10.美しき魔具 Ⅳ
ケセの後に真珠騎士団の団員が続く。
彼らが自分ではなくあたしたち側に着いている光景を見て、レグさんは戦闘を中断する。マゾ男もその不意を狙うことはない。
「……真珠騎士団団長か。何故こいつらを匿っていた?」
「今述べた通りです!」
「だ、団長さん……」
違います…と真っ向から否定してやりたかったが、今はぐっと堪える。
ケセをうまいこと利用すれば、どうにか窮地を脱することができるかもしれないという悪知恵が働いたためだ。だが、現実はそう上手くも行かず。
仕方ない。今の彼の相手は、あたしではなくマゾ男なのだから。
「……懲罰は免れないぞ。覚えていろ」
そう言い終えるとレグさんはもう片方の踵も叩き、両足のガラスの靴を露出させた。
重そうな靴で軽やかに駆け出し、するりとマゾ男の懐へ潜り込む。
俊敏な動きだったが、それに対応できないような男ではない。マゾ男は即座に両手を交差して体勢を取った。
だがその直後―――なぜか防御を解き、モロに胸部への攻撃を食らってしまった。
「マゾ男!?」
攻撃を受けた胸元がみるみるうちに燃え盛る。だが、火は間もなく消沈する。
靴の鉄板が打ち付けられた胸部にはわずかに火傷の痕が見えたが、すぐに周囲の皮膚から治癒していき、跡形もなく無くなってしまった。
防御をせずとも逃げる隙はいくらでもあった。先程の爆撃といい……どうもマゾ男は、自ら攻撃を受けに行っているように見えた。
この光景を目の当たりにし、然しものレグさんも細い目を大きく丸める。
「これでも無傷だと……? 貴様、何者だ?」
その問いにマゾ男は返答しない。ただ一言、残念そうに呟くだけだった。
「やはり…この程度の魔具では駄目か」
マゾ男は無事だった。だが今回は相手を倒せば終わるわけではない。
周囲の団員は蹴散らしたようだが、硝子騎士団のことだから援軍を用意しているだろう。
あの様子では、マゾ男は止められない。レグさんもまだ戦意は削がれていないようだ。ただ、もう一押しといったところだ。彼の戦意を喪失させれば、マゾ男も戦闘を止めるだろう。
あたしは部屋に引き返す。
「シレンさん……ごめんなさい」
彼女が手帳を手に取る間を与えず、あたしはある行動に出た。
こうなっては仕方がない―――
「―――動くな!!」
戦い続ける二人にも聞こえるよう、声を張り上げた。
背後からケセに近付き、首筋にあの魔具のナイフを翳す。
あたしが取った手段……それは、このポンコツ騎士団長を人質にすること。
どうせ指名手配されている身だ。これ以上罪状が重なっても何も怖くない。似たような修羅場続きだけど―――今はこの場を切り抜ける!
危ない思想に染まってきた自分が嫌になる。
「団長!!」
「クソッ、やはり賊だったか…!!」
ケセの命令で交戦を踏み止まっていたらしい真珠騎士団の団員たちも、遂に剣の柄に手を掛けた。
だがケセがすぐに手を上げ、それを制止する。
ケセを見ると、額に汗を浮かべていたが、非常に和やかな表情を浮かべていた。
「あの日……荒れた海に自ら入って、水を呑みながら命からがら叫び、私を救ってくれたこと―――ずっと、お礼がしたかったんです……こんな形でも……それが果たせたなら、身に余る光栄です」
「……あんた……」
そこまで覚えていて顔は覚えていないのか……
いよいよシレンさんに申し訳なくなってくる。
だが今は……逃げることに集中しなければ。
「マゾ男! 魔具とこの人数相手じゃ分が悪い! このまま逃げるよ!」
未だに戦いを続けるマゾ男を諫める。だが、レグさんには案外効いたようで、攻撃の手を緩め、防御に回っていた。
「なんだ、もう少しこの魔具の威力を試したいんだが……」
「受ける側が言うセリフかそれ? ……でも、これじゃレグさんも戦えないでしょ」
程なくしてそのことにマゾ男も気付き、距離を置いて攻撃を止める。ただ警戒は緩めていないようだ。あたしと会話をしつつ、彼を見つめている。
