なれそめなどなかったふたり
此処ではない何処かほかの対岸がみえたなら、お互いの領分を侵さぬ行き交わりない他人同士の顔の通りすがりが見えるだろう。そのとき、あの人の存在に気づいたら、触れるまではいかぬ体温の欠片や漂う匂いを手繰り寄せようと掌を近づける。わたしたちには、それよりほか頼る寄る辺はないのだ。
その先、なつかしさの慟哭に突き動かされ指一本でもそこに差し込めたらと思うことがあっても、うつつに生きるわたしたちにそれ以上望むことは叶わない。
ひとりっ子だった妻は十年たったいまも父と母の死を身につけられずにいた。
熱帯夜の続く朝の未だ日の入らぬぼんやりの中、隣ですやすや寝入ってる妻の横顔を見て、わたしはようやくそれに気づいた。いや、気づいていたことにようやく腹をくくったのだ。結婚して25年、男の子ふたりはこの家を巣立ち、あんなに猫っ可愛がりしていたのが子離れするのだろうかと心配ばかりしていたが、肩透かしを食うようにそちらの方は杞憂に終わった。もっとも、生来の涙腺の弱さは相変わらずで、下の子の引っ越しの帰りの飛行機でシクシク泣かれたのにはすこし閉口した。それでも、飛行機の小さな窓に半身をあずけ遠慮がちな影をつくりながら静かに目を腫らす妻は美しく、そうしたいきさつなど知らなくても周囲に眉をひそめる乗客はひとりもいなかった。
読後感のいい別れだったのだと、そうした余韻を感じた。だから、わたしは、ひとり、安心していた。妻は母となって、何もできずにいた赤子がこちらの気づかぬうちに親の掌の大きさを越えて成長していくように、同じ時間を身に着けていったのだと。
彼女がわたしの妻になったいきさつは何もなかった。
例えるなら、どこへと曲がることも出来る交差路で、踏み出した足先が動く歩道に乗ったように周囲の風景が動き出してそちらの方へ運ばれていく。そしてその横に彼女がいた。すでに彼女は「わたしたち」を名乗り、その括に引かれるように家に招かれ義父と義母にあった。
わたしたちの括りに入ったわたしがすぐにそれを感じたように二人のもてなしはとても滑らかだった。「わたしだけが忘れてしまっているのでは」と思わせる何度もの往来を重ね醸して作り上げた同じ空気の中の懐かしさが、すでに用意されていた。
裕福そうにみえる両親はすぐに二人が住む家を用意してくれ、わたしたちふたりはそこで生活するようになった。家は幸せそうなひと達が住んでると多くのひとが羨むエリアにあったが、そうした実家筋が新婚の娘夫婦のために用意したと気づかれないよう大きさも顔つきも十人並みで、そこを行き交うだけの人々がけっして足を止めたり振り返ったりしない配慮が施されていた。それでいながら中に一歩入れば、お気に入りの部屋着の次にくる心地よさが寄り添ってきて、どこを回っても窮屈を感じさせる空間は住み始めて何十年経っても感じることはなかった。
ローティーンの女の子が描く未来の自分史のように、その歳にひとり、次の歳にひとり、妻は年子の男の子を産んだが、ふたりとも予め用意してあったそれぞれの部屋に住まい、成長し、巣立っていった。彼ら二人から育っていった部屋について使い勝手や模様替えの苦情も含めてリクエストが出ることは一切なかった。壁紙ではなく、青の天然素材が塗られた壁色は、寒色の落ち着きよりも冬の陽射しの暖かさを感じさせ、オムツ姿のはいはいからランドセルがまだまだ大きな小学生の男の子時代でも、男の子から子の字を外すと立ち始める香りの高校生でも、彼らふたりの佇まいとしっくりいった。はじめから男の子ふたりが授かり巣立っていくのを遡って拵えたような青い部屋だった。
ただひとつ、そうした裕福な平凡さと不釣り合いなことは妻が男の子ふたりの友人たちを一度として家にあげなかったことだ。小学校にあがって始めて自分たちで見つける友達から高校生でつくるひとつ上やひとつ下のガールフレンドまで、迎えにきた彼ら彼女たちは相手の身支度が整うまでの数分間行儀よく玄関の扉の前で待っていてくれた。
夏休みの暑い日、平日の家にくつろいでいるときに、あちらからは見えない窓の外で玉の汗を搔きながら待ち続ける下の子と同じ背格好の可愛い男の子の二人組や1時間かけて可愛いツインテールに結い上げた上の子よりも一つ下の女の子の上気したおでこを見つけると、妻に向かって「ママご自慢のレモネードでも振る舞ってあげれば」と何度も思うのだが、身体も口も動いていかない。窓を開けて、「こんな暑い日にそんなところで突っ立っていたら大変だ、早く玄関の中にお入りなさい」と、声をかければ済むことなのに。それが、のどに大きなラムネ玉を飲み込んだように出てこない。
何かの出来事があったというものではない。何も言われず手もふさがれず、それでいて触れてはいけない動かしてはいけない何事が占めている。居心地のいい我が家にはそうした気配があちらこちらを占めている。
妻には子供たちの成長のスピードとはかけ離れた場所から観察しているものがあったのだ。
