第19話 トビサソリはもう7回産卵してるっていうのッ!
ダニー博士はパチパチと軽い拍手を真面目ながら俺の回答が正解だと教えてくれる。
「だとすれば、トビサソリはもう7回産卵してるっていうのッ!」
トビサソリが自分達の予想を超えて複数回産卵しているという事実を知って恵子は悲鳴を上げる。
”私は、その可能性が高いと思うよ。いくらトビサソリが一回の産卵で10万個の卵を産むとしても血液54リットルは多すぎんだ。
多くの人が誤解しているが、蚊が他の動物の血を吸うのは、卵が成長するためのたんぱく質を確保するための特別な行動で、トビサソリもガリ・ニッパーもほかの動物を積極的に襲う獰猛な習性は持っていないんだ”
「五大湖の周辺にトビサソリの卵が70万個。これって、運よくマモノになる個体が出てこなくてもヤバくないか?」
俺の脳裏に70万匹のガリ・ニッパーがデトロイト市内を飛び回る光景が浮かび上がる。
「ヤバいですね。デトロイトで史上空前のガリ・ニッパーの大量発生事件が起こります。おまけに、トビサソリの産卵行動が7回で終わる保証はどこにもない」
俺と同じことを想像したと思われるアイリスが頭を抱える。
「なんのそれ? トビサソリの奴、1回じゃ飽き足らずなんで、そんなポンポン卵産みまくるのよ!?」
"そればかりは自分の分身を増やそうとする生物の本能と考えるしかないね。ただ不幸中の幸いは、いまトビサソリが生んでいるのが越冬卵だということだね"
ダニー博士は、トビサソリが産み付けている卵は幼虫や成虫では耐えられない寒い冬を生き延びるための卵で、産み付けた卵は水温が15度を超えなければ孵化しないと教えてくれる。
「ガリニッパーの成虫が活発に活動するのは7月から9月になので、いまからエリー湖とヒューロン湖周辺の大規模な捜索をすれば幼虫の段階でガリニッパーを駆除できるかもしれません」
ガリ・ニッパーの卵が孵化していないと聞いて、アイリスはそこに希望を見出す。
"そして最後にトビサソリ本体の動向。いまのところ最後に犠牲者が出たのは4月2日。それから本日4月10日までトビサソリによる犠牲者は出ていない。今までの傾向から考えると現在は7回目の産卵を終え、新しい卵を作っている最中だ"
ダニー博士は何もしなければトビサソリは新しい卵を育てるために再び人を襲うと宣言する。
「俺達は、新たな犠牲者が出るのはなんとしても避けたいです。ダニー博士、トビサソリを見つけ出すために何かいいアイディアはありませんか?」
"それはなかなか難しい質問だな。トビサソリの元になったガリ・ニッパーの普段食べるのは花の蜜や樹液だから。トビサソリはツガイのオスと共に郊外の森林地帯に潜んでいる可能性が高い。森の中に監視カメラを設置してもいいが、対象範囲が広すぎて焼け石に水だろうね"
「そもそも、デトロイトの北と南、どっちにいるかも見当がつかないですね」
デトロイト周辺の地図を見て牙門が指摘する。
デトロイトは人口50万を超える大都市だが、アメリカ五大湖のエリー湖とヒューロン湖に挟まれており、湖の湖畔には国立公園や野生動物保護区が複数存在するのでトビサソリが身を隠す場所には事欠かない。
"正直に言おう。もしトビサソリを補足するなら、街に人を襲いに来たところを待ち伏せするしかないと思う"
トビサソリを見つける方法がないが頭を悩ます俺達にダニー博士がとんでもない発言をする。
「人を襲いに来たところを待ち伏せするって、犠牲者が出たらどうするんですか!?」
アイリスが博士の提案を非難する。
ダニー博士の提案は実質、デトロイトに住む人達をオトリにすると言っているようなものだ。
"私だって、住民をオトリに使う作戦が最善だというつもりはないよ。しかし、森に逃げんこんだトビサソリを探し出すのは現状では不可能だ。私は不可能に挑戦するよりも、一番確率の高い作戦にリソースを注ぎ込むことをおススメするね"
と、ダニー博士は反論する。
「これはもう、腹くくるしかないな。ダニー博士、待ち伏せ作戦を行うにあたって何か気を付けるべきことはありますか?」
俺はデトロイト市内でトビサソリを待ち伏せする前提でダニー博士にアドバイスを求める。
「衛、自分が何を言ってるかわかっているんですか? トビサソリが人を襲いに来たところを待ち伏せするということは、もし失敗したら……」
「もちろんわかってるッ!」
トビサソリを市街地に誘い込んでから待ち伏せする作戦は、仕留められなければ確実に犠牲者が出る。
「だけど博士が言うように、トビサソリが町の北か南の森林地帯に隠れているなら、あてもなく探し回ってもマモノは見つからない。可能性は限りなくゼロに近い」
成功する確率が限りなく0に近い作戦に、時間も人も注ぎ込むことはできない。
ダニー博士の言う通り俺達は腹をくくるしかないんだ。
「とはいえ人を襲ために町に来たところを待ち伏せするとしても範囲が広すぎるな。トビサソリを探し出す手段を確立しないと安易に待ち伏せ作戦はできない」
先ほどから地図を片手にダニー博士の話を聞いてた牙門が、市街地での待ち伏せ作戦も難易度が高いことを指摘する。
「なら、こういうのどう? あと10日くらい経ったらトビサソリへの特別警戒態勢を一段階上げて、市民にトビサソリを見かけたらすぐに警察に通報するよう周知してもらうの。目撃情報で現在地を確認できれば捜索の難易度はかなり下がると思うんだけど」
恵子が市民の目撃情報をもとにトビサソリのもとに駆け付ける案を提案する。
"目撃情報か、確かに市民から目撃情報がきちんと通報されればトビサソリを発見する確率は大幅に上がるね。
では最後のクエスチョンだ。
トビサソリは昼行性で主に夕方、空を飛んで移動している。翼開長200センチ、体長90センチの巨大な蚊が5か月間にわたって人を襲っているのにアメリカ政府がトビサソリの存在を隠し通せたのはなぜだろう?"
