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「目玉焼き……食べたかったな……」
町の中を歩きながらぽつりとつぶやけば、お腹が鳴った。孤児院で食べた薄っぺらい食パン1枚では、到底満腹にはなれない。
「ナディアおはよう」
「今日はどこ行くの?」
「帰りにちょっと寄ってくれないかい?」
すれ違う人々が、ナディアを見かければ気軽に声をかけてくれるこの町がナディアは大好きだった。それもこれも、父のリシャール伯爵の所業によるものでもあった。己の身を削り領地の人々の暮らしを守ってきた父をナディアは心から尊敬している。どんなに貧しくとも、お腹が減ろうとも、心はいつも満たされていた。
「マグリットさん、遅くなって申し訳ありません!今から修理しますね」
「ナディア来てくれたのかい」
牛舎から顔をのぞかせた高齢の女性は、曲がった腰に手を当てながらナディアの居るほうへと歩いてきた。
「女のあんたにこんな仕事頼んで悪いねぇ」
「いえいえ、柵の修理くらい朝飯前です」
「頼もしいねぇ」
ナディアは少しでも父と母の助けになりたい、と領地の人々からの「頼み事」を請け負うようになった。それは、子どもの子守りから、薬草取り、牛小屋の掃除、果樹園の草取りまで実に様々だった。小間使いのような頼み事でも、ナディアは頼られていることが何より嬉しかった。必要とされていると感じることで、自分はここに居てもいいんだと思えた。
泥だらけになりながら、放牧地の柵の修理を終えてマグリットに報告すると、「ちょっと家におあがんなさい」とナディアを招き入れ、あたたかいスープとパンをごちそうしてくれたのだった。
「マグリットさん、そんな、」
「いいから黙ってお食べ。あんたが腹ペコなのはお見通しなのよ」
「うぅ……」
そう言われてしまえばぐうの音も出ない。「いただきます」と言ってありがたくごちそうを頂いた。
「これじゃぁ、どっちがお世話されてるのかわかりませんね……」
「お互い様ってもんだよ。領主さまの娘がこんなマッチ棒みたいにやせっぽちじゃぁ、立つ瀬がないじゃないか。これじゃぁ貰い手が見つかるもんも見つからないねぇ」
「私は、お嫁になんて行きません」
「おやおや、困った伯爵令嬢だねぇまったく」
美味しいパンとあたたかいスープはナディアのお腹と心をこれでもかというほど優しく満たしてくれた。幸せな気持ちでいっぱいになる。ここの人たちは、ナディアの痣のことなどまったく気にしていないのだ。言うなれば、ナディア自身も気に病んでいるわけでは無かった。ならば、なぜ仮面を着けているのかというと、この痣を見た人が不快な気持ちになることを避けたくて仮面を着けているだけだった。
「マグリットさん、ごちそうさまでした。またいつでも呼んでくださいね」
「ありがとうね、ナディア。あんたもそろそろ、貰い手を見つけるんだよ。せっかくの器量よしがもったいないよ」
「もう、マグリットさんたら」
結婚する気など毛頭ないことまでお見通しなのか、マグリットはナディアに会うたびに早く嫁に行けと言っていた。ナディアも慣れっこで右から左に流しているが、たまに考えてしまう。結婚しないということは、両親とあの家でずっと暮らすということ。独り身の女、しかも伯爵令嬢が働ける場所などあるわけもない。ずっと両親のもとで穀つぶしになってしまうという一抹の不安。両親亡き後は?弟のレオンが後を継いで、レオンの世話になるのだろうか?いっそのこと修道女になればいいのだろうか?などと先のことを考えるといつも憂鬱になってしまう。
「考えたって仕方ないことよね」
ナディアは、悶々とした気持ちを晴らすように急ぎ足で孤児院へと向かった。人手の足りていない孤児院では、洗濯から掃除、裁縫、庭や畑の手入れまで一通り手伝った後、日が暮れ始める頃に家路につく。帰った後も洗濯ものを取り込み、たたみ、仕舞い、夕飯の支度を手伝い、弟たちの寝かしつけをしてようやくナディアはベッドに腰掛けることができるのだった。
「ふぅ、今日もよく働いた」
だが、ナディアの一日はまだ終わらない。