【5.犯罪者たち】
ヘルベルトは捕まえたジャン・ワートンを拘束しながら、リリエッタに言った。
「ワートン公爵夫人に絵ハガキ渡してきたよー。そしたら絵ハガキの景色が気になっちゃったみたいで、ワートン公爵夫人がさ、超特急で王都に行くって言い出したんだよね。それで来てみたら、なんかアーゼル殿の邸で火事があったんだって? もう皆でびっくりしたよ」
ヘルベルトが世間一般とはかなりズレた独特な言い回しをすることを知らないジャン・ワートンは、「絵ハガキ?」と首を傾げている。
とはいえ、ワートン公爵夫人が領地から飛んで帰って来たというのは、きっと今回の行方不明な慰謝料や帳簿の焼失に関係しているということは想像できた。
ヘルベルトの言った『もう首謀者は捕まる』という言葉はあながち方便ではないと、ジャン・ワートンはほっとした気分になった。
「ワートン公爵夫人はどちらに?」
とリリエッタが聞くと、ヘルベルトは
「火事を調べてる」
と答えた。
それから、ヘルベルトはポリポリと頭を掻いた。
「ワートン公爵夫人はとりあえず関係者に話を聞いて回ろうとしたんだけど、リリエッタへの慰謝料を持って行った使者はリリエッタの家の者に連れ去られちゃったっていうから、俺が慌ててこっちに来てみたってわけ。ワートン公爵夫人が関係者の話を聞きたがってるから、この使者殿もリリエッタもアーゼル殿の邸の方へご足労願えますかね?」
「もちろんお話しするわ。だって慰謝料はまだしも帳簿の棚が燃えるなんて、ねえ?」
とリリエッタは放っておいてはいけないことだと思い小さく頷いた。
ヘルベルトも頷き返す。
リリエッタとヘルベルトは、何人もの腕が立ちそうな従者を連れ、ジャン・ワートンを引っ立てながらアーゼルの邸へ向かった。
案内された大応接室は空気がピンと張りつめていた。
それもそのはず。アーゼルとエミリーがワートン公爵夫人の足元にひれ伏していた。
「何この場面」
思わずリリエッタが呟くと、ヘルベルトは苦笑した。
ワートン公爵夫人は目を吊り上げて怒っている。
「アーゼルには任せておけないわね! ルイスの方がよっぽどマシだわ。ルイスには領地経営の補佐をさせるんじゃなくて、アーゼルの補佐を頼んだ方がよかったようね。あなたはいったい王都で何をしているの。ワートン公爵家としての王都での仕事はちゃんと全うしているのかしら!」
すると、アーゼルは母の足元に縋りついた。
「そんな! 母上、仕方がないのです。火事はちょっとした不用心で起こり得るもの。今回も家来のほんの不始末です。ちょっと帳簿は燃えてしまいましたが、ちゃんと整理してお見せできる形まで復旧しますから!」
アーゼルはなんとか挽回のチャンスをもらおうと必死で訴えていた。
それをワートン公爵夫人が冷たい目で見下ろした。
「ちゃんと整理してって言うけど、あなたに任せた分の財産がどうなっているか、ちゃんと把握できているの?」
「それは今確認している最中ですが、別に帳簿が燃えただけで、財産には間違いはないかと……」
「間違いはないとどうして言い切れるの!」
「いや、家の者がちゃんとやっていたはずなので……」
「まったくアーゼルは! どれだけ能天気なの! 帳簿を燃やされたのに、それでもまだ家中の者を信じているというのだから! 帳簿を燃やすだなんて、誰かが悪事を隠蔽したいからだと普通はピンときますよ。財産は盗まれているとわたくしは思うけど、どうかしら?」
ワートン公爵夫人は鋭い声でアーゼルに詰め寄った。
「そんな!」
「まったく管理ができてなかったのね……情けない」
そう言いながらワートン公爵夫人はぶ厚い紙束をアーゼルに投げてよこした。
「アーゼルに管理を任せたうちの王都関連の財産の目録よ。直ちに無事か調べなさい」
「は、はい……!」
アーゼルはやることが明確化されてほっとしたが、同時に、『財産が盗まれている』『管理ができてなかった』などという不穏な言葉に、自分への処分がどのようなものになるか心配していた。
それを敏感に察したワートン公爵夫人は、