不意に、ダニー博士は衛達を試すように問いの言葉を発する。
確かに言われてみると不思議な話だ。
トビサソリは、グレンゴンやキュウベエのような目の前にあるものを手当たり次第にぶっ壊す暴力の化身ではないが、昼間に長90センチの巨大な蚊が飛び回っていたら目撃者も出るし、誰かが動画撮影をするはずだ。
そして動画が投稿されたら、今の情報化社会ならあっという間に巨大生物の存在は世界中に拡散するだろう。
「まさか!? いままでデトロイト市民からトビサソリを見つけたという目撃情報が通報されていない」
ミ・ミカは慌ててスマホを取り出して動画投稿サイトを表示する。
俺も動画投稿サイトでトビサソリの姿を撮影した動画がないか検索してみるが、該当する動画は一つも投稿されていなかった。
「これアメリカ政府が検閲しているわけじゃないですよね?」
ミ・ミカが問うとダニー博士は無言でうなずく。
”これは私の予想だが、トビサソリは何らかの方法で姿を隠し、犠牲者は逃げるどころかトビサソリの接近に気づくこともなく、気づいたときには口を差し込まれ血を吸われていたと考えられる。
体長3センチのガリ・ニッパーならともかく、体長90センチを超えるトビサソリの接近に気づかないなんてにわかに信じられないけどね”
そういいながらダニー博士は肩をすくめる。
「姿を隠す……そうかギタイだッ!」
何かに気づいたハ・ルオが歓声をあげる。
「トビサソリは虫魔法≪ギタイ≫で姿を隠しているんだと思いますッ!」
ハ・ルオはトビサソリの使う虫魔法≪ギタイ≫の性能を説明してくれる。
「ギタイは文字通り、一部の昆虫が体色を枯葉や花に似せて姿を隠す能力を再現する魔法です。使用者の意思に従って自在に色を変える光の膜で全身を覆います。そうだな……」
ハ・ルオは魔道具トビサソリを手にするとホワイトボードの前に移動する。
虫魔法≪ギタイ≫
魔法を発動するとハ・ルオの上半身はホワイトボードに、腰から下は壁紙と同じ色に変化する。
"すばらしいッ! これが魔法か"
初めて魔法を見たダニー博士は、歓声をあげる。
「うわッ! この魔法ヤバいな。ギタイ使ったら、どんな場所でも確実に奇襲できるじゃねえかッ!」
俺は戦場でギタイを使った敵に奇襲されたときのことを想像して背筋が寒くなる。
「トビサソリは、空の色に溶け込むようにギタイを使って市街地に侵入しているんだと思います」
ハ・ルオが自分の見解を述べると、多分それが正しいと全員が同意する。
「しかし、どうするんだ? 市民からの通報がないと待ち伏せ作戦なんて無理だぞ」
デトロイト市内でトビサソリを待ち伏せすれば森林地帯を捜索するより警戒範囲を大きく絞ることができるが、市民からのトビサソリ発見の通報を受けてそれに対応して出動する作戦が使えなければ、それでもカバーする範囲が広すぎる。
「ダニー博士……情けないのを承知でお願いなんですが、トビサソリを捕まえるための妙案って何かありませんか?」
俺は藁にも縋る思いでダニー博士にトビサソリを見つけるためのアドバイスを求めるが、ダニー博士は申し訳なさそう声音でつぶやく。
”すまない。私はガリ・ニッパーの生態については、アメリカで一番詳しいと自負しているがさすがに魔法で姿を隠す相手に対抗する手段は思いつかない”
「クソおおッ! やっぱりそう簡単にはいかないか」
ダニー博士のおかげでトビサソリの習性、行動原理、人から身を隠す方法については推測できた。
それは間違いなく大きな前進なのだが、最後のピース。
トビサソリを見つけ出し、迎え撃つ方法が見つからない。
”そうだな……この情報が役に立つかどうかわからないが、蚊に刺されやすい人の条件。正確には蚊がどのような情報を基にして血を吸う相手を選んでいるかは、生態研究の結果明らかになっているんだ”
ダニー博士の最後の助言を聞いて、俺達はミシガン州立大学を立ち去った。
本作を読んでいただきありがとうございます。
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