03.変のトライアングル Ⅳ
あたしが次に目を覚ます時には、周囲は真っ暗になっていた。閉め切られたカーテンの向こうにだけ、ほんのわずかな光が確認できる。この弱々しさは月明かりだろう。夜明け頃に町に入って、すぐに出て、小屋についてから一時間と経たずに寝た筈だけど……もう夜らしい。ある程度掃除してから寝袋を敷こうと考えていたのに、余程疲れていたようだ。
上体を起こそうとベッドに腕をつくと、指が何かに触れる。ある程度の硬さの何か。と言っても、表面は柔らかい。
それが人の指だろうと分かったのは、触れてすぐのことだった。
「……エナ…」
その視線が暗闇でも熱を帯びていると分かったのは、視線の主の声が妙に色気を帯びていたからだ。
ヤンデレ君だ。彼がいつの間にか添い寝してきている―――この段階であたしはようやくそれに気付き、彼から手を離して飛び起きた。その筈だった。
それより彼のほうが速かった。あたしの手と恋人繋ぎにして、腕を引いてそのまま覆い被さってくる。
「積極的だね……」
「いやっ…それはこっちのセリフなんだけど……」
刺激しないようにと普段通りの会話を心掛けるが、この時点ではもう遅いだろう。
暗闇で目視できないが、彼の顔が迫ってきている気がする。
「いや、ちょっ待……や………」
……だめだ。これはもう止められない。そう悟ったあたしは、彼の腕を胸の中に引き寄せた。
ヤンデレ君が「えっ!?」と嬉しさ半分驚き半分の声を上げる。
「やめんか―――ッ!!!!」
叫び声を上げながら、彼を頭上へ投げ飛ばす。彼の体と山賊たちの荷物が床へ雪崩れる音が聞こえた後、床が大きく揺れた。向こうは攻撃するつもりではなかったようなのでダメージは加わっていないと思うけど、落下の衝撃は食らっただろう。
やらかしたと思って、慌てて室内灯を点けて彼の姿を探す。姿は見当たらなかったが、崩れた荷物の山の下から「流石はエナ……」という恍惚とした声が聞こえてきた。大丈夫っぽい。もしかすると彼もマゾなのかもしれない。
「見事だ」
彼とは別の声が聞こえてきたので振り向いてみると、そこには後方彼氏面でドヤ顔をしているマゾ男がいた。
彼のスタンスから察するにあたしが襲われても助けないだろうし、こちらも助けてもらおうなんて気も無かったが、こんな態度でいられるとやはり腹は立つ。
「レデヤとやら。寝込みを襲うのは公正ではないだろう」
「今のそういう話じゃなかったよね!?」
伴侶だ何だと言っておきながらこの天然っぷり、果たして彼にそういった知識はあるのだろうか。
荷物の下から周囲に見えないハートを飛ばしていたヤンデレ君だったが、そのマゾ男の発言で一転して不機嫌になったらしい。荷物の山をかいくぐって飛び起きると、マゾ男の前に立ち塞がった。
「……おまえにとやかく言われる筋合いはないぞ」
「ある。伴侶だからだ」
「エナはおれの恋人だ!」
「……英気も養ったところだ。始めるか?」
また言い争いが始まって、その内に取っ組み合いが始まる。
小屋が揺れ始め、周囲に埃が舞い始めた。
せっかくの快眠でようやく気持ちが落ち着いていたのに、再び苛立ちが募る。それが沸点に到達するのに、そう時間はかからなかった。
「お前ら……外でやれ―――!!」
◇
くしゃみをしながら室内の埃を掃き終えてから、あたしは小屋の外で待機している彼らを呼び戻した。
「とりあえず……あの子達を送ってくれてありがとね」
怒鳴りつけてしまって、言うタイミングを逃してしまっていたので、改めて礼を言う。ヤンデレ君は嬉しそうにしていたが、マゾ男は「お前が何故礼を言う」と首を傾げていた。
山賊に拐われていた兄妹は、無事に家まで送り届けられたそうだ。それから小屋に戻ってきた二人も、流石に肉体の疲弊を感じて眠りについたらしい。ヤンデレ君のほうは、あたしをしばらく眺めてから添い寝をしていたのだとか。最後の情報はあまり必要性を感じなかったな。なんで話したんだろう。
事の顛末を語り終えてから、マゾ男がテーブルの上にあった二つの袋を指さす。もう片方は麻袋で、もう片方は紙袋だった。記憶が曖昧なので確証を持っては言えないが、あたしが寝付く前は無かったと思う。
一体何かと問うと、ヤンデレ君が兄妹のご両親からのお礼だと説明してくれた。子供たちの話によると、山賊たちは帰りの遅さを家族が不審がる前にと、明日にでも彼らを売る算段を立てていたらしい。今日あたしたちに助けられなければ、今頃は異国の地だったと、とても感謝していたとのことだった。たまたまその場に居合わせたというだけなのに申し訳ない。