「管理は人にやらせっぱなしだったの? 自分で確認することはなかったわけ? 管理を怠ったというのならそれなりの処分は下しますよ」
とピシッと言う。
「はあ……あ、いや、信用できるものを雇っていたはずなので、任せて大丈夫なものとばかり……」
アーゼルが首を縮こませて小声で答えると、ワートン公爵夫人はふうーっと大きく息を吐いた。
「最近ちょっとした工場用地を探していたときに、あなたに管理を任せていた土地の一部がどうも売られて現金化されているようだ、というのを知ったのだけど。それはあなたの指示?」
ワートン公爵夫人は冷静な態度だったが、口調には明らかに呆れ返っている様子が滲み出ていた。
アーゼルはぎょっとする。
「え? 土地を売る指示は出したことがありませんが……。まさか!」
「じゃあ、その『まさか』でしょうねえ。まったく、勝手に土地が売られているなんてどんな体たらくかしら。それに土地を売ったお金はどこにいってしまったのでしょうね?」
「ああ、母上……」
アーゼルは真っ青になって震えている。
「その土地の売買のことを知ったとき、わたくしはこちらのヘルベルトに相談したんです。ヘルベルトは王都に蔓延る地下犯罪組織のことに詳しかったから」
ワートン公爵夫人がそう言うので、リリエッタは驚いた。
ワートン公爵夫人とヘルベルトは以前から付き合いがあったのか! ワートン公爵夫人はヘルベルトに犯罪被害の可能性の相談をしていたという。なるほど、だから私の慰謝料が消えたという話を聞いたとき、すぐにヘルベルトはワートン公爵夫人に連絡を取ろうとしたのだ。
同じ犯人による犯行だと思ったから――。
確かに、ヘルベルトは王都の地下犯罪組織について他の人よりは知識があった。
以前国王が購入した装飾品が店から王宮に運ばれる途中で盗まれたという事件が起こったときに、ヘルベルトは国王から調査し取り戻すように頼まれたことがあったからだった。
その事件には王都の地下犯罪組織が関与していたのだ。
しかし、そういった犯罪に疎いアーゼルは、「地下犯罪組織!?」と言ったっきり絶句した。
「ここの執事が犯罪組織と繋がっていると調べがついていますよ」
とワートン公爵夫人が低い声でゆっくりと言った。
「な……! 母上……!」
「ちょうど土地売買の件を調べてもらっていたところで、リリエッタ嬢の慰謝料のゴタゴタを聞いたものだから、これはよっぽどまずいことになっていると確信してすぐに来たのです。婚約破棄ですら領地で聞いて何をやっているのと情けなく思っていたのに、慰謝料も犯罪組織にだまし取られ……。もう悲しいですよ、わたくしは」
「母上……」
アーゼルは母に叱られ肩身狭そうに小さくなった。
ワートン公爵夫人の方は申し訳なさそうにリリエッタの方を向いた。
「リリエッタ嬢、本当に申し訳ないわ。慰謝料はわたくしが立て替えてもよろしい?」
リリエッタは恐縮して答えた。
「ワートン公爵夫人、私はそんな慰謝料には固執していたわけではないのです。ただ石ころで済ませばいいと慰謝料をまともに払う気がない姿勢の方が嫌だっただけで……。まあでも、アーゼル様は払えと命じたと言っていたので、払う気があったのはよかったです。逆に、払う気があって払われていないのは、アーゼルの邸でよくないことが起こっているのではないかと思いましたが……」
「ええ。慰謝料のこと、わたくしに知らせてくれてありがとう。おかげですぐに動けたわ」
「あ、それはヘルベルトのおかげなのですが……」
すると、リリエッタの従者と一緒にしばらく席を外していたヘルベルトが、数人の男を引き連れて戻って来た。
「ワートン公爵夫人。一先ず執事と出納係を捕まえてきました。逃げようとしていましたよ、まったく」
それから、ヘルベルトはリリエッタの家で捕まえた使者ジャン・ワートンをずいっと押し出した。
ワートン公爵夫人は、身内のくせに家を裏切ったジャン・ワートンをじっと見つめた。
慰謝料が消えた件について、どのときの状況がどのようなものだったのか、ジャン・ワートンからしっかり話を聞こうと思っていた。