それからあたしは真珠騎士団の団員たちに向かい「四人乗れる騎馬を用意して、あと灯りと地図も!」と指示をする。あたしの腕の中でケセも頷き、団員たちは不承不承町の方へ戻っていった。
この間レグさんは一切手を出さず、苦い顔で団員たちの動きを見守っていた。
程なくして、団員がバギーのような形状の騎馬を調達してきた。座席はちょうど四人分。これなら人質のケセを含めた四名がちょうど乗れるだろう。
騎馬を家の隣に停めた後、団員が降車する。あたしは家の壁を背にして、ケセと共にそれに乗り込んだ。家の中から出てきたレデヤ君もその後に続き、最後にマゾ男がレグさんを警戒しつつ、運転席へ搭乗する。
人質として、ケセは町から出るまでは連れて行く。
「……待っ、で……!」
聞いたことのない女性の声が響き渡った。
その場にいた全員が、声の発生源に目を向ける。
その先は小屋の玄関。そしてそこでは……シレンさんが壁に寄りかかりながらも立ち上がり、潰れたはずの声を張り上げていた。ただ、まだうまく声が出せないらしく、掠れている。
「エナ、ざん……ケセ様、を……どうか……!」
「こ、この声……」
ケセが何かを察したように声を上げる。
彼の首元を見てみると、紙で切ったようなごくわずかな傷ができていた。移動中、ナイフの切っ先が皮膚に軽く触れていてしまったらしい。
まさか……これで声が戻ったのか?
「シレン…その声……まさか君が私を……!?」
勘の鈍い、というより人の言う事を効かないケセも、本人の声を聴いて遂に気付いたらしい。
……自分を助けたのがあたしではなく、シレンさんだということに。
彼女の体が元に戻ったのは喜ばしいことだ。だが……非常に間が悪い。
ケセはあたしが命の恩人だと信じ込み、指名手配犯だと分かっても逃がそうとしてくれているのだ。それが別人だったと知れれば、あたしを差し出すことだって有り得る。
恐る恐る、ケセの反応を待つ。
あたしがナイフを離すと、ケセはしばらく黙した後、目にもとまらぬ速さで振り返った。
「ま、まさか貴女―――シレンの声を戻してくれたのですか!?」
……。
ち、違うんだけど……。
どうやらまた激しい勘違いをしてくれたらしい。いや、確かに彼女の体を戻したのはあたしではあるんだけど……。
ケセは腕を上げ、自身の団員たちに指令をした。
「お前たち! 剣を下ろせ!! この方は私の命の恩人を救ってくれた恩人です!!」
何やらややこしいことを叫んでいる。それを聞いた団員たちは互いに顔を見合わせ、どよめいている。当たり前だ。大方、また団長の勘違いが始まったとうんざりしているのだろう。だが命令には忠実で、こちらに向けていた剣を次々と下ろしていってしまった。
……この反応なら……解放しても大丈夫かもしれない。
あたしが促すより前にケセは騎馬から降車し、シレンさんのほうへ駆け寄った。
シレンさんもケセに歩み寄るが、まだ足のおぼつかないようで、よろめいている。
「ケセさま…!」
「シレン!」
倒れ込みそうになるシレンさんの肩を抱えるケセ。それから二人は体を寄せ合い、周囲の喧騒そっちのけで微笑み合っていた。
意図していない結果ではあるけど……良かったな、シレンさん。
ただ、人質が解放されてしまった今、彼を縛るものは何もない―――彼らの後方で、レグさんが苛立ちながら踵を叩き、炎を揺らめかせていた。
「……何があったのかは知らないが……罪人は罪人だ。拘束させてもらおう」
「レグティフ様!」
それを阻止するようにケセが声を上げる。その声に応じるように、真珠騎士団の団員たちがレグさんの行く手を阻んだ。レグさんはまた眼鏡をかけ直し「忠実な団員だな」と、皮肉っぽい言葉を吐き捨てていた。やはり同じ騎士団には手が出せないようだ。
その隙を見て「マゾ男、今のうちに」と騎馬を走らせるように彼に促す。マゾ男は全速力を出し、騎馬を走らせた。
追撃されぬよう後方を警戒していると、最後にシレンさんと視線が合う。
シレンさんは呆気に取られたような表情を浮かべていたが、その瞬間、あたしに柔らかく微笑みかけてくれた。
◇