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16.救いの手 Ⅲ



 あたしはいつもこうだ。あれこれ考えてみるけど、最終的には感情に任せてその場を乗り切ろうとする。

 本当は誰かに助けてほしかった。差し伸べられた救いの手を取って、楽になりたかった。前世からずっとそう思っていた。

 だけど……傷が完璧に癒えるとはいえ、あたしをあれほど傷つけた人物だ。味方を欺くためだとしても。救い出してもらったって、きっとろくなことはないだろう。自分にそう言い聞かせる。


 それに……相手も臨戦態勢になった以上、もう、対立以外の選択肢は残されていない。



 椅子から飛び降りるようにして、咄嗟に横へ避けると、遅れて蛇腹剣が飛んできた。蛇腹剣の刃はテーブルの上の食事を巻き上げる。食器が割れる不快な音が響いた。


「ちょ、ちょっと! ご飯もったいないでしょ!」

「ああ。食べたかった? 厨房にいくらでもあるよ」

「こ…これだから金持ちはッ……」


 元王族らしからぬセリフを吐く。ここで暮らしていたのなんて子供の頃の話。今ではもうすっかり庶民派だ。


「食べたいならいくらでも出すよ。まあ今この状況じゃ、とても食卓は囲めないね」


 メッサは部屋の中であるのも構わず、四方八方へ蛇腹剣を振り回し始めた。だが剣の刃は室内の物には一切触れず、的確にあたしだけを狙う。怒りに任せているように見えて、至って冷静らしい。もしくは、いかなる時でも彼のコントロールが異常なまでに精巧なのか。

 なんとか避けるが、無駄に長いネグリジェのスカートが巻き込まれ、引き裂かれてしまう。

 こんなやつ……並の戦士だって相手できないだろう。

 

 ……だけど、今は無理に相手をする必要はない。

 この部屋、今は施錠されていないはずだ。メッサが帰ってきて以降、外部から施錠された音はなかった。だから扉まで逃げ切れば問題ない!

 あれだけ啖呵を切っておいて敵前逃亡するのは正直ダサいけど……まあ、今更な話だろう。あたしはマゾ男のような戦闘狂のマゾじゃないんだ。


 壁を背にして逃げつつ、徐々に扉へ向かっていく。

 あと数歩のところで振り向き、扉を開こうとしたその瞬間、再び蛇腹剣の風切音が耳をかすめた。


 咄嗟に身を引いて、背後を振り返る。

 最初に目に付いたのは、メッサの手元から伸びた蛇腹剣の刃だった。その刃を辿ると、あたしが開こうとしていた扉に辿り着く。


 蛇腹剣の刃先は、ドアノブを巻き込み、扉に奥深くめり込んでいた。

 めり込むだけならまだよかった。相当力を籠めて振ったのだろう。衝撃で、ドアノブ周辺が変形している。これでは……扉を開けない。時間と力をかけて押せば開くだろうけど……悠長にそんなことをしていれば、この剣の第二の餌食になってしまう。


「や、やば……」

「うん。やっぱりこの武器にしておいて良かったな」


 もう一度剣を振るい、刃を手元に戻してからメッサが呟く。どういう仕組みなんだそれ。

 蛇腹剣なんて、部屋の中以外でも扱いづらい武器筆頭を飾れるだろうに……戦闘と同じくらい、武器の扱いも上手いらしい。最強の騎士団団長という噂は、どうやら真実のようだった。


 扉からの脱出は諦め、あたしは再び飛んできた蛇腹剣を避け始める。

 残りの脱出口といえば窓だけど、あれも厳重に閉ざされている。メッサのあの様子じゃ、窓硝子を割るようなヘマもしないだろう。

 何より、今のメッサは窓側に立っている。武装なしで敵の懐に飛び込んでいくのは得策じゃない。


 出られたところで、あんなだだっ広いくせに袋小路になっている庭の中では、部外者は目立ってしまう。そもそも窓から下の階に降りるのも難しいだろう……いつかマゾ男と高所から飛び降りたのを思い出して、ぞわりと背筋が凍った。



 蛇腹剣は鞭ほどの速度は出ないから、すんでのところでなら辛うじて避けられる。だけど、このままでは平行線……いや、最終的にあたしが消耗して負けることになるだろう。

 今回ばかりは、戦わなければ。

 ……でも、どうやって?


