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男物の服に着替えを済ませ、仮面を外した。引き出しから取り出した眼帯を左目に巻く。栗色の髪を頭のてっぺんで結い上げて帽子を深々とかぶれば、下働きの少年の出来上がりだ。
こっそりと家から抜け出し、下町の酒場へと急いで向かった。
「おばさん、遅くなってごめん」
店に入るなりナディアは精一杯声を低く作り、酒場の奥さんに声をかけた。
「あぁ、待ってたよ、これ1番に運んでおくれ」
酒場はすでに人でにぎわっていた。厨房では、店主が腕を振るっている。カウンターから差し出された料理を言われたテーブルに運び、空いた皿を回収しながら戻れば次の料理がカウンターに置かれていた。
「おい、にいちゃん、こっちに酒持ってきてくれ」
「はい!ただいま!」
ナディアは夜ここでアルバイトをしている。もちろん誰にも内緒だ。家族にさえも知らせていない。伯爵令嬢が夜に酒場でアルバイトなど、前代未聞。絶対誰にも知られてはいけないことだったが、ナディアは自信があった。普段仮面で顔を隠しているため、ナディアの顔を知る人は家族以外居ないのだ。だからバレるはずがないと確信があった。
ここで少しでも小遣いを稼ぎ、その半分はもしもの時の蓄えに。そしてもう半分は、かわいい弟と妹のために食べ物などを買うお金に使っていた。町の人に貰ったと嘘をついて食べさせていた。
「おばさん、今日は忙しいね」
「ホント、今日はたんと稼がないとねぇ」
次々に入る注文を捌き配膳や片付けをこなしていき、日付が変わる頃事件は起きた。
「んだとぉ!?」
「やんのかこらあ?」
テーブル席の二人組が口喧嘩を始めたのだ。ナディアは様子を見ていたが、いよいよ取っ組み合いになりかけ仕方なく間にはいった。
「お兄さんたち、喧嘩は外でお願いしますよ~」
極力逆撫でしないようになだめようと近づくナディアを一人が腕で思い切り振り払った。か細い少女など男の手で簡単に吹き飛んでしまう。尻もちをついたナディアに、近くにいた客が「大丈夫ですか」と手を差し伸べてくれた。その手を取ろうとしたナディアは、床に落ちている眼帯に気づきギョッとした。慌てて手で左目を押さえ、眼帯を拾ってそのまま酒場の裏に逃げ込んだ。
「大丈夫、見られてない。いえ、見られても私だなんて誰も気づかないわ。大丈夫。」
ナディアは自分に言い聞かせるようにして、眼帯を巻きなおし中に戻る。するとさっきの二人組は奥さんに追い出されたみたいで平穏を取り戻していた。ナディアは、さっき手を差し伸べてくれた親切な人を探したけれど顔を見たわけではなかったので見つけられなかった。
「明日も頼んだよ」
「おやすみなさい」
今日のお給金を手に握りしめ、ナディアは足早に家へと急ぐ。体はもうくたくただ。早く帰って体を休めなくては。朝にはパンを焼かなくてはならない。屋敷へと続く坂道を登りきったところで馬車が屋敷の前に停まっているのに気づいた。こんな時間に一体なんだろうか。
ナディアは不審に思い、裏庭へと回ろうと一つ手前の角を曲がった。
「リシャール伯爵家のご令嬢ですね」
曲がった先、屋敷の塀にもたれかかる人影がナディアに話しかけた。冷たいけれど、艶のある声が闇夜にまぎれて消えていく。