13.夜空の上で Ⅱ
「エナさーん、レデヤさーん!」
駄弁を交わしていると、ほどなくしてモレウさんが帰宅し、テラスからこちらに声を掛けてきた。
名前を大音量で叫ばれ、色んな意味でひやりとしてしまう。慌てて「あんなに叫んで大丈夫なんですか!?」とロリネさんに訊ねると、「屋敷の者に勘付かれる音量は試験済みですわ」との答えが返ってきた。だからモレウさんもこんな声量で喋っていられるのかと腑に落ちる。……偽名を教えておけば良かった。
「……そろそろ使用人が夕食を持ってくる時間帯です。みなさん、ここに隠れていてくださいまし」
モレウさんの帰宅を確認したロリネさんが、時計を確認しつつ、先程隠れさせてもらったクローゼットの扉を開く。そこに入る前に、あたしはロリネさんにあることを思いつく。
「そうだロリネさん、使用人さんとの顔合わせは……良いんですか? 多分、これが最後になるでしょうから……」
今のお父上はともかく……使用人の中には仲の良い者もいるのではないか、と思う。だが、それを聞くとロリネさんは黙り込んでしまった。
思いついたままに提案してしまったが、やはりいらないお世話だっただろうか。あたしは即座に内省するが、少し遅れて、ロリネさんはその提案に首肯してくれた。
「……そうですね。最後に、顔だけ見てまいります。夕食もその時に受け取ってきますわ」
「……はい! 待ってます」
あたしたちがクローゼットに入るのを見届けてから、ロリネさんは再び部屋のドア近くの伝声管のようなものに話しかけ、やってきた使用人の方と階下へ降りていった。
クローゼットと呼ぶには広すぎる部屋の中で、あたしたちはロリネさんの帰りを待つ。……スペースがあるにもかかわらず、レデヤ君がやけに近い。まあ、普段通りのことではあるが。
気まずくなって顔を逸らすと、すぐ隣のモレウさんが、床に腰を下ろし、力なく膝を抱えていることに気付いた。先ほどまでの元気さが嘘のようだ。
「……モレウさん?」
あたしからの呼びかけにも反応してくれず、続けて「どうしたんですか?」と訊ねると、モレウさんはやっとこちらに顔を向けてくれた。
「いやあ……あの…スね……勢いで啖呵切ったはイイんスけど……チョット、自信なくって」
「自信? 逃げ切れるかってことですか?」
「イヤ……オレ、ここからロリネを逃がしたあと……ロリネのこと、幸せにできんのかなって」
そんな前置きのあと、次はモレウさんの身の上話が始まった。
「オレ実は……ロリネの家には及びませんが、商人の家の一人息子だったんス。ただ……親父が死んで、その資産食い潰しちまって……手元に残ったのは、こいつだけ」
そう言って、自身の隣に立てかけていた魔具の鞄を叩くモレウさん。
「こいつを元手に商売始めて儲けられたら、ロリネともそれなりに暮らしていけると思ってたんス……けど、占いのこともあるし……不安になってきちゃって………」
「それは……」
元気づける言葉をかけようとして、言葉に詰まる。
その後、モレウさんの話に割って入っていったのは、レデヤ君のほうだった。
「……何言ってるんだ? 幸せになれるかじゃない。幸せにするんだろ」
意外な言葉に、思わずレデヤ君の顔を見上げる。字面だけ見れば格好いいセリフだったけど……その横顔は、どこか狂気じみていた。
そしてその言葉をかけられたモレウさんはというと、まだ釈然としない様子。
改めて、あたしも励ましの言葉をかけようとした、その直後。予期せぬ事態が起きた。
「今日一日どうも様子が可笑しいと思って来てみれば……これは何事だ!?」
この部屋にまで届くほどの怒号が、階下から響く。クローゼットの中の全員がひっそりと息を呑んだのが伝わった。
恐らくこれは……ロリネさんのお父上の声だ。
「お、お父様……」
「部屋からは出るな! 食事は使用人に部屋まで配膳させると言ったろう! ……部屋に何か隠しているんじゃあるまいな!?」
「あ……だ、ダメです! お父様!!」
次いで、ロリネさんが慌てふためく声が聴こえてくる。……この様子では、お父上が部屋に乗り込んできて、クローゼットの中まで漁られてしまうかもしれない。
一応、シレンさんのあのナイフは持っているけれど……脅しでもあまり使いたくはないな。
一時的にここから逃げるべきではないか、と隣のモレウさんに目配せをする。先ほどとは違ってクローゼットは解錠されているから、今なら出ていける。だがモレウさんは視線を右往左往させるだけで、何も答えない。
このままではまずい。あたしがレデヤ君とほぼ同時にクローゼットを飛び出すと、その最中、事態は再び一変した。
「ッぐ、ゴホッ―――」
男性が激しく咳込む声が聴こえてきたのだ。次いで、何かが崩れる音と、女性のか細い悲鳴が上がる。ロリネさんと、他の使用人の方の声のようだった。
慌てて部屋を出る。部屋の向こうは螺旋階段になっていて、階上からでも辛うじて階下の様子が見えた。
階下には、ロリネさんと使用人が立ち竦み、そしてその真ん中には、先ほども見かけたロリネさんのお父上が……口を抑え、背を丸めて倒れ込んでいた。
その直後、脳裏に一つの可能性が過る。
占いにあった〝不幸〟というものが、もしロリネさん自身に降りかかるものではなく、彼女の大切な人にかかるものならば―――
反射的にクローゼットに引き返す。魔具の鞄であれば診療所まですぐに運べるのではないかと思ったからだ。だが、お父上の容態が分からない以上、無闇に動かすべきではないのかもしれない、と逡巡する。
クローゼットの中では、モレウさんがようやく立ち上がっていたが、あたしと同じように、今からどのような行動を取るべきか決めかねているようで、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「馬車の手配を! 診療所へ向かいます!」
その間に使用人の一人が声を上げる。再びドアへ引き返すと、手際よくお父上が数名の男性使用人に運ばれていくのが見えた。
流れでロリネさんもそれに同伴し、意図せぬ形で本来の目的を達成することになったのだった。




