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終わりの日 

「なぜ、それをしたの・・・・・そんな、隠していたものを引き剝がすなんてマネをするの」

 午後のお出かけから帰った妻はそれだけを言って、絶句した。


 ふたりでお(ひる)を食べて午後のなると妻はお出かけをする。一緒に暮らし始めてからいつも変わらない習慣だ。出かけるときはいつも手ぶらで、帰りに両手が均等になるよう施された紙袋ふたつに食料品や衣類など足らなくなったり新たに必要となったものをつめて帰ってくるときもあれば、出かけたときと同じ手ぶらのまま帰ってくることもある。

 紙袋の中は、他人の手でそれもかなり親しい身内の手で詰められ施されたかたちなので、ずっと義父義母の家でそれはなされていたのだとひとり納得していた。手ぶらの時はお喋りとお茶の歓待だけ、手荷物があるのはそうしたお土産付き。裕福な箱入り娘の、結婚後の生活はそうしたものだと勝手に自分を飼いならしていたのだ。

 けれども両親が亡くなったあとも、妻のその習慣は続いた。毎日のお出かけは変わらない、お土産をいれた手提げ袋のデザインも変わらない。亡くなったあともそうした習慣を変えられずにいる妻は、いまだ両親の死を受け入れられずにいるからだと、ひとり、合点していた。


「ミンナ イナクナッタアトマデ ソンナコトヲ クジクジ ナヤンデイタノデスカ」

 妻の出かけた後の(ひる)下がり、ひとりになったわたしはいつものように庭の水撒きをはじめた。そんなわたしに、いつものように通りかかった顔として、義母が可笑しそうに問いかける。もちろん義父は隣にいる。亡くなった日も一緒なくらいだから、ふたりは、そのあとだってずっと一緒なのだ。

 死んでしまったふたりは毎日同じ時刻の散歩で通りかかった顔をしている。ご近所同士の、今日も暑くなりそうですなが続きそうな日常だ。

 そうした日常の空気感に、わたしは「オヒサシブリデス」のあと、お変わりありませんかまで続けそうになる。その唐突さに慌て、妙な落ち着きが先に出てしまい、定形の挨拶を崩すことができない。死んでしまったあとなのに、「お変わりありませんかはないわよね」などと上品なふたりはけっして言わないだろうが、すっかり読まれているのに、わたしは次も定形の挨拶で答えてしまった。それが、なにかに試されているともしらずに。

「さぁ、おあがりください。妻は、じきに帰ってくるでしょう。おふたりの顔を見たらきっと喜びますよ」 


 そのときまで、久しぶりに逢う両親をみて懐かしに涙を浮かべる美しい顔ばかりを期待していた。わたしは成長していないのだ。この家を俯瞰(ふかん)して見えていないのだ。妻はわたしの顔ばかり見つめ、これ以上にない悲しい顔をした。

 それはけっして激しいものではなく、あきらめ、とまどい、わらいまで全てを断捨離したようなカラーんと乾いた音だけが響くさばさばした顔だった。


「あんなに、いえに他人を入れちゃいけないって言ったのに」

 わたしはまだ彼女の本当の悲しみに付いていけていなかった。妻はいままでそれを口に出していったことはなかったが、それだけに十分わたしは承知していた。けれども、たとえ亡くなったにせよ、両親を他人だなんて。この場に及んでも、わたしは妻の理不尽さが先にきた。

 25年も一緒に暮らしてきたのに、わたしは何もわかっていない、成長していない。


「パパもママも死んでしまって、いないのよ。それを、こんな簡単にころっと騙されるなんて。25年も一緒に暮らしてきたのに、あなたは何もわかっていない、成長していない」

 羊の角と硬い(うろこ)のようなものが生えてきて全身を覆いはじめたふたりは、もうどちらが義父や義母の姿に身をやつしていたのかさえ分からなかった。一人は、いや二匹のうちの一匹は、冷蔵庫に頭をツッコミ冷蔵庫ごと食べ始めている。もう一匹は鍵爪(かぎづめ)の生えた両手両足を使い、天井、壁、床の剝離を剝離に掛かっている。その1本1本で削られ粉が舞い散るたびに、生皮をはがされる女の声が聞こえるようだった。

 一匹の方がわたしを見て、シアワセヲコワシタノハオマエダカラナと、念押しする目をした。それが、義父のようであった。憐れむ目の中に、いままで目をかけていたものを手放した寂しさと、それでいてこの束縛から一人開放されたものへの(うらや)みが混じっていた。

 わたしは25年の束縛から開放されることをしる。

 妻は恨みのひとつも(こぼ)さず、静かに暴虐のなされるままを見つめていた。壁や屋根に穴が開くと、興業を終えたサーカスのテントの片付けのように、この家の見えなかった黄色の支柱が中央に折れ曲がり、あれよあれよと小さく畳まれ妻の(てのひら)に乗った。乗った最後はコガネムシのような小さな甲虫(こうちゅう)のように見えたが、ほんの一瞬だったから、別のものであったかもしれない。

「さようなら。あなたが約束を破ってしまったから」と、妻は行ってしまった。

 

 わたしは違う路地の入り口に立っている。朝見る夢のように肌合いはまだ残っているのに記憶の方はどんど先に消されていっている。もう覚めたのだから、此処がどこかは分かっている。幸せから離れているいつもの場所。彼女は小学生の時の片思いのように、現実にあったかどうかさえ不確かなものとして遠くの方へ行ってっしまった。目をつむっても、もう続けてはくれない。

 わたしが約束を破ったのだから。ふたりのルール、ふたりしかしらないルール。いつまでも歳をとらない美しい妻、居心地のいい家も、ふたりの男の子も、それを与えてくれた父と母。25年間をいっときと読み替えていいほどそれらは平らかに手を繋いでわたしを囲み、此処から隠し、散っていった。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 確かに、空虚感が残りました…。 「もう元には戻れない」って感じだなと…。 この後「私」はどうなるのでしょうか? もしかしたらこの物語自体夢のようなもので、元に戻ったら浦島太郎のように年齢だ…
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