【13.縁談の拒否と断罪 前編】
それからしばらくした頃、ダニエル・サルヴァン男爵は邸の居間で「はあー……」と大きなため息をついた。
ダニエル・サルヴァン男爵は黒髪短髪に眼鏡、長身細身の機敏な印象を与える男だ。それなりのものを身に着けているとはいえ、身なりは地味で機能的なものを選んでいた。
ため息の原因は、婚姻のためにこの地にやってきたエミリー・スピンク男爵令嬢である。
エミリーが後妻に来てくれるという話は纏まっていたものの何かと理由をつけて延期されていたのだが、ようやくエミリーが嫁ぎに来てくれるということになったのだった。
ダニエルは、誠意を込めて来るべき婚礼に向けての準備をしていた。
北の端の海沿いの領地だ。山を削ったような入江は入り組んでいて、大規模な農地は作れないため人々は細々と農耕をしていた。しかも北の海からの風はときに冷たく吹き付ける。裕福な土地ではないので、土地柄素朴で辛抱強い人が多かった。
ダニエル自身も贅沢は好まない性格だった。しかし、このたびは王都から金持ちの男爵令嬢を妻に娶るというので、精一杯のもてなしをしてあげたいと思っていた。それで準備は念入りに進めていたのである。
しかし、いざエミリーがここサルヴァン領に到着してみると、田舎っぷりに露骨に顔を顰め、
「こんなところでは暮らせないわっ!」
と一言、ダニエルとの挨拶も拒否して用意された客室に引っ込んでしまったのだった。
ダニエルは、エミリーのあまりの態度に呆気に取られてしまった。
「スピンク男爵といえば商売上手のお金持ち。王都に構えた大邸宅はそうとう煌びやかだと聞く。そりゃあ、エミリー嬢は急にこんな地に嫁いでこればだいぶ戸惑うだろう。できるだけ居心地よくしてやりたいと思っていたのだが、そんなにもてなしがダメだったのだろうか……」
すると、柔らかい印象を与えるサルヴァン家の老執事が、穏やかな口調で言った。
「ダニエル様、きっと大丈夫です。そりゃ王都とはだいぶ違うでしょうが、この地にも住む人間はいるわけで、生きる分にはなんとかなります。すぐに慣れてくれるとよいですね」
ダニエルは老執事の慰めに少し顔を緩めたが、
「ああ。しかし、あのような態度を取られると心配になるな。まあそもそも変だと言えば変だったのだ。なぜスピンク男爵家の娘がこんな田舎の地味な男爵家へ嫁いでくれることになったのか。スピンク男爵家ならうち以外にもいくらでも選択肢はあっただろうに……。もちろんこちらとしては王都に繋がりもできるし、経済的な後ろ盾を得ることもできてありがたいばかりだが」
と不安そうに言った。
「まあまあ。それは今マイケル様が王都で調べてくださっているでしょう」
老執事がゆっくりとした口調で、そうダニエルを宥めたとき。
ちょうど王都でエミリーについて情報を集めていたダニエルの弟マイケルが、大急ぎで邸に帰って来た。
「すみません、兄上。遅くなりました。もうエミリー・スピンク男爵令嬢はこちらに着いているとか」
「ああ。おかえり! ちょうどおまえの話をしていたところだ。疲れたろう。エミリー嬢はちょっと気分がすぐれないようで、すぐに客間の方に入り休んでいる。まずはおまえの話を聞こう」
兄の言葉を聞くと、マイケルは「やはり」といったような微妙な顔をした。
「もしかして、エミリー嬢は兄上やサルヴァン男爵家に不満があるのではないですか? 王都でいろいろ話を聞いてきました。エミリー嬢ですが、なかなか厄介なご令嬢みたいです。やはり、今を時めくスピンク男爵家からうちなんかに嫁いでくるんだから、それなりに理由がありました」
「どういうことだ、マイケル?」
ダニエルはハッとして聞いた。
「エミリー嬢は、アーゼル・ワートン公爵令息とリリエッタ・マクファー伯爵令嬢の婚約を破棄させています。エミリー嬢がアーゼル殿と恋仲になったせいです」
「は? 婚約者がいる男性と恋仲に……?」
ダニエルは目を見開いた。
マイケルは頷いた。
