16.救いの手 Ⅳ
それからしばらくして、メッサは立ち上がった。武器は取り上げているのでこれ以上危険はないと思うが、念のため距離を取る。
起き上がったメッサは、先ほどまでの柔らかな笑顔に戻っていた。それ以上に年相応の幼さに戻った気がする。幼いと言っても、だいたいあたしと同世代だと思うけれど。
「……女の子に倒されるなんて、思ってなかったなぁ」
「だろうね。だから、すッッッごい加減してたんでしょ。あたし、その隙をついただけだから、別に倒せたわけじゃない」
「んー……でも、僕がそれ肯定しちゃ、カッコ悪いでしょ?」
立ち上がったメッサは、背後にあった棚へ移動すると、引き出しから何かを取り出して戻ってきた。
彼が手に握っていたのは、透明な液体が入っている小瓶だった。部屋の装飾に似合わず、瓶と木栓のみで構成された質素な瓶だ。
「これがさっき話してた、語られざる水っていう魔具だよ。危険物じゃないから安心して」
その中身は、やはりあたしが想像していたものだった。
こんな近くに保管してあったとは。だからあたしへの攻撃に容赦がなかったのだろうか?
メッサはあたしの手を取ると、そこに食い込んだ蛇腹剣と布を取り除こうとする。彼の手に武器が渡ってしまうと反射的に手を引っ込めると、「もう戦おうなんて思ってないよ」と言って苦笑した。
嘘ではないだろう。今までも彼は嘘をついている素振りはなかった。あたしはその言葉を信じて、治療に応じることにする。
手から刃を引き抜くと、どっと血が溢れてきた。その上から即座に瓶の水をあたしの手に振りかける。すると、傷はみるみるうちに塞がっていった。
こういった特殊効果がある魔具を自分自身に使うのは、恐らく初だ。シレンさんが持っていたあのナイフは私自身に効果があったわけではないし。
ただ、痛みはすぐに引いたが……痒みが凄まじい。なるほど、万能というわけでもないらしい。
次に、刃が巻き付いた腕の治療もしてもらった。
私の腕から外した蛇腹剣の刃が、鎖のような音を立てながら地面に落ちていく。
メッサは宣言通り、剣を手に取ることはなく、代わりに傷が完全に塞がったあたしの手を取った。
そしてあたしの手を撫でながら、苦しげに呟く。
「……すまなかったね」
見上げたその表情に、嘘はないように見えた。
彼はきっと、心根は優しいのだろうなと思う。父もそうだった。あたしの母……前代王妃が亡くなるまでは善き王だったと聞いている。
もしかしたら……メッサもまた、あたしのこの体質に狂わせられてしまった人間の一人なのかもしれない。
彼との会話の中で久々に前世のことを思い出して、一つの疑問が生まれた。あたしのこの男難体質って、一体何なのだろう。冷静に考え直すと、前世から続いているなんて妙な話だ。
つい物思いに耽ってしまい、黙り込んでしまうあたし。メッサもそれ以上の言葉を発さず、しばらく互いに黙り込んでしまった。
その沈黙を先に破ったのはメッサだった。
「表に馬車を手配してある。好きに使ってくれ」
「えっ?」
「言っただろう。脱出の手筈は整えてたんだ」
ここまで拒絶した相手を、まだ助けようというのか。
「………でもあたし、貴方にこんなことしちゃったし……助けてもらうのも、その、断ったわけだし……」
「僕はともかく、君の方はそんなこと言ってる場合じゃないだろ?」
「うっ……」
ド正論である。逃げるためなら今は何だって使うべきだ。
……だけど脱出より前に、二人を探さないと。きっと彼らも囚われているだろう。あたしだけ逃げるわけにはいかない。
幼少期の記憶を探る。転生者とはいえ、幼い頃に見聞きした記憶は曖昧だ。牢獄のような場所が城の地下にあった気がするが……
再び思案に耽っていると、廊下から二つの足音が近付いてきて―――かと思えば、破壊されていた部屋の扉が今度は内側にめり込み、勢いよく蹴破られてしまった。
今となってはもう懐かしい、ストーカーたちと出会ったあの夜のことを思い出す。そして同時にあたしは、彼らのことなどわざわざ探す必要はないのだということを思い出した。
