27、アージ沼 〜悪魔族クライン
「クラインさま……」
「おっ、俺の記憶のカケラが見つかった?」
「はい」
僕が、沼の上で出会った彼は、優しい笑みを浮かべて、僕と一緒に浮かんでいるリザードマンの子供に目を移した。
リザードマンの兄ちゃんは、いま、僕の能力で半分霊体化している。壊れた画面のように見えるんだよね。
兄ちゃんは、突然現れたクライン様に驚いている。
リザードマンの子供は、まだ羽がないから飛べないけど、半分霊体化していると、ふわふわと浮かぶんだ。
だけど、クライン様は完全な人の姿で、空中に浮かんでいる。兄ちゃんは、なぜ浮かぶんだ? と呟いている。そのことが、彼に、とんでもない畏怖を与えているのかもしれない。
「翔太がお世話になっている家の子かな?」
(ライトじゃなくて、翔太と言ってくれてる!)
「えっ? は、はい、あの、ショータは、ニクレア池に輝きが戻るまで、ウチで保護するって父ちゃんが……」
リザードマンの子供は、完全に怯えているみたいだ。声が震えている。
あっ、クライン様が悪魔族だとわかるんだ。リザードマン達は、悪魔族に絶対的に服従しているもんな。
「そっか、翔太の世話をしてくれてありがとう。ちょっと、キミ達の家にお邪魔してもいいかな?」
悪魔族クライン様のお願いを、リザードマンの子供が断ることなんて、できるわけがない。オドオドしながら、コクコクと頷いている。
「クラインさま、なぜ……」
「ふふっ、翔太の行方がわからなくなって、猫ちゃんも慌てていたよ」
僕が、どの家で暮らしているかを知りたいんだ。猫耳の少女……女神様が、クライン様に、僕を捜させていたのか。
「ぼくは、もどりません」
「安心して。翔太を連れ戻しに来たわけじゃないよ。翔太がお世話になっている家族にお礼が言いたいだけだから。それに、俺、リザードマンの普通の家に入ったことないんだよね」
なんだかクライン様は、少年のような悪戯っ子な笑みを浮かべている。
僕の記憶の中のクライン様は、初めて会った5歳の姿の印象が強い。その後のことは、なんだか霧がかかったようにぼんやりとしている。
だけど、目の前の彼は、20代後半くらいの大人の姿なのに、なぜかクライン様だとわかるんだよな。
「翔太が思い出したのは、まだ一部分だけのようだね。やはり、記憶のカケラは、場所と人物の合致が、出現要件になっているみたいだな」
(意味がわからない)
今、僕は霊体化しているから、その表情なんてわからないはずなのに、クライン様は僕を見てクスリと笑った。あー、考えていることが見抜かれているのかな。
ザバン!
沼から水音が聞こえた。
「あっ、さっきの噛みつき魚が追いかけてきた!」
リザードマンの兄ちゃんは、泣きそうな顔をしてしいる。彼の足からは、血が出ている。そのニオイを追ってきたのかな。
すると、クライン様が、沼に手を向けた。そして……。
ダダダダダッ!
まるで機関銃のように、火の弾を放っている。
(す、すごい)
しかも、魔物だけを正確に撃ち抜いているみたいだ。沼の中にいる魔物にも、火の弾は当たっている。水の中に入っても火の弾は消えないんだ。
「リザードマンの坊や、心配しなくても大丈夫だ。このアージ沼の異変には、大魔王様が対応しているよ。さっき、魔導塔から魔物への一斉攻撃もあっただろう?」
「は、はい!」
さっき、草むらが燃えていたのは、魔導塔からの攻撃? 魔導塔って何? なんだか怖い。何かに、見張られているような気になる。
「翔太、魔導塔はね、魔族の国の防衛拠点なんだ。悪魔族のホップ村の中心にあるんだよ」
「えっ? ホップむらは……」
(戦乱で失われたんじゃないの?)
