第18話 ガリ・ニッパーの専門家って、どんな人かな?
――天原衛
4月8日午後13時。
ピューピューと、山岳地帯から吹き込んでくる冷たい風を浴びながら俺達は石畳で舗装された歩道をコツコツと足音を立てながら歩いていた。
周囲を見渡すと、まばらに建つ高い建物の周囲には街路樹や芝生が整備され、車の乗り入れも制限されているので、どこかノンビリとした雰囲気が漂っている。
俺達が居るのはミシガン州立大学。
文字通り、俺達の居るミシガン州が設立した公立の大学だ。
この大学の理学部は、古生物学、動物学、昆虫学と特定の生物にフォーカスして研究を進める学科が存在していて、その中の昆虫学科に俺達が教えを請いたいガリ・ニッパーの専門家が居る。
ちなみに今日、ミシガン州立大学に来ているのはPHCアマハラに所属する8人だけだ。
ルーペ中尉も行きたいと言っていたが、彼は自分が提案した元ダーク・ウォーカーの社員を雇用してデトロイト市の治安を向上させるために働かせることを目標にする『デトロイト市治安向上タスクフォース』の会議に連行されてしまった。
「マモちゃん、今日会うガリ・ニッパーの専門家って、どんな人かな?」
「俺に聞かれてもわかんねんよ。トニー管理官は、ダニー・マルイって名前と、ガリ・ニッパーを専門に研究してる学者としか教えてくれなかったからな」
学者と呼ばれる人達は気難しい変人な多いので、機嫌を取らないと話を聞かせてくれないなんてことにならないことを祈るしかない。
昆虫学の研究棟にたどり着いた俺達は受付でダニー博士が4階の講堂で待っているから、そちらに向かうように案内される。
ようやく講堂にたどり着いた俺達を待っていたのは、講堂を取り囲むように配置された5台のホワイトボードと、ホワイトボードに張り付けられたA4サイズに印刷された死体の写真だった。
「きゃあッ!! なんなのこれ!?」
目の前に広がる異様な光景を目の当たりにして恵子が思わず悲鳴を上げる。
“ようこそPHCアマハラの皆さん。待っていたよ”
表情を凍り付かせる衛達に話しかけたのは、入り口から死角になるところに立っていた白人男性だった。
年齢は50代くらい、白衣の上から浮き上がった鎖骨が見えるほどの痩せていて、白髪交じりの頭髪は整える気もないらしくボサボサだ。
「あなたがダニー博士ですか?」
彼が誰なのか聞くまでもなかったが一応確認してみる。
“そう、私がダニー・マルイだ。一応、このミシガン州立大学で教鞭を持たせてもらっている”
男は予想通り俺達が教えを請いに来たダニー・マルイ教授だった。
彼は腕組みをし、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら俺達の前に立っている。
“お忙しい中、突然押し掛けたのは謝罪しますが、こうやって死体の写真を並べて出迎えるのは趣味が悪くないですか?”
アイリスがチクリと釘をさすと、ダニー博士は笑みを浮かべながらノンノンと指を振った。
「嫌がらせなんてとんでもない。僕はずっと君たちが来ることを心待ちにしてたんだ。PMCアマハラがデトロイトで暴れまわっているトビサソリを退治するために立ち上がったという話を聞いてからずっとねッ!」
「つまりダニー博士は、私達がトビサソリを倒すために自分に協力を求めてくると最初から予想してたってことですか?」
「そのとおりだ。政府が公開したマモノの情報を見せてもらったが、トビサソリというマモノは超巨大化したガリ・ニッパーなんだろ。なら、私が知恵を貸さなければ駆除するのは不可能だ」
ダニー博士は自信満々の態度で宣言する。