 唯一の武器だったシレンさんのナイフはもう手元にない。習った護身術だって、あくまで護身術。生身で武器を持った相手と戦うのは無茶だ。それもあの遠距離型の武器では、相性が悪いどころではない。

 部屋の中ではいくら遠ざかろうと相手の間合い。何とか近付けたとしても、剣の状態で斬りつけられてしまう。手の出しようがない。


 ………降伏……すべきだろうか。

 メッサは幸い、クロラさんとかとは違って殺しに来ているわけではない。きっとあたしを屈服させたいのだ。

 だから、一言「助けて」と言えば、終わる。

 だけど―――



 逡巡した瞬間、次の攻撃がやってきた。

 次は部屋全体のものを薙ぎ払うような、水平な攻撃だった。

 咄嗟に屈んで事なきを得る。攻撃相手を見失った刃は、カーテンや天蓋の布をズタズタに引き裂いた。あっちの布はネグリジェとは違って分厚いように見える。それを、軽く触れただけで切断してしまうなんて。


 刃の間に巻き込んだ布を払うように、メッサがもう一度剣を薙ぐ。

 布が花びらのように部屋中を舞った。


 ……今回の攻撃で確信した。故意に壊したのであろう食器や扉、そして当たっても斬れてしまうカーテンのような布地以外、メッサは一度もターゲット以外のものに蛇腹剣を当てていない。当てないようコントロールしているし、できている。


 万が一、意図しないものに引っかかっるようなことがあっても、先ほど扉を壊した時のように、すぐに手元に引き戻すこともできるだろう。

 その来るかも分からないタイミングの中の、更に一瞬の隙を待つのは、あまり褒められた作戦ではない。


 一時的にでも攻撃を止めさせるには、彼が故意に何かを狙う隙を突かなければ―――

 そこであたしは、あることを思いつく。


 あたしは部屋の中に戻ると、蛇腹剣の猛攻を避けつつ、破れかけていた薄っぺらいネグリジェのスカート、足元に舞い降りてきたカーテンの布をいくつか手に取った。

 避けながら、そのままそれらを両手に巻き付ける。


「それは……グローブのつもりかな? 無理に戦わなくたっていいんだよ? 僕は君を助けたいんだ。語られざる水もまだ残ってるから。ほら、僕のところへおいで」


 答えない。そんなあたしにいよいよ痺れを切らしたのか、メッサは深くため息を吐いてから、蛇腹剣の柄を掲げた。


「そろそろ、ちょっとだけ……痛い思いをしてもらおうかな」


 次の瞬間、蛇腹剣があたしの左腕を的確に絡め取った。……やっぱり、今まで加減してたな、こいつ。その気になれば、あたしなんてすぐに攻撃できたんだ。

 棘になったような無数の刃が腕に食い込む。


「ぐ、ッ……!!」

「ほら痛いだろう? もう戦わなくていい!! 僕が救ってあげるんだから!!」

「……だから、違うって」


 ……あたしは、これを待っていたんだ。

 この瞬間までに準備が済んでいて良かった。


「え、エナちゃん、何を―――」


 次に取ったあたしの行動を見て、初めてメッサが困惑の表情を浮かべる。


 あたしは布地を巻きつけた両手で蛇腹剣の刃を握りしめ、懐へぐっと引き寄せた。

 布越しでも、結局刃は貫通してきた。力を込めている分、腕に巻き付いた刃よりも痛い。

 それでも。


「希望なら自分で掴む……! 誰かに救ってもらおうなんざ思ってない!!」


 あたしの行動に驚いて手元が緩んだのか、はたまた付けていた白手袋のせいか……あたしが刃を思い切り引っ張ると、剣の柄がメッサの手から抜けてしまった。

 その隙にあたしは彼の目の前に駆け出す。

 ただ、メッサもそう易々と倒されるような男ではない。寸前まではあたしに困惑していたが、すぐに臨戦態勢に切り替わる。あたしを迎え撃つために両腕を構え、体術を繰り出そうとした。


