68、王都リンゴーシュ 〜おびき出すため?
「ライトさんも家出したの?」
デイジーさんは、きょとんとして思考停止中みたいだ。さっきまでの重く暗い雰囲気は、消えている。
彼女が、この国へと家出して来た理由は、自分が、母親が望んだ子ではないと感じたからだろう。
もうすぐ7歳だというけど、まだまだ幼い子供だよな。とんでもない行動力に、僕は驚いている。
アマゾネスの事情は、僕にはわからない。
でも、女王ローズ様とリュックくんが恋をして、彼女が生まれたことは事実なんだ。
ただ、ローズ様が、リュックくんとの子は作らないつもりだったと知り、デイジー王女は、国を飛び出してしまったのだろう。
リュックくんも、僕には、女の子だとは言えなかったと謝っていた。生まれ変わる前の僕は、デイジーさんのことを知らされていなかったみたいだ。
なぜか、ジャックさんは知ってるんだよね。いや、でも、ジャックさんは、リュックくんから託されていたのかもしれないな。
「そうなんです。僕は、生まれ変わって赤ん坊になってしまって、記憶も完全に消えていたんです。なので、その記憶を取り戻そうと、女神様がいろいろと世話をしてくれてたんですが……」
「ライトさん、逃げたのね」
デイジーさんは、まるで大人のようにニヤッと笑った。本当にこの子は、まだ7歳にもなっていない子供なのかな。
いや、アマゾネスの教育が凄まじいのかもしれない。帝王学みたいなものも、ガッツリと叩き込まれているような気がする。
「まぁ、そうですね。わけがわからない状態で、ギャンギャンうるさいことを言われていたから……」
「リュッくんが、女神様は腹黒だと言ってたよ。でも、たぶん違うと思う。お母様は、女神様は偉大な人だと言ってたから」
デイジーさんは、そう言うと、目を逸らした。あー、寂しくなってきたのだろうか。
だけど、毅然とした態度を崩さないように、気をつけているみたいだ。すごいな、この子。
レストランでは、心配していたことは何も起こらず、僕達の夕食は終わった。
クライン様やジャックさん、そしてレンフォードさんが警護についているんだ。きっと、手出しをする隙がないんだろうな。
ミューさんは、デイジーさんを笑わせるためか、たくさんの量を食べていた。
「デイジー様ぁ、ミューのお腹は、破裂してしまいそうですぅ」
「スイーツを全種類、注文するからよ。そうなることがわかっていたじゃない」
「だってぇ、デイジー様が食べたいものを逃してしまうと、大事件じゃないですかぁ」
「あたしは、食べることに、そこまでの執着はないわよっ」
「ひどいですぅ。ぐふっ」
なんだか不思議なやり取りだな。ミューさんは、大食いキャラなのだろうか。
でも、デイジーさんが、ミューさんの皿をチラチラと見ていたのは確かだ。やはりミューさんは、王女様のために、全種類を注文したのかもしれない。
(たぶん、お菓子作りの参考だよね)
塩辛い焼き菓子を思い出した。味はともかく、見た目は綺麗にできていたもんな。
そして、僕達は、部屋に戻ることにした。
「ミューは、苦しくて歩けないから、もう少し休憩してから戻りますぅ」
「あら、そう。ずっと休憩してなさい」
「わぁい、お許しありがとうございますぅ」
(いや、お許しじゃないはず)
デイジーさんは、フ〜ッと息を吐くと、立ち上がった。そして、僕の手を繋ぐんだよね。
ミューさんが、ヒラヒラと手を振る後ろで、レンフォードさんが何かの目配せをしてきた。
(何? 意味がわからない)
だけど、彼も、ここに残るつもりだということは理解した。ジャックさんも残るみたいだ。ミューさんが、ジャックさんに、お腹が苦しいと言って、引き止めているように感じた。
「はぁ、ミューってば、食い意地女王なのよね〜」
ポツリと、デイジーさんが呟いた。さっきの寂しそうな表情は、すっかり消えている。ミューさんが、ムードメーカーの役割を果たしているんだな。
「たくさん食べてましたね」
「ミューは、この国に来てから、レストランに入るといつも、お腹が苦しくなるまで食べるの」
「でも、いろいろなスイーツが見れて、楽しかったです。綺麗な飾りがついていたし」
「そうね。その点だけは、ミューを褒めてあげないといけないわ。でも、私が観察していても、気にせず食べてしまうのよ。やはり、褒めてあげる価値はないわね」
(ミューさんの努力に気付いてないんだな)
きっと、ミューさんは、わざとそうしているんだと思う。デイジーさんの参考のために、無理に大食いをしているとは思わせたくないんだ。
(いい関係だな)
気の強いデイジーさんは、僕と繋ぐ手をぶんぶん振りながら、歩いていく。
僕の前髪の青いリボンは、彼女のプライドを守る上で、必要なんだろうな。だけど、彼女は僕を通じて、リュックくんの気配を感じているんだ。
たぶん、この子供っぽい腕の振り方は、リュックくんに甘えているんじゃないかな。
僕達の前を、クライン様がゆっくりと歩いていく。子供だけで、宿の中を歩くわけにはいかない。護衛というより、道案内みたいな感じだ。
さらに、クライン様の歩くスピードが遅くなった。デイジーさんの振る手が、クライン様に触れそうな距離だ。
(うん? 何か、おかしい?)