その自信が、自分の知識に対するものなのか、ガリ・ニッパーという自分の研究対象に対するものなかわからない。
しかし、ダニー博士が自分たちのことを歓迎しているのは間違いない。
「もしかしてこれ、トビサソリに襲われた人達の写真ですか?」
そうなると、ここに並べられた写真には嫌がらせ以外の意味があると考えるのが自然だ;
「その通りだ。君たちがトビサソリについて詳しく知りたいと望むなら手元にある手がかりの検証は重要だろう」
ダニー博士は、連邦政府が異世界ニビルの存在と、デトロイトでニビルから来たマモノ『トビサソリ』が暴れまわっているという情報が公開されてから、寝る間を惜しんで事件の研究に没頭していたらしい。
“いまこの部屋には公的にトビサソリに殺された被害者の写真を時系列順に並べているんだ”
改めて衛が写真を観察すると、写真の上に手書きで日付が書かれていた。
“ここに記しているのは犠牲者54人の死亡推定日時だ。被害者がいつ殺されたか? それを知ることがトビサソリを知るための大きな手掛かりになる”
ダニー博士が書き記した犠牲者の死亡推定日時を確認すると、最初の犠牲者は11月6日、最後の犠牲者は4月2日と書かれていた。
4月2日は、オントネー分室に居合わせた恵子達がアメリカ軍に襲撃された日だ。
恵子たちがアメリカ軍と戦っている最中に、トビサソリに殺された人がいることを知り衛は怒りを抑え込むために奥歯を強く噛み締めた。
「最初の犠牲者が出たのは11月6日か。そのころ俺達ってなにしてたっけ?」
「私がニビルに行くために北海道で衛さんに訓練を受けていたころですね」
「そのくらいか……」
去年の11月。
俺はミ・ミカ達に出会うどころか、まだニビルの大地を踏んでいなかった。
最近の生活がすごく濃密だったのは確かだが、それ以上に5か月間という時間の長さを思い知らされる。
「なんだかすごく腹が立ってきた。人が殺されているのに5か月間もマモノの被害を隠していたなんて、アメリカ政府の連中、人の血が通ってないんじゃないのッ!?」
5か月間もの間、多くの人達がトビサソリのことを知らされることなく殺され続けていたことに恵子は激しく憤る。
“君たちの言う通りホワイトハウスの政治家はクソだ。そんな連中の尻ぬぐいに来てくれたことにアメリカ国民を代表して感謝したい。恵子さんも、今は愚かな政治家のことは忘れてくれ。彼らには我々アメリカ国民が必ず責任を追及し裁きを下す”
「……わかった」
ダニー博士の真摯な言葉に恵子は無言でうなずく。
アメリカの政治家がどれだけ外道な集団だったとしても、失敗の責任を問えるのも、裁きを下すことが出来るのもアメリカ国民だけだ。
“つまらない話はやめてガリ・ニッパーの話をしよう。
ガリ・ニッパーのことを深く知りたいと思っているPHCアマハラの諸君にクエスチョンだ。
現在、ガリ・ニッパーはアメリカ大陸の東海岸エリアと内陸部を生息していてメスは通常の蚊とは違って水たまりではなく草原地帯に卵を産む。
だけど、これは人間が都市開発を進めていった結果起こった習性の変化で、200年くらい前、ガリ・ニッパーの主な生息域はミシシッピ川周辺の沼地だった。
これを踏まえた上で、トビサソリが卵を産み付ける場所はどこだろう?“
ダニー博士は授業を受ける生徒を相手にするようなノリで俺達に問いを投げかけて来る。
「もしかしてトビサソリは、普通の蚊と同じで卵を水辺に産み付けるってこと」
“その通りッ! トビサソリは、アメリカ大陸に生息するガリ・ニッパーとは違い、ヤブカやイエカと同じように水辺に卵を産み付ける可能性が高いと思う。だとすれば、デトロイト周辺で活動するトビサソリはどこで産卵するだろう?”