「まあ、婚約破棄させた問題については、スピンク男爵がマクファー伯爵家に慰謝料を払って話は済んでいるようですけどね」
「話が済んでいるならまあいいのか……? だが、なるほど。そういった経緯でスピンク男爵もエミリー嬢のことは名家には堂々と娘を嫁がせられなかったのか……。それでうちに……」
ダニエルが戸惑いながらそう言うと、マイケルは小さく首を横に振った。
「それだけじゃないですね」
「それだけじゃない?」
ダニエルは驚いて聞き返す。
「ええ、兄上。そのアーゼル殿ですが、家中の者が王都の地下犯罪組織と繋がっていたようで、財産を盗まれたそうです。そして廃嫡。息子の不甲斐なさに怒ったワートン公爵夫人がエミリー嬢との結婚を認めないと宣言し、不名誉な話とは縁を切りたかったスピンク男爵家もそれを喜んで受け入れたとのこと」
マイケルが呆れたように説明すると、ダニエルは手を挙げて制した。
「え……? ちょっとちょっと、待ってくれ。情報が多すぎてついて行けない! エミリー嬢はそのアーゼル殿の財産の盗難事件に関わっているのか?」
「一応関わってないです」
「そうか」
ダニエルは少しほっとした顔をした。
「では、別れた理由はアーゼル殿が廃嫡されたから? ワートン公爵夫人が認めなかったから?」
「まあそんな感じですね」
「そうか……。ということは、話をまとめると。エミリー嬢は婚約者のいる男を略奪した女ってことでいいのかな? 人の婚約者を奪うというのはいただけないが……。ただまあ、解決しているというなら許容範囲だろうか……? うーん」
「ええ、兄上。王都の金持ち男爵令嬢がうちのようなド田舎の男爵家に来てくれるというのは、けっきょくそういうことだったようで」
「ショックだったが、ありがとうマイケル。まあしかし、結婚の話になって本人もここに到着しているし、略奪経験のある女と言う程度では、今更うちから断るわけにもいかないな……」
「兄上。そのことですが、スピンク男爵家と繋がれるというのはいざというとき頼りになります。そう思って、この結婚を前向きに考えましょう」
「そうだな」
そうやって兄弟がエミリーを受け入れる覚悟について話していたとき。
そこへマリアという女が訪ねて来た。
先程の老執事がマリアをダニエルとマイケルの前に通す。
ダニエルは突然の訪問者に驚いた。老執事とマリアを見比べながら、
「どちら様かな?」
と聞いた。
「私はリリエッタ・マクファー伯爵令嬢のおそばで長く働き、リリエッタ様に忠誠を誓っている者です」
とマリアは自己紹介した。
スピンク男爵の再従妹クレア・トロード準男爵未亡人の邸で女中頭として働いていた女である。
「リリエッタ様……。ああ、エミリー嬢のせいで婚約破棄されたという?」
とダニエルが確認すると、マリアは大きく頷いた。
「そうです。私はリリエッタ様をあんなに悲しませておきながら、慰謝料ぽっきりで反省していないエミリー嬢が許せず、彼女の素行を調べていました。あんまりひどいのでリリエッタ様にも報告し、スピンク男爵家へ圧力をかけるつもりおりますが、この話はあなたお耳にも入れるべきかと」
そう言ってマリアはクレア・トロード準男爵未亡人の家で起こったことや、エミリーが修道院でしでかしたことを淡々と説明した。
ダニエルは茫然とした。
あまりの内容にマリアの作り話ではないかと思ったくらいだ。
「それは本当か? 超高額な馬車など、うちでやられては困るし、何より庶民の男性にちょっかいを出すなど……」
「そうでしょう?」
マリアの口調からも憤慨しているのが感じ取れる。
「婚約は断固として破棄させてもらわなければ!」
ダニエルがマイケルの顔を見ながらきっぱりと言うと、マイケルも大きく頷く。
「ええ! それが賢明かと」
するとそこへ、とぼけたような可愛らしい声が響いた。
「あら、嬉しい! 婚約破棄してくださるの?」
エミリーだった。客間から下りて来たらしい。にっこにこだ。
そして、エミリーはマリアの顔を見て眉を顰めた。
「あら、あなた……」





