3.努力と白い宝石 *
後書きに世界設定の3つの供物と価値について記載してあります。
長いですが世界観を理解していただくために必要なものとなりますので良ければご覧下さい。
朝五時の鐘が、澄んだ音を響かせる。
それは、各地のギルドが一斉に営業を始める合図。
鐘の音に背を押されるように、リトは駆け足でギルドの扉をくぐった。
「おばちゃん、お店どこ!?」
髪の寝癖はいつもよりずっと控えめ。
服装も、普段パン屋で使っている清潔な作業着をきちんと着込んでいる。
受付にいたギルドのおばちゃんは、リトの姿を見て思わずくすりと笑った。
「ここだよ。お貴族様が住んでる区画の近くだね。がんばっておいで!」
「ありがとう、おばちゃん!!」
ぴょこんとお辞儀して、勢いよく走り出す少年。
……が、その足取りはやがて迷子のそれに変わっていった。
見慣れない街並み。広い通りに、立派な建物。
方向音痴なリトは、案の定三十分ほど迷いに迷った末…
ようやく本日の勤め先、《アストリア製菓店》にたどり着いたのだった。
ーーーーーーーーーー
「今日は、よろしくお願いします!!」
声を張って、元気に挨拶する。
その声に応えるように、ゆっくりと扉が開いた。
中から現れたのは、リトの身長の倍はあろうかという巨体の——熊の獣人だった。
ごつごつした腕、分厚いエプロン、厳つい眉。
“優しそう”という印象は、かけらもない。
「……売れるもんを作ってる。遊びじゃねえんだ」
低くて重い声。厨房の奥から響くようなその一言に、リトはビクリと肩を跳ねさせる。
それでも——
「オレ、ちゃんとやります! できます!!」
まっすぐ見上げて、そう返す。
数秒の沈黙ののち、熊獣人は小さく鼻を鳴らした。
「……なら、ついてこい」
その背中は、まるで山のように大きかった。
けれどリトの胸は、不思議と高鳴っていた。
わくわくと、少しの緊張を抱えながら。
少年は、甘い香りの立ちこめる厨房へと足を踏み入れていく。
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「おい、ボウルはもう洗ったのか!」
厨房の奥から飛んできた声に、リトは肩を跳ねさせながらもすぐに答えた。
「はいっ!こちらです!」
まだ少し手が濡れていたが、彼は洗ったボウルを丁寧に差し出す。
「……天板は?」
「洗ってます!全部ちゃんと!」
無愛想な表情のまま、店主はちらりと確認だけして短く鼻を鳴らす。
「……フン。じゃあ次、クリーム泡立てとけ。七分立てだ、分かるな?」
「はいっ、がんばります!!」
まっすぐな返事に、周囲の職人たちが思わず目をやる。
少年の声は、厨房にしっかりと響いている。
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「……このクリーム、八分立てだ。悪くねえが、詰めが甘いな。まぁ使い道はある。昼休憩、行ってこい」
「それなんですけど、売り子、してきていいですか!?」
店主はちらりとリトを見て、マドレーヌが詰まった箱を指差す。
「……好きにしろ。売り物はそこだ」
リトは笑顔で箱を抱え、外に飛び出した。
「マドレーヌ! マドレーヌいかがですかー!? あ、おばちゃん! 一個だけでも!」
声を張り上げるたびに売れていくお菓子に、胸が少しだけ弾む。
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仕事が終わった夕方、厨房の熱気がようやく引いた頃。
リトは、最後の片付けを終えて、店主の前に立った。
「……よく働いたな、坊主」
ぽん、と置かれたのは銀貨一枚と大銅貨二枚。
そして、その横に、薄い布袋に入った白い粉がひと袋。
「これは?」
「白砂糖だ。精製品、うちの売り物の余りだが……お前なら、使えるだろ」
「……っ! いいんですか!?」
「現金にするほどじゃねぇ。だが、それなりのもんだ。二ラフィー分、ある」
袋を抱えるリトの指が、震えていた。
——この重さで、きっとドーナツが作れる。
「ありがとうございましたっ!!」
深く頭を下げたあと、走り出したその背に。
店主は一言だけ、ぽつりと呟いた。
「……あの目、悪くねぇな」
【世界設定・3つの供物と価値】
「七つの美徳」が人々の手に渡った時、その力を継ぐ3名を「神の意思を伝える3柱」として崇め、供物を捧げました。
時が経ち、供物は通貨や贈り物として広まり、
やがてその量や質を示すための特殊な単位が生まれたのです。
・《ラフィー》…賢者への供物・砂糖
名前由来:古代語で「甘露」「叡智を育む粒子」という意味
主なもの:花蜜、精製糖、果糖など
単位換算:1ラフィーあたり約100g相当の高純度糖分(※ただし、質で前後する)
高級料理や儀式料理、重要な写本の保存に使用することが多い。
・《ヴァルド》…勇者への供物・武具・金属
名前由来:「戦場に捧ぐ鉄の祈り」から
単位換算:1ヴァルドあたり鉄1kg相当(※ただし金属の種類や質、武器の場合は完成度によって変化する)
武器職人や軍属でも使われている。主に「鍛治の価値」を測るための基準。
・《クレア》…魔女への供物・香と知識
名前由来:古代語で「霧」「芳香」という意味
主なもの:香草、香木、魔香、知識の断片
単位換算:明確な重さや大きさはなく、香りの濃度や持続時間、または知識の密度と希少性で測る。
《裁価の瞳》
世界には「価値」を測る唯一無二の装置が存在します。
それは、神の意思を伝える3柱を祀る宗教組織《聖教》の中心、大神殿 《グラン・サンクトゥム》に安置された《裁価の瞳》と呼ばれる神具です。
裁価の瞳は供物の本質や歴史、その背景にある想いや因果までも審査し、神聖なる価値として記録するものです。
一部の大商会や、ギルドが扱う《裁価の目》と呼ばれる小型端末は裁価の瞳と接続されており、簡易的な価値判定を行うことができます。
ただし、裁価の目では極めて特殊な供物の価値の審査、魔石通貨の進化や格上げ処理などは行えません。