26、アージ沼 〜沼の異変
僕がリザードマンの家で過ごすようになって、しばらくの時が流れた。正確には数えていないけど、たぶんひと月くらいは経ったと思う。
地上がどうなっているのか、少し気になるけど、僕は、もう、地底で暮らすと決めたんだ。
最初は、なかなか捕まえられなかった魚も、今では、簡単に捕まえることができるようになった。それに、少し前からは、剣術も教えてもらってるんだ。
「ショータ、おまえ、本当に死霊かよ?」
(そう言われると、ギクリとするんだよね)
「なんだか、成長が早すぎないか」
最近では、リザードマンの子供達と、僕は互角になってきている。補助魔法を使うと、僕の方が強いんだけど、これは反則だと思うから使っていない。
「ありがとう。みんなのおしえかたが、うまいんだよ」
「俺達リザードマンは、水辺の剣士と言われてるからな。強い人に教えてもらうと、早く強くなるんだ」
「でも、早すぎないか? ショータは、身体はまだ、こんなに小さなままなのに」
(身体は、成長しないよな)
「小さくて可愛いのに、油断していると負けちゃうぞ」
沼で狩りをしたり、剣の手合わせをしていると、子供達は、僕を互角な存在として扱ってくれるようになってきた。
だけど、家の中では、相変わらず、ペットのように大切にされているんだけど。
「ショータが強くなってきたけど、俺達も強くなってるんだぜ。昨日、ミドリの奴らとヤセの奴らに言われたんだ」
(ふぅん、相乗効果かな?)
ミドリやヤセというのは、リザードマンの他の家族の名前だ。僕が居候している家の人達は、トンガリと呼ばれている。
「そうだぞ。オラより年上のヤセよりも、オラの方が強くなっているんだ」
「へぇ、みんな、すごい」
僕が褒めると、彼らが気持ち悪く悶えるのは、いまだに変わらない。もう、そういう種族だと割り切っている。
「よし、誰がたくさん狩りができるか、競争しようぜ」
「えー? また、やるの? 兄ちゃん、いっつも二番だよね〜」
「今日は、負けないぜ」
また、負けず嫌いな兄ちゃんが、言い出したよ。昨日は、女の子が一番になったんだよな。
リザードマンの兄弟は、四人のようだ。女の子が一人で、他は男。でも、一人は母親の近くにいつもいるから、沼で遊んでいるのは三人、僕を含めて四人なんだ。
昨日、勝った女の子は、今日はあまり競争する気はなさそうだ。男二人が必死に魚を狩っている。
僕は、いつも、この競争には気を遣っている。リザードマンって、意外にプライドが高いんだ。だから、僕みたいな死霊に負けるのは嫌なんだと思う。
一生懸命のフリをするけど、あまり獲りすぎないようにしている。僕は『眼』を使えば、楽勝なんだけど。
「あっ! 魔王様が家の中に入れって言ってる」
僕の近くで、適当に魚を狩っていた女の子が、そう教えてくれた。僕には何も聞こえなかったけど、リザードマンだけに聞こえる念話らしい。
沼にいた他のリザードマン達は、慌ててそれぞれの家に入っていく。緊急なのかな。
「あのふたりには、きこえてないのかな」
「聞こえているはずだけど……どうしよう?」
「オジサンは、きょうは、もんばんのしごと?」
「うん、父ちゃんは、門番の仕事中だよ」
「じゃあ、おねえちゃんは、いえに、はいってて。ぼく、ふたりに、こえをかけてくる」
「わかった。ショータ、お願いね。たぶん、近くで戦乱が起こったんだと思う」
「えっ? せんらん?」
「うん、沼の中に潜っていれば、たぶん大丈夫なんだけど」
「じゃあ、いそいで、いってくる」
沼で狩りをしていたリザードマン達も、ほとんどが家の中に、入ったみたいだ。だけど、トンガリの子供二人は、魚を狩ることに必死で、気づいていないようだ。
僕は、彼らの方へと、沼の上をぴょんぴょんと駆けていった。沼の上には、足場となる大