 それでいい。あたしが教わった護身術は、相手が攻撃を繰り出す瞬間に効力を発揮するのだから。


 あたしはメッサの攻撃を受け流すと、その腕を掴み、そのまま不用心にも鎧を着ていなかったその体を、床へ打ちつけた。



 彼が叩きつけられたと衝撃と蛇腹剣の衝撃で生まれた風で、あたしの血で赤くなった布きれたちが、薔薇の花弁のように周囲に舞い上がる。


 その風が止んだ頃、あたしの息もようやく整った。手に巻き付いていた蛇腹剣を外したかったけど、これ以上は出血が心配だ。メッサに奪い返されないようにするためにも、ひとまずこのまま掴んでおく。

 ……正直めちゃくちゃ痛い。やっぱこんなことすんじゃなかった。降伏しときゃよかった。降伏して隙をつくことだってできただろうに……多分。


 対してメッサは、それほど大きなダメージは与えられていないはずなのに、起き上がろうとせず、呆然と天井を眺めていた。きっと、あたしに負けるとは露ほども思っていなかったのだろう。

 ……今なら逃げられそうだ。


 それなりの深手を負ってしまったけれど、足は動くし問題ない。道中、あたしの傷を治した水の魔具でも見つかればいいんだけど……まずはマゾ男たちとの合流を優先しよう。

 さあ、この扉はどうやって開こうか。刃に巻き込まれていないほうの腕と肩を使って押し出すしかできないだろうけど。案外あっさり開いたりして……


「……待って…ッ」


 希望的観測を並べながら部屋を出ようとすると、メッサに引き留められる。振り返ると、彼はようやく上体を起こして立ち上がろうとしていた。


「……ッ、ダメだ、君は……僕が助けなくちゃ………」

「あ、あんた……まだ言ってんの」


 他の変態たちに負けず劣らずの執拗さに呆れてしまいそうになるが、彼の顔を見て少し気が変わる。

 メッサは、まるで彼のほうが見捨てられてしまったような、悲痛な表情を浮かべていた。


「君は……僕に救われるべき存在で………ッ僕は―――民を救済へ導く、強く気高き騎士なんだ………!!」


 変わり果てた彼の姿を見て、先ほどまでは彼からかけられていたあの言葉を、反射的に思い浮かべてしまう。

 それを飲み込んで、あたしは踵を返し……メッサの足元へ引き返す。


 きっと救済を求めているのは、彼のほうだったんだろう。


 でも、こういう人を助ける術を、あたしは知らない。

 モレウさんの時も思ったけど……人が途方もない悲嘆に暮れているとき、なんて言葉をかければ良いんだろう。普通の人も変態もひっくるめて、他人から逃げ続けてきて、分からなくなってしまった。

 それでも、何か一言だけでも、楽になるような言葉をかけてあげたいと思った。


 もしかしてメッサも、これと同じ気持ちをあたしに向けていたのだろうか。

 それなら、これまでの意趣返しってことで……もし間違った励ましになってしまっても、トントンってことで許してもらおう。


 言葉に詰まりながらも、あたしはメッサに語り掛ける。


「……貴方が何を背負ってるかは知らないけどさ……この部屋にはあたししか居ないし、今だけはもう少し、そこで休んでてもいいんじゃない」


 あたしのたどたどしい言葉を最後まで聞き遂げると、彼は力なく床の上に腰を下ろした。

 先ほどのような穏やかな表情ではなかったけど……険しさはなくなり、彼の中から何かが抜け落ちたような、そんな表情を浮かべていた。



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