「石山にあった旧ホップ村は、神々の侵略戦争で、山ごと吹き飛ばされてしまったよ。だけど、街の方は大丈夫だ。魔導塔があるからね」
「じゃあ、ホップむらのホップばたけも……」
「うん、畑も焼けてしまったよ。石山にこだわっていた住人は、まだ諦めきれないみたいだけどね。えーっと、家はどっち?」
リザードマンの兄ちゃんが、とんがっている石を指差している。クライン様は、ふわりと微笑んだ。
(はぁ、石山が消えたのか……)
僕は、石山のホップを使って、特殊なポーションを作っていた気がする。とは言っても、ポーションは、魔道具『リュック』に、素材をいれておけば、知らないうちに出来るんだけどね。
はっきりとは思い出せないけど、幼かったクライン様の配下になると決めたのは、あの場所だったんじゃないかな。
幼かったクライン様は、父親が目の前で飛竜の炎で殺されたトラウマから、火を恐れていた。それなのに、僕を助けるために、火をまとった魔剣を使ってくれたんだ。
僕は、あの頃は17歳だったけど、幼いクライン様の気持ちに驚いた。そして何より、とても嬉しかった。
そういえば僕は、彼の死んだ父親に雰囲気が似ていると、周りの人達から言われたっけ。だから、幼いクライン様は、僕に懐くのだとも言われた。
弱い僕を守るために、配下にしてあげると言ってくれたクライン様。だけど、魔族の国で地位の低い死霊の僕を配下にすると、彼の格が下がるんだっけ。だから、大魔王メトロギウス様は大反対だった。
だけど、クライン様は、そんなお爺様の言葉よりも、僕を守ろうとしてくれた。だから僕は、優しく幼い彼を支えようと決めたんだ。
たぶん、その関係性は、僕が成長しても変わらないのだろうな。なんだか、クライン様の顔を見ていると、そんな気がしてくる。
「翔太、能力を解除してよ。みんなが驚いているよ」
いつの間にか、リザードマンの家に着いていた。あれ? どうやって来たんだっけ? クライン様の重力魔法で、引っ張られたのかな。
僕は、霊体化を解除した。
「うおぉ、兄ちゃんが飛んできた? ショータの能力なのか? すげぇ〜」
「お客さんがいるから、騒ぐな」
出入り口を開け放していたことで、大きなリザードマンが近寄ってきた。あの顔は、怒ってる。彼女は、沼の臭いが嫌いなんだよな。
「あんた達、何度言ったらわかるんだい。開け放してるんじゃないよ! この……えっ……あわわわ」
クライン様の姿を見つけ、大きなリザードマンは、固まっている。いつも豪快な彼女が、こんなに動揺した顔を見せるのは初めてだ。
「こんにちは。奥さん、ちょっと、お邪魔してもいいかな?」
「えっ、あ、は、はい。ええっと……子供達が何か、失礼なことを……あぁぁ、も、申し訳ありません!」
(誤解なんだけど)
「奥さん、違いますよ。俺は、翔太がお世話になっているので、お礼を言いたくて来たんです」
「へっ!? ショータの? あぁ、そうでしたわ。ショータは、悪魔族だったから……い、いえ、あの……」
大きなリザードマンは、なんだかパニック状態だ。
「母さん、出入り口、おもいっきり開け放してるけど、いいの? 家の中に入れないよ」
兄ちゃんにそう言われて、彼女は、ハッとしている。
「失礼しました。ど、どうぞ、クライン様」
(えっ? クライン様の名前を知ってるんだ)
「ふふっ、ありがとう」
僕達が、家の中に入ると、大きなリザードマンは、バンっと出入り口を閉めた。家の中が、思いっきり沼のニオイになってる。
「へぇ、リザードマンの家って、広いんだね。これは、陶器でできているのか。ツルツルするね」
(そう、ツルツルなんだ)
リザードマンは、常に足の裏はネチャッとしているから、陶器のような床は歩きやすいんだろうけど、僕は、ツルツルすぎて歩きにくいんだ。
彼女は、吊るしてある芳香剤代わりの草を、取り替えている。沼のニオイがひどいもんね。
「その草は、ボージャミンかな?」
「は、はい、そうなんです。ここは、風下に出入り口があるので、沼のニオイがひどくて」
大きなリザードマンは、緊張しながら話している。彼女の緊張が伝わったのか、子供達もガチガチになり始めた。
「確かに、この沼は、ちょっと臭うよね。戦乱前は、こんな臭いはしなかったのにな。たぶん外来の虫だな。ミミット火山付近の外来の魔物を使おうか」
「えっ、ワーム神の火山にも外来の魔物がいるのですか」
(ワーム神? そんな神様がいるの?)
クライン様が、チラッと僕を見た。あれ? なんだか、不安そうな表情だ。
「ミミット火山をすみかにしているワープワームは、一部の外来の魔物を支配下においたみたいだよ。外来の魔物を駆除するには、同じ星の魔物を使う方が効率がいいからだね」
「そんなことが? さすがというか、ますます恐ろしいですね。あのワーム神の主人は、魔族の国を乗っ取るつもりでしょうか」
「あはは、それは面白いね。そうなると、魔族同士の戦乱がなくなるかもしれないよ」
「ですが、クライン様、そうなると大魔王様が……」
「ふふっ、そのワーム神の主人は、俺の配下だからね。爺ちゃんは嫌がるだろうけど、魔族の国の序列は変わらないよ」
すると、大きなリザードマンは安心したように頷いた。




