1.語られなかった物語
それは、物語になりそこねた詩だった。
少女は静かに聴いていた。
夜空を編んだような髪、宇宙を閉じ込めたような青黒い瞳。
まるでこの現実のどこにも属していないかのような存在感で、空間の中心にただ、ぽつりと座っていた。
ティレリス・ノーラは、緊張した面持ちでギターを構える。
愛用の相棒 《クリスタルスカイ》。水色に透き通るその楽器は、彼女の声とともに詩を紡ぎ、音を超えて心に触れる魔法のような力を持っていた。
ノーラは、ゆっくりと弦に触れる。
音が空気を震わせ、旋律が世界に染みこんでいく。
語られたのは、一人の英雄の詩――悪竜をたった一振りで討ち、世界の光となった勇者の伝説。
しばらくの沈黙ののち、少女は口を開いた。
「……よく語れていたわ。声の調子も、リズムも、悪くない」
その声は氷の水面をなぞるように澄んでいた。
言葉に含まれた静かな賛辞。それでもノーラの胸はなぜかざわついていた。
そして――
「けれど、それはあなたの物語ではないわね」
その瞬間、ノーラの中で何かが崩れた。
語りは間違っていなかったはずだ。
旋律も、リズムも、声の出し方もすべて練り上げ、完璧に仕上げた。
誰が聴いても感動する詩を、自信を持って奏でたはずだった。
――なのに。
魔女は、怒るでもなく、嘲るでもなかった。
ただ、事実をそのまま告げただけ。
まるで余白にさらりと書かれた、脚注のように。
「“カイン”のことなら、知っているもの。叫びながら世界を駆け回って、爆発とともに去っていく。拳で語り、筋肉で詩を詠む男よ」
魔女の瞳に、わずかに愉快そうな光が差した。
「あなたの語った彼は、整いすぎていた。丁寧すぎて、まるで他人が描いた似顔絵のよう。綺麗だけれど――退屈だったわ」
ノーラは答えられなかった。
“自分が見たもの”ではなく、“語りたかった理想”を、ただ音にしていただけだったと。
誰かを勇気づけるための物語――そう信じていたはずなのに、言葉は空をすり抜けるだけだった。
少女――《魔女》は静かに立ち上がり、手をひらひらと振る。
「……次に来るときがあるのなら、“あなたの目で見たもの”を、持ってきなさい」
そのまま、空間が音もなく閉じていく。
色彩が剥がれ、空気が消え、ノーラの体を包んでいた異空の余韻が消失する。
まるで、世界そのものが、ノーラを拒絶しているようだった。
ーーーーーーーーーー
ほんの数刻前のこと。
グレイヴ・ホルン王国、王都の裏路地。
「この都市に、 《魔女》の領域と繋がる扉があるらしいんだって!」
ドーナツを手に、瞳を輝かせながらノーラは駆けていた。
「これは、ボクにとって、びっくりするほど大きな価値になるに違いない!」
詩人として名を売るには、どんな場所でもチャンスが欲しかった。
魔女の興味を引けるほどの詩を奏でることができれば、自分の名はもっと遠くまで届くだろう――そう思っていた。
そして今、魔女の目の前で――その詩は否定された。
異空から現実へと弾き出されたノーラは、クリスタルスカイを背に、呆然と空を見上げた。
(……“ボクの目で見たもの”……か)
たしかに、自分は旅人だ。詩人だ。
色んな場所を巡り、人々の暮らしを見て、話を聞いて、歌ってきた。
けれどそれは、“誰かの語った物語”を集めてきただけだったのかもしれない。
「……わかったよ、魔女さま」
ノーラは呟く。
空はまだ晴れていた。冷たい風が髪を揺らす。
その先に広がる世界が、まだ自分を試そうとしているような気がした。
――次に語るときは、ボクの旅で見た“ほんとうの物語”を。
世界の片隅にある小さな光を、ちゃんと見つけて届けるんだ。
ノーラはそう決意すると、背中のギターを背負い直した。
自分自身の詩を、この世界の中から、見つけるために。




