ふたりの葬儀
次にふたりに逢ったのは葬儀会場だった。義父と義母は会堂をシンメトリックに白菊で装飾した祭壇の象徴となって並んでいた。
アリーナ形式のホールのような会堂は、今まで経験したことのない数の参列者がいた。まるでビッグネームの野外フェスのようだ。
しかし、ここは葬儀会場だ。黒に包まれた参列者は個々の粒をなさずにシンメトリックの祭壇の借景となるよう身を引いていた。
アリーナにいるのは、義父義母の遺体とわたしたち親子四人だけ。これだけ大げさな葬儀なのに進行役も音楽もない。親子四人のめいめいは、白菊を摘み取り、棺を満たす。四人の手だけだから10回以上は往復しなけれなばならなかった。やっとのことで顔だけを残しふたりは白い花に囲まれた。
「それでは、あなた、代表してご挨拶を」
妻は、段取りよく言葉を並べた。わたしは意味が分からない。血の濃い一人娘がいるのに、その娘の伴侶とはいえ何の接点も持たないわたしが何故その役回りなのか。その表情を浮かべる前に妻は言葉を添える。
「なぜって、あなた、喪主でしょ」
私にだけ聞こえるそっとした声ではなく、先ほどと同様のアリーナ全体に響かせるフレーズのように朗々とした声で。わたしはあきらめ、それでもと喪服の隠しを探るときちんと畳まれた懐紙にあたった。なぁんだ、ちゃんと読むものを用意していてくれていたんじゃないかと、顔がほころぶ。どうな大きな状況でも目の先のトゲが取れたときに、ひとは安心するものだ。
いったん入った袖からふたたび舞台に戻った顔でそれを開くと、中は白紙だった。わたしが隠しから懐紙を取り出したのだって、妻は汗でも吹くためなのかと涼しい顔で眺めている。きっと、借景となった何千の来賓も同じ顔で眺めているのだろう。
わたしは腹をくくり、四つ折りしたものを両手に広げて、声を発した。
「本日はご多用のところ、父母のためにご会葬いただき眞にありがとうございます」と、スピーカーから響く自分の声を確認したあと、弁慶の勧進帳さながら、見えぬ文字を唱えていった。
懐紙を見るふりをしながらふたりの死に顔に目をやると、生前に逢ったのは頻度も中身もあいまいだが、このひとたちの顔を正面から眺めるのは初めてあることにつらつらあたまがいった。同居もしてない娘の伴侶などその程度で終わるなど珍しくないのかもしれないが、近くに住み、こうして今まで暮らしてを支えてもらっていながら、最後にそんなことにつらつらあたまがいくのは理不尽なような気もした。
死んで瞳は閉じられているからこちらの視線を一方的に送るだけなのだが、それでもその辺りを見つめ語りかけていくと、こうであったら良かったろうかの今更できもしない様々な追想が立ち上がり、それを何の衒いもなく落ち着いて話して聞かせた。はじめは義父のことをそれから義母と続け、最後はお二人にで閉めた。
喪主のあいさつではなく、弔問客を代表しての弔詞と呼ぶ方が相応しかった。はじめはアリーナに向かっていたのが、途中からそれぞれ語りかける相手に向きを変えていったのも感情のうねりがなせる自然な動きとして違和感ではなく好意的に受け取られた。
「ありがとう、さすがね、いい会葬だった。父も母もとっても喜んでくれたと思う。それに皆んなも」
妻は下の子と子別れしたときの飛行機で見せた涙と同じ程度に泣きはらした顔で応えた。