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Astrolibra (アストロリブラ)  作者: 夢想の月
1.小さな少年の物語
7/26

6.届けたい味

長いです。創作はそういうものです。

焼けた小麦の匂いが、ほんのりと工房に満ちている。

パン屋の空き時間を借りて、リトはひとり試作を始めていた。


手元にあるのは、製菓店と公爵家でもらった報酬で買ってきたばかりの精製前の茶色い砂糖。

白く輝くそれとは違って、しっとりと濃い茶色。

ざらざらと粒の大きいその砂糖からは、どこか焦げた蜜のような甘い香りが漂っていた。


「さぁて……やってやるぞ……!」


両手でしっかりとボウルを押さえながら、

リトは粉とバター、卵を混ぜ込んでいく。


「……混ぜすぎたかな……?」

「うーん、ちょっと焦げたかも……」


最初のドーナツは、火加減が強すぎて真っ黒になった。

二度目のドーナツは、油の温度が足りずにべちゃべちゃに。

三度目のドーナツは、成形の段階で破れて油の中で分解された。


(あれ……僕、こんなに料理できなかったっけ……)


不安と焦りが、指先にじわりと滲む。

茶色い砂糖の袋は、だんだんと軽くなっていく。


ふと、リトの手が止まった。


(なんか……違うな……これじゃない……)


——その時だった。

脳裏に、ふわっと蘇るようにあの記憶がよぎった。




ーーーーーーーーーー




それは、まだリトがとても小さかった頃。


母親が、お祝いごとのたびに作ってくれた、ちょっと焦げてて、いびつな形のドーナツ。


外は硬くて、もそもそして、口に入れると飲み込みづらいくらいだったけど……


「ん〜、おいしい?」


「うんっ!すっごく、おいしい!!」


母の手は荒れていて、いつも忙しそうにしていたのに、その日だけは、ゆっくり笑ってくれていた。


「よかったぁ。リトが喜ぶなら、また作っちゃおうかな」


(それだけで、嬉しかった……)




ーーーーーーーーーー




「……そっか。僕、忘れてたんだ……」


ドーナツって、誰かの笑顔のために作るものだった。

味や見た目じゃなくて、気持ちと、優しさが包まれてるから嬉しかったんだ。


リトは深く息を吸い込むと、ふるいにかけた粉に、もう一度丁寧に手を入れていく。


茶色い砂糖は、指で軽くつぶすと、かりっ、という小さな音とともに、少しだけ香ばしい香りが広がった。


卵は常温に戻して、バターも焦がさないようにじっくり溶かして、手のひらで、生地を包み込むように練る。


油の温度を何度も確かめて、成形も、小さなリングに優しく整える。


静かな時間だった。


けれど、リトの目は真剣で、動きはどこか嬉しそうだった。


「……よし、いっておいで」


くるくる、と小さなドーナツが油の中を回る。

ふわりと膨らんで、表面に優しい焼き色がついていく。


網に上げて、粗熱が取れるのを待つ。

砂糖をまぶして、そっとかじる。


「……あ……」


外はふわっと、でもちょっと歯ごたえもあって、中はしっとり、素朴な甘さ。

子どものころ食べた、あのドーナツとは違うけれど、「あの気持ち」がちゃんと入っている気がした。


「これだ……!これが、僕のドーナツだ!」




ーーーーーーーーーー




リトは、そっと棚の奥から瓶に入った白砂糖と、ジャム瓶に詰めた花蜜を取り出した。


「白い砂糖って……なんか、緊張するな……」


掌にこぼれ落ちるそれは、まるで雪みたいに真っ白で、試作で使ってきた茶色い砂糖とはまるで違う。


そして、花蜜。


「……甘い。だけど、なんていうか、ちょっとだけ……懐かしい味」


舌に載せた瞬間、心の奥で柔らかい何かが灯るようだった。


この二つを、さっき作ったドーナツの記憶の味に足すとしたら——

きっと、それは「誰かのために贈る」ドーナツの味になる。


ーーーーー


リトは、静かに計量を始める。


さっきの茶色い砂糖のドーナツと分量は同じ。

ただし、砂糖の種類が違う。

水分量も変わるから、生地の柔らかさも少し変える。


けれどもう、彼の手は迷わない。

パン屋で培った技術が、経験が、手を導いている。


「一発で決めてやる……!この子は“誰かのため”に作るんだから!」


ーーーーー


油の温度を確認し、

リング状に成形されたドーナツをそっと入れる。


じゅわっ、という音。

花蜜の甘い香りが、ふわりと立ち上る。


色はさっきよりも、ほんの少しだけ明るく、艶やかだ。


ひっくり返して、もう一度揚げる。

焦げ目がつかないように、丁寧に、火を通す。


「……できた」


揚げたてのドーナツに、うっすら白砂糖をまぶして。

軽くひとつ割って、味見する。


さっきと違って、少し上品な甘さ。

でも、どこか素朴で、優しい。


母の思い出と、今の自分。

そして「誰かの笑顔」が、ちゃんとこの一個にこもってる。


「……よし、これでいこう。これが、届けたい味だ……!」


リトは早速、パン屋の袋にドーナツを詰めるのだった。


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