それにしても、こんな危険な山賊が野放しにされているなんて。本当に騎士団は仕事をしないな……危険さの割に彼ら二人で制圧できるほど弱かったし、すぐ捕まえられただろう。いや、やっぱり二人が異常に強いんだろうか……
そう思い至ったところで、二人を交互に見遣る。
「……二人がもらえば、それ」
山賊をこらしめたのは彼らであって、あたしは何もしていない。
マゾ男は「だが、提案者はお前だろう」と言われ、少しだけ気持ちが揺らいだ。それでも「いーよ」と突っぱねると、「ならそちらだけでも腹に入れておけ」と言って、もう片方の紙袋を指した。
懐に、の間違いではないかと紙袋を手に取ってみる。それなりの重さがあった。開いてみると、中にはパンと燻された肉、牛乳瓶が入っていた。この国では定番の軽食だ。そういえば、朝から何も食べていなかった。空腹を今やっと思い出したように腹が鳴った。
「狩りは嫌なんだろう」
マゾ男からそう言われ、この森に棲息する兎似の生物が脳裏に浮かんだ。
そういえば朝方、そんな話をしたっけ。はっきり嫌だと伝えた記憶は無いが、あたしが狩猟に難色を示していたことに気付いていたらしい。意外だった。感情の機微には疎い男なのだろうと思っていた。
「……まあ、同じ動物の肉だとは思うけど……」
「なんだ、獣の種類の問題だったか」
「いや……ううん。大丈夫……」
彼に感謝を伝えたかったが、またヤンデレ君と喧嘩をされては困るので、やむなく言葉を飲み込む。その代わりに、差し出された食事を掻っ込むように口に入れた。
パンを牛乳で流し込むように飲んで、周囲を見回す。
探した限り目につく場所には時計が見当たらなかったので、自分の懐中時計を取り出して時刻を確認する。もうじき夜が明ける時間帯だった。まさかそんなに長い間寝ていたなんて……晩飯のつもりで食べていたけど、これではもう朝飯だ。徐々に昼夜逆転しつつあることに若干の焦りを覚える。
それにしてもあの山賊たち、なかなか良い暮らしをしている。人数分は無いもののベッドはあるし、そこらじゅうに光るものが目についた。ヤンデレ君が隠れるほどの荷物もある。
半分は盗品だろう。届けてあげたいが、人間でもない限りは今回のように他人に感けるのは避けるべきだろう。町の人々はともかく、騎士団は賞金首を把握している筈だ。もしあたしの顔が割れたら―――
「そういえば」
不意にマゾ男が、何気なしに声を上げる。
「何者かがこちらに近付いてきている」
「はぁ!?」
耳を澄ましてみると、確かに小屋の外から走行音が聞こえた。
もっと早く言えと文句を言いたくなったが、走行音が小屋付近で止まったので、再び言葉を呑み込む。部屋の明かりも消したかったが、それ自体が人がいると知らせるようなものなので控えた。
マゾ男がカーテンの隙間から外を覗き込み、様子を伺う。
「……騎士団だ」
噂をすれば……あたしの居場所が知られたのかと肝が冷えるが、今回は恐らく山賊の方がお目当てだろう。ここの山賊はかなり前から問題視されていたようだから。今になってやっと仕事する気になったのか……ていうか、何でよりにもよって今日なんだ。遅いっつうの!
戦おうかという考えも一瞬思い浮かんだが、騎士団を相手にするのは分が悪いし、何よりあたしの顔が割れたら罪状と賞金が増えてしまう。
逃げようにも小屋には出入り口は一つしかない。とはいえ、裏口があったところでそこも包囲されていただろう。窓から見える位置にも団員がいるようだ。
「七人か……よし、戦ってくる」
普段通りの平然とした態度……いや、どことなく嬉しそうな様子で、マゾ男が外に飛び出していく。ヤンデレ君も「エナは隠れてて」と言い置き、さりげなくあたしの肩を抱いてから彼の後に続いた。
七人という言葉に引っかかりを覚え、あたしはほんの一瞬、引き止めることを忘れて考え込んでしまう。
「あ……ダメだ! 待って!!」
ヤンデレ君は即座に立ち止まってくれたが、マゾ男を引き止めるにはもう遅かった。二人で彼を追って外に出ると、既に団員と拳を交えていた。
だが、団員からはどうも本気で制圧しようという気が見えない。
「マゾ男! こいつらの目的、足止めだ!!」
その言葉の後、一瞬の静寂がその場を支配した。そしてその一瞬の間にあたしの耳は、遠方で唸る低い機械音を捉える。
やっぱり。ああ、まずい。この音は……
静かに嘶きながら、二輪の馬が小屋の前を旋回する。
金の縁取りと白い塗装の魔動二輪車―――通称〝騎馬〟だ。
車体と鎧には、雪の結晶を模った白銀の紋章があちこちに付けられていた。
考えられる中で、一番まずい事態になった。
―――騎士団団長の、お出ましだ。