その向こうに立っていたのは、もはや説明するまでもなく無傷のマゾ男、そして彼に肩を貸された、ボロボロのレデヤ君だった。
「―――れ、レデヤ君!! 大丈夫!?」
慌てて彼に駆け寄り、マゾ男と二人でレデヤ君の両肩を支える。間近で見ると、流血から打撲痕、火傷まで、様々な傷が付けられているのが分かった。
そうだ、メッサが持ってきた語られざる水とかいう魔具がまだ残っていたはず……あたしは背後で呆気に取られた様子のメッサに声をかけた。
「メッサお願い! あの水、この人にも……!!」
「う、うん。分かった」
「お、おれはいい……エナは……?」
「レデヤ君…!」
荒い息だけを吐いていたレデヤ君が、やっと声を出す。腹の底から振り絞るような声だった。相当無理をしてきたのだろう。
顔面蒼白で互いの心配をするあたしとレデヤ君。レデヤ君のほうはますます顔から血の気が引いて青くなっている。
その内、レデヤ君の表情は、あたしの肩越しにメッサを見つけ、怒りの色に染まっていく。
「……あいつだな、エナに手を出したのは……」
「こんな恰好だけど、あたしは治してもらったから! 大丈夫!! それよりレデヤ君が心配だって!」
「で、でも」
「良いから! ほら、ベッド行くよ」
「え!? う、うん……!」
確実に別方向に勘違いをしているレデヤ君を支えつつ、あたしたちと同じくズタボロになったベッドへ向かう。とはいえ傷つけられたのは天蓋だけでベッドそのものやシーツは無事なので、崩壊の恐れはない。
その上に彼を寝かせ、メッサが新しく持ち出してくれた小瓶を全身に振りかける。
水が浸透した部分から、傷だけでなく青痣まで消滅していく。ほっと胸を撫で下ろす。
「………そうだ、おまえッ……エナに何を……」
「大丈夫大丈夫! だからほら、今は休んでて。ね?」
「う、うん……♡」
あたしがお願いすると、あっさりとレデヤ君はベッドにへたり込んだ。あたしの効力というより、元々の疲労も募っていたのだろう。
それにしても、二人はよくこの部屋にいると分かったな。他の部屋を確認するような音は聞こえなかったから、きっと二人はピンポイントでこの部屋にやってきたのだ。外側まで扉の変形していて分かった、とかだろうか。そう考えるとなかなかのファインプレーだったな、メッサ……。
前回テュルキエに到着したときも、多少の目印はあったとはいえど、よくも間一髪であたしたちを助け出せたものだ。
思い返すと、どうもマゾ男はあたしの居場所をかなり明確に把握している節がある。初対面のときもそうだった。他の客室のドアが蹴破られるような音はなかったし、宿屋の女将さんも彼に情報を漏らしたようには見えなかった……
そこで思い出す。テュルキエで助けに入ってくれた時のお礼を、まだマゾ男に言っていない。
ベッドに向けていた体を、背後のマゾ男へおずおずと向ける。
「………えーと、その……アマゾルクー……」
マゾ男と茶化さず、改めて彼の名を呼ぶ。
だがあたしが本題に入る直前に、マゾ男から「エナ」と名を呼ばれ、話を遮られてしまう。
彼から名を呼ばれるのは久々なように感じる。どうしたのだろうかと少しだけ構えるが、それから返ってきたのは相変わらずな彼の言葉だった。
「勝ったんだな」
「……う、うん!」
……と威勢よく返して、しまった、とすぐに気付く。
今回あのメッサを倒したことで、あたしが強いというマゾ男の誤った認識を補強してしまった。
またこいつに気に入られてしまう……! すぐに訂正しなければ……!
「あーいや、その、今回のもすごいまぐれだから! だからその……」
「ううん。エナちゃんは強かったよ」
「当人もこう言っているようだが? 謙遜しなくとも良いだろう。お前は十分に強い」
そう言って、アマゾルクに肩をぽんと叩かれる。
謙遜してるわけじゃないんだけど……と思いつつ、率直に褒められたので、なんだか誇らしい気分になってしまった。




