはずもない。

 それを理解した上で、彼女は彼のための檻を用意して、そうして見事閉じ込める事に成功したのだ。


 侯爵家の人間であった事など嘘のような、さながら奴隷のような扱い。


 けれどもそれこそが、侯爵夫人のキースへの愛。


 望まぬ愛の押し付けがどれだけ苦痛であるかを今更のように知ったキースであったけれど。



 その後彼の姿を見る者はほとんどいなかったのである。

 次回短編予告

 まぁどうしましょう、わたくしが優秀だったばっかりに、ろくでもない王子様との婚約が決まってしまったわ。このままでは王妃という名の労働奴隷もかくやという扱いになってしまうかも……!?

 なんて、そんな未来は回避ですわ回避。


 次回 最高高値で買い叩く

 売られた喧嘩は値切るような真似をしてはならないのです。えぇ、己の矜持のためにも。

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― 新着の感想 ―
このアホボン、親御さんが、もう少し早くに、婚約解消と領地への押し込めないしは除籍でも断行すべきではなかったかと思いました。
毛筋ほどの隙間もない完璧な割れ鍋に綴じ蓋。 やばい密着しすぎて蓋が取れない(汗
キース弟いたんだ?それならもっと早く跡取りチェンジしとけばよかったのにねー。
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