第1話 この土地の正式にはウインド・リバー・インディアン居留地って呼ばれている。
――天原衛
4月5日 午前5時。
俺はアメリカにいた。
正確にはワイオミング州軍所属の輸送機のカーゴスペース内に設けられた簡易座席に座り、アメリカ合衆国ワイオミング州ウインド・リバー上空を時速300キロ以上のスピードで飛行している。
旅客機とは違い与圧されていないカーゴスペースの中はお世辞にも快適な環境とは言えない。
まず寒い。
高い山に登ったことがある人なら知っていると思うが、地表から100メートル上昇する毎に気温は約1℃低下する。
今飛んでいるのはウインド・リバー山脈のど真ん中なので、山に激突しないために飛行機は3,000メートル以上の高さを維持して飛ばなくてはならない。
この高さだと気温は氷点下まで下がるので、俺達は戦闘服の上からパラシュート降下用のフライトスーツに身を包んで身体に染み込んでくる寒さをしのいでいた。
カーゴスペースにいるメンバーは7人。
俺と隣に座る恵子。
対面にはミ・ミカ、ハ・マナ、ハ・ルオの3人が座り。
少し離れた席に牙門が座っている。
そして、俺の目の前にレジャー用に作られたという犬用のフライトスーツを身に着けたヨ・タロが寝そべっていた。
たった7人だが戦力としては申し分ない。
この作戦を最初に提案したときは、これだけのメンバーがアメリカまで行ってダーク・ウォーカーの訓練キャンプを強襲する無茶な作戦に参加してくれるとは思っていなかった。
「しかし、ダーク・ウォーカーはなんでここに基地を作ったのかしら? 子供を訓練するなら周囲が人気のない山奥がいいと思うけど。アメリカってこういう何もない山岳地帯が日本とは比べ物にならないくらい多いんでしょ」
恵子が窓から見えるウインド・リバーの景色を見ながらポツリとつぶやく。
エゾアカマツの森が見渡す限り広がっている北海道とは違い、窓の外から見えるウインド・リバーは岩山と草原と原生林の森がまるでモザイクの様にまばらに点在している。
「この土地の正式にはウインド・リバー・インディアン居留地って呼ばれている。
元は白人がネイティブ・アメリカンを故郷から追い出して強制移住させた保留地なんだが。
それから色々あって、アメリカ政府はこのウインド・リバーをネイティブ・アメリカンの所有地として認め自治権を与えた。
そんな訳で、この地域はワイオミング州法が適用されない特別区になっているんだ」
牙門がポツリと口を開きウインド・リバーという地域の状況について説明してくれる。
アメリカという国の内情は、江戸時代の日本似た異なる国の連合体のような体制になっている。
国のルールの大枠はアメリカ憲法によって定められているが、実生活に関係する民法・刑法・税法といった法律は州毎に異なっている。
犯罪者を取り締まるルールや税の徴収システムが違うのだから、生活する州を変えることは日本人の感覚では外国に行くのに等しいだろう。
そしてウインド・リバーに住むネイティブ・アメリカンは、この地において自治権を持っている。
だからウインド・リバーはワイオミング州の一部でありながら州法は適用されず、自治政府が独自に定めた独自の法律で運営されている。
「自治区といっても治安が悪いし稼げる産業も無いし問題だらけだぞ。一番不味いのは自治区の広さに対して人口が少なすぎることと、アメリカの警察組織の縦割制度に欠陥があることだな」
ウインド・リバーの面積は約9000k㎡で日本の県一つに相当する広さがあるが、この地の人口は3万人を割っている。
アメリカでは州毎に刑法が違う都合上、警察組織も州単位で組織されているが、人口3万人以下のウインド・リバーで約9000k㎡の範囲をカバーするだけの警察官を配置することは不可能だ。
おまけに、自治権があるので隣接するワイオミング州の警察官はウインド・リバーで活動できない。
