10.美しき魔具 Ⅰ
難破後、二回目の夜が訪れた。
あの後、正気を取り戻したレデヤ君はしばらくマゾ男と啀み合っていたが、まだ本調子ではなかったのか、はたまた民家だから気を遣ったのか、ドンパチを始めずに寝入ってしまった。あたしはその横で、今日は巻き込まれずに済んだと安堵する。
それと入れ替わるように、今度は船長が目を覚ました。
船長によれば、現在の日付と照らし合わせると難破は約四日前だという。あまり時間は経っていないようで安心した。
付近の海域で事故が多いとシレンさんに聞いていたため、今回の難破はそれが原因だと思っていたのだが、船長によれば、あの時遭難した時点ではこの海域からは遠く離れていて、ここ一帯の海流の影響を受けた難破だとは考えにくいらしい。そしてその難破地点から、この町の浜辺までこれほどの無傷で流れ着くのはあり得ないそうだ。
まるで、神憑り的な力が動いているとしか思えないと。
……神か。
転生後、久方振りに聞いたあの謎の声……自らを〝神に近い存在〟だと称していたけれど。
これが、あの声が寄越した試練だと言うのだろうか。それにしては、前回や前々回、騎士団と出会した時よりは大分楽に感じる。それとも、これでもまだ序の口なのか……
気懸かりだけど……こんなこと、相談できる相手はいない。
ひとまず、今は体調を回復させることを優先しなければ……
良い時間になってきたので、あたしは台所と食材を使わせてもらい、ありあわせで夕食を作った。
寝ていたレデヤ君はあたしの手料理だと聞くや否や飛び起き、すぐに食事を平らげてしまったが、その後ほどなくしてシーツに包まって寝てしまった。船長は食事にほんの少し手を付けただけで、同じくすぐ寝入ってしまう。
マゾ男は食後、手前のベッドに体を横たえていたが、目は覚ましているようで、時折動いている気配があった。
夕食を終えたあたしは、遠慮するシレンさんを説き伏せ、再び皿洗いを手伝っていた。
この手の家事は久々だ。冒険者になってからはずっと外食続き……店での食事も、野宿でのガチの外での食事が大半だったから……多分、まともに台所に立つのは、店にいた時以来だろう。あの頃も客に絡まれてはいたけれど、今よりはずっと平穏だったな…と回顧する。
あれからずいぶん経ってしまったけど、皿洗いの動作は体に染みついていた。慣れた行動を繰り返していると、次第に身も心も落ち着いてくるものだ。自分のためにも家事を代わってもらって良かったなとしみじみ感じる。
「シレンさーん。これ、どこに仕舞えば良いですか?」
〝それは左手前の棚にお願いします〟
皿洗いを後え、拭いた食器を棚へ戻す作業へ移った。
筆談なのに、シレンさんは都度丁寧に〝お願いします〟と付け足している。真面目な人だなぁと思いながら、指定された棚を開き、仕切られた布切れの上にフォークを収める。
その途中、不自然なものが視界に入る。
あたしたち冒険者にとっては見慣れたものだったが、ここにあるべきではないものだった。
「シレンさん、これ……魔具じゃない?」
あたしが問いかけると、シレンさんは〝マグ?〟と疑問符の付いた走り書きを見せてきた。
「こっちの地方では魔導具…かな? ほら、まだ魔術があった大昔の遺物ですよ」
魔具。あたしたち冒険者が収拾している、旧時代の遺物だ。開いた棚の奥に、その文様が記されたナイフの柄が見えたのだ。
棚を奥まですべて出し切るが、刃は布で包まれていて見えない。なのに、近寄り難い力を感じた。
あたしの言葉にシレンさんは呆気に取られ、少し遅れてから手帳に〝そんな価値のあるものだったんですか……〟と驚きを記す。
