1、前半
プロローグ.「転生しても、ラッパーだった件」
俺は高校生ラッパー、工藤a.k.a.コナン。
幼馴染で同級生のクソビッチと遊園地でフリースタイルラップをしていると、全身ピチピチ黒タイツの怪しげな男の取引現場を目撃した。
韻を踏むのに夢中になっていた俺は、背後から近づいてきたもう1人の仲間に気づかなかった。
俺はその男にウクライナーを飲まされ、目が覚めたら……異世界に転生していた。
◇
「おお、目が覚めたか。勇者!」
王城の一室。謁見の間の玉座に威風堂々と鎮座する、王冠をつけて赤いマントを羽織ったテンプレな王様から、俺はそう声をかけられた。
……勇者? な、なんのことだ? てか、ここどこだよ。はっ⁉ クソビッチがいないっ⁉
俺は急な出来事にいろいろ頭が追いつかず、目を白黒させていた。
「混乱しているところ申し訳ないが、この国の存亡は一刻を争う。さっそく説明に入らせてもらおう」
王様はそう前置きすると、うんたらかんたらと長々説明を始めた。
要約すると話はこうだ。
『魔王が攻めてきたから戦ってほしいんだYO~』
「どうだ勇者、引き受けてくれぬか?」
王様の問いかけに、俺は満面の笑みを浮かべながら自分の左胸をトントンと叩くと、王様をピシッと指さした。
「おお。その仕草はなんかムカつくが、どうやら引き受けてくれるようだな。これはよかった。そうだ、勇者。そなたの名前を教えてくれ」
「おっけー。じゃあ今から、自己紹介ラップかますわッ。ヤーマン、ワッツアップ?」
俺は「う、うっうん」と咳払いをすると、懐からマイクを取り出しそれを強く握りしめた。
「Hey! 今からかますぜ俺の自己紹介! お前ら聞く準備はいいか~い?
俺の名前はMC工藤 特技は5年やってた柔道 好きな食べ物甘いブドウッ!
レぺゼン日本の中央 俺ずっと通ってた高校 だが今から倒すぜ悪王ぅ
剣で武装しやっちゃう無双 そんで気分は最高潮 気づけばこの国明けの明星~
ヒィィィィィィ—————‼」
よし、完璧のリリックだ。
俺は自分の自己紹介ラップの出来にうんうんと頷きながら、マイクをそっと懐に戻す。
すると王様はぽつり、
「………なんだこいつのバイブス。まじパねえな、アがるぜ」
とたぶん呟いていた。
まじか、この王様。ラップ分かってんじゃねえか。もしかすると、俺のパンチラインに心打たれたのかな。
嬉しくなった俺は玉座に近づき、王様、否、マイメンと、パン・パ・パン・パンパンッとお互いの手を叩き合い、イかしたハンドシェイクを交わした。
「なんじゃこいつぅ~!」
——こうして俺、『工藤a.k.a.コナン』改め、『工藤a.k.a.ラッパー勇者』は、魔王を倒すため、異世界での冒険【キックアス・サーガ】を始めるのだった。
活動記録1.『ソースとキャラは濃い方がおいしい』
文化部棟である旧校舎の3階。
そこには、おかしなやつらが集まる、ボランティア部(仮)という部活がありました。
「やっぱりさ、主人公には『主人公感』が必要だと思うんだよっ」
いつものように何の脈絡もなく唐突に、長い茶髪のツインテールをなびかせながら、この部の部長である、明里ひなたがまたくだらないことを言い出した。
(……部長がまたなんか言ってる。面倒だから無視したいけど、今部室には部長以外に僕しかいない。はあ。誰かかまってあげないと、部長すぐに不貞腐れるからなあ)
そんなことを考えながら、この部唯一の1年生で、この部唯一の男子である神楽詩が、読んでいた雑誌からそっと顔を上げ、仕方なしといった様子でひなたの言葉に反応した。
「そうなんですか?」
クールな表情で訊ねる詩。
ひなたは、詩の言葉を待ってましたと言わんばかりに、可愛らしい顔をにんまりさせた。
「うち、気づいたんだっ! あらゆる漫画、アニメ、ラノベなんかの主人公は、
みんな『主人公感』があるってことになっ!」
「ふーん」
(……で。だから何なんだろうか。まじでどうでもいい)
ひなたの言っている『主人公感』とやらに、全く興味がない詩は、テキトーに相槌を打った。
そんな詩の反応が気に食わないひなたは、思いきり顔を顰める。
「なんだよその反応。後輩、お前は一応、この物語の主人公なんだからもっと興味持てよっ!
このままじゃお前、『主人公(笑)』ってネットで言われんぞっ」
ひなたのメタ発言にも、詩は表情を変えずに「……はあ」とだけ声を漏らした。
「——ったく。いいか? 主人公っていう存在はな、誰しもが憧れるような『世界の中心は、俺だァァァァァッ!』っていうオーラを放っているものなんだよ。だがなあ、お前はそれがミジンコ程にもないっ!」
「誰がミジンコですか」
詩がそうツッコむも、ひなたはそれをスルーして、いきなり立ち上がり満面の笑みを浮かべた。
「だから今日は、キャラ薄のお前をキャラ付けして、うちがお前を真の主人公にしてやるっ!」
貧しい胸を張りながら堂々と宣言するひなた。
ひなたのしゃべり方は男勝りではあるが、彼女の見た目は、誰もが思わずめでたくなるような小動物的でとても可愛らしいもの。彼女はさながら、トップアイドルのような美少女であった。
「いや、遠慮します」
だが詩は、そんなひなたを歯牙にもかけない。
詩はぶっきらぼうな口調でそう言う。
すると、ひなたは風船みたいに頬をパンパンに膨らませた。
「なんだよ、ノリ悪後輩っ! つまんない、つまんない、つまんなーいっ! キャラ付けやらせろーっ!」
「嫌です。部長にキャラ付けやらせたら碌なことにならなさそうですし。それになにより、僕にキャラ付けしたところで誰も興味ありませんって。昨今の部活ものは、ゆ○キャンしかり、けい○んしかり、女の子だけできゃっきゃうふふするのが定番ですからね。僕は、のんの○びよりのお兄さん的なポジションを目指しますよ」
詩はそう言い終えると、閉じていた雑誌を再び開いて、それに視線を落とした。
「ばっきゃろー!」
「ちょっ」
詩のそんな態度に憤慨したひなたは、彼が読んでいた雑誌を強引に奪い取ると、窓をばっと開いて、そこから雑誌を「せいやっ」と言いながら、両手で思いきり放り投げた。
3階の窓から綺麗な放物線を描き、落ちていく雑誌。
「あーあ」
詩は落ちていく雑誌を見つめながら、他人事のようにそう声を漏らした。
ひなたはそんな詩にますます腹を立て始める。
「もっと熱くなれよっ! お前、このままでいいと思ってんのかっ!」
ひなたはドンッと強く机を叩く。
「もし、この作品がアニメ化してみろっ! そんときお前、主人公なのにエンディングクレジットのキャストのとこで4番目くらいに流されるんだぞッ! なん○民に、『あいつが主人公の意味が分からん』っていうスレ立てられんだぞッ! タダクニ街道まっしぐらなんだぞっ! それでもいいのかよッ⁉」
そんなひなたの熱い言葉にも、詩はクールな表情を崩さず、ただゆっくりと首を左右に振った。
「……部長、冷静になってください。この作品がアニメ化することなんて、万が一、いや、億が一にもありえません。まだそんな段階にないです。ニートが経営者の本読むくらい気が早いです」
「そ、そんなこと……」
「残念ながら、このクソ素人の駄文がアニメ化することは、小沢○志が日○坂46のセンター務めるくらいありえませんから」
「夢も希望もねえじゃねーかっ! どんだけ確率低いんだよっ! せ、せめて、小日○文世が日向○46のセンターを張るくらいの確率はあるだろうがっ!」
「いや、それ確率変わってます? 仁志も文世もどっちもおじさんなんで確率変わらない気がするんですけど」
「ばかっ! めちゃくちゃ変わるわ! 顔面凶器の仁志に比べたら、文世はめっちゃ可愛いだろうがっ! あの人は、日向坂にいてもおかしくねえんだよ。それにあの人の苗字、小日向だぞ。むしろ、なんで日向坂に小日向いないんだよっ! いっそのこと小日向坂46に改名しろよっ!」
「なんですか、小日向坂46って。それ、どこの層に需要あるんですか……」
「10代」
「絶対ありませんよ。10代、文世知りませんって……」
「ハア? 10代、文世にキュンするだろうが」
「……いや、シュンしますよ」
詩が嘆くようにそう言うと、ひなたは再度、ドンっと強く机を叩いた。
「いま、文世の話はいいっ! いまは、お前の話だろうがっ!」
「あんたが文世、持ち出したんだよ。……自由かよ、こいつ」
ついついタメ口を使ってしまう詩。
詩は、「はあ、メンドクサ」と思いながら、肩を落として嘆息すると、自分から話を逸らすように話題を変えた。
「てゆうか、僕のことの前に、あの謎のプロローグの件に触れなくていいんですか? 読んでる人ビックリしますよ、プロローグから本編の変わりように。……あのクソつまんないファンタジーは何だったんですか?」
詩の問いかけに、ひなたは「ああ」と言葉を続ける。
「あれは釣りだ」
「つり?」
「そう釣り。いわゆる、プロローグ詐欺」
「なんですかプロローグ詐欺って。……プロフィール詐欺なら聞いたことありますけど」
「ほら、今巷では、異世界転生もの流行ってんじゃん。だから、それにあやかろうと思って、プロローグに異世界転生もの書いてみたんだよ。もしかしたら、本編がクソでも、プロローグが異世界転生ものならみんな読んでくれそうじゃん」
ひなたの言葉に、詩は思わず頭を抱えた。
「……考えが浅はかすぎますって。あんなごみ小説、異世界転生ものでも誰も読みませんよ」
「おいっ、だれがごみ小説だよっ! あれうちが夜中にユーチューブで、ブチ上がるバース集見ながら書いた、最高傑作のなろう小説なんだぞっ!」
「はあ。……あれが最高傑作なんですか。ラップも内容もクソでしたよ」
「馬鹿にすんなよっ! あの小説、一応、小説家にな○うでpv10000超えてんだからな。 それにデイリーランキングでもベスト10だっ!」
「読んでるやつら、みんなヒマかよ」
詩は辛辣な言葉を吐いて、嘆息しながら眉根を寄せた。
「じゃあ、あれって本編とはなんにも関係なくて、伏線とかでもないんですね」
「伏線?」
詩の言葉に、ひなたは首を傾げる。
「ほら、たまにあるじゃないですか。幻想世界とか、パラレルワールドとか、外伝とか。別の世界戦でも話が進行していって、最終的に現実世界と話が繋がるみたいなやつ。あれみたいな伏線じゃないんですか?」
「なんだそれッ! そんなわけねえだろがッ!」
ひなたは声を荒げながら、言葉を続ける。
「この作品には一切伏線とかそんなまどろっこしいもん出てきませんっ! 大体なあ、最近は伏線、伏線ウルセーんだよッ! そんなに伏線が欲しいんなら、一生ワン○ースだけ読んでろ。そんでユーチューブでしょうもない考察系の動画を見まくって、無駄な時間を送り続けろや!」
「……誰に言ってるんですか。あと、なんでそんなにキレてるんですか」
「伏線なんてもんを張れない物書きがいたっていいじゃないかッ! こちとら、後のことなんか考えずに流れに身を任せて書いとんじゃッ! 伏線? ストーリーの起伏? どんでん返し? ……はあ? それがなんぼのもんじゃいッ!」
なにかに憑りつかれたように熱弁するひなた。そんなひなたを、詩は冷めた目で見つめていた。
「……部長、とりあえず落ち着いてください」
詩の言葉に、ひなたは憑き物がとれたようにハッとした表情をする。
詩はそんなひなたに三度嘆息して、「で」と仕切り直すように話を戻した。
「プロローグ詐欺の件ですけど。それで文句言われても僕、知りませんからね」
「うっさいなー。大体、こんくらいの詐欺やったって、べつに誰も文句言ってこねえんだよ」
「そんなわけないでしょ。詐欺行為は立派な犯罪ですよ」
詩が咎めるようにそう言うも、ひなたは悪びれなく言葉を続ける。
「でもほら、ユーチューバーとかもよくやってんじゃんか。サムネ詐欺とか、フィッシング詐欺とか。それと一緒だよっ!」
「サムネ詐欺は置いといて、ユーチューバーは絶対、フィッシング詐欺はやってません」
「え? でも、フィ○シャーズっていうユーチューバーいるじゃん」
「いやあの方たち、べつにフィッシング詐欺やってるから、フィッ○ャーズって名前じゃないですよ」
「へえー、そうなんだ」
「そうですよ。あの方たちは、人気、実力、カリスマ性といろいろなものを兼ね備えたすごいユーチューバーなんですから」
「……あからさまなフォローだな」
どこか必死な詩に、ひなたは呆れた様子でそう言った。
「……まったく、誰のせいでフォローしてると思ってるんですか。ユーチューバーのファンの中には、冗談が通じなくて、粘着質でめんどくさい人たちもいるんですからね。発言には気をつけてください」
「お前こそ発言に気をつけろよ。お前、フォローして、ソッコーでフォロー以上に貶してるぞ」
「はい?」
首を傾げる詩。
「え? お前もしかしなくても馬鹿なの?」
ひなたが顔を顰めながらそう言うも、詩の鈍感な耳には全く届いていなかった。
そんなふうに2人でしょうもない舌戦を繰り広げていると、ガラガラガラと戸が開かれ、2人の女子が入ってきた。
「ごめん、遅くなったよ」
「ごめんねぇ~。おまたせぇ~」
そう言いながら入ってきたのは、この部の残り2人の部員である、長身でボーイッシュ、近寄りがたい大人の雰囲気がある、さながらトップモデルのような美女の葵つばさと、グラマーでフェミニン、誰もが甘えたくなるような包容力が感じられる、さながらグラビアアイドルのようなおっとり美人の天羽萌子であった。
2人が部屋に入りいつもの定位置につくと、詩は彼女たちに話しかけた。
「遅かったですね。今日って委員会の会議の日でしたっけ?」
「そうそう、月1回のね。ほんと長かったよー」
詩の隣に座ったつばさが「ふう」と短いため息を吐き、大きく伸びをしながらそう答えた。
「お疲れ様です」
詩はそんなつばさに労いの言葉をかける。つばさはにっこりと笑いながら嬉しそうに「ありがとう」と言葉を返した。
「紅茶飲むひとぉ~?」
萌子が席を立ち、微笑みながら訊ねる。
「「「はーい」」」
それに3人はいつものように仲良く元気に手を上げた。
萌子はどこか嬉しそうに「うふふ」と声を漏らすと、奥に置かれた電気ケトルの前に移動した。
「で、2人は何の話してたの? だいぶ盛り上がってたようだったけど。声が廊下まで聞こえてたよ」
つばさが訊ねる。それにひなたは腕組みしながら答えた。
「うちが、こいつのキャラ付けをしてあげようとしてたんだよ」
「キャラ付け?」
「そう。こいつキャラ薄いくせに一応主人公だからさ、うちがキャラ付けしてもっと主人公らしくしてあげようと思ってな」
つばさは、ひなたの言葉に首を傾げ、じっと詩の顔を見つめ始めた。
「そうかなー。ボクはべつに、うーちゃんがキャラ薄いとは思わないけど。うーちゃん、結構可愛い顔してるし」
つばさはそう言い終えると、詩に向かってにっこりと微笑んだ。
しかし、そんなつばさの微笑みにも、詩は一切照れずクールな表情を崩さない。
……詩はいろいろと鈍感だった。
「えー」
ひなたはどこか不満げにそう声を漏らし、彼女も詩の顔を見つめると、馬鹿にしたように「ふっ」っと鼻を鳴らした。
「まあたしかに、ジャ○ーズのなにかしらのグループの4番人気程度の顔はしてるな」
「なんですか、そのツッコみづらい例え」
「チッ。なんか、お前の顔見てたらムカついてきたわっ。ぜんっぜん主人公感ないくせに、なんで顔整ってんだよっ!」
「……理不尽すぎる」
「ラノベの主人公で、ぱっちり二重なんて聞いたことねえわッ!」
「……偏見もすごい」
「ラノベの主人公ってのはなあ、一重のフツメンしかいないんだよっ。よし、とりあえずお前、一重に整形しろッ!」
「なんでですか。嫌ですよ」
「じゃあ、うちにキャラ付けさせろッ!」
「なんですか、その最悪な2択。デット・オア・デットじゃないですか」
「どっちか選ばないとぶっ飛ばすッ!」
「え? なんだって?」
「難聴系主人公⁉ そのセリフは、ラノベの主人公っぽい!」
そんなくだらない会話をしていると、萌子が木製のトレーにティーカップを載せて、紅茶を運んできてくれた。
「はい、紅茶どうぞぉ~。熱かけん気をつけてね~」
萌子はそう言いながら、可愛らしいティーカップをソーサーにのせて詩の前に置く。
「ありがとうございます」
詩は萌子に礼を言ってそれを受け取ると、優雅な所作でティーカップに口をつけた。
ティーカップの中身は、ダージリン。
ダージリン特有のフルーティーな香りがしっかりと感じられる。相変わらず、萌子の淹れる紅茶はとても良いものだった。
詩は紅茶を飲み一息つくと、ゆっくりと口を開いた。
「大体、僕ばかりキャラ薄いって言ってますけど。じゃあ、みなさんは僕に言うほど、キャラ濃いんですか? たしかに先輩たち、みなさんお綺麗なので、キャラが薄いとは思いませんけど。さすがにキャラ濃いとまでは言わないんじゃないですか? ……葵先輩なんて、僕には普通でまともな人にしか思えませんけど」
詩がそう言い終えると、ひなたの目がくわっと見開いた。
「つばさが普通でまとも? なに言ってんだよっ⁉ んなわけあるかーいっ!
