02.もう一人の追跡者 Ⅰ
この異世界は、あたしが旅をしてきた範囲では、中世ヨーロッパのような文化を築いている。
異国の地の出土品と称されたオリエンタルな骨董品を扱っている店も見かけたので、恐らく東洋的な国もあるのだろう。おおよそは元の世界と似たような変遷を遂げているようだ。
だが文明に関しては、この時代には適切でない発展を遂げていた。交通手段でいえば、バイクに似た二輪車、飛空船など。飛行機や飛行船はあれど、船の形そのままの機体は、現代世界にも存在しなかったはずだ。
そういったものが存在している、往年のJPRGのような、昨今流行りの転生もののような、まぁよくある異世界だった。
にもかかわらず、今あたしは、そういった文明の利器を使わず、獣道すらない山道を走っている。
普段であればそんなことは絶対にしない。
理由は一つ。
「待てエナ! 話はまだ終わっていない!!」
この、アマゾルクとかいう変態マゾ男を撒くためだ。
町をまたいでストーカーされるのは、流石に初めてだった。
「だーッ!! どこまで着いてくるつもりだっ……このっ……マゾ男!!」
「俺の愛に応えてくれるまでだ」
息を切らしながら罵倒をするも、手応えなし。
むしろ……。
「この速度を保ったまま、夜通し険道を走るとは……素晴らしい」
あたしの評価を不相応に跳ね上げさせてしまったらしい。これまでの全ての行動が徒労に終わってしまった。
あんな茶番じみたパフォーマンスをしたのは間違いだった。これまでのヤツら大概、あれを見れば絡んで来なかったたのに―――
酸欠で霧がかってきた脳で、昨日今日の出来事を振り返り、あたしはふと解決策を思いつく。
そうだ。最初から無力なところを見せて、マゾ男の興味を失わせれば良いんだ。
相手をすればするほど、この戦闘狂はきっとあたしを買い被る。なら弱い所を見せれば良い。
ただ、あえて手を抜けば気付かれてしまうだろう。あの武術を使わないあたしの強さは大したことはないし、何より今は疲弊している。全力の攻撃を出しても、然したるダメージは与えられないだろう。
不意を突くように最後の力を振り絞り、渾身の回転蹴りを繰り出した。
「このッ―――」
下半身に遅れて、頭部が背後を振り返る。
だがそこにいたのは、マゾ男ではなく、見知らぬ男だった。
見知らぬ男は、あたしの全体重を掛けた不意打ちにより、数十歩後ろの木に吹っ飛んでいく。それより先に、あたしは重力に釣られて地面に倒れ込んだ。
心底驚いたが、疲れと息切れで声が出なかった。
対してマゾ男は驚いた様子はなく、どういうわけか満足そうに笑みを浮かべている。
「やはり追手に気付いていたな。上出来だ」
「……追手ぇ? アンタじゃなくて?」
嫌な予感がする。
急いで体を起こし、辛うじて開けた道に出てみると、月明かりが複数の人影を照らし出した。
山賊だ。
マゾ男の方に警戒を割いてばかりいて気付けなかった。こいつらが噂の、森を根城としている山賊たちなのだろう。
最初に蹴倒した男も、着古した服にちぐはぐな装備を纏っていて、確かに盗賊らしい恰好をしていた。
思わず構えて臨戦態勢を取る。が、マゾ男が伸ばした左腕に制止された。
「お前は戦うな」
「え?」
「これから俺と一戦交えるというのに、消耗されては困る」
「いや、しませんけど……あ」
あたしの返答を聞く前に、マゾ男が飛び出した。
先程も目撃した、その巨躯からは想像もできない速度。一切の守りを排除した両手での攻撃。
武闘家としては端くれも良い所で、他人の技術を評価できるほどの知識はなかったが、彼の戦闘には目を見張るものがあった。一般人であっても、その凄まじさに目を奪われるだろう。
師匠に教わったことがある。マゾ男は、相手を殺さず無力化する攻撃を行っていた。一撃で失神する箇所。酷い外傷にはならないが、激痛で身動きが取れなくなる部位。かなり大袈裟で乱暴ではあったが、それらを的確に狙っている。それも、この大人数を、足場が悪く、入り組んだ木々の中で。
山賊が木陰に隠れれば、回り込むよりも先に木の幹ごと相手を薙ぎ倒した。分厚い木の組織がみしみしと割けて倒れていく。
最後の一人は、その木が完全に倒された直後に、小さく悲鳴を上げながら逃げていった。
「他愛無いな」
気付けば、夜が明けていた。
山面が朝陽に照らされている。順に木々の隙間から日が差してきて、周囲に十数人の山賊が倒れているのが目視できるようになった。マゾ男一人で、よくこの人数を倒せたものだ。しかも、こちらに敵が攻撃してくる隙を与えずに……。
しばらく感心していたが、ふと冷静になり、ある後悔が湧き上がってきた。
(―――しまった! この騒ぎに乗じて逃げりゃよかった……!!)
あまりに圧倒的な激闘に、その場を動くどころか、目を離すこともできなかった。
だが、戦闘時間はほんの数分にも満たないほど短いものだった。この間に逃げ切るのは難しかっただろう。マゾ男のことだ、森の中で撒いてもすぐに逃走経路を探し当て、こちらに追いついただろう。そんな気がする。
言及されている本人はというと、息も切らさず周囲をうろついていた。
のびている山賊たちを一人ずつ見て回っている。そして、逃げ出した者以外を一人残さず確認すると、こう呟いた。
「……違う」
圧勝した側とは思えない神妙な口振りだった。
疲弊で思考が追い付かず、息も絶え絶えに「何が?」と尋ねる。マゾ男は、ようやくあたしの問いに返答をした。
「こいつらじゃない。追ってきていたのは―――」