そう感じた瞬間、僕の身体に不思議な鎧が現れた。そして、ブワンと、バリアで包まれる感覚。いつもの鎧とは違う。胸当てと手首だけだ。
(リュックくんの魔力が足りない?)
「えっ? 何か言った?」
デイジーさんが突然、叫んだ。誰も何も言葉を発していない。
「デイジーさん、いま、レジストしました」
クライン様が、あたりを警戒しながら、そんなことを言っている。何? 襲撃されたの?
「ライト! こいつは、俺には厳しい」
クライン様は、どこを見て言っているんだ? まわりをキョロキョロと見回しても、何もいない。
「ちょっと、クライン、何を言っているの?」
「デイジーさん、囲まれてます。ライトと手を離さないで」
「襲撃? それなら、あたしが!」
デイジーさんは、僕の手を離し、剣を装備した。
クライン様が、また、バリアをブワンと張ってくれた気配がする。だけど、彼の表情は険しい。
(何? 何もいないのに)
『ライト、ボーっとしてねーで、『眼』を使え。クラインには、荷が重い』
(リュックくん? わかった。魔力不足がひどい?)
『あ? いや、亀のとこに行く前くらいはある』
(そっか。なぜ、胸当てと手首だけなの?)
『その話は後だ。早く状況を把握しろ』
僕は、『眼』に力を込めた。透視が必要かな。いや、遠視? 何も見えないけど……。
『おまえ、何やってんだ? 下だ!』
リュックくんの声に少し焦りを感じる。床を見ると……。
(げっ? 何これ)
『デイジーの捕獲装置だろ。突然、現れた。ここで止まったクラインは、さすがだぜ。部屋の扉まで行くと、完全に囚われるだろーからな』
床には、魔法陣のようなものが見える。だけど、術者は、僕と彼女のどちらがデイジーさんか、わかっていないらしい。
魔法陣から立ち昇る何かは、僕とデイジーさんの間を行き来している。だから、クライン様が手を離さないようにと言ったんだ。
『クラインの術だ。だが、本体が来たら、バレる。ライト、頼むぜ』
(えっ……ちょ……)
『コイツをおびき出すために、二手に分かれたみてーだぜ? クラインなら対処できると思ったみてーだが、無理っぽいな』
(ちょ、でも、魔法陣を踏んでるよ?)
『転移機能はないから、安心しろ』
あー、転移魔法陣だと、僕は気絶してしまう。
(でも、どうすればいいかわからない)
『まぁ、なんとかなる』
(胸当てしかないってことは、敵は弱いの?)
『いや、クラインには無理みてーだぜ?』
(じゃあ、いつもの鎧は? やっぱり、リュックくん、魔力不足?)
『は? 物理攻撃を使わない相手に、鎧は、いらねーだろ』
(うん? それなら胸当てもいらないんじゃ?)
『それは要る。それがあるから、おまえとデイジーのどちらが魔人の血を引くか、わからねーんだよ』
(はい?)
どういうことだ? もしかして、リュックくんは、僕をおとりに使ってるのかな。
『デイジーは、経験不足だ。実戦には使えねーからな』
(わ、わかったよ)
クライン様は、何かの小瓶を飲んだ。魔力をかなり使っているのかもしれない。
「ちょっと、何もないわよっ!」
デイジーさんが部屋へと進んでいく。僕は、慌てて彼女の手をつかんだ。
彼女は振り解こうとする。だけど、リュックくんの鎧の効果で、いま、僕の力は増幅されているんだ。
「ダメです。扉の前には、捕獲の魔法陣がある。僕の手首をつかんでおいてください」
「何よっ! 無礼ね」
「手首のガードは、リュックくんの一部です」
僕がそう言うと、デイジーさんはおとなしくなった。そして、もう一方の手を、手首の鎧に重ねている。
(このための手首の鎧かな)
『なんだ? 魔人の娘は二人いるのか』
天井に巨大な顔が現れた。