「差し支えなかったら、見せてもらっても…?」と控えめに尋ねると、シレンさんは静かに首肯した。
迂闊に触れられないので、布で摘むようにして持ち上げてから、台所のシンクに広げ、その全貌を確かめる。
刃には使われた形跡は一切なく、遺物であるはずが新品に近い。刀身にも魔術の文様が彫られている。となれば、恐らくこの刃に何かが触れることで発動する仕掛けがあるのだろう。
そしてその刃の下には、見るからに古い製造方法の紙が隠すように同封されていた。そこには、青色が滲んだインクでこう記されていた。
〝この刃に愛する者の血を注げば、所有者の受けたあらゆる傷が癒されるだろう〟
文字が目に入った瞬間、脳裏に、昨日マゾ男に語った人魚姫の物語が思い浮かぶ。
……まさか、ここまであの通りの展開になるなんて。
それに……ここに書かれていることが本当なら、この魔具は冒険者垂涎ものどころの話ではない。騎士団の目に触れれば、問答無用で押収されたっておかしくない代物だ。
一般的な魔具は前の世界で例えるなら電池で、具とは言いつつ、ほとんどが器具としては機能せず、騎馬などの動力源としてしか使えないものが専ら。
その中でごくまれに、こういうふうに道具として使えるものが出てくるのだ。ただ、ここまで具体的な用途で、その上とんでもない性能だと……
王国、そしてその直下の白雪騎士団のような有力な騎士団は、そういった魔具を数点所有しているとされている。…うちの国王も特殊な魔具を所蔵していた筈。
こういった複雑な魔具は、遺産的な価値だけには留まらず、国力をも左右しうる。国としては喉から手が出るほど欲しいはずだ。
あたしはすぐさま「こんなもの、一体どこで手に入れたんですか?」とシレンさんに訊ねるが、彼女から返されたのは〝私にも分からないんです〟という不明瞭な答えだった。
分からないなんて……一族で代々受け継いできたものだろうか? それにしては、管理があまりに杜撰過ぎる。
それからしばらくの間、あたしはシレンさんを放って考え込んでしまう。その間、ずっと俯いていたシレンさんだったが、不意に意を決したように顔を上げる。
〝詳しい方なら、信じてもらえるかもしれません……〟と前置きを書いてから、事の経緯を走り書きし始めた。
この魔具が彼女の前に現れたのは、あの真珠騎士団団長、ケセを助けた後だという。
実は彼女、それより以前は足は不自由ではなく、喋ることもできたらしい。漂流者の保護はそれ以前から行っている彼女の習慣だった。
ある大雨の晩、海が荒れているのを見て、船の難破を予期して、シレンさんは浜辺近くに出たらしい。
見事勘は的中し、いくつかの漂着物と共に、あの浜にケセが流れ着いてきたそうだ。
浜辺の上の方に打ち上げられていれば良かったのだが、彼の体はまだ波打ち際を揺蕩っており、また波の中へ引き戻されてしまいそうになっていた。
シレンさんは危険を承知で彼へ近付き、すぐさま彼を引き上げようとする。幸い、その時のケセは鎧を着ていなかったそうだが、それでも海水を吸った服を着た男を華奢な女性一人で引き上げることは叶わず、二人して波に攫われてしまった。
「ッ――誰か! 誰か―――!!」
大雨で声が掻き消され、街の方には届いていないようだった。そうでなくとも、こんな雨の晩に荒れた海に近付こうとする町民などいないだろう。海の町の人間は海の恐ろしさをよく知っている。決して近寄らない筈だ。
その内、叫ぶ体力も尽きてしまったシレンさんは、奇跡を待つことしかできなくなってしまった。
―――お願いします。私の身はどうなってもいい。だからどうか、この方をお救いください!
