【4.嘘をついた使者】
その日の夕刻、ジャン・ワートンは仕事で出先から帰ってきたときを狙われ、リリエッタの手の者によってリリエッタの邸に連れてこられていた。
「ジャン・ワートンさん。今日はどうして呼んだかお判りでしょう」
「え、ええ、まあ……」
ジャン・ワートンは青い顔に汗を浮かべて、項垂れながら突っ立っている。
ワートン公爵家の傍流ということでそれなりの恰好はしていたが、ワートン公爵家に仕える身として人間的な自信のなさがうっすらと漂っていた。
「なぜあの木箱にお金が入っていたなどと嘘をついたの?」
とリリエッタが聞くと、ジャン・ワートンは蚊の鳴くような声で答えた。
「そう言えと言われたからです」
「やっぱりね。でも、それをこんな素直に私に言うというのは……」
「ええ。私は奴らの仲間じゃないのでね。でも奴らは私の妻をいつでも殺められると言っているんです、これ以上は私も口を割るわけにはいきません……」
ジャン・ワートンは情けない顔をしながらもそこだけはきっぱりと言った。
リリエッタはぎょっとした。
「あなたの奥さんを殺める? そんなことまで犯人は言っているの?」
「はい……。まあ顔見知り同士ですから不憫に思って実際は命までは取らないかもしれませんが、しかし何か大きな危害を加えられるのは確かだと思うので……彼の性格上……」
「ちょっとちょっとちょっと! 顔見知りって言った? あなたや奥さんの同僚ってこと?」
リリエッタが思わず割って入ると、ジャン・ワートンは「しまった」といった顔をした。
「あ、何も答えられません! あなたも私の妻が不憫と思うなら深くは聞かないでください、お願いします! 妻は何も知らないんです! 何も関係ないんです!」
「奥様は何も知らずにアーゼル様のお城で働いているのね。あなたが脅されているということも知らず……。奥様が人質のようになっているというのなら、奥様に正直に言って一緒に逃げればよかったのに」
「言えませんし逃げられません! 妻は今の環境に満足しているのでね。私の話だって信じたとしても大事には思わないかもしれません。それどころか、逆に私が正義漢ぶっていると詰るかもしれません。逃げても他所の土地で暮らしのアテなどあるわけじゃありませんからね。正義を求めて貧しく怯えた逃亡生活を送るより、多少の罪悪感には目を瞑っても、安定しそこそこ裕福な暮らしをする方を望むでしょう。そんな女です。それでも彼女は私にとっては妻なのでね……」
小物な男にとっては安定した生活を守ることがまず重要で、正義を貫くことは選択肢に上ったとしても二の次のようだった。
「あなたは仮にもワートン公爵家に連なる者じゃない! 再従兄弟でしょ? 身内より犯人に味方するの!?」
とリリエッタは詰ったが、ジャン・ワートンはのろのろと首を横に振った。
「あのアーゼル様には俺なんてただの使い捨ての従者の一人としか見えてませんよ。一族皆で力を合わせて家を守っていくという姿勢はあの人には皆無だから。そんなアーゼル様のために危険を冒してまで何かする気にはなれませんね」
ああアーゼルはそういう人だな、とリリエッタは思った。
「じゃあ、あなたはお金を盗んだ犯人が誰かとか誰に脅されているかとか、絶対に言わないの?」
「言えません、すみません。……あなたはたぶん私に拷問などしないでしょう? 妻を脅かすとは言わないでしょう? 私のような吹いて飛ぶような立場の人間に理解を示してくださるでしょう?」
ジャン・ワートンはいかにもというように身を縮こませて、懇願するようにリリエッタをちらっと見た。
リリエッタは少し黙ってから、やがて小さくため息をついた。
「……。あなたにそれだけのことを言わせるなんて、その犯人ってのはよっぽど凶暴で無法者なのね。ただの雇われ人ってわけじゃなさそうだわ。なんだか裏社会と繋がっていそう……」
「……」
「そうね、あなたの言う通り、ムカつく男の慰謝料くらいであなたを拷問する気にはならないわ。それに、別にワートン公爵家の財産なんて裏で盗まれてようが知ったこっちゃないし。でも、あなたを帰すわけにもいかないわね。消えた慰謝料の件じゃ重要参考人なんだし」
「!」
ジャン・ワートンは嫌そうな顔でリリエッタを見た。
しかしリリエッタは首を小さく横に振った。
「あなたの身柄は念のためうちで預かる。拷問とかをするつもりはないけど、証言になりそうなものは欲しいもの。話は根気よく聞かせてもらうわ」
「そんな! 私の姿が見えなきゃ奴らに裏切ったと思われる! そうしたら妻に危害が!」
ジャン・ワートンは悲痛な声で叫んだ。
そして、ジャン・ワートンはいきなり蝋燭が10本くらいささった大きな燭台を引っ掴み、リリエッタに振り下ろそうとした。火のついた蝋燭が熱い飛沫をまき散らしながら勢いよく飛んできた。
「きゃっ!」
リリエッタが叫ぶと、少し離れたところにいたリリエッタの侍従が驚き、ジャン・ワートンを取り押さえようと大慌てで駆け寄ってきた。
ジャン・ワートンの方は、椅子を蹴ったりテーブルを引き倒したり、侍従たちを邪魔してなんとか外へ逃げようとする。
そこへ、なんというタイミングだろう! ヘルベルトが来た。
ヘルベルトは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに冷静に戻り、逞しい体躯で迷いなく真っすぐにジャン・ワートンに歩み寄る。投げつけられた物や振り下ろされた拳を難なく体で受け止めながら、ヘルベルトはジャン・ワートンを取り押さえるべく彼の手首をガシっとつかんだ。
「静かに。もう首謀者は捕まるからおまえも心配はいらない」
ヘルベルトは落ち着いた声でジャン・ワートンを諭した。
「ヘルベルト!」
心配で声をあげたリリエッタに、ヘルベルトはにっこり笑顔を向けた。
「大丈夫だった? 遅くなってごめん」





