28、アージ沼 〜クラインの狙い
「遅くなりました!」
門番のリザードマンが、慌てた様子で戻ってきた。大きなリザードマンが、彼に来客を知らせたみたいだ。
クライン様は、僕の食事用のオレンジ色の甘くないプリンのようなものを食べている。悪魔族が食べられる物がわからなくて、大きなリザードマンが、それを彼に出したんだ。
「こんにちは。お邪魔してます」
「おぉお、クライン様、ようこそお越しくださいました! なっ、なぜ、そのような子供の食べ物を……」
門番のリザードマンは、クライン様の手元を見て、慌てているみたいだ。
「あはは、これ、懐かしいですよ。翔太が食べているんですよね。俺も、息子が赤ん坊の頃に、これを食べさせていましたよ」
(えっ!? クライン様に息子がいる?)
僕の記憶の中には、まだその情報はない。でも、そうか、あれから100年も経っているし、僕にも息子がいるみたいだもんな。
「赤ん坊? 子供用の食事ではないのですか?」
「これは、いわゆる離乳食かな。食べたことがなかったから、いい経験になったよ」
クライン様は、楽しそうにしているけど、リザードマン達はヒヤヒヤしているよね。
それに、僕の顔を見ながら、気まずそうにもしている。僕に、離乳食を与え続けていたんだもんな。
だけど、わざわざ僕のために、いつも買いに行ってくれていたんだ。僕としては、感謝してる。美味しくはないけど、不味くもないし。
「あ、あの、クライン様のような方がなぜ……」
だよね。絶対的に服従している悪魔族の人が来たなんて聞くと、びっくりして、すっ飛んで帰ってくるよね。
「うん、翔太がお世話になっている家を見てみたかったんだ。みんな、優しく接してくれたみたいだね。ありがとう」
クライン様がそう言うと、リザードマン達は、慌ててオロオロしている。
「えっと、ショータは、クライン様の……」
「俺の配下だよ。俺が成人する前からの付き合いなんだ。翔太の方が年上なんだけど、こんなに、可愛くなっちゃって」
そう言いつつ、クライン様は僕をつつく。なんだか、この状況を楽しんでいるようにも見える。
(そういえば、あの頃とは逆だな)
初めて出会った頃は、クライン様がチビっ子だったもんな。許婚のルーシー様と、とっても仲が良くて、かわいかったな。
「ええっ!? クライン様の配下! ショータは、とんでもないエリートだったんですね。小さな子供の頃に死んで、死霊に生まれ変わったのかと思っていました」
門番のリザードマンは、僕の方をチラチラ見ながら、オロオロしている。めちゃくちゃ焦った表情だ。
(はぁ、もう、この家には、居られないかな)
僕は、この家族を気に入っている。みんな優しいし、僕をペット扱いしているけど、剣術を教えてくれている。目が合うと悶えるのは、まだ若干、気持ち悪いんだけど。
「いろいろと、キミ達には誤解があるみたいだ。だけど、それは、翔太が望んだ結果なんだろうけど」
「そう、なのですか?」
(誤解って……何を言う気?)
クライン様は、僕をチラッと見て、微笑んだ。なんだか、僕を安心させるように頷いている。
「翔太はね、生まれ変わる前の、100年分の記憶を失っているんだよ。そして、翔太という名は、彼の前世の名前なんだ。彼の感覚も、前世に戻ってしまっている」
(えっ……言っちゃいけないことじゃないの?)
リザードマン達は、混乱しているみたいだ。生まれ変わるより前の、さらに前世の話をされても信じられないよな。
すると、大きなリザードマンが、口を開いた。
「クライン様、もしや、坊やは……異世界からの転生者なのですか」
(転生者のことを知っているの?)
「うん、地球という異世界の星からの転生者だ。翔太は、魔法のない世界の住人だったんだ」
クライン様の説明で、リザードマン達は、何かを察したらしい。ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。
「女神イロハカルティア様の転生者だということですね。毎年10人程度、増えていると聞きます。坊やは、100年前に……」
(ええっ? 僕の知らないことまで知ってる?)