こいつのキャラはUF○なんて目じゃないくらい濃いわっ!」
詩はつばさの方を見る。つばさはどこか照れくさそうに「えへへ」と頭をかいていた。
「……そうなんですか?」
詩はひなたのほうに向き直り、恐る恐るの様子でそう訊ねる。
するとひなたはニヤリと笑って、
「そうだよっ! じゃあ、何も知らない無知な後輩に、うちがそいつのことを教えてやろう! ふふふっ。パンピーのお前に、本当のつばさを受け入れられるかなあ?」
とどこか偉そうに語り始めた。
「まず始めに、つばさはバイだ! そいつは男も女もいける」
「いきなりすんごいカミングアウト。初手に王手くらった気分」
詩はバッと、つばさの方に顔を向ける。
「ふふっ。ボク、男の子も女の子もどっちも性的な目で見れるんだ。お得でしょ?」
つばさはどこか誇らしげにそう言った。
「……ほんとに濃かった。UF○なんて目じゃないくらい濃かった」
詩は動揺しながらそう言うも、紅茶を一口飲んで落ち着き、
「まあ、今は多様性の時代ですからね。そのくらいなら受け止められます」
とクールにそう言う。
しかし、ひなたはさらにひどいつばさのカミングアウトを告げる。
「もちろんそれだけじゃない。つばさはこう見えて、ドMの変態だ」
「え?」
今度はジト目でつばさを見つめる詩。
「ふふっ。まあ、そうだね。変態か、変態じゃないかで分けるなら『ド変態』だし、SかMで分けるなら『ドM』かな」
つばさは先ほどと同じようにどこか誇らしげにそう言った。
「……濃すぎるわ。濃すぎて高血圧になりそうだよ。もうこの人のこと受け止められないよ」
頭を抱える詩をよそに、ひなたは続ける。
「まだまだあるぞ。つばさはな、こんな感じの変態だが、実は去年のうちの学校のミスコンで優勝してんだぞっ!」
(……ミスコン優勝? ……いや、普通にすごいんだろうけど——)
「……なんか前の2つが濃すぎて、ミスコン優勝が薄く感じますね」
「あと、つばさはドーナッツが大好き」
「それはもう味がしないよ」
詩は紅茶を飲みながら、嘆息する。
たしかによくよく考えれば、つばさは普段からどこかおかしかった。
ドッキリ用のビリビリペンを普段使いしてるし、たまにスマホをみながらやばい顔でニヤニヤしてるし。
(もう、葵先輩のこと普通の先輩と思うのはやめよう。あと、今度からいろいろ警戒しとこう)
詩はそう強く心に決めた。
そして今度は、斜め前の席に座る萌子に顔を向ける。
「さすがに天羽先輩は、普通でまともですよね?」
詩が心の底から、この人だけはまともであってくれと願いながらそう言うと、再びひなたの目がくわっと見開く。
「萌子が普通でまとも? 何言ってんの⁉ んなわけあるかーい!
こいつのキャラは、明○一平ちゃんなんて目じゃないくらいに濃いわっ!」
「なんでさっきから、濃さの例えがカップ焼きそばなんですか」
詩が呆れながらそう言うも、ひなたの耳には届かない。
「萌子の胸はなあ、Hカップなんだぞォォォォォッ!」
ひなたはうるさいくらいの声量でそう叫ぶと、横に座った萌子の右のおっぱいを思いっきり掴んだ。
「きゃっ」
萌子が可愛らしい悲鳴を上げる。
「あー、いいなー」
つばさもひなたに便乗して、机に身を乗り出しながら、萌子の左のおっぱいを優しく揉み始めた。
「もぉ~。こぉーら~」
萌子はいつものように優しく微笑みながらも、2人に咎めるような視線を送る。
しかし、2人の手は強い磁力でくっついているように彼女の胸から離れなかった。
詩はただただ思った。僕は今なにを見せられているんだろうと。
「とりあえず2人とも天羽先輩から手を離してください。あと、葵先輩はよだれを拭け」
詩は机に身を乗り出しているつばさを強く引っ張り、席に座らせ、ひなたには強い抗議の視線を送る。
後輩に強く言われたことで、ひなたとつばさは泣く泣くの様子で手を引いた。
詩は同情の目を、萌子に向ける。
「天羽先輩、よくこの2人と友達やってますね」
「うふふ。こういうところが可愛かとよぉ~」
萌子はいつものように聖母の笑みを浮かべながらそう返した。
「……優しいですね。天羽先輩」
(この部の良心は、間違いなくこの人だけだ。天羽先輩だけをちゃんとした先輩として扱おう)
詩はそう強く心に決めた。
「そもそも、胸の大きさとキャラの濃さは関係あるんですか?」
詩が訊ねる。すると、ひなたは憤慨しながら急に立ち上がった。
「あるに決まってんだろうがッ! 峰不二子、ワン○ースのハ○コック、はが○いの星奈たん、リゼ○のレムりん、他にも山ほど。……巨乳はなあ、誰もが強く憧れる強い個性なんだよッ!」
ひなたはそう言い終えると、うな垂れるように席に着き、自分の胸に手をあて落ち込み始めた。
「……おっぱい、欲しい」
そんなひなたを見て、つばさもうな垂れ、落ち込みながら自分の胸に手を当て、呟いた。
「……ボクもおっぱい、欲しい」
ひなたとつばさ。彼女たちの乳は……貧しいものだった。
「部長、葵先輩。大丈夫です、落ち込まないでください。巨乳が個性なら、きっと貧乳も個性ですよ」
「うっせえよっ! それフォローになってねえからッ! ダイレクトアタックしてるからッ!」
ひなたは大きな声でそうツッコみ、血の涙を流し始める。
「萌子はなあ、おっとりしてて、Hカップで、博多弁なんだぞッ! なんだそれっ! 男の夢で、女の理想かっ! 羨ましッ! ああ、羨ましッ! 羨ましッ! フンギャアァァァッ!」
「部長のテンションがなんかキめてんじゃないかと思うほどヤバい。……間違いなく、あんたが一番キャラ濃いよ」
詩が嘆息しながら言う。
すると、ひなたが急に「ハハハハッ!」と笑い始め、
「まあ、うちって誰よりも可愛くてキャラ濃いから、おっぱい小さくてもいいんだけどねっ!」
と気を取り直してそう言った。
ひなたの気持ちの切り替えは、オオタニさんの球速と同じくらいに早い。まさにメジャー級。
「ボーイッシュでドMでド変態のつばさ。おっとりしてて巨乳で博多弁の萌子。そして、キュートで可愛くて可愛らしいうちっ! どうだっ! うちたちキャラ濃いだろっ!」
「……あれ? 部長の個性、可愛いだけ? もしかしてこの人、意外とキャラない?」
もちろん詩の言葉を、ひなたは右から左に受け流す。
「ふっ。そんなうちたちに比べて、後輩、お前ときたら……キャラうっっす! 白湯かよっ!」
「誰が白湯だよ」
「ふふふっ。な、白湯はヤだろ? だから、うちがお前をキャラ付けして、ペ○ングくらい濃くしてやるっていってんのっ!」
「いや、ペヤ○グは好きですけど、遠慮します」
「なんでだよっ! うちにキャラ付けしてもらえるのは、ありがたいことなんだぞっ!」
「めちゃくちゃありがた迷惑です」
詩はにっこりと笑みを浮かべながらそう告げた。
「……てか、そもそもなんで僕がキャラ薄い前提なんですか?」
詩がクールな表情で嘆息しながらそう訊ねると、ひなたは思いきり顔を顰める。
「ハア? どう考えてもお前、キャラ薄いだろっ! 白湯!」
「だから誰が白湯だよ。せめて少しは味ください」
「じゃあ、そうめん入り白湯」
「それも味しねえじゃねえか」
「じゃあ、味のある温かいそうめん」
「いやそれ、にゅうめん」
詩はそうツッコんでから、会話の主導権を自分に戻すように「こっほん」と咳払いをした。
「そもそも部長は、僕に白湯って言えるほど、僕のことを詳しく知っているんですか?」
「詳しくって……いや、まあ、お前がこの部に入部してまだ1週間だし、まだそこまで深くはしらないけど……」
「じゃあ今から、僕の経歴とか特技とか家柄とか、その他いろいろ、自分で自分のことを詳しく話させてもらいます。それを聞いてから、僕のキャラが薄いかどうか判断してください」
「お、おう。わかった」
詩の珍しく強い物言いに、ひなたは動揺しながら頷いた。
そもそも3人は、まだ詩のことを深くは知らない。なぜなら、彼がこの部に入部したのは1週間前で、まだそれほどの時間は経っていないから。それに詩は普段ポーカーフェイスで物静かなため、あまり素を出さなかった。
ひなた、つばさ、萌子がどこか緊張した面持ちでゴクリと息を呑む。
詩はマイペースに紅茶を一口飲むと、ゆっくりと口を開いた。
「まず、僕の本名ですけど……本当は僕、神楽・D・詩って言います」
「まさかのDの一族⁉」
まさかの初手でボケてきた詩に、驚きを隠せないひなた。
だが、そんなひなたをお構いなしに詩は続ける。
「あと僕、覇王○の覇気使えます」
「100万人に1人の存在⁉」
「ポー○グリフも、すらすら読めます」
「えっ⁉ ○ビン以外のオハラの生き残りがここにいたッ⁉」
「あと実は、ワンピ○スのラスボス、僕です」
「ラスボスお前かいっ⁉ だとしたら、ワ○ピースの中で、お前、ルフ○の次に、キャラ濃いじゃんかっ!」
「ちなみに懸賞金は600ベリーです」
「懸賞金はお手軽なんかいッ!」
ひなたが大声でそうツッコむ。
詩はクールな表情をしながら小さく肩をすくめた。
「まだまだこんなもんじゃないですよ」
「えっ?」
「実は僕、宇宙人で戦闘民族です。地球を滅ぼすために、惑星ベ○ータからやってきました」
「まさかのサ○ヤ人⁉」
「あと、坊主頭で額にお灸の跡が6つあって、よく死ぬけど地球人最強の友達がいます」
「それ……クリ○ンのことか————っ!」
「あと、僕の父親、4代目火影だってばよ」
「急に不自然な語尾⁉」
「海賊王にオラはなるだってばよ!」
「混ざってるよッ! 混ざって凄いことなってるよッ!」
「卍解ッ!」
「すんなッ!」
「邪王炎○黒龍波————っ!」
「だからすんなッ!」
「やれやれだぜ」
「それはこっちのセリフだわッ!」
「ふるえるぞハート! 燃え尽きるほどヒート!」
「ジョ○ョ————ッ! ってもういいよっ! お前、ジャ○プ大好きかっ! ジャ○プの作品いろいろ大集合してるよっ! ジャ○プアルティメットスターズかッ!」
「うわ、エモいですね。よくDSでやってました」
「『エモいですね。』じゃねえよっ! ジ○ンプネタ多すぎるわっ! お前、この作品をガガガ文庫の新人賞に応募してるの忘れてないかッ⁉」
「もちろん1番好きなのは、ガガガ文庫の作品です(真顔)」
「白々しいわっ!」
「本当ですって。よくガガガアルティメットスターズもやってましたし」
「なんだガガガアルティメットスターズって! 聞いたことねえよっ!」
詩は急に難しい顔して、首を捻る。
「……てか、ガガガ文庫のガガガって何でしょうね?」
「いや、急にどしたッ⁉ 気になるけど……それ今聞くッ⁉」
「あれ? ギプスですっけ? ギブスですっけ? どっちだっけ?」
「いや、それも今聞くッ⁉ 確かに、『あれ? どっちだっけ?』ってたまになるけど、それ今聞くッ⁉」
「マニュフェスト? マニフェスト?」
「知らねえよっ! だから、今聞くなよ! あと、聞くにしても質問がしょうもねえんだよ!」
「人は何のために生まれてくるんでしょうね?」
「今度は深いわ! その質問は深すぎて容易に答えられねえよっ! ……てか、お前の話はどこいったんだよッ! ぜんっぜん関係なくなってるよッ!」
「あらら、いつのまにか脱線してましたね。ガガガっと」
「うまくねえよっ! お前もしかして、さっきからガガガ文庫バカにしてるッ⁉」
「してません。そんな恐ろしいことしませんよ」
「……お、恐ろしいこと?」
急にシリアスな雰囲気を醸し出す詩に、ひなたは恐る恐るの様子で訊ねた。
