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Astrolibra (アストロリブラ)  作者: 夢想の月
3.有翼の詩人の詩
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2.そして、ボクは飛び立つ。

石畳の上を走る車輪の音。子どもたちの駆け回る足音。通りに満ちる、人々の呼吸と声の波。


遠くでは鐘の音が重なり合い、まるでこの街全体がひとつの大きな歌を奏でているかのようだった。朝露がまだ乾ききらない市場の通路には、果物の香りと、焼き立てのパンの甘く香ばしい匂いが交ざり合って漂っている。


「ほらほら、早くしないといいの無くなっちまうよ!」

「おまけしてよ、昨日も買ったでしょ!?」

「ちょっとあんた、列に並びな!」


そんな中、喧騒を割るようにして、ティレリス・ノーラは軽やかに、けれど真っすぐに進んでいく。


背中には、淡く光を弾く水色のギター──《クリスタルスカイ》。


その存在感は、彼女の歩みにただの旅人ではない印象を与える。

背中にある翼がキラリと水色の透き通った光を反射する。その姿は遠い物語から抜け出してきたようだ。


だが、彼女のその手には、荷物のひとつもない。

身にまとうのは動きやすい旅装束に、青色のスカーフだけ。


ただ一つ、左腰に吊るされた《マジックバッグ》だけが、彼女が旅人であることを示していた。


そのバッグの中には、まるで次元が歪んでいるかのような深さと広がり、そして時間の歪みがある。

どれだけ詰め込もうと、膨らむことも重くなることもないという、魔法都市直輸入の高級品。


けれど――今朝のノーラは、いつも以上に、早かった。


「これ、いる!あと、あれも!うん、こっちのも全部!」


青いスカーフを翻し、彼女は市場の人波をすり抜けていく。人々の間を泳ぐように、舞うように。


止まるたびに、迷いのない手つきで品物を指差し、代金を叩きつけるように支払っては、マジックバッグにポイポイと突っ込んでいく。


店主が値段を口にする前にもう支払いが済んでいることもしばしば。

商人たちは彼女のその勢いに押されつつも、どこか楽しそうな顔をしていた。


「防寒マントで一番あったかいやつ!あと、魔道具加工されてると助かる!」


「え、あ、こっちが特等――」


「それ! 買った!」


言葉が終わる前に、最高級の白銀のマントが彼女の肩にかけられる。


縁には星の光を編み込んだと称される魔糸が走り、吹雪すら寄せつけないそのマントは、旅人の憧れであり、冒険者の切望である一品だ。


「じゃがいも!いっぱい!持てるだけ!…いや、持てるだけってなんだろう、マジックバッグに突っ込むから関係ないか!」


積まれたじゃがいもの山に目を輝かせ、大袋ごと購入。

彼女の後ろでは、店主が「在庫が全部なくなった……」と呆然と呟いていた。


「あとねぇ、ココアの粉!高いやつ!上等で、少し入れるだけでお湯が幸せになるやつ!」


甘味商の棚の奥に、金の封蝋が施された小瓶があるのを見つけると、ノーラの足は自然と吸い寄せられるように向かう。


「それ一瓶で銀貨十枚」の文字も一瞥だけ。


彼女は迷わず、むしろ嬉しそうに、銀貨を数えて積み上げた。


「はいっ、おねがいしまーす!」


朗らかに声をかけながら、魔法の袋にそれを吸い込ませる。

周囲の人々がぽかんと見つめる中でも、ノーラの表情は変わらない。むしろ、ますます楽しそうだった。


薬草、乾燥肉、保存食、魔力補給キャンディ、火打ち石、風除けの小型魔道石、水生成ポーション……。


目についたものを、思いつくままに、彼女の“勘”が告げたままに、惜しげもなく選び、買い集めていく。


「お金ってさ、使ってこそ意味があるんだよね」


と、ノーラはふと立ち止まり、そう呟いた。

その瞳は、品物ではなく、空の向こうを見ていた。


それは誰かを見下すような言葉ではなかった。むしろ、無邪気で、まっすぐで、子どもじみた冒険者の口癖のように聞こえた。


「だって、必要なときに必要なものが手元になかったら、それってボクらしくないじゃん?」


だから、彼女は選ぶ。迷わず。即断で。大胆に。


その姿は、風を纏っているかのようだった。




ーーーーーーーーーー




準備は、午前中のうちに終わった。


肩に羽織った白銀のマントは、まるで空気のように軽く、それでいて驚くほどに暖かい。

重ね着の必要がないぶん、可動域が確保されている。

寒風を浴びても、肌の奥に冷たさが届かない。上質な魔糸と仕立てのなせる技だった。


背中には、いつもの相棒クリスタルスカイ

ほんの少しだけ弦を弾いてみる。凛とした音色が響き、朝の冷たい空気を震わせた。


「よし、バッチリ」


すべてが揃っている。食料、装備、防寒、道具。何もかも。

けれど、それでも――ノーラの胸の中は、ほんの少しだけ、ざわついていた。


(きっと、ボクの物語を見つけてみせるさ)


“魔女に、自分の物語を届ける”


それは、王都に入ってから夢になったものだ。けれど、夢を語るだけでは届かなかった。だから歩く。進む。その最初の一歩が、今。


「いってきます、王都。また、帰ってくるからね」


北門の前で、ノーラは一度だけ振り返る。

背後に広がる王都の街並みは、どこか懐かしくて、どこか寂しい。


遠くから聞こえる教会の鐘の音。白い鳩が、屋根の上から羽ばたいていく。


ノーラの髪が、風にふわりと揺れる。

その色は、朝日に照らされ、ミルクティー色に煌めいていた。


空は青く晴れている。けれど、鼻をかすめた空気には、確かに雪の匂いが混じっていた。


──冬が、追いついてくる。


でも、ノーラはもう振り返らない。


一歩、また一歩。

ギターの音はまだ鳴らさず、けれど心の中ではすでに旋律が鳴り始めていた。

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