そのような事情からこのウインド・リバーは犯罪者が逃げ込んでも容易に捕まえることの出来ない半ば無法地帯と化している。
「歴史的な遺恨があるから住民は自治権を放棄しないと思うけど。それが治安の悪化を招くとしたら、すごい悪循環ね」
牙門からウインド・リバーを取り巻く情勢について説明を受け、恵子は呆れ果てたといった顔でため息を吐く。
「だからダーク・ウォーカーの連中はここで子供兵を訓練するキャンプを作ったわけだ」
ウインド・リバーは違法に子供達を集めて軍事訓練を行うにはうってつけの場所だ。
人口密度が極端に少なく、派手に射撃訓練を行ってもそれを見咎めに来る警察官も周辺住民も存在しない。
ここで訓練を受けた子供兵は、中東やアフリカといった地球で一番戦争が多い地域に連れて行かれ、ダーク・ウォーカーが請け負った軍事作戦に参加して、そして大半が死ぬ。
PMCダーク・ウォーカーは、そんな鬼畜の所業をもう何年も続けている。
「やっぱり許ないッ! 責任者はウルクに連れて行ってイナンナ様の裁きをくだしてやりたい」
子供兵の境遇を聞いてミ・ミカは顔が真っ赤にして両手の拳を握りしめる。
「ウルクの法律だと、この手の悪党は殺した人数と同じ数のマモノ退治をガーディアンから命令されるんだっけ?」
「そうです。イナンナ法典では、人を殺した者は、殺した人数と同じ数の人の命を救うことを命じられます。死んだ人を生き返らせることは出来ないので、人に危害を加えるマモノを殺した人数と同じ数退治することによって、今生きている人の助けにするって考え方ですね」
意外なことにミ・ミカ達の住んでいるウルクには死刑制度が無い。
死刑が無い代わりに、殺人等の重犯罪者はミ・ミカの語るとおりガーディアンから槍一本でマモノ狩りに行くことを命じられる。
なんの訓練も受けず、魔導具もなしでマモノ狩りに行っても生き残れるはずがないので、この法律は形を変えた死刑だと思う。
「あっ、飛行機が降下を始めたよ」
恵子達がウインド・リバーの状況を理解するのを見計らっていたかのように、高度3000メートルを維持していた輸送機が緩やかに高度を下げていく。
敵地への空挺降下は、ただ輸送機から飛び出してパラシュートを開けばいいわけではない。
降下中は身動きが取れず無防備な状態なので、高度3000メートルからパラシュートを開いてゆっくり降下していたら敵の対空機銃に狙い撃ちにされてしまう。
だから輸送機は安全高度ギリギリまで降下して、降下する兵士は最短の滞空時間で素早く地面に着陸する。
しかし、俺や牙門を含めこのメンバーの中で輸送機からの空挺降下を経験した人間は一人もいない。
だから自衛隊の空挺部隊が行う、安全高度ギリギリからの空挺降下は普通なら危険を通り越して無謀な行為なのだが、ダーク・ウォーカーが証拠隠滅を図ろうとしている以上、俺達は付け焼刃の訓練をする時間すら存在しなかった。
着地した時の受身に大きな不安があるが、技術不足は肉体強化魔法で補うしかない。
「ミスターアマハラ。ゴートゥフライッ!」
輸送機の機長がコールサインを叫び、俺達の据わっているカーゴスペースの足元がゴゴゴゴッ!と油圧シリンダーの駆動音を鳴り響かせながらスライドしていく。
後部ハッチが解放されると、カーゴスペースに強風が吹きこんできた。
肌がヒリヒリする冷たい風を顔に浴びながら足元を見つめると、眼下には岩山と草原の折り重なったパズルの中にコンクリートで敷き固められた軍事基地が見えた。
「それじゃ皆さん、行きますかッ!」
俺が音頭を取ると全員が無言でうなずき、そして叫んだ。
『アイ キャン フラァァイッ!!』
掛け声とともに俺達は一斉に空に身を躍らせた。
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