「もうお気づきでしょう・・・・・・わたしたち二人はあなたにいつお話ししようかと思っていたのです」
妻も子供たちも出かけた日曜日の午下がり、それを知ってるはずの両親ふたりが前触れなく訪ねてきた。近くに住んでるのはずなのに、このひと達の生身に逢うのは本当に久しぶりな気がした。何月や何年の尺度で表すことの難しい空白を感じたのだ。何故そんな妙な感じ方が起きたのか、気配を悟られないよう暇を挟まずに慌てた仕草で散らかってもいないリビングの片付けやこんな時は台所に周りお茶の用意と右往左往の準備をし始めたところで、義父の大きな掌がそれを制し、義母はこんな小さなバスケットにどうしてこれだけのものを壊さず崩さず詰め込めるのだろうのありったけをテーブルに並べた。
予めリビングテーブルの寸法を測ってでもいるように下地のピンクがすべて隠れて並んだところでホームパーティーは始まった。高そうなグラスに高そうなワインが注がれて、ふたりの所作を後追いするようにグラスを掲げる。赤と思っていたその色は、グラスの中で光を通すと藍色に移ろいだ。それが日を浴びて発色し鮮やかなブルーに変化する染色の工程のようで、藍色になってからのワインの色は余計血の色を連想させた。
義父が無言の会釈をし、はじめに一口飲み込む。義母があとに続き、わたしはそのあとに続いた。飲み込むとき義父から「お近づきのしるしに」の声が聞こえたような気がした。
それでわたしも「はじめまして」と言いそうになる。それを必死に嚙み殺す。飲み込む蠕動の何倍もの力を使って、心の声を何重もの箱に閉じ込めようとする。そんなはがゆさをしってて楽しむようにふたりは交互にわたしにワインを薦め、ふたりはその倍の量を手尺で注いでいた。
そんな蛇口のように注ぐのにワインは一向に減ることなく、ボトルを満たし、占めている。それに引き換え、三人が三人とも一口も手を付けていない美しいオードブルは、みるみる形を減らしていった。確かに腹はくちくなっているので、わたしは相当に飲まされ酔っ払っていることに気づいた。
「そんな、いつもみたいに誤魔化さなくて大丈夫。あなたの家であなたが飲んでいるのですから、心配せずにタクサン、ノンデクダサイ」
そこから先はカタカナしか聞こえてこない。もう誤魔化さずに初めてのひとから初めてのことを聞くことに腹をくくった。
「アノコニハ、アナタニハミエナイモノヲミテイルトキガ、タクサンアリマスヨネ」
わたしは頷く。カタコトでもわたしの言葉は通じないようなので、それ以上は続けなかった。義父も義母も飲み込みが早いと褒める顔をした。
「チイサナトキカラ ソウユウコ デシタ。コチラトハツナガッテナイ カクレテイルヒトノ ドアヲノックシナイデアケテ ドンドント ナカニハイッテイクヨウナコ ナノデス」
わたしは頷く。そんな真似をして大丈夫なのでしようか、怒られたりはしないのでしょうかの心配の頷きだったが、気持ちは伝わり、あなたはやっぱり優しい方ねと、義母は微笑んでくれた。
「ソレハネ シンパイナイノ。ダッテ ミンナ アノコノ ミカタ ダカラ。キモチヨク ネムッテイタノニ オコサレタトキッテ ブッチョウヅラガ サキニデテクルケド デモ スグニ ソンナマネヲシテルノガ カタキナンカジャナクテ スケッチブック イッパイニ オヒサマヲ カイタヨウナ オンナノコダッタラ」
「ウスクラガリデ シズマナイ ビャクヤノヨウナ アノヒトタチノ マイニチニ ホンモノノ オヒサマガ キタンダモノ。スグニ エガオニ ナルサ」
わたしは頷く。こんどは、そうだとも、そうにちがいないの共感だった。一度も幼い日の写真を見せてくれない妻の、オレンジと赤のクレヨンでスケッチブックに描いたお日さまのような笑顔を浮かべたら、義母はもっともっと微笑んでくれた。
「アノコハ オエカキガウマカッタノ。アノヒトタチノ ナカニハイルト スグニ タイクズワリシテ スケッチブックニ ソノヒトノ カオヲカイテ アゲル。 ミンナ ハジメテミル ジブンノカオニ タイソウマンゾクシテ ソレヲ キリトッテ テワタス アノコノ テヲニギリシメタアト アランカギリノ ハグヲスル。アリガトウ アリガトウヲ ナンドモ イッテ」
義父は義母の聞き役に回っている。何度も何十回も聞かされているだろうに、わたしに聞かせるよりも自分のために語ってくれている聞くしみじみとした聞き役だった。
ー あの母娘の血筋がなしているのだよ。あなたもあの子と一緒にココに住んでいるのだから幸せな毎日が繰り返されていることだけを満足しながら生きていくことだ。
それも自分に何十回何百回と言い聞かせているセリフだろうか。
「それが 幸せ だ」
素にもどった義父の声が最後の声だったようだ。眠ったわたしを置いて、あたりはすっかりなくなっていた。眠りから覚めると、ふたりもワインも料理の盛り付けらていた沢山の食器もすっかりなくなっている。細胞の隅々まで残っているワインの酔いがなければ、わたしはいつもの朝方みる夢に片付けただろう。