「あれ部長知りません? ガガガ文庫のガガガって、実は、遊○王のゴギガ・ガガギゴが由来なんですよ。『——ガガガ文庫の関係者は、実は全員、ゴギガ・ガガギゴである。そのため、ガガガ文庫を馬鹿にしたものは、ひとり残らず、ゴギガ・ガガギゴに亡き者にされるという』
フレーバーテキストにもこう書いてありました」
「なわけあるかいっ! お前、間違いなくガガガ文庫バカにしてるよなッ⁉」
「はあ。馬鹿にしてませんって。僕は、本当にガガガ文庫を愛しているんですから。
……しょうがない。信用してもらえるように、これだけはみんなでちゃんと言っときましょう。ほら、みんな立って」
「せーの」
「僕たち(うちたち)(ボクたち)(わたしたち)は————」
「「「「——ガガガ文庫が世界で1番大好きですッ!」」」」
「……いや、なんだこれ」
ゆっくりと椅子に座りながら、我に返ったひなたは遠い目をしながら言う。
そんなひなたを気にもせず、詩は優雅に紅茶を飲んだ。
「ああ、あと僕、実は飛び級でハーバード大学卒業してます」
「いや、もういいよ」
げんなりしながらひなたが言うも、詩はそっとティーカップを置いて、きょとんと不思議そうな顔をした。
「いや、ハーバードは本当ですよ」
「ハーバードはほんとなんかいッ!」
今日も今日とて相も変わらず、この部はくだらない会話を繰り広げる。
だが、そんな日常があっても悪くないはず。
活動記録2.「義妹さえいればいいのになあ。」
文化部棟である旧校舎の3階。
そこには、家族思いなやつらが集まる、ボランティア部(仮)という部活がありました。
「ここで問題! この世で一番尊いものは何でしょうっ?」
いつものように何の脈絡もなく唐突に、長い茶髪のツインテールをなびかせながら、この部の部長である、ひなたがまたくだらないことを言い出した。
「……尊いものですか?」
詩が読んでいた小説から顔を上げ、首を傾げながら呟いた。
ひなたの言い出すことは、いつも唐突でよく分からない。だが、今日のはいつにもまして意味不明だった。
そんな詩をよそに、ひなたは続ける。
「この世で一番尊いもの。なに、お前らわかんないの?」
詩、つばさ、萌子の3人が、ひなたの問いかけに考え込む。
尊いもの……急に問われると、答えを出すのが案外難しい。
そんな中、つばさが口を開いた。
「うーん。……子犬とかかなあ。やっぱ、子犬って可愛くて、癒されるし。ボク、寝る前とかに、よくユーチューブで子犬の動画とか見るんだー」
「へえー。意外ですね」
ボーイッシュで大人っぽいつばさにしては、意外な女の子っぽい趣味。詩はこの人も一応、女子高生なんだなと考えを改めようとする。
しかし——
「毎晩、ボクのバター犬にふさわしいワンちゃんを見定めてるんだ」
「最悪かよ」
やはりつばさは、全然女の子っぽくなかった。この人は、女子高生なんかではなく、ただの変態だった。詩は、考えを改めようとした自分を強く恥じた。
でも、子犬というのは確かに尊い。詩自身も家で犬を飼っており、子犬なんかは大好きだ。
理由はともかく見当外れではないのでは、と詩がそんなふうに考えていると、ひなたがニヤリと笑って「ぶっぷぅー」と可愛く告げた。
「たしかに、子犬も尊いけど一番ではありませーん。ちがいまーすぅ」
すると今度は、萌子が「じゃあ」と切り出す。
「赤ちゃんはどぉ~? 赤ちゃんってバリ可愛かとよぉ~。ほっぺたぷにぷにして、表情がコロコロ変わって、寝顔なんて天使みたいとよぉ~」
優しい表情を浮かべながら語る萌子。
その姿はまさにマザーテレサそのものだった。
「マザーモエコ、あ、間違った。天羽先輩の言う通り、赤ちゃんが正解なんじゃないですか?」
詩がそう続ける。しかしひなたは「ぶっぷぅー」と可愛く唇を尖らせた。
「たしかに赤ちゃんも尊い。でも一番じゃないっ!」
「そうですか? 天羽先輩の話聞いてたら、赤ちゃんが一番尊い気がするんですけど」
詩が不服そうに声を上げ、萌子とつばさも「うんうん」と頷く。
だが、ひなたは渋い顔して「ふぅー」とため息を吐くと、ゆっくりと首を左右に振った。
「赤ちゃんだって所詮人間だ。どんなに小さい頃は可愛くてもな、いずれは醜い大人になってしまうんだよ」
「? ……はあ」
「そうだな。例えば、シングルマザーのA子さんがいたとしよう」
ひなたはそう切り出すと、シリアスに語りだした。
◇
私は、鈴木A子、30歳。現在、生後3カ月の息子うたと、二人でボロアパートで生活しているシングルマザーよ。
————夫はどうしたのかって?
夫はね、子供ができると同時に家を出て行ったわ。まあ、あの人は、元々家庭を持つのを嫌がっていた人だからね。こうなるのは薄々分かっていたわ。
フッ。それでもね、私は、寂しくもないし、苦しくもないわ。
————なぜだって?
なぜなら私には、愛する息子うたがいるからよ。
フフッ。うたがいれば、他になにもいらないわ。
————女でひとりで子供を育てるのは大変じゃないかって?
まあ、たしかに大変よ。お金はかかるし。家事、育児、仕事をすべて1人でやらないといけないし。協力してくれる人も、相談に乗ってくれる人もいないし。精神的にも、肉体的にも、とても疲れるわね。
フフフッ。でもね、うたの笑顔を見るだけで、どんな疲れも、悩みも、苦労も、すべて吹っ飛んでしまうから、大変かどうかなんて関係ないわ。
————世界で1番尊いものは何だと思うって?
そんなの決まってるじゃないっ。『赤ちゃん』であるうたが『世界で一番尊い』わっ!
~~40年後。
「部屋から出てきなさい、うたッ! あなた40歳にもなって、いつまで部屋に引きこもっているつもりなのよ! いい加減、部屋から出て働きなさい!」
私は必死に、ドンドンドンと扉を叩きながら、子供部屋に向かって訴えかけ続ける。
それでも、その部屋からうたが出てくることはない……。
息子のうたが、引きこもりになってもう25年が経つ。
うたは40歳。私はもう70歳だ。
私は一体、いつまで息子の面倒を見続けなければならないのだろうか……。
「うたっ! 聞いているのッ⁉ いい加減、部屋から出て働きなさいっ!」
「うるさいんだよっ! 今、ヤ○コメで芸能人の悪口書くのに忙しんだよっ!」
部屋から大きな物音とともに、荒んだ怒声が飛んでくる。うたの言葉で、私の胸はきゅーっと痛いくらいに締め付けられた。
だがそれでも、息子のためだ。私は必死に言葉を紡ぐ。
「それのどこが忙しいのよっ。40歳にもなって、そんなしょうもないことをするのはやめなさいっ! さっさと部屋から出て、働きなさい!」
「ふんっ。働いたら負けなんだよ」
「なにが働いたら負けよっ。もうあなたコールド負けしてるわよ。馬鹿言ってないで、さっさと部屋から出てきなさいっ。私がこのままずっと、あなたの面倒見れるわけじゃないのよ」
「いいよ、別に。俺、水瀬い○りと結婚してヒモになるから」
「夢持ち過ぎよっ! 現実を見なさい! 美人声優が、40のハゲクソデブニートと結婚してくれるわけないでしょうがっ! さっさと部屋から出て、働きなさいっ!」
「ああクソッ! 働かないって言ってんだろーがッ。働くぐらいなら、死んでやるわ。死んで、異世界転生してやるわっ」
「なに馬鹿なこと言ってるの! 異世界なんて行けるわけないでしょっ。それに、もし異世界に行けたとしても、ずっと無職のあなたが異世界で生きていけるわけないでしょうが!」
「うるせえなー。そんなのわかんねえだろーがッ! 俺は、異世界行ったら本気だすんだよ!
そんでロ○シーちゃんとイチャイチャすんだ」
「あなた、ずっと何言ってるのよ! お母さん、1ミリも理解できないわよ!」
「そりゃ、低脳で低学歴のあんたには、俺様の言葉は理解できないだろーなっ!」
「……低脳で低学歴って。いや、あんたこそ中卒じゃないっ」
「黙れっ! 俺は、中田○彦の○ーチューブ大学見てるから、大卒も同然なんだよっ!」
「同然なわけないでしょっ! もういいから、さっさとイカ臭い部屋から出てきなさいっ! あなた、このままじゃ、カピカピのティッシュを製造するだけの人生になるわよっ!」
「う、うるせえんだよっ! クソババア!」
「ク、ク、クソババア……ですって?」
まさかこんなことを最愛の息子に言われるなんて思わなかった……。
私は、この子に100以上の愛情を与え続けてきたのに……私の人生は一体、何だったの。
はあ。なんで私は、あの時『赤ちゃん』であるうたが、『世界で一番尊い』なんて言ったのかしら……。
◇
「「「…………」」」
詩、つばさ、萌子の3人は神妙な面持ちで黙り込んでいた。
女で一人で、愛する息子を育てたA子。しかし、無情にも彼女の想いは、息子には届いていなかった。
A子のことを考えると心が沈む、詩、つばさ、萌子の3人。
お通夜のような空気が部室に流れる。
「あはははッ! どうだっ! この話を聞いても、まだ赤ちゃんが世界で一番尊いと思うか?」
しかしそんな空気なんてお構いなしに、話していた張本人のひなたは、胸を張りながら自信満々にそう訊ねる。
「「「いや……思わないです」」」
3人は、何とも言えない顔でそう答えた。
ひなたはそんな3人の姿に満足してニヤリと笑う。
「じゃあ、金輪際、赤ちゃんを尊いって言うなよ」
「いや、あの……まあ、はい」
必ずしも赤ちゃん全員がそんな悲惨な未来になるはずではないと思いながらも、ひなたの言葉を否定するのも面倒なので、詩は嘆息しながらそれに頷いた。
「じゃあ、赤ちゃんは尊くないとして、何が一番尊いんですか?」
詩が訊ねる。
すると、ひなたは満面の笑みでそれに答えた。
「正解は、義妹でーすっ!」
「……義妹?」
首を傾げる詩。
正直、それはあまり納得できる答えではなかった。
しかし、そんなことなどお構いなしに、ひなたは傲慢に「ふっ」と鼻を鳴らした。
「うち気づいたんだよっ! 結局、1番最高のヒロインは、義妹キャラだってことになっ!」
「義妹キャラねー。で、ひなたはなんに影響されてそう思ったの?」
優しく微笑み、頬杖をつきながらつばさが訊ねる。
「いやさー、家で何気なくギャルゲーしてたら、ふと思ったんだよ。うち気づけば、義妹キャラばっか攻略してんなーって。んで、攻略しながらいつも思うんだよ、義妹って尊いなーって」
「え? 理由しょうもな」
詩が思わずそう呟く。
ひなたはもちろんそれをスルーして、急にリュックをガサゴソと探り始める。
「あ、あった」
そして中からプリッツを取り出すと、それをポリポリと食べ始めた。
詩は思った。こいつなんでこんなに自由なんだろうと。
「萌子、茶淹れて」
お菓子を一口食べて、のどが渇いたのか、ひなたがそう言う。
「は~い」
萌子は優しく微笑みながら頷いて、奥に置かれた電子ケトルの前に移動した。
「緑茶でよか?」
「おん。いいぞー」
「つばさちゃんと、うたくんも飲むぅ?」
「うん、飲むー」「はい、お願いします」
「うふふ。かしこまりぃ~」
萌子はどこか嬉しそうにしながら、お茶を淹れる準備を始めた。
ほんわかした空気の中、詩が「でも」と会話を仕切り直す。
「それって部長の主観であって、みんなの意見ではないですよね。それで一番って言われてもさすがに……」
詩がそう言うと、ひなたはきょとんと不思議そうな顔をした。
「なに言ってんの、お前。この世界の中心は、うちだぞ」
「……思想こわっ」
詩は恐々としながらそう言った。
(……え、なにこのひと。実はヒトラーかなんかの末裔なん?)