「そうだよ。100年前の神戦争の1年くらい前だったかな? 俺が、彼と出会ったのは」
「まさか……その頃から、坊やは死霊だったとか……」
クライン様は、ゆっくりと頷いた。
リザードマン達の表情が、みるみるうちに、恐怖に染まっていく。僕を見る目が、あまりにも変わり果ててしまった。
(そうか。クライン様は、僕を連れ戻せと命じられたんだ)
ずっと素性を隠していた自分が悪い。それは、よくわかっている。だけど、言えなかった。だんだん言えなくなっていったんだ。リザードマン達は、みんな神族のライトを嫌っているんだから。
(もう、ここには居られない)
楽しかったここでの暮らしが、頭の中を駆け抜けていく。すべては、まぼろしか。嘘で固めていた報いだな。
「キミ達、翔太のことが恐ろしくなったかな?」
「えっ……えーっと」
リザードマン達は、大混乱中だ。
「ショータは、ショータだぞ。別に、恐ろしくなんてないんだからな」
負けず嫌いの兄ちゃんが、そんなことを言っている。だけど、その目は泳いでるんだよな。
「そっか。よかったよ。キミ達は、水辺の剣士リザードマンだもんね。記憶を失った幼い死霊を怖れるわけがないか」
「え、ええ」
(めちゃくちゃ怖がってるじゃないか)
もう、ここには居られない。クライン様は、僕がここを離れざるを得ないようにしているんだ。
僕が、ここで暮らそうと決めたことが、女神様に知られているのか。だから抵抗できないように、僕の居場所を無くすんだ。
(でも、戻る気にはなれないな)
魔族の国は広い。少し離れた場所なら、僕はまた、見ず知らずの死霊として生きていける。
「キミ達は、大魔王メトロギウスの言葉を、そのまま信じてきたんだよね。でも、それって誤解だよ。爺ちゃんは、神族のライトを嫌っている。それは、認めているということなんだ」
「そうなのですか?」
「うん、ウチの爺ちゃんは、負けず嫌いだからね。それに、悪魔族が最も優れた種族だと考えている。そして、死霊は、爺ちゃんの頭の中の序列では最下位なんだ。だから、認めたくないんだよ」
「序列一位はわかりませんが、最下位は、死霊かと……」
(やはり、最下位なんだ)
「死霊で大魔王になった者がいないからでしょ?」
「それを言われるなら、リザードマンも大魔王になった者は、おりません。我々は剣士ですから、魔族の国を守るのが務めです」
「そうだね。リザードマンは、忠実な剣士だ。ずっと昔から、悪魔族を支えてくれているね」
クライン様の言葉に、リザードマン達は顔を輝かせた。誇り高き剣士なんだな。
「いま、大魔王の座を奪おうとする争いが激化していることを、キミ達は知っているだろう?」
大きなリザードマンは驚いた表情だ。子供達は、首を横に振っている。だけど、門番のリザードマンは、表情は変わらない。父親だけが、知っているみたいだ。
「クライン様、家の者には……」
「知らせない方がいい?」
「いえ……」
悪魔族のクライン様に、黙れとは言えないよな。
「俺は、みんなに知ってもらいたい。都合の悪いことを隠そうとすることは、悪しき習慣だ。今、魔族の国は、かつてない危機なんだ」
(どういうこと?)
クライン様は、僕の顔を見た。そして何かを確認しているみたいだ。何? あー、僕が何を知っているのかを覗いてる?
もう、記憶のカケラのことなんて、どうでもいいのに。僕は、ステイタスが変わったんだ。もう、みんなが期待するような神族のライトにはなれない。
「地底にはね、今、多くの侵略者が隠れているんだよ。この星の保護結界が消えたら、即座に再び侵略戦争を始めようと、準備をしている」
「えっ……そんな」
「その中には、地底を乗っ取ろうとしている他の星の神々もいる。そいつらが、大魔王の地位を狙っているんだ」
子供達が怒りに震えている。そうだ、リザードマン達は、正義感が強い。何より、理不尽なことを嫌う。
だから、外来の魔物を容赦なく斬り捨てるんだ。他の星からの侵略者が持ち込んだモノなのだから。
「いくつかの種族の魔王や、それに次ぐチカラのある者が、奴らに操られたり、協力したりしているんだ。操られている者は、洗脳を解けばいい。だが、協力している者は、どうにもならないんだ」
もしかして、それって、巨大な亀のことを言っているのだろうか。タトルーク老師と呼ばれている元大魔王だ。
「クライン様、どうすれば、我々は魔族の国を守ることができるのでしょうか」
門番のリザードマンは、すがるような目をしている。不安でたまらないのだろうな。こんな状況で、門番なんて……死と隣り合わせの仕事じゃないか。
「奴らが敵わないと諦める者が、大魔王の座を狙っているとすると、どうだろう?」
(ワーム神の主人だという人のことかな?)
なぜか、リザードマン達の視線が僕に向いた。