しかし、その前にリリエッタが申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません、ジャン・ワートンさんを拘束していることなんですけど。以前慰謝料がアーゼル様から送られてきたとき、こちらのジャン・ワートンさんも使者として木箱を開けるのに同席していたんですね。それで私と一緒に木箱には石ころしか入ってなかったのを見ているんですけど……。でも、ジャン・ワートンさんは、アーゼル様には木箱にはお金がちゃんと入っていたと嘘をついたので、どういうことかと思って捕まえたんです。そうしたら、脅されていると白状しましたので、こうして拘束を……」
それを聞くとワートン公爵夫人は眉を顰めた。
「まあ。脅すことまでやるの、こいつらは……」
「ジャン・ワートンさん。あなたを脅したのはこちらの執事さんですか?」
リリエッタは聞いた。
「あ……」
気弱なジャン・ワートンはかなり怯えた様子でちらりと執事を見た。
犯人が誰か言ってはいけないとジャン・ワートンは強く思っていたが、目は口ほどにものを言う。ジャン・ワートンの怯えた目は執事が犯人だと語っているようなものだった。
その視線の意味に気づいたリリエッタは、
「ああ、この執事なのね。分かりました。では、あとはこの出納係たちが仲間かどうかですね。それは一人一人取り調べさせていただきましょう。そうしたら執事の手口や犯罪の証拠も出てくるかもしれませんね」
と言った。
執事は逃げ遅れたことを悔やみ、悔しそうに唇を噛んでいた。
ヘルベルトはうまいこと隠れながら捜査していたのだろう、アーゼルの執事には気付かれていなかったとみえる。
執事は、まさか捕まるようなへまを犯すなんてと心の中で嘆いていた。
ワートン公爵夫人は領地から連れてきた従者たちに大きく頷いて見せた。
執事や出納係の身柄を拘束し、取り調べが全て終わるまで厳重に管理せよとの意味だった。
ワートン公爵夫人の信頼の厚い従者たちは、その指示をよく理解し、執事や出納係たちを連れて部屋から出て行った。
アーゼルは真っ青な顔をしていた。自分の至らなさがよくよく分かったようだ。
横では、エミリーが存在感を極力消そうと努めている。
ワートン公爵夫人は息子の情けなさにため息をつきながら、
「アーゼル。あなたは怠慢だったわね。あなたには家は任せられない。分かったわね」
と言った。
「はい……」
「それからエミリー嬢。こんな体たらくの息子にしっかりしていない嫁はいりません。結婚は認めませんから。お家へお帰りなさい」
ワートン公爵夫人の言葉に、エミリーはぱあっと顔を明るくした。
「あ、ああ、そうですよね!」
アーゼルが家を継げないと分かり、エミリーは手のひらを返したようにアーゼルを斬り捨てることにしたらしい。
そんな浅ましい様子のエミリーを見て、ワートン公爵夫人はうんざりした顔になった。
「ですけどね、エミリー嬢。リリエッタとの婚約中にあなたがアーゼルと付き合っていたという噂もわたくしのところまで届いていますよ。ですから、リリエッタ嬢はあなたからも慰謝料を取れると思うわ。しっかり払っていただくようにお願いしますね」
「えええ~!? なんで私が慰謝料なんて払うんですか? 屈辱です! 私、女なんですけど!」
あまり事の重大さが分かっていないエミリーが唇を尖らせた。
地味女からイケメン公爵令息を奪ってやったとほくそ笑んでいたというのに、なんで逆に私が地味女にお金を払うことになるわけ? 悔しい!
せっかく捕まえたと思ったイケメン公爵令息も家を継げないというんじゃお役御免よ、婚活やり直しだし、ホント最悪!
ワートン公爵夫人はもうまともにエミリーと話す気は失せていた。眉を顰め顔を背けると、
「浮気が原因の婚約破棄は女性側も慰謝料を払って当然です。払わないというのであれば、わたくしからも然るべきところに訴えます」
と冷たく言い放った。
それから不快な者と距離を置きたいというように、しっしっとエミリーを部屋から追い出したのだった。