詩はこれ以上反論してもひなたには敵わないことを悟ったので、話題を変えることにした。
「てか、部長って、ギャルゲーやるんですね。なんか意外です」
「そうか? うち結構やるぞ。いつにぃがそうゆうの好きだから」
「いつにぃ?」
聞いたことのないひなたの可愛らしい言葉に、詩は疑問符を浮かべる。
「ひなちゃんの、5番目のお兄さんのことばい」
すると萌子が、ウォーターサーバーの水を電気ケトルに入れながら教えてくれた。
「なるほど、にぃはお兄さんのことか」
思わず詩は、微笑ましくてクスっと笑ってしまう。
男勝りのひなたが、お兄さんのことを『にぃ』と呼ぶのは、なんか意外であり、可愛いなと
思った。
「なんだよっ」
「べつに」
ひなたの鋭い視線に、詩は慌てていつものクールな表情に戻す。
そんな光景を見ていたつばさが「ふふふっ」と笑った。
「ひなたって、6人もお兄さんいるんだよ」
「へえー、6人もいるんですか」
詩がそう声を漏らすと、ひなたは偉そうに腕を組みながら満面のドヤ顔をする。
「まあなっ。すごいだろ、もっと敬ってもいいぞっ!」
「いやべつに、6人お兄さんがいるからって、部長を敬う要素はないでしょ」
詩が嘆息しながらそう言う。
つばさは小さく肩をすくめ、呆れたような表情で言葉を続ける。
「6人のお兄さんたちみんな、7人兄弟の末っ子で唯一の女の子のひなたを、異常なくらいに溺愛しててね。この子は、それはもう甘やかされて育ったわけだよ。だから、こんなにワガママになっちゃったんだよねー」
「やかましわッ!」
つばさの言葉に、ひなたは大きな声でツッコむ。それを奥から見ていた萌子は「うふふ」と楽しそうに声を漏らしていた。
ちなみに、ひなた、つばさ、萌子の3人は、小学校からの幼馴染で親友である。
3人は、10年近い付き合いになるのだが、今でもほとんど毎日、学校、プライベートを問わずに一緒に過ごしており、お互いのことで知らないことはないほど、固い絆で結ばれていた。
詩は、そんな3人を微笑ましく思いながら、ひなたに向かって言葉をかけた。
「それにしても、7人兄弟の末っ子で唯一の女の子って、部長、ウィーズリー家のジニーみたいですね。まあ、部長はジニーほど賢くもお淑やかでもないけど」
「アバタケダブラッ!」
「プリッツで、死の呪文唱えるのやめてくださいよ」
食べていたお菓子を振り回すひなたに、詩は呆れたように眉根を寄せた。
「でも、7人兄弟って本当に珍しいです」
「まあな。近所でもうちの家族は有名だ」
「へえー」
「父ちゃんの口癖『俺はこうゆう人間だっ』は巷で結構流行ったしなっ」
「え? 部長のお父さん、ビックダディなの?」
詩がツッコむ。しかしひなたは気にせず、ポリポリとプリッツを頬張っていた。
そんなひなたに肩をすくめながら、詩は「でも」と続ける。
「なんでそんなに部長がワガママなのかとか、見た目に反してそんな男勝りの話し方するのかとか、理由がよくわかりました」
「やっぱり、性格とか、言葉遣いって、結構家柄出るよねー」
つばさが苦笑しながら頷いた。
そんな話の中、萌子が木製のトレーに湯呑を載せてお茶を運んできてくれた。
「はい、お茶どうぞ~。熱かけん気をつけてねぇ」
「ありがとうございます」
詩は礼を言ってそれを受け取ると、すぐに湯呑に口をつけた。
「おいしい」
海外暮らしが長い詩だが、やはり彼も日本人。緑茶が深く体に染みた。
「それならよかったぁ~。今日のは、八女の新茶やけんバリおいしかろぉ~?」
「はい、とても。やっぱり日本茶もいいですね」
「うふふ。そんなに喜んでくれたならよかったばい。飲みたくなったらいつでも言ってねぇ。うたくんのためやったらいつでも淹れるけん」
母性溢れる表情で萌子は、詩にそう言った。
緑茶以上に、萌子のその表情は心温まる。
(……この人は本当に、部長と同い年なのだろうか。母性半端ないんだが)
詩はそんなことを考えながら、萌子に問いかけた。
「天羽先輩は、弟か妹がいるでしょう?」
「うん、弟が2人おるよぉ~。ようわかったね」
「だって天羽先輩はなんかお姉さんっぽいです。優しいですし、包容力もありますし、お姉さんオーラが溢れ出てます」
「そぉ? ふふふ、ありがとぉ~」
萌子は嬉しそうに目を細めた。
「萌子んとこの弟は、双子ちゃんなんだよー」
「へえー。双子ですか。それも珍しいですね」
詩が驚いたようにそう言うと、萌子はにっこりと微笑んだ。
「うん、うちの双子も近所では有名かとよぉ~。今小学4年生で、夕と凪って言うんやけど、どっちもヤンチャでねぇ。最近はいっちょん言うこときかんとよぉ~。まあ、そうゆうとこが可愛いかとばってんね」
弟のことを思い浮かべてか、いつも以上に優しい表情を見せながら語る萌子。
この人は、間違いなくいい姉だろうと詩は思った。
すると、なぜかひなたが「ふんっ」と鼻を鳴らし、顔を顰めた。
「あいつらのどこが可愛いんだよっ! ただのクソガキじゃんかっ!」
(……人の家の弟によくそんなこと言えるなあ)
声を荒げながらそう言うひなたに、詩は呆れ顔でため息を吐いた。
「ひなたって、萌子んち行くと、いっつも夕凪と喧嘩するもんねー」
「部長、大人げないですよ」
「だって、あいつらすぐうちのこと、ちびちび言うもん」
「それでひなた、いっつも泣かされてるもんねー」
「泣かされるんかい」
「な、泣いてねえしっ!」
(小学4年生と喧嘩して泣かされる高2。まあ、部長なら仕方ないか)
なぜなら——
「部長の精神年齢って、小学生以下ですからね」
「アバタケダブラ!」
「だから、プリッツで死の呪文唱えないでくださいよ。ヴ○ルデモートですら、もっとその呪文、慎重に使いますよ」
詩は嘆息しながらそう言うと、次は横に座る、つばさの方に顔を向けた。
「葵先輩のとこはどうなんですか?」
「ボクの家? ふふっ。どう思う?」
つばさが楽しそうに訊ねる。詩は「うーん」と数秒考えたのちに口を開いた。
「葵先輩は、男兄弟の中で育ってきたでしょう?」
「ほほーう、その心は?」
「下品だから」
辛辣にそう吐き捨てる詩。
それにひなたが小さく眉根を寄せた。
「お前最近、つばさの扱い雑だよな」
「葵先輩は、先輩として敬う必要がないんで。この人はこのくらいで丁度いいかなと」
詩はジト目で、つばさを見つめる。つばさは満面の笑みを浮かべていた。
「うーちゃんの遠慮ない物言い……ハアハア……嫌いじゃないっ! むしろいいっ!」
詩はげんなりしながら、ひなたと顔を見合わせる。
「ね?」
「そだな」
ひなたは深く納得したように頷いて、お菓子をポリポリと頬張った。
「で、結局、葵先輩のところは?」
仕切り直すように詩が問いかける。
「つばさちゃんは、一人っ子だよぉ」
それに萌子が答えた。
「予想が外れた」
詩がそう言うと、つばさはニヤリッと笑って胸を張った。
「ボクのこの変態性は、誰にも影響なんか受けていないっ!
そう、ボクこそが、真の変態だっ!」
「かっこよさそうで、1ミリもカッコよくない」
詩は改めて、この人はいろいろ残念だなと思った。
「うたくんのところは~?」
自分の席に戻った萌子が湯呑を持ちながら訊ねた。
「僕ですか?」
「お前は、姉ちゃんいるだろ。なんか弟っぽい」
ひなたがニヤリと笑いながら言った。
それに詩は首を傾げる。
「そうですか? 初めて言われました」
「なんかわかるかも。たしかに、うーちゃん、弟っぽいよねー。可愛いし、めでたくなる」
「そうやねぇ~。うたくん、弟感でとるよ~。かわいか~」
つばさと萌子が、ひなたの言葉に同意した。
「? ……はあ」
詩は2人からの「可愛い」という言葉にも一切照れず、クールな表情でただ首を傾げていた。
そんな中、なぜかひなたは顔を顰めて言う。
「けっ。こいつのどこが可愛いんだよっ! こいつも生意気なだけだろっ!」
「僕も泣かしていいですか?」
「ほらっ、生意気じゃんかっ! 普通、先輩にこんなこと言わないぞっ! 大体、こいつが可愛いって、それただ女顔なだけだろ」
ひなたがそう言うと、詩は少しだけムッとした表情をみせる。
「……女顔って。人が少し気にしてることを」
「うっさい、女顔っ! 男のくせに、ムダ毛ゼロっ! お前、たぶんうちの母ちゃんより、体毛薄いぞっ!」
「僕と自分のお母さんを同時に傷つけないでください」
詩は「はあ」とため息を吐いて、言葉を続けた。
「本当、部長ってデリカシーないですよね」
「゛ああん? なんだとっ⁉」
憤慨するひなた。詩は気にせず続ける。
「大体部長、デリカシーって言葉知ってます?」
「馬鹿にすんなっ! そんくらい知ってるわっ! あの大正時代のやつだろ」
「いや、それデモクラシー」
詩は呆れながらツッコむ。
やはりひなたは、デリカシーの意味さえ知らなかった。
するとつばさが、肩をすくめながらゆっくりと首を左右に振った。
「やれやれ、ひなた。デリカシーっていうのはね、エッチなお姉さんが出張で来てくれるサービスのことだよ」
「いや、それデリヘ○」
詩はそうツッコみながら、蔑むような目でつばさを見つめる。
つばさは「うーちゃんのその目、嫌いじゃないよ」と呟きながら、恍惚な表情を浮かべていた。
今度は微笑みながら萌子が口を開く。
「もぉ~、つばさちゃんったらぁ~。それは全然違うばい。デリカシーっていうのはね、洋食のお惣菜のことばい」
「いや、それデリカッセン」
詩はそうツッコむ。内心、「天羽先輩までボケんのかーい」と動揺していた。
そんな詩の動揺をよそに、ひなた、つばさ、萌子はニヤリと笑って、揚々とボケ始めた。
「じゃあ、前スッキリに出てた、よくよだれ垂らすテレビディレクターのことだろっ」
「いや、それテリー伊○」
「セクシーなお姉さんが派遣してくれるサービス」
「いや、だからそれはデリヘ○」
「醤油ベースの甘くて、おいしかタレ~」
「いや、それテリヤキ」
「元傭兵の軍事評論家」
「いや、それテレ○スリー」
「いやらしいお姉さんが電話一本で来てくれるサービス」
「いや、だからそれはデリヘ○って言ってんだろうが」
「おいしかを英語でぇ~」
「デリシャス」
「キーボードの右上にあるやつ」
「デリート」
「世のお父さんが、地方出張に行ったら必ず呼ぶサービス」
「お前は黙ってろ」
「前菜としてよく出るフランス料理ぃ~」
「テリーヌ」
「えーっと、ほら、ケント・ギ○バートじゃなくて」
「ケ○ト・デリカット。いや、それケント違い」
詩はそうツッコみ終えると、我に返ったように言葉を続ける。
「いや、なんだこれ。全然デリカシー関係なくなってるわ。てか、ツッコんどいてなんだけど、だれだよケント・デリカ○トって。世代じゃねえし、その外タレ全然知らねえよ」
「うーちゃんもだいぶ、デリカシーないよねー」
つばさが呆れた顔で小さく呟いた。
ひなたが緑茶を一口飲んで、一息つくと「で、結局」と話を戻した。
「お前んとこどうなの?」
「妹がいますよ」
「へー、妹いんのか。なんか意外。……まさか、義妹ではあるまいな?」
「義理の妹ですよ。血は繋がっていません」
「ええーッ⁉ まじかよぉおおおッ!」
テンション爆上がりで、ひなたが叫んだ。
「へえー、珍しいね。ボク、リアルで義妹がいる人と初めて会ったよ」
「元々、従姉妹だったんですけど。まあ、いろいろあって戸籍上、兄妹になりました」
「すんげぇぇぇっ! お前、ラノベの主人公みたいだなっ!」
「ほんとやねえ~。すごかぁ~」
「よし、会わせろっ!」
目をキラキラさせながらひなたが言う。
「普通に嫌です」
詩は、考える余地がないと言わんばかりに食い気味に言葉を返した。
「なんでだよっ」
「妹に悪影響だからです。部長に妹を会わせるくらいなら、僕は、妹をタトゥー入ったラッパーに会わせます」
「なんでだよっ!」
「写真とか持ってないのー?」
ニヤニヤしながらつばさが訊ねる。
「持ってません。妹の写真持ってる兄って気持ち悪いでしょ」
詩は顔を顰めながらそう答えた。
「じゃあ会わせろっ! 今から、お前んち行ってもいい?」
「嫌ですって。そもそも妹、今フランスにいるんで、僕の家に行っても会えませんから」
「フ、フランス⁉」
驚きながら目を見開くひなた。
そんなひなたを気にせず詩は続ける。
「はい。今、妹フランスのパリに住んでます」
「フランスのパリだと⁉ なんだそれっ、ひ○ゆきかッ!」
「なんでひろゆ○さんなんですか?」
「フランスのパリに住んでる日本人なんて、○ろゆきしかいないだろっ!」
「そんなわけないでしょ。それあなたの感想ですよね? なにかデータあるんですか? 嘘つくのやめてもらっていいですか?」
「やっぱ、ひろ○きじゃねえかッ!」
ひなたは、詩のモノマネに思わず大きな声でツッコんだ。
「またなんで妹さん、パリに住んどんしゃんの?」
湯呑片手に、首を傾げながら萌子が訊ねる。
「フランスの大学に通ってるからですよ」
詩はこともなげにそう答えた。
「えっ? 妹さんも飛び級で大学に行きよんしゃっと?」
「はい。妹は12歳でバカロレア(大学入学資格)を取得したので、今、大学に通ってる最中なんです」
「ほえー。やっぱり血が繋がってなくても、天才の妹は、天才なんだねー」
つばさがしみじみとそう呟いた。
「やっぱお前、可愛くないなっ! 生意気だなっ! アバタケダブラ!」
「なんでだよ」
ひなたはお菓子をポリポリと頬張ると、嘆息して話を戻した。
「それにしても、義妹か。まじで羨ましいぞ」
「いや、羨ましいって言われても……」
(……そう言われても自分にとっては、当たり前の義妹だからなあ)
詩が困ったような表情を浮かべていると、ここでひなたが名案が浮かんだと言わんばかりにポンッと手を叩いた。
「あ、そうだ。母ちゃんに頼んでみるか。義妹欲しいから、父ちゃんと離婚して、うちより年下の娘がいる男と再婚してくれって」
「……部長のご両親が不憫すぎる。可哀そうに、こんな頭の弱い娘を持ったばっかりに……」
「おいっ、誰が頭が弱い娘だよッ! うちの頭はめっちゃ固いわッ!」
ひなたはそうツッコむと、嘆息し言葉を続ける。
「でも、まじで義妹欲しいなー。よし、お前んとこの義妹うちによこせっ!」
ひなたがそう言うと、詩は不思議そうな顔をしながら首を傾げた。
「? なんですか、それ。プロポーズですか?」
「ハアァァァ~? な、な、な、な、なんでそうなるんだよッ⁉」
詩の言葉で、ひなたの顔は夕日のようにどんどん赤く染まっていった。
「僕の妹が欲しいって、それ僕と結婚したいって意味じゃないんですか? ほら、僕と結婚したら、僕の妹、部長の妹にもなるし」