人の命に優劣など存在しないが、騎士団長が死んでしまっては町は混乱に陥り、町民は深い悲しみに暮れるだろう。ケセはあんなだが、人は良いらしく、団長としては非常に立派な振る舞いをしていたのだという。その話は、町の片隅で暮らすシレンさんにも届いていた。
だから、彼だけでも助けなければ―――そうシレンさんは願ったそうだ。
だが、それは心の声だ。誰にも答えようがない。にも拘らず、その声に応える人がいたのだという。
「謎の声……?」
シレンさんが見せてきた手帳には〝信じられないかもしれませんが、謎の声に呼ばれたんです〟と記されております、その次にはこんな言葉が続いていた。
―――その願い、叶えてやろう。だが、代償はいただく―――
その直後、シレンさんの足に激痛が走り、動かなくなった後……同時に声も失った。
それと同時に波が押し寄せ、シレンさんをケセもろとも浜辺へ押し返す。
飲んでしまった海水を吐いていると、その隣でケセも水を噴き出し、蘇生した。
それからタイミングよく浜辺へ数名の町民がやってきて、二人を救助したのだという。
不思議なことに、この時駆け付けた町民たちは、シレンさんが昔から足の不自由な女性だったと記憶していたらしい。全員には確認していないが、恐らく、他の町民もそうだろうとシレンさんは言う。
そのこともあって、この件に関わった者全員が、シレンさんのこの体では救助などできないため、女性の救助者は別にいて、シレンさん自身は恐らく同じ船に搭乗していた難破者だろう、という結論に至った。
言葉を失ったシレンさんは、そのことをその場で訂正することはできなかった。かといって恩を売るつもりは毛頭なかったので、今の今まで黙っていたらしい。
ちなみにこの時、このままでは生活ができないだろうとケセから車椅子をプレゼントされたらしい。
それからもケセは度々彼女の見舞いや世話に訪れた。公務のある日を除けば、ほぼ毎日のようにやってきたらしい。まあ、その日課のせいであたしと出会ってしまったのだけれど……
その内、シレンさんはすっかりケセのことを好きになったのだという。
それからしばらくしたある日のこと。
車椅子での生活にもある程度慣れ、部屋の掃除をしていたところ―――空だったはずの箪笥の棚の中に、突然、箱に収められたあの魔具が入っていたことに気付いたのだという。
もちろん、購入した記憶もプレゼントされた記憶も一切ない。これまでの漂流者の忘れものかとも思ったが、箱には確かに名指しで〝シレンへ〟と書かれていたらしい。
これで、シレンさんが真実を話しづらそうにしていた理由も分かった。確かにこんな夢のような話、誰にも信じてもらえないだろう。
だがあたしは、恐らく……彼女と同じ声を聞いている。
「……あたし、信じますよ」
あたしを転生させ、そして先日、試練を与えると言ったあの声―――
なんと悪趣味なのだろう。元の体に戻りたくば、自ら救ったあの男を刺せと言っているのだ。
あたしの一言に、シレンさんは〝ありがとうございます〟と書かれたページを見せてきた。
「魔具か……そんなもの、みだりに関わるものではない」
背後で話を聞いていたらしいマゾ男が、このタイミングで突然声を上げる。彼に目を向けると、珍しく不機嫌そう顔を浮かべていた。
魔具を使えば手っ取り早く強くなれるだろうに……まあ、彼の信条としては自分一人の力で強くなりたいようだし、確かに魔具は嫌っていそうだ。……なんであたし、こいつのこと分かった気でいるんだろう……
だがまあ、今回ばかりはマゾ男に同感だ。こんなもの、使うべきではない。
あの声自身が造り出したのか、はたまた既存の品を寄越してきたのかは分からないけど……一体どんな気持ちでこんな道具を造ったのだろう。
何より、これはシレンさんのものだ。外野がとやかく言うことではない。あたしはナイフを布に包むと、棚の奥へと戻した。
それから残りの皿を全て収納し終えた頃、外から複数の金属が軋む音が徐々に近付いてきた。
噂をすれば……真珠騎士団の鎧の音だろう。全く、こんな夜更けまで飽きないものだ。
「はあ、またか……あたし隠れとくから、適当にやり過ごしといて」
「……違う」
「え?」
「足音が、違う」
扉が開く直前、マゾ男があたしの肩を抱き、レデヤ君と共に物陰に身を隠す。
ノックも伺いも立てず、扉を開いて踏み込んできた男は……ケセでも、真珠騎士団でもなかった。