7.ルクシヴィオラと赦しの旅路
3000文字ですって、うわぁ。ふたつに分けるとかすればいいのにね。しないんですよ筆が乗っちゃったから。
おっさんの話、まもなく完結です。
星々が空から剥がれ、足元に降り積もる。
腕を切り落としたにもかかわらず、まるで他人の身体のことのように、ぼんやりとしか感じない。
落ちたはずの腕に、痛みがなかったのだ。
だが、動けなかった。
空間そのものが、彼を拒んでいるようにさえ感じられた。
ここは、招かれた者のための場所。
彼は、その「資格」を持っていなかった。
膝をつけば、空気が喉を焼く。
呼吸ひとつすら、重力のような「圧」に阻まれる。
魔女は、浮いていた。
重力も、地面も、必要としない存在。
その髪は夜を裂いた糸で編まれ、瞳は宇宙色で銀の星が浮かぶ。
彼女は、ふと何かを見つけたように目を向ける。
「ふーん、短剣をつかったんだ……」
そう言って、ふわりと手を伸ばし、イサームの傍に転がった短剣を拾い上げた。
まるでそれが、“物語の目次”であるかのように。
「魅せてもらうわ、あなたの物語を」
声に感情はない。
でも、イサームの胸に鋭く突き刺さる。
「試されている」という感覚すらない。
彼女は、静かに浮かんだまま近づいてくる。
少しずつ、近づく度に、その強烈な存在感に押しつぶされそうになる。
魔女は一つ息を吸うと…
彼の額へ、そっと手を伸ばした。
その指先は、実際には触れていない。
けれど、空気の温度が変わるほどに冷たく、やわらかく。
そしてそのまま、“指をすっと額に差し入れた”。
光の粒が舞い上がる。
銀の砂が夜の空間に滲み広がり――その中心から、一冊の本が抜き取られる。
装丁は黒。
金の箔押しで、ゆるやかな文様が描かれていた。
魔女はふわふわと空中に腰掛けると、いつのまに取られたのか、捧げ物のふたを開けた。
中を覗き込むと、スプーンで中身をすくい――そのまま口に運ぶ。
「……まっっっず。よくこれで、持ってきたわね……」
ひとくち、ふたくち、顔をしかめながらも止めない。
視線だけは額から抜き取った黒い本に向けたまま、読み始めようと――した、のだが。
「…………無理、味が強すぎて集中できない……」
くぐもった声でぼやきながら、最後のひとさじまで食べきる。
イサームは動けない。
呼吸さえ、重たい。
その目の前で、18代の魔女は最後まで供物を“処理”しきった。
「ほんとはね、食べながら読むつもりだったのよ、あなたの“物語”」
ふぅ、と息をつくように、瓶をふわりと空中へ放った。
瓶はふしぎな重力に引かれるように、彼女の周囲で浮かんだまま止まる。
彼女の瞳がようやく、本へと向けられる。
「……じゃあ、読ませてもらうわ。あなたが、何を“差し出した”のか」
本の表紙には『ルクシヴィオラと赦しの旅路』の文字。
それは彼の記憶と行動を記した、唯一の「証」だった。
ーーーーー
彼女はその本を胸の前で開くと、何も言わずにページをめくりはじめた。
音はない。
だが、空気が変わる。
ページがめくられるたび、記憶がひとつ、時の中に編まれていく。
イサームは、それをただ黙って見ていた。
魔女の表情に変化はない。
けれど、彼女の瞳の奥に広がる星雲が、ほんのわずかに色を変える。
彼女だけが知っている。
この本に記されたのは、焦げた花の記録だけではないと。
ーーーーー
冷たい指先が、本の端で止まる。
ひと息。
彼女の胸にある“秤”が、静かに揺れた。
「……そう」
声には、色も熱もない。
けれど、それはたしかに“判断”だった。
赦しを与える――
けれど、その方法は“優しくはない”。
なぜなら、この場はミーティアの聖域。
そして彼は、招かれてもいないのに、その扉をこじ開けて入ってきたのだから。
「あなたの物語、想像より――ずっと苦かった。でも、確かに“甘さ”があった。誰に向けたものでもない、あなた自身の、救いの味」
彼女の瞳が、イサームを捉える。
星々を封じたような、銀と青の光が、その身体を深く貫いた。
「だから、赦してあげる。私の権能において、あなたを――あなたの存在を、許可する」
その瞬間。
ミーティアの片手が、ふわりと宙をなぞった。
宇宙が、開いた。
まるで絵筆で描いたような星の軌跡が、空間に“紋”を描く。
銀の光は旋回し、ひとつの形に結実してゆく。
彼女はイサームの顔に手を伸ばした。
今度は、額ではなく――左の瞼へ。
彼が息を飲む間もなく、焼印のような熱と冷たさが一度に走った。
「ッ……!」
その紋は、銀河を一筆で描いたような、曲線と星々の連なり。
まぶたの内側に焼き付けられたそれは、見る者すべての“認識”に強制的に刻まれる、絶対の赦しのしるしだった。
神官でも手にできない神秘。
それを持つということは、国家も、教会も、否応なく認めるしかない“上位者”であることを意味した。
「これが、あなたへの“免罪”よ。……だけど、」
彼女は視線をすっと下ろす。
落ちたままの腕――すでに冷たく、動かないそれを見つめて、ため息を一つ。
「……あなたのやったことは、間違いなく“禁忌”だった。だから、その代償も、あなた自身で背負ってもらう」
彼女が指を鳴らす。
――星が、腕に降り積もる。
それは細かな宇宙の欠片。
しかし集まり、構成され、やがて形となって――“義手”が、そこに生まれた。
黒曜石のような深い青に、かすかに銀の光が走る。
「これが、あなたの新しい左腕。けれど覚えておいて。それは“私の一部”から創られたもの。
あなたが闇に呑まれれば、きっとこの腕が、あなたを呑む」
イサームは、言葉を失っていた。
視界の隅で、義手が動く。まるで、生きているかのように。
「それでも、進むのね?」
魔女の問いに、彼は小さくうなずいた。
「……なら、最後に」
彼女は、空中にふわりと手をかざした。
舞い落ちてくる、ひとつの巻物。
「これは、“未発見の水脈”の地図。あなたの一族は、ここから再び始めなさい。
……運命を変えるのに、資格なんていらないわ。ただ、物語を持っていればいい」
続いて、彼の胸元に――短剣が静かに戻ってくる。
刀身には新たな紋が浮かんでいた。
それはかつてと同じ、けれど“再生”の印を刻まれたもの。使用回数も、再び「3」に戻っている。
そして。
「はい、報酬。これは私の形式みたいなものだから。お金、大事でしょう?」
3枚のルブラが入った小さな袋が、ふわっとイサームの前に浮かび、ぽとりと彼の膝元に落ちた。
全部が、現実味を伴っていた。
けれど、それはまるで夢のようで――
ミーティアは、最後に一言。
「……あなたの旅が、あなただけのものでありますように。
これは、私からの“ほんのちょっとの加筆”よ。……忘れないで、イサーム」
その声は優しかった。
まるで絵本を読み終えたあと、そっと本を閉じるように。
――空間が、ページのように反転し始める。
赦しを受けた者は、現世へ還り、その本は、魔女の書架に静かに納められる。
まだ、物語は終わっていない。
それが、神に赦された者の“始まり”だった。