「そそそそそういう意味で言ったわけじゃねえよッ! 何言ってんだよッ! おお、お前と、け、けけ結婚だなんて……」
これ以上ないくらいに動揺しながら、慌てふためくひなた。
彼女は、自分の顔を手でパタパタと仰ぎ始めた。
「あーくそ、顔が熱い。もうっ、なんなんだよっ! ばーか! ばーかっ!」
そんなひなたを見ながら、詩は思わず頬を綻ばせる。
「そんなに照れなくても、冗談ですよ。部長って、案外こうゆうのに弱いのか。可愛いですね」
詩がそう言うと、ひなたは学校中に轟くぐらいの声量で叫んだ。
「なっ⁉ ……か、可愛いだと。うちは、可愛くなんかないわっ! いや、可愛いわっ!」
「はは」「あははは」「うふふ」と、詩、つばさ、萌子の3人は笑いながら強く思った。
————ひなたも十分尊いな、と。
活動記録3.『神童、神楽詩』
文化部棟がある旧校舎の3階。
そこには、ウルサイやつらが集まる、ボランティア部(仮)という部活がありました。
「ド○ンちゃんのドキンって、どうゆう意味なんだろうなっ」
いつものように何の脈絡もなく唐突に、長い茶髪のツインテールをなびかせながら、この部の部長である、ひなたがまたくだらないことを言い出した。
「いや、どうでもいい……」
詩が、ドイツ語で書かれた難しそうな論文から顔を上げて、心底辟易した様子でそう呟いた。
それにひなたが突っかかる。
「あん? どうでもいいとはなんだよっ! お前は気にならねえのかよっ」
「なりません。まじで興味ないです。友達が話す夢の話くらいに興味ないです」
「まったく。相変わらず、冷めてるやっちゃなー。じゃあお前は、うちの考察を黙って聞いてろっ」
「はあ」
詩がテキトーに相槌を打つと、ひなたはニヤリと笑って語りだした。
「うちの考察では、ド○ンちゃんのドキンには、DQN的な意味が込められてると思ってる!」
「考察しょうもな。それは絶対違いますよ」
「あ? 絶対そうだろッ! ド○ンちゃん、DQNだし」
「ドキ○ちゃんはDQNじゃないですよ、絶対に。そもそも、あの優しい世界にDQNなんていないんですよ」
「ハア? じゃあ他に、ド○ンちゃんの、ドキンにはどんな意味があるってんだよッ⁉」
ひなたが険しい顔をしながら言う。
詩はそれに肩をすくめ、言葉を続けた。
「たぶん、心臓の拍動を表す擬音のドキドキから来てるんじゃないんですか。ほら、ド○ンちゃんって恋する乙女だし」
詩がそう説明すると、ひなたは納得したように手をポンと叩いた。
「なるほどっ。さすが、ハーバード卒だなっ!」
「いや、これで褒められてもうれしくないですよ。てか、ド○ンちゃんの知識、ハーバード全く関係ないし」
詩が嘆息しながら言う。
すると、次につばさが「じゃあさ」と切り出した。
「じゃあさ、バ○キンマンとド○ンちゃんの関係はどう思う?」
「いや、それもどうでもいいです。同じ菌同士だから仲良くしてるんじゃないんですか?」
詩が呆れながらテキトーにそう言うと、つばさはニヤリと笑って頭をゆっくり左右に振った。
「やれやれ、うーちゃん。その程度の考察じゃ、まだまだ甘いねー。それじゃあ一人前のアンパンマキアンとは呼べないね」
「なんですかアンパンマキアンって。シャーロキアンみたいに言われても知りませんよ。しかも、めっちゃ語呂悪いし。めちゃくちゃ言いにくいな、アンパンマキアン」
詩がジト目でそう言うも、つばさはそれをスルーし自信満々に語りだした。
「ふふっ。ボクの考察では、バイ○ンマンとド○ンちゃん、彼らの関係は、援○交際に近い関係だっ!」
「あんたの考察もしょうもな。絶対違うわ」
詩はそうツッコみながら強く思った。
まじでこの人たちは何を言っているんだろうか。てか、高校生にもなってア○パンマンを考察するってまじでなんなんだよ、と。
どうやら、今日のボランティア部(仮)の活動内容はいつも以上にくだらないようです。
これではいけない。このままでは、みなさんを退屈にさせてしまう。
んー。なら、どうしよう…………あっ、そうだ。
なら今回は、急遽予定を変更して、そもそもなぜこの物語の主人公で、神童の神楽詩が、こんなしょうもない部活、ボランティア部(仮)に入部したのか、その経緯を話そうと思います。
「それでは、回想どうぞ」
「え? 急にどした? おい、後輩?」
◇
——春朝。
天窓から爽やかな自然の光が差し込み、朝を告げる。
時は少し遡り、4月4日。今日は、私立花森学園の入学式。
大きな屋敷の一室。
最高級ホテルのようなラグジュアリーな寝室で、今日から私立花森学園の新1年生になる、神楽詩は穏やかな寝息を立てていた。
「詩様、お目覚めのお時間でございます」
キングサイズのベットでひとり眠りについていた詩は、いつものようにそう声をかけられ、重い瞼をそっと開ける。
「んー、うん」
そして詩は、そう短く返事をすると、目を擦り、寝ぼけた眼の焦点を声をかけてきた人物に合わせた。
日本人離れした華麗な容姿。美しく煌めく銀の髪に、青い瞳。恰好は女性が着るには珍しいクラシカルな執事服。
詩に声をかけた人物は、詩専属の執事である星宮ソフィアだった。
「おはようございます、詩様」
美しい顔でニコッと微笑みかけるソフィア。
「ああ、おはよう」
詩は寝ぼけた顔でソフィアに挨拶を返すと、ふと壁掛け時計で時間を確認した。
「あー、ねむねむ」
今時間は、6時ちょうど。
(なんでこんな早い時間に起こすんだよー。仕事は溜まっていないはずなのに。……はあ、昨日遅くまでスプラトゥ○ンしてたから眠いなー)
詩は今日が入学式であるということを忘れ、まだ回っていない頭でそんなことを考えていると——
「失礼します」
ソフィアが、詩のコンフォーターをそっと捲り上げた。
星宮ソフィアは、長年に渡り、詩に仕えている使用人である。
ソフィアは使用人として、身支度や給仕などの詩の身の回りの世話はもちろんのこと、詩のスケジュール管理や、体調管理なども行っている。
そのためソフィアは、神楽家の誰よりも詩のことを理解しており、誰よりも長い時間を詩と過ごしている。
詩は、そんなソフィアに全幅の信頼を寄せていた。
なにも着ずに裸で寝ていた詩はベットから出ると、すぐに寝室に併設されているバスルームに向かい、そこで眠気覚ましの冷たいシャワーを浴びる。
「……ああ、そうだ。僕、今日から高校生だった」
ゆっくり回転し始めた思考回路で、詩はやっと今日が入学式であることを思い出した。
「失礼します」
「うん」
バスルームを出ると、すぐにバスローブをソフィアに着せられる。
これが日常である詩にとっては、ソフィアに裸を見られることなどなんでもなかった。
そして詩は、ソフィアにドライヤーで丁寧に髪を乾かしてもらうと、寝室を出て、朝食をとるべく食堂に向かって廊下を歩いていく。
そんな彼の後ろを歩きながら、ソフィアはいつものように今日の予定を伝える。
「本日の予定ですが、9時から花森学園の入学式。16時から日和様との近況報告会。18時から書類チェック。19時からリモートにて、神楽グループの経営会議になっております。経営会議につきましては、今回は権郷様もご参加されるとのことでしたので、遅れることなきようにお願い致します」
「へー。今日、おじい様も出席するんだ。OK、了解」
詩はテキトーにそう返事をすると、大きく伸びをし、あくびをしながら食堂に入った。
ソフィアに椅子を引かれ、そこに詩は腰かける。広い食卓でひとり、詩は席に着いた。
この屋敷には現在、詩以外は使用人しか住んでいない。そのため、詩はいつもひとりで食事をとっていた。
「本日の朝食は、マンガリッツァ豚のスモークターキーに、玄米卵のオムレツ、パティスリーヤマザキのクロワッサン、福岡県産の春野菜を使ったチョップドサラダ、最高級のジャガイモであるラ・ボノットを使ったポタージュスープ、RI○ACOおすすめのグリーンスムージとなっております」
「朝はそんな豪華じゃなくていいって、いつも言ってるのに……はあ。今、僕の口、マ○クのソーセージマフィンと、マッ○シェイクの気分なんだけど」
豪華すぎる朝食のメニューを聞いた詩は、げんなりした様子でそう言った。
「左様でございますか、かしこまりました。それでは、昨夜からシェフが丹精込めて準備した料理を、倫理観などお構いなしにすべてごみ箱に思いきり投げ捨て、今からすぐにマク○ナルドに向かい、詩様のご要望の品をご準備致します。いや、いっそのことドナルドを連れて参ります」
ソフィアはふざけなど一切なしで、真剣な表情でそう言う。
「うそうそ、冗談だよ。そういえば僕、ケ○タッキー派だったから」
詩は、自分の命令なら本当にやりかねないソフィアを慌てて止めた。
「では、ケ○タッキーに向かいます。いや、いっそのことカーネル○ンダースを連れて参ります」
「連れて来なくていいよ。カー○ル連れて来ても、あのおじさんサンタのコスプレさせられてるか、バーレル持ってるだけだから。もう、とりあえず今日は豪華な朝食準備して。あと、ついでにタブレットも持ってきて」
詩は嘆息しながら言う。
……この執事は、あまり冗談が通じなかった。
「かしこまりました。では、すぐにご準備致します」
ソフィアはそう言い終えると深く頭を下げ、颯爽と給仕の準備に取り掛かった。
タブレットで、株価、世界経済、注目論文、サ○デーうぇぶり、ジャ○プ+、ピ○コマに目を通しながら、豪華な朝食を済ませると、詩は自室に戻り、今日から通う花森学園の制服に初めて袖を通した。
もちろん着替えはすべてソフィアが行った。
「お似合いです、詩様。まるで、子犬が服を着てるみたいです」
「え? それ褒めてる?」
「はい、とても」
詩は、ソフィアの誉め言葉に首を傾げながらも、大きな姿見に映る自分の制服姿にどこか心躍っていた。
——これで自分もすこしは普通の高校生らしくなれるかな、と。
「じゃあ、いってくるね」
制服に着替え、入学式に向かう準備ができた詩は、玄関前でソフィアに向かってそう告げ、いそいそと学校に向かって歩き出そうとする。
しかしソフィアは、そんな詩の歩みを止めた。
「本当に学園まで車でお送りしなくてよろしいのですか」
「うん、近いからね。歩いていくよ」
「ですが、詩様にもしものことがあれば……」
「前にも言ったと思うけど、僕は普通の学園生活を送るために日本に来たんだ。だから、僕の自由にさせてくれ」
「ですが……」
詩がそう言うも、ソフィアは怪訝な顔をし、納得していない様子で言い淀んだ。
確かに、彼女の言い分も十分理解できる。詩は、全世界に広がりを見せている神楽グループ全社の跡取りにして、最年少の15歳で難関大学を卒業した神童である。
そのため世界各地、様々な分野の権威者たちが『神楽詩』という人間に強い期待と希望を抱いている。ソフィアの言うように、詩にもしものことなど許されない。
……だが、詩にとっては、そんなことどうでもよかった、ただただ鬱陶しかった。
なぜなら、神楽詩という人間は、自由と安息、そして何より、何もないただの日常を求めているのだから。
詩はいつもと違い威厳漂う雰囲気を纏い、プレッシャーを感じさせる強い眼差しでソフィアを見据えた。
「I command you. Shut up and see me off.【これは命令だ。黙って見送れ】」
詩が強い口調でそう言うと、ソフィアは美しい顔を強張らせながらすぐに頭を下げる。
「申し訳ありません。出過ぎた真似でした」
そして頭を下げたまま、ソフィアは詩に聞こえないくらいの小さな声量で呟いた。
「うちのご主人様が、かっこよすぎてまぢでパない。ガチでセッ○スしたい。よし、今日はあのバスローブをオナネタにしよう」と。
余談だが、星宮ソフィアは、詩のことを尊敬を通り越して、ヤバいくらいに崇拝していた。
……主人で毎日、オ○ニーするくらいには。
◇
入学式は予定通りに、1時間程度でつつがなく終わった。
面白みのない来賓の挨拶や、初々しい新入生代表挨拶、終始すべって聞くに堪えない校長の挨拶など。どれも興味がないものだったので、詩は話など聞かずに、脳内で『もしこの式場内にテロリストが襲撃してきたら、どう対処するか』ということを真剣にずっと考えていた。
そして、入学式が終わると、各々のクラスに別れ、教室で初めてのLHRが行われたのだが、手の産毛を真剣に全部抜いていたら、いつのまにか終わっていた。
LHRが終わり、担任の教師が教室から出て行くと、すぐに数人の生徒が保護者と共に家路についた。だが、そのほか大半の生徒は、友達でも作ろうとしているのか、周りの様子をうかがいながら、未だに教室に残っていた。
(……さて、どうしたものか。次の予定までは、まだだいぶ時間があるなあ)
詩が手持ち無沙汰のままのんびりしていると、ガラガラッと前の教室の扉が開かれ、50代半ばの眼鏡をかけた神経質そうな女教師が入ってきた。
そして、その教師は教室に視線を巡らせ、
「失礼。神楽詩君はどの子かな?」
とやや冷たく感じる口調でそう訊ねた。
「はい、僕です」
すぐに詩は席を立ち、小さく手を上げる。
「ああ、君か」
女教師は詩を見つけると、眼鏡の端のフレームを指でクイッと上げた。
「理事長がお呼びです。今から、私が案内しますので、一緒に理事長室まで来るように」
「わかりました。では、ご案内お願いします」
メンドクサッ。と思いながらも表情には出さず、詩は女教師の言葉に愛想よくそう返した。
女教師とふたりで、理事長室に向かって廊下を歩いていく。
しばしの沈黙が流れた後、女教師がこちらを見ずに口を開いた。
「私は、教頭の緒方です。あなたのことは理事長から詳しく聞いています。15歳でアメリカの難関大学を卒業した神童で、あの神楽グループの御曹司であるなど、他にもいろいろ。とても凄い経歴と、家柄をお持ちですね」
「……はあ。まあ、はい」
女教師、緒方から嫌味を感じるようにそう言われ、詩は少しだけ戸惑いながら、曖昧に相槌を打った。
すると緒方はこちらを振り返り、神経質そうに目を鋭くさせながら「ですが——」と続ける。
「——私は、あなたを特別扱いする気はさらさらありませんので。私は、あくまであなたを、花森学園の一生徒として扱わせていただきます。肝に銘じるように」
「はい。僕としても、そうしていただく方が有難いです」
詩がクールな表情でそう返すと、緒方は詩の態度と言葉が気に入らなかったのか「ふんっ」と鼻を鳴らした。