ダニー博士の問いにアイリスが即座に答えを返した。
“デトロイトの南北にあるエリー湖かヒューロン湖のどちらかですね”
デトロイトは南北にアメリカで最も巨大な湖、5大湖うちエリー湖とヒューロン湖があるので都市の周辺の産卵に適した水場がいくらでも存在する。
“トビサソリの卵を駆除するなら、デトロイト市を南北に挟むエリー湖とヒューロン湖の湖畔を捜索すべきだね。蚊の卵が大量に産み付けられている場所があれば、間違いなくトビサソリの仕業だよ”
ダニー博士はデトロイト市周辺の水場で大量に蚊の幼虫が発生している場所がないか捜索すべきだと提言する。
「産卵した卵の中にはトビサソリが混ざっている可能性が高いから絶対に幼虫のうちに駆除したいですね」
実感のこもった口調でミ・ミカがつぶやく。
マモノは誕生の過程が原種と同一なので、誕生直後の戦闘力は原種となるガリ・ニッパーの幼虫と大差がない。
奴らが人を殺せるほど強力になるのは成虫になったあと。
正確には同時期に生まれた幼虫が全て死に絶えたあと何年も成長を続けることで、人の手に負えないバケモノになる。
“次に死亡日時に注目してみよう”
ダニー博士は次に犠牲者の写真の真上に書かれた死亡推定時刻に教鞭を向ける。
トビサソリに殺害された最初の犠牲者の死亡推定時刻は11月6日の午後16時前後と記されている。
「16時か……トビサソリって夕方にも活動しているのね」
恵子は犠牲者が殺された時間帯を見て顔に疑問符を浮かべる。
“ガリ・ニッパーは、基本的に昼行性で特に夕方に活動が活発になるんだ。おそらく活動が活発になる時間帯はトビサソリも同じじゃないかな?”
改めてダニー博士が犠牲者の死亡推定時刻について見解を述べる。
一人目の犠牲者は11月6日、二人目の犠牲者は11月7日、3人目が11月9日……そういった感じで8人目までは、おおよそ1日~2日の間隔で人が襲われている。
そして、9人目の犠牲者の死亡推定時刻は12月4日。
8人目の犠牲者が襲われたのが11月18日なので、約2週間間隔が空いていることになる。
そして、このサイクルは繰り返される。
9人目から17人目の犠牲者が立て続けに襲われ、いったん殺害が止まった後、18人目の犠牲者は15日後に襲われている。
5か月間の間に7回、トビサソリは連続殺人と小休止のサイクルを繰り返している。
“ここでクエスチョンだ。トビサソリはなぜこんなサイクルで人を襲っているんだろう?”
ダニー博士は先ほどと同じように不敵な笑みを浮かべたまま俺達に問いを投げかけて来る。
“クエスチョンってことは、博士は答えがわかるんですよね?”
俺が問い返すと、ダニー博士は無言でうなずく。
仕方ないのでダニー博士のクエスチョンについて、俺達は雁首揃えて考えてみることにする。
「おなかがいっぱいになったから。消化が終わるまでの待機時間じゃないですか?」
と、ミ・ミカが意見を出すが――。
「トビサソリは確かに基礎代謝の低い虫型のマモノだけど、代謝速度は魔法でいくらでも強化できるわ。卵に血液から抽出したたんぱく質を送り込むスピードも例外じゃない」
とハ・マナに自説の穴を指摘されてしまう。
“若いお嬢さん達ばかりだと聞いていたが君達は優秀だな。私の生徒にも見習わせたいくらいだよ”
ミ・ミカとハ・マナの会話を聞いてダニー博士は感心したようにうなる。
“それに君達のおかげで私が疑問に思っていたことが一つ明らかになった。私はトビサソリの卵の成熟期間がガリ・ニッパーに比べて異常に短いことを疑問に思っていたんだ。でも、魔法で基礎代謝を強化することができるなら卵の成熟期間を短くすることも容易だな”
ダニー博士がポツリと漏らした一言を聞いて、俺達は一斉にダニー博士に視線を向ける。
「ダニー博士。今の発言がクイズの答えなんですね?」
俺が問うと、ダニー博士は無言でうなずいてくれる。
想像の斜め上をいく事態に斜め上をいく事態に頭を抱えながら、俺はダニー博士のクエスチョンに回答する。
「トビサソリが人を殺さない約2週間のインターバルは、成熟した卵を産卵して、新しい卵を作って、オスと交尾して、新しい卵が受精する。この、一連のプロセスが完了するまでの期間なんですね」
”ミスター衛、パーフェクトだ。私はトビサソリが人を殺さない2週間は、新しい卵を作るのに必要なタスクを消化している期間だと考えている”
本作を読んでいただきありがとうございます。
私の作品があなたの暇潰しの一助となれましたら、幸いでございます。
お気に召して頂けたならばブックマーク、評価など頂けましたら幸いです。
そしてもし宜しければ賛否構いません、感想を頂ければ望外のことでございます。
如何なる意見であろうと参考にさせていただきます。