そして、再び気まずい沈黙が流れる。
大人にこのような態度をとられることに慣れている詩は、とくに気にする様子はなく、緒方の後ろを黙って歩いた。
しばらくすると、他とは違う重厚感のある扉で、堂々と『理事長室』のプレートが掲げられている部屋の前に辿り着いた。
「ここが理事長室になります。分かっているとは思いますが、理事長はとても威厳あるお方です。この学園にとどまらず、この街で一番顔が利くと言っても過言ではありません。決して、失礼のないように」
「わかりました」
詩が返事をすると、緒方はノックし扉を開いた。
「失礼します。理事長、神楽詩くんをお連れしました」
「入りなさい」
厳かな声が返って来る。
詩は、部屋の中に目を向けた。
部屋の中には、金色の椅子に堂々と鎮座する、半月の眼鏡をかけ、長い銀色の髪、口髭、顎髭を蓄え、長いマントを羽織っている老人がいた。
その老人は、完全にハリポタのダンブ○ドアのコスプレをした激イタのおじいさんだった。
「おお、よくきたのう。わしが、理事長じゃ」
その老人、理事長はにっこり笑ってそう告げた。
詩は理事長に「え? 理事長なのに、校長なの?」とツッコミたい気持ちをぐっと我慢しながら、すぐに言葉を返して頭を下げる。
「初めまして、神楽詩です。入学の際には、いろいろとお世話になりました」
「よいよい、大したことはしとらん。気にするでない。それにこちらこそ、寄附金の件で君に礼を言わなければならん。ありがとう」
「いえ、大した額ではないので」
理事長は「ほほほっ、そうか」と満足げに微笑んでいた。
ちなみに詩は、この学園に入学するにあたり祖父の友人である理事長に便宜を図ってもらっていた。そして、神楽家は、詩がこの学園に入学するにあたり多額の寄付金を約束していた。
「まあ、かけなさい」
「はい、失礼します」
詩は理事長に促され、来客用のソファーに腰かける。緒方は部屋の隅に置かれた電気ポットでお茶を淹れ始めた。
理事長も席を立ち、詩の前の席に腰かける。そして優しい笑みを浮かべながら口を開いた。
「レモン・キャンディーはいかがかな?」
「レ、レモンキャンディー?」
(……いや、めちゃめちゃダン○ルドアっぽい。これはツッコむべきなのか……)
詩は逡巡したのち、首を横に振った。
「結構です」
「そうか、残念じゃ。おいしいのじゃがのう。まあよい」
理事長はそう言うと、レモンキャンディーの包みを開き、それをひょいと口の中に入れた。
そして理事長は、キャンディーを口の中で転がしながら、詩に訊ねる。
「おじい様は元気かのう?」
「はい。ここ数年は、画面越しでしか会っていませんが、元気すぎるくらいにピンピンしています。先月もマニラと、バンコクに行っていました」
「そうか。息災なら何よりじゃ」
「はい」
「ならばうたくんはどうじゃ? 今まで、ずっと海外で暮らしていたようじゃが、日本での暮らしに不便はないかのう?」
「いえ、ありません。家には優秀な使用人がおりますので」
「そうか。それならよいのじゃ」
理事長は優しく微笑み、長い口髭を撫でた。
「どうじゃ、わしの学園は?」
「んー。……まあ、普通ですね」
詩はしばらく考えて、悪気なくそう答えた。
「なっ⁉」
2人の会話を聞いていた緒方が驚きの声を上げる。
どうやら緒方は、詩の『普通』という言葉を嫌味ととったようだ。
緒方は、睨みつけるように鋭い視線を詩に送りながら、ドンっと強く彼の前に湯呑を置いた。
だが詩は気にせず言葉を続ける。
「普通だからこそいいんですよ」
「……普通だからこそか」
理事長は、自分の前に置かれた湯呑をそっと取り、口に運ぶ。そして、一息つくと、ゆっくりと口を開いた。
「ずっと気になっておったのじゃ、君がこの学園を選んだわけを。たしかに、わしと君の祖父は知己の中じゃ、そして、わしが、君の入学の際にいろいろと便宜を図ったのも事実。
じゃがのう、君にはそんなこと必要なかったはずじゃ。君のその頭脳と才能があればそんなことをせずとも、うちの学校はもちろんのこと、他のどの優秀な学校にも入れたはずじゃ」
「まあ、そうですね」
詩は鼻にかけることなく言う。
理事長は苦笑し、長い口髭を撫でた。
「わしが言うのもなんじゃが、うちの学校は生徒数が多いだけのどこにでもある、ありふれた普通の高校じゃ。偏差値が特段いいわけでもなく、部活動の成績が優秀なわけでもなく、最新設備がそろっておるわけでもない。なのにじゃ。なのになぜ、神童と呼ばれる君が、この学園を選んだのじゃ?」
「この学園を選んだ理由ですか……」
理事長の問いかけに、詩は言い淀んだ。
ただならない緊張感が漂う。
理事長と緒方はたらりと額から汗を流した。
目の前にいるのは、15歳の少年だが、ただの少年ではない。彼は、超がつくほどの天才だ。
この神童は一体、どんな深い理由でこの学校を選んだのだろうか。この神童は一体、この学校でなにをなすつもりなのだろうか。天才ではない2人では、天才の考えを推し量ることは出来ない。
詩の言葉を待つ理事長と緒方はゴクリと息を呑んだ。
そんな中で、詩はクールな表情を崩し、綺麗な顔で小さく微笑んだ。
「僕がこの学校を選んだ理由、それは——」
「「そ、それは?」」
「——家からこの学校が一番近かったからです」
「「……へ?」」
理事長と緒方は思わず顔を見合わせた。
困惑した様子でずれた半月眼鏡を直しながら、理事長が再度訊ねる。
「わしの聞き間違えかのう? すまん、もう一度言ってくれぬか?」
「家から学校が近かったからです」
「聞き間違いじゃなかったわい! じょ、冗談じゃろ?」
「いや、本当です」
「なっ⁉ 百歩譲ってそれが冗談じゃないとしても、ももも……もちろん理由はそれだけじゃないじゃろうなっ⁉」
「いや、そんだけ」
詩はいつものクールな表情で、ぐっと親指を立てた。
「しょうもなっ! ハーバード卒とは思えんくらい学校選んだ理由しょうもなっ!」
緒方は詩のその言葉と態度に声を荒げ、続ける。
「きみは、うちの学校を何だと思っているの⁉ 舐めてるのっ⁉」
「舐めてないですよ。ちょっとしか」
「いや、ちょっとは舐めてるんかいっ!」
「ほんのちょっとですよ。戦場にオムツで行くくらいのレベルで舐めてます」
「いや、それちょっとじゃねえよっ! めちゃめちゃ舐めてんじゃねえかっ!」
「え? でも、オムツはパン○ースですよ。耐久性には優れてます」
「オムツの種類は関係ねえんだよっ! ムー○ーマンでも、パ○パースでも、メ○ーズでもなんでも一緒だよっ!」
「あ、一応、サイズはLサイズで向かいます」
「サイズの問題でもねえっ!」
「ま、まあ、緒方先生落ち着きなさい」
憤慨する緒方を、理事長がなだめる。
そして、理事長は「それじゃあ」と詩に訊ねた。
「それじゃあなぜ、難関大学を卒業して、高校に通う必要のない君が、こんなありふれていて、家から一番近いだけの理由で選んだ学校に通うのかのう?」
理事長の問いかけに、詩は小さく笑うと、「そんなの」と言葉を続けた。
「そんなの決まってるじゃないですか。楽しそうだからです」
「……楽しそう?」
理事長は難しそうな顔して眉根を寄せる。
詩は優しい表情で、言葉を続けた。
「普通の日常って、なんか楽しそうじゃないですか」
「ほう?」
「僕は、普通というものがなにか知るために日本に来ました。正直、深い理由とか全くないんです。ただそれが全てだから」
「……そうか。……普通を知るため、か」
理事長はそう呟くと、愉快そうに「ほほほっ」と笑い声を上げた。
「面白い答えじゃ。そうか、よくわかった。どうやら君は、おじいさんとは全く違う人種らしいのう」
「……まあ、そうですね。祖父と僕は全く違います。僕は、あの人ほど人間らしくはありませんから。範○勇次郎とア○パンマンくらい違いますよ」
「ほほほっ。そうかい……」
理事長は笑ってそう呟くと、しばし何かを考えるかのように深く目を瞑る。
そして、数秒経ったのちに理事長はゆっくりと口を開いた。
「あい、分かった。なら君はこの学園で『普通』を知り、思いきり『普通』を楽しむといい。わしも最大限サポートさせてもらおう」
「ありがとうございます」
詩は笑顔で礼を言い、頭を下げた。
理事長はそれに微笑むと、「だがのう」と続ける。
「そんな君にも、ひとつ守ってもらいたい学園のルールがあるんじゃ」
「守ってもらいたい学園のルール?」
詩が首を傾げる。
「ほほほっ。それはのう……なにかしらの部活に入ることじゃっ!」
理事長は満を持してそう告げた。
「部活ですか……?」
「そう、部活じゃ。うちの学園では、正当な理由がないかぎりは、必ず部活に入るようにと校則で決めておる。これはわしが、部活を通して、交友関係の幅を広げ、生涯の特別な友を作って欲しいと思っておるからじゃ。君も普通の日常を求めているのならば、ぜひ部活には、入るべきじゃろうなっ!」
「はあ」
詩はピクリと片眉を動かした。
(正直言って、メンドクサイ。放課後はできることなら、友達と遊ぶか、家でゆっくり過ごしたい。それに、今でもやらなければならない仕事も多少はあるんだけど……)
詩がどうしようかと逡巡していると、神経質そうに眼鏡をいじりながら緒方が口を開いた。
「どうですか、神楽君。様々な分野で結果を出している君なら、いろいろな部活から引く手あまただと思いますが」
詩は「ふぅー」とため息を吐いた。
「じゃあ、帰宅部に入ります。そこでエース目指します」
「それ部活入ってねえよっ!」
「チッ」
「え? 今、舌打ちした⁉」
(……まあ、でもなあ。確かに、部活に入るのって普通の高校生っぽいかもな。いろいろなものを捨ててまで、せっかく日本にまで来たんだ。新しいことに挑戦するのも悪くないか。よしやってみるか、部活)
詩は小さく肩をすくめる。
「わかりました。じゃあ、どれかしらの部活に入るんで、どんな部活があるか教えてください」
「おお! やる気になってくれたか! うちの学校は部活の数だけは豊富じゃぞ!」
理事長は嬉しそうにそう言うと、緒方に学園案内のパンフレットを持ってくるよう指図した。
緒方が、詩にパンフレットを渡す。詩は、それを受け取ると、部活紹介のページをざっと眺め始めた。
野球部に、サッカー部、セパタクロー部、書道部に、美術部、奉仕部、他にもたくさん。
確かに、マンモス校だけはある。部活の数は100近くあった。
「……お」
詩はすべての部活に目を通すと、ひとつの部活に目をつけた。
「じゃあ、このボランティア部ってやつにします」
「ほう、ボランティア部とな。また、なぜじゃ?」
理事長が興味深そうに訊ねた。
「なんかラクそうですし。それにボランティア部に入ってたら、面接のときとか有利になりそうだから」
「しょうもなっ! ハーバード卒とは思えんくらい部活選びの理由しょうもなっ!」
緒方がそう声を荒げ、さすがの理事長も顔を引き攣らせる。
「う、うたくん? さ、さすがに君の力があって、それはどうかと思うぞ。
……そ、そうじゃ、空手部なんかはどうかのう? おじい様の話では、たしか君は、サバットで世界チャンピョンになった経歴があると聞いたのじゃが!」
「はあ。まあ」
詩は曖昧に頷く。
(なるほど。なぜ理事長が、こんなに部活を推してくるのかがよくわかった。この人は、僕で部活動の実績を作りたいんだな)
詩は顔を少しだけ顰めた。
「いや、もう僕、このボランティア部に決めましたから」
詩が力強くそう言うと、緒方は詩を鋭く睨む。
「そんな理由で部活を決めて許されると思っているんですかっ! 理事長がおっしゃっているんです、駄々をこねずに空手部に入りなさいっ!」
「嫌です」
「なっ⁉ ……い、嫌ですって?」
「はい、嫌です。もし、このボランティア部の入部が認められないのなら、寄附金の話は無しにさせていただきます」
「よし、ボランティア部にしなさい! うん、そこがいいっ! いや、そこしかないっ!」
詩の言葉を聞いた理事長は食い気味でそう言った。
「り、理事長⁉」
理事長の急な手のひら返しに、緒方は困惑する。
「ま、まさか理事長、寄附金に目がくら——」
「君は黙っていなさい」
緒方の言葉を、険しい顔して理事長が遮った。
そして理事長はひどく真剣な顔つきになり語り出す。
「昨今は少子化に伴い、教育界で、いろいろな深刻な問題が出てきておる。生徒数の減少、教職員の多忙化、学校行事の縮小など他にもたくさん。もちろんいくら規模が大きくても、それはこの学園とて同じじゃ。うちの学園をもっとよくするためにも、深刻な問題を解決するためにも、お金、寄附金はどうしても必要なんじゃ。すべてはこの学園のためなんじゃ!」
「り、理事長!」
理事長の言葉を聞いて、緒方は彼に尊敬のまなざしを送る。
理事長は「ふっ」と不敵に微笑んだ。
「そう。だからわしは、神楽家からの多額の寄附金で、学校の階段をホグ○ーツみたいな動く階段にしたいんじゃ!」
「お前もしょうもないなっ! さっきの少子化の話はどこいったんだよっ! 全く関係ねえじゃねえかッ! もっと寄附金、有意義に使えやっ!」
緒方は大声でツッコんだ。
詩はそんな2人のやり取りを他人事のように見ながら、ずずずとお茶を啜る。
そしてお茶がなくなると、席を立った。
「じゃあ、僕帰るんで。入部の手続きよろしくお願いしますね」
「あい、分かった。コイツにいろいろやらせとくから、任せとくのじゃ」
「り、理事長?」
「あざーす」
「代わりに寄附金の件よろしくお願いするのじゃ」
「おっけー」
「あと、おじい様によろしくお伝えくださいのじゃ」
「りょーかい」
詩は去り際に小さく手を上げながら、テキトーにそう返事した。
「いや、理事長の威厳どこいったんだよっ!」
——こうして、神童、神楽詩は、しょうもない部活、ボランティア部(仮)に入部を決めたのだった。
活動記録4.『ラーメン1丁、バリカタでッ!』
文化部棟である旧校舎の3階。
そこには、お腹を空かせたやつらが集まる、ボランティア部(仮)という部活がありました。
「人んちの飯ってさ、めっちゃ個性出るよなっ」
いつものように何の脈絡もなく唐突に、長い茶髪のツインテールをなびかせながら、この部の部長である、ひなたがまたくだらないことを言い出した。
「また急にどうして?」
詩がティーカップをソーサーに置いて、ひなたに訊ねた。
「いやなあ、昨日クラスの友達んちに飯食いに行ったんだけど、そこでカレー出されたんだよ。うち、カレー大好きだから食べる前はテンション爆上がりだったのにさ……いざ、カレーが出てみれば、なんとなそのカレーの中に、セロリとピーマンが入ってたんだぜっ! そんなことありえるっ⁉ まじでないだろっ?」
興奮した様子でひなたが言う。
「ひなた、セロリとピーマン大嫌いだもんねー」
つばさが読んでいたファッション誌から顔を上げ、微笑みながらそう言った。
(セロリとピーマンが嫌いだなんて、本当テンプレなお子ちゃまだな、うちの部長)
詩は紅茶を啜りながら改めてそう思った。
「うちからしてみれば、あんなもん食べるやつらの気が知れねえよっ! チッ。なんかまた腹立ってきたわ。なんでカレーに、セロリとピーマン入れんだよっ! それ実質、カレーにうんこ入ってるようなもんだぞっ!」
「たとえ最悪かよ。全国のセロリ農家と、ピーマン農家に本気で謝ってください」
「どうもすみませんでしたっ!」
「謝るんかい。めちゃめちゃ素直か」
すぐにしっかりと頭を下げて謝るひなたに、動揺しながら詩はそうツッコんだ。
ここでつばさが「でも」と仕切り直す。
「でも、家カレーって特に、その家々で個性出るよね」
「うんうん。ひなちゃんの家カレーも個性あるよねぇ~」
「え? うちんち? そうだっけ?」
ひなたが首を傾げる。
「そうだよぉ~。わたし、ひなちゃんの家で初めてカレー食べたとき、びっくりしたもん。いっぱいコーン入っとって」
「たしかに。ひなたんちのカレーはコーン入ってるよねー。あと、めっちゃめちゃ激甘」
「そぉそぉ」
つばさと萌子が笑い合った。
「まさにお子様カレーじゃないですか、それ」
詩が苦笑しながら言う。すると、ひなたは顔を赤く染めた。
「ば、ばかにすんなっ、だれがお子様だよっ! 最近は、中辛も食べれるわっ!」
「その怒り方がお子様なんですよ」
「うっさいっ!」
ひなたは声を張り上げた。
(……間違いなくこの人は、激甘カレーのように、甘やかされて育てられてきたんだろう。ほんと、部長のような無邪気な人間は、天然記念物並みにそうそう見られるもんじゃない)
詩はそう思いながら、紅茶を啜った。
——ぐぅうううう。
ここで唐突に、誰かの大きな腹の虫が鳴った。
詩が、ひなたに顔を向ける。
「部長、食べ物の話してお腹減ったんですか? だいぶ大きな音、聞こえてきましたけど」
「なっ⁉ うちじゃないわっ!」
「はいはい」
「はいはい、じゃねえよっ! ほんとにうちじゃないってっ!」
ひなたが顔を真っ赤にさせながらそう叫ぶ。
それに詩は小さく肩をすくめた。
「いやまあ、僕なんですけどね」
「お前なんかいっ!」
ひなたは大声でツッコんだ。
詩はクールな表情をしたまま頭をかく。
「すみません。実は、今日お昼食べてなくて」
「あら、そうなのぉ~?」
「はい。昼休みバタバタしてたら食べそびれちゃいました」
詩がそう言うと、ひなたは詩をイジルチャンスだと言わんばかりに顔をにんまりさせた。
「バタバタって、なにやってたんだよ~?」
「まあ、いろいろと」
詩はひなたの問いかけに素気無くそう答える。
ひなたは口元をより緩ませた。
「ははーん。どーせお前、宿題忘れて、飯も食べずに必死にやってたんだろ~?」
「違いますよ。部長じゃないんだから、課題くらい忘れず家でやってきます」
「゛ああん?」
ひなたが詩を鋭く睨む。詩は小さく嘆息した。
「昼休みは、電話してたんですよ」
「電話? 誰と?」
「タ○リさんと」
「嘘つけよっ!」
「本当ですって。『明日来てくれるかな?』って言われました」
「い○ともは、もうずいぶん前に終わってんだよっ!」
「いや、プライベートで」
「プライベートかいっ! タモさん、いいと○終わってヒマしてんじゃんかっ!」
「まあ、断ったんですけどね。僕、ヒ○ナンデス派だったんで」
「知らねえよっ!」
「ちなみに、朝はZ○P見てます」
「聞いてねえよっ!」
「バ○キングはあんまり見てませんでした。坂○忍がなんとなく苦手だったんで」
「それは言わんでいいっ!」
「と○ダネは、小倉さんの髪が気になって……」
「それはもっと言わんでいいっ! てか、絶対に触れんなッ!」
——ぐぅうううう。
ここで再度、誰かの大きな腹の虫が鳴った。
「もー、部長」
「だから、うちじゃないってっ!」
「まあ、僕なんですけどね」
「またお前かいっ!」
ひなたはそうツッコんでから、嘆息する。
「お前、どんだけ腹減ってんだよ」
「部長、なんかおかし持ってません?」
「んー、あるかも。ちょっと待って」
ひなたはそう言って、自分のリュックを取り出し、中を探る。
「あー、今日は全部食べちまった」
「そうですか」
詩は残念そうにしながら、お腹を押さえた。
すると萌子が「それじゃあさ」と提案する。
「みんなで今から、ごはん食べいか~ん?」
萌子がそう言うと、3人は迷うことなく笑顔でそれに頷いた。
「いいですね。行きましょう」
「お、いいなっ! 食べ行こうぜ!」
「ありあり! ボクも実は少しおなかすいてたんだよねー」
つばさが詩に顔を向け、問いかける。
「うーちゃんは何食べたい?」
詩は「んー」としばらく悩んでから答える。
「ラーメン食べたいです」
「「ら、らーめん」」
詩がそう言うと、なぜかひなたとつばさが顔を引き攣らせた。
「どうしたんですか、ふたりともそんなに青い顔して。マジタニの真似ですか?」
「いや、だれもハンター試験、3次試験のトリックタワーに出て来て、ク○ピカにワンパンされた、あの体が青い囚人の真似なんかしてねえよっ!」
「……ひなた、よくわかったね」
つばさが呆れながら呟いた。
萌子が頬を綻ばせながら、話を戻す。
「でも、ラーメンよかね~。わたし、ラーメンには詳しかとよぉ~」
「そうなんですか? なんか意外です」
詩の頭の中では、萌子は、ほぼマザーテレサと同一人物。マザーテレサがラーメンを啜っているところが想像できない詩は、驚きながらそう言った。
「そぉ? わたし、食べ物の中で、ラーメンが一番好いとーよ」
「へえー。じゃあ、天羽先輩、ラーメン屋とかよく行くんですか?」
「うん。多いときは、週3くらいで行くよぉ~。もう、ここらへんで知らんラーメン屋さんはないかなぁ~」
「そうなんだ。すごいですね」
「うふふっ。よし、じゃあ今日は特別に、うたくんば、わたし1番オススメのラーメン屋さんに連れて行っちゃるねぇ~!」
「本当ですか、嬉しい。楽しみです」
「うふふっ。そうと決まれば、はよ行こうかぁ~。はよせんと行列できるけん」
「はい」
2人はそんな会話をしながら、荷物をまとめ、席を立つ。
だが、なぜかひなたとつばさは乗り気じゃない様子で動かなかった。
「どうしたんですか、2人とも。行かないんですか?」
「「いや、あの……」」
詩が訊ねるも、2人は歯切れ悪く口籠る。
そんな2人に、萌子が珍しく眉根を寄せた。
「ほ~らぁ、2人とも、はよ行くばい」
「「で、でも……」」
「なんね、そがん顔して。もしかして、行きとうなかとぉ?」
「「……い、行きます」」
いつもの萌子じゃ考えられないような圧に、2人は渋々の様子で頷く。
詩は、そんなひなたとつばさの様子を不思議に思いながら、萌子の後ろをついて歩いた。
こうして、4人は仲良く(?)ラーメン屋に向かうのだった。
◇
4人で仲良く繁華街を歩いていく。
後ろを歩くひなたが、詩に声をかけてきた。
「後輩、気をつけろよ」
「? ……気をつけろって、なにがですか?」
「萌子は怒ったら怖い。そんで、ラーメンには人一倍うるさい。これだけは覚えとけ」
「? ……はあ」
(天羽先輩が怖いって、どうゆうことだろう……?)
この人はまた何を言いだしたんだと思いながら、詩は首を傾げる。
すると、前を歩く萌子から声がかかった。
「ほら、なんしよっとぉ~。はよいこぉ~」
「「はーい」」
——繁華街の片隅。
「あそこだよぉ~」
萌子が指をさしながら言った。
指の先には、『博多純真とんこつら~めん』とかかれた真っ赤なのぼり旗と、真っ赤な看板が堂々と立っていた。
「おー、おいしそうですね」
そう言いながら詩は、暖簾をくぐる。
「へい、らっしゃいッ!」
店に入るとすぐに、スキンヘッドの頭に白のタオルを巻いて、ピチピチの黒いTシャツを着た、とてもイカつい店主らしき人が出迎えてくれた。
その店主は入ってきた客が、萌子だと分かると、一瞬だけ強面の表情を崩した。
「お嬢ちゃんまた来たのかい」
「うん。今日は友達も連れてきたばい」
萌子は親しそうにそう返す。詩たちはその店主に首で会釈した。
「今の時間は空いてるからゆっくりしていきな」
店主らしき人は、丸太のような太い腕を組んで、ぶっきらぼうな口調でそう言う。
さすがラーメン屋の店主、腕組みが良く似合っていた。こんなに腕組みが似合うのは、ラーメン屋の店主か、ツンデレキャラか、ピッ○ロ大魔王ぐらいだろう。
詩がそんなことを考えていると、厨房の奥から怒声が飛んできた。
「おいっ、山本っ! お客さんに絡んでないで、さっさとバッシングと洗い物しろっ!」
「……は、はいよ」
店主だと思ってた、山本さんという名のなにかは、ビクビクしながら小さな声で返事した。
詩は目を丸くしながら、思わず呟く。
「え? あの人、この店の店主じゃないの? あんだけ雰囲気出しといて」
その呟きが聞こえたのか、萌子が「うふふ」と笑った。
「あの人はねぇ~、最近入ったバイトの山本さんばい」
「バイトなんかい。……あっ、ほんとだ。研修中のバッジ付けてた」
今が、夕食時前という中途半端な時間とあってか、客はカウンター席に数名しかおらず、4人は一番端の広いテーブル席に案内された。
萌子がメニュー表をとり、微笑みながら言う。
「さーて、メニュー決めようかねぇ~」
「なにがあるんで——いてっ。なにすんですか部長」
詩が、萌子の持つメニュー表を覗こうとすると、横に座るひなたから太ももをキューっとつねられた。
ひなたがヒソヒソと声をひそめて詩に言う。
「いいか、後輩。このメニュー選択は、ビア○カかフ○ーラの嫁選択くらいに慎重に行けよ。もし、デ○ラを選んでみろ。一瞬でメガンテだ」
「すみません。僕、ド○クエ、ⅧとⅪしかまだやってなくて」
「はあ? お前、まじかよっ。Ⅴやってない人間なんてまだこの世にいたんだな。ちなみに、父親のパ○ス死ぬぞ。あと主人公の息子が勇者だから」
「まだやってないって言ってるのに、なんでさらっとネタバレするんですか」
詩がツッコむ。もちろんひなたはスルーした。
「とにかくだ。萌子は、ラーメンとホークスのことになると、人が変わるんだ。んで、萌子は怒ったら、めっちゃ怖い。だから、慎重にいろいろとやれ。わかったな?」
「はあ。わかりました」
萌子が怒る姿など想像できない詩は、曖昧に頷くことしかできなかった。
そんなふうに詩とひなたがコソコソ話していると、不思議そうな顔して萌子が口を挟んできた。
「2人でコソコソなんば話しよっとぉ~?」
「……い、いや」
ひなたは緊張したように口籠る。そんなひなたの代わりに、詩が口を開いた。
「部長が、なんか天羽先輩は、ラーメンとホークスのことになると人が変わ——」
「ばかッ! いらんこと言うなッ!」
ひなたはそう言いながら、慌てて詩の口を両手で塞いだ。
「なに、隠し事ぉ? ひなちゃん、言ってよ~」
萌子は寂しそうな顔をして言う。
「…………」
しかし、ひなたは口を固く閉ざして何も答えなかった。
他の客の麺を啜る音と、中華鍋の音のみが店内に響く。
数秒の気まずい沈黙が流れたのち、萌子は何か思い出したのか、ゆっくりと口を開いた。
「あ、もしかして、ひなちゃん、わたしが前にラーメン屋さんで、うるそー言ったこと気にしとるん?」
「いや、その……」
萌子の問いかけに、再び口籠るひなた。それは肯定しているのと同義だった。
萌子は、横に座るつばさに顔を向ける。
「もしかして、つばさちゃんが行きとうないような顔しとったともそれが理由ぅ?」
「いや、あの……その」
つばさも口籠り、頭をかいて苦笑いを浮かべた。
「わたしたち、親友やろぉ? 正直に言ってよ」
萌子が悲しそうな声でそう言うと、ひなたは深いため息を吐いて、顔を顰めながら観念したように本音を話し始めた。
「そうだよ。お前、ラーメンとホークスには異常な程にウルセーしこわいから、うちとつばさ、萌子と一緒にラーメン屋とP○yPayドームには行きたくなかったんだよ」
ひなたの言葉を受けて、萌子は神妙な面持ちで、ガクリとうな垂れるように頭を下げた。
「……そうゆうことやったんやね。だけん、ひなちゃんも、つばさちゃんもいくら誘っても、ラーメン屋とペ○ペイドームには、来てくれんやったとねぇ……」
萌子は涙ぐんだ声で言葉を続ける。
「わたしの好きなものを、親友の2人にはどうしても好きになってほしくてぇ……ついつい熱くなってしまったんよぉ。それで嫌いになられたら本末転倒なのに………わたしってバリ馬鹿やん。本当にごめんねぇ」
「「……萌子」」
気まずい雰囲気が流れる。
そんな中で、マイペースに詩が口を開いた。
「いいから、早く注文しません? これから、みんなで美味しく楽しく食べればいいじゃないですか」
詩の言葉を受けて、萌子は涙を拭い、笑みを浮かべた。
「そうやね、うたくんの言う通りやねぇ。みんなで美味しく楽しく食べるのが一番ばい。ひなちゃん、つばさちゃん、今日は絶対にうるそー言わんけん、一緒に楽しく美味しくラーメン食べようねっ!」
「「うんっ!」」
どうやらなんか丸く収まったらしい。全く話についていけてはないが……。
だが、詩は思わず微笑んだ。
——ぐぅうううう。
「僕、おなかすきました。とりあえず店員さん呼びましょう」
「おう、そうだなッ! すいませーんっ!」
ひなたが大声で店員を呼ぶと、バイトの山本がすぐにやってきた。
「はーい。なんにするかい? うちのラーメンは日本一だ。なんでも美味しいぜ」
「そうゆうのは、研修中のバッジを外してから言いやがれ」
「はいよっ!」
「元気に『はいよっ!』じゃねえんだよっ。ほんっとかっこうだけは一丁前だな」
ひなたは呆れたようにそう言う。それに萌子が「うふふ」と笑った。
メニュー表を見ながらまず萌子が注文する。
「じゃあわたしは、煮卵ラーメン、バリカタでぇ。あと半チャーハンのセットでぇ~」
「はいよ。煮卵ラーメンバリ1丁、半チャーセットね」
次に、つばさが注文する。
「じゃあボクは、もやしラーメンで、麺半分にしてください」
「はいよ。もやラーで、半玉ね。麺の硬さは?」
「えーっと、ふつうでいいですよ」
「はいよっ!」
「チッ」
……え、舌打ち?
詩は小さな舌打ちが前から聞こえたような気がして、そっと萌子に顔を向けた。
すると、萌子の眉がピクリと動いたのが目に入った。
……いや、きっと気のせいだ。ボランティア部(仮)の良心の萌子がそんな顔をするはずがないのだから。
詩は頭を振って、自分にそう言い聞かせた。
次に、ひなたが注文する。
「じゃあうちは、おもいきってカスタムしちゃお~」
「はははっ。はいよ」
山本は楽しそうに笑う。
(……こんな雰囲気があるラーメン屋でカスタムとか言っちゃう人は、間違いなく部長だけだろう)
詩は呆れ顔で、そんなことを考える。
すると——、
「チッ」
……また、舌打ちが聞こえてきた。
詩は、萌子を一瞥する。
すると、萌子の眉がピクリと動いたのが目に入った。
……いや、きっと、き、気のせいだ。ボランティア部(仮)の良心の萌子がそんな顔をするはずがないのだから。
詩は頭を振って、自分にそう言い聞かせた。
ひなたは注文を続ける。
「このチャーシューラーメンを、ネギ抜きにして、煮卵と高菜トッピングしてくれっ!」
「はいよ。チャーラー、ネギ抜き、煮卵・高菜トッピングね。麺の硬さは?」
「ふつうでいいよ~」
「はいよっ!」
「チッ」
……また、舌打ちが聞こえてきた。
詩は恐る恐る、萌子を見る。
すると、萌子の眉がピクリと動いたのが目に入った。
……いや、きっと、き、き、気のせいだ。ボランティア部(仮)の良心の萌子がそんな顔をするはずがないのだから。
詩は頭を振って、自分にそう言い聞かせた。
最後に詩が注文する。
「僕は、どうしようかなー。とんこつって、コッテリしてるからなー、僕も葵先輩みたいに麺半分にしようかなー」
「チッ。ハァ~?」
……今度は結構でかい舌打ちが、喧嘩腰の「ハァ~?」と一緒にはっきり聞こえてきた。
詩は、萌子の顔色を伺う。
すると、萌子の眉がピクピクと動いたのが目に入った。
……いや、きっと気のせいだ。ボランティア部(仮)の、以下略。
詩は気にしないことにして注文を続ける。
「あ、味噌ラーメンもあるんだ。じゃあ僕、味噌ラーメンにします」
「はいよ。麺の硬さは?」
「あ、ふつうでいいですよ」
「はいよっ!」
「チッチッチッ、チッチッチッ、チッチッチッチ」
「いや、舌打ちが三々四拍子。それはもはや、舌打ちじゃない」
詩が思わず萌子に向かって、そうツッコむ。
すると、萌子の眉がピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクピクッと動いているのが目に入った。
……決して、気のせいではなかった。
「フンガァァァァッ!」
萌子は激怒した。
必ず、かの馬鹿どもを除かなければならぬと決意した。萌子は馬鹿どもの注文の仕方が気にくわぬ。萌子は、ラーメンが大好き女子高生である。実質ラーメン大好き小○さん以上である。麺を啜り、チャーシューを食らって暮らしてきた。そのためラーメンに対しては、人一倍に敏感だった。
「なめとんのかッ! くらすぞコラッ!」
萌子はそう叫ぶと、ドンッと強く机を叩いた。
「……あ、やんばい。天羽先輩が、キレた」
萌子、いや、怒り狂ってる見てはいけないヤバい人は語りだす。
「いいか、馬鹿ども! ラーメンっていうのはな、『人生』だ。決められたルールの中で、楽しむからこそ、奥深く味わうことができるんだよっ。……だが、お前らときたら、なんだその注文の仕方わっ! お前らの注文の仕方は、ルールの中から大きく逸脱してんだよッ! この犯罪者どもめッ! 刑務所にぶちこんで、クサい飯でも食わせてやろうかッ⁉ ああん? それとも、鼻から麺ツッコんで、口から出させてやろうか? ああん?」
「鼻から麺って。いや、それほ○しゃん」
思わず詩が呟く。
しかし萌子にギロリと睨まれて、詩はそっと俯いた。
触らぬ変人に、祟りなし。
「大体、なんでテメエらは、麵の硬さをふつうで頼んでんだよッ! ここの店は、細麺使ってんだから、バリカタで頼むのが常識やろうもんッ!」
「「「へえー」」」
(((……そうなんだ。知らなかった)))
萌子の言葉に、3人は揃えてそう声を上げた。
すると、いつもの萌子じゃ考えられない、ドスの効いた声で言う。
「チッ。ぜんぜんテメェらは、わかっとらんなあ。しょうがないけん、一人ずつしっかり教育してやるわッ!」
萌子は般若のような顔で、まず最初につばさを見据えた。
「まず、つばさちゃんッ!」
「は、はい」
「返事は、押忍やろうもんッ!」
「押忍!」
萌子の圧に、つばさは背筋を真っすぐ伸ばしながら返事した。
「テメエは、なにを注文したッ⁉」
「も、もやしラーメンです」
「そこは、まあいい。……だがな、問題はその後だ」
萌子はそう言うと、バンッと机を叩いて、続ける。
「テメエ、麺半分とかぬかしやがったな?」
「お、押忍」
「なにラーメンを半玉頼んでんだよッ! ああん? テメエは、爆笑○題の田中かッ!」
「いや、半玉の意味が違うでしょ」
思わず詩が呟く。
しかし萌子にギロリと睨まれて、詩はそっと俯いた。
「なんでテメエは、半玉で頼んだッ⁉」
「いや、あの……夕食前に、お腹いっぱいになるのは嫌だなあーと思いまして……」
「なめとんのかい、ワレッ! なにラーメンの後のこと考えてんだよッ! ラーメン食うなら、覚悟決めて、ちゃんと1杯食べんかいッ!」
「お、押忍」
つばさはそう返事をすると、すぐに頭を下げた。
……え、なにこれ。
つばさが終わると、萌子は次に、般若の顔をひなたに向けた。
「つぎ、ひなちゃんッ!」
「は、はい」
「返事はッ?」
「押忍!」
萌子の覇気に、ひなたは背筋を真っすぐ伸ばしながら返事した。
「テメエは、まず最初になんて言ったッ⁉」
「……煮卵と高菜トッピングしてください、と」
「トッピングはべつに問題ない、それはまだ決まったルールの範疇だ。問題はその前のセリフ、わたしは、その前のセリフが癪に障ったッ! テメエはその前、なんて言いやがった⁉」
「……チャーシューラーメンにしようかなって」
「もっと前だッ!」
「やっぱりさ、主人公には『主人公感』が必要だと思うんだよ」
「戻りすぎだよッ! 誰も1話の冒頭まで戻れとは言ってねえッ!」
「新世界の神になる」
「それはテメエのセリフですらねえッ!」
「おそろしく速い手刀 オレでなきゃ見逃しちゃうね」
「いや、それはク○ロ団長の手刀を見逃さなかった人のセリフだよッ!」
「ア○ニャ、ピーナッツが好き」
「聞いてねえよっ!」
「おお、天羽先輩がツッコんでる。なんか新鮮だ」
思わず詩が呟く。
しかし萌子にギロリと睨まれて、詩はそっと俯いた。
「もういい。ひなちゃんはこう言ったんだよ、『おもいきってカスタムしちゃお~』って」
「……た、たしかに言いました」
震えた声でひなたが頷く。
すると萌子はバンッと机を叩いた。
「なにがカスタムじゃッ! ここは、サ○ウェイかッ⁉ それともス○バかッ⁉ 抹茶クリームフラペチーノでも出てくんのか? ゛ああん?」
萌子にメンチ切られ、ひなたは涙目でぷるぷるしながら首を横に振った。
「じゃあ二度とラーメン屋でカスタムとか言うなよッ! あと、ネギ抜くなッ!」
「お、押忍!」
ひなたはそう返事すると、すぐに頭を下げた。
え、こわ。もしかして、次は……。
萌子は、案の定、最後に般若の顔で詩を見据えた。
「最後にうたくんッ!」
「押忍」
詩は「……なんだこれ」と思いながらとりあえず返事した。
「テメエは、とんこつのこと知らねえくせに、とんこつのことをなんて言ったッ⁉」
「コッテリしてると……」
「なめとんのかッ! ここの店のとんこつは、あっさりしてんだよッ! とんこつが全部が全部コッテリしてると思うんじゃねえぞッ、馬鹿野郎ッ!」
「お、押忍」
「まあ、まだそれはいい。だがな、テメエは最大の禁忌を犯したァァァァッ!」
「……やばい……怒り方がやんばい」
「テメエは、なにを注文したッ⁉」
「……み、味噌ラーメンです」
「味噌ラーメンだと……なんだそれッ! コロされたいんかッ、ワレッ⁉ なに博多ラーメンの店で、味噌ラーメン頼んでんだよッ! テメエの神経腐っとんのか? 博多ラーメンの店で味噌ラーメン頼むなんて、それ周東に代走送るようなもんだぞッ! 松田に声出させないようなもんだぞッ! 和田にストレート一本で勝負させるようなもんだぞっ!」
「……いや、例えがローカルすぎてわかんないです」
思わず詩が呟く。
しかし萌子にギロリと睨まれて、詩はそっと俯いた。
「大体、なんで味噌ラーメンがこの店に置かれてあんだよッ⁉」
萌子が怒り狂いながら大声でそう叫ぶ。
「お客様、どうかされましたか?」
すると、厨房からバイトの山本よりゴツイガタイをした本物の店主が現れた。
萌子はそんな店主にも構わず続ける。
「おい、店主ッ! テメエ、ふざけてんのかッ!」
「はあ、なんでしょう?」
店主は、落ち着いた様子で、電柱みたいな腕を組んで訊ねた。
さすが本物の店主。ツンデレキャラより断然、腕組が似合っていた。
萌子はドンッと机を叩く。
「いつから、ここは味噌ラーメンを置くようになったッ⁉」
「先週からですね。お客様の中に、味噌ラーメンが食べたいという方がいらっしゃったので、お客様のニーズにお応えして置くようにしました」
店主は、淡々とそう答えた。
「ラーメン屋の店主がニーズにお応えすんなやッ! ラーメン屋は頑固であれよッ!」
「ですが私共は、お客様一人ひとりのニーズに合わせて喜んでもらい、お客様にお値段以上のものを提供したいので」
「お値段以上って、ここはニ○リかッ!」
「いえ、ラーメン屋です」
「知っとるわッ!」
萌子は大きな声を出し過ぎたせいか、肩でぜえぜえと息をする。
(……なんでこの人は、ひとりで勝手に怒り出して、ひとりでここまで疲れているんだろうか。
……もしかしたら、部長や葵先輩より、サイコパス度合でいったら、実は、天羽先輩の方がヤバい気がする)
ラーメン奉行は聞いたことがあるが、明らかに、萌子はそれを超えた、ラーメンサイコパスだった。
店主は微笑みながら萌子たちに告げる。
「お客さんたち、出禁」
「あらあら~」
店主の言葉で冷静になったのか、頬に手を当て、萌子がいつもの微笑みを浮かべながらそう言った。
「あらあらじゃねーよ」
こうして出禁になった4人は、ラーメンを一口も食べることなく、おなかを空かせたまま、店を出るのだった。
◇
——そして、次の日。
「おなかすいたね~。みんなでラーメンでも食べ行か~ん?」
いつもの部室で、微笑みながら萌子が言う。
それに3人は眉をピクリとさせながら、叫んだ。
「「「あんたと一緒に、ラーメン屋とペ○ペイドームには、二度と行かんわッ!」」」
特に、決まった活動をするわけでもなく、くだらない日常を過ごす、ボランティア部(仮)。
残念ながらこの部には、まともな人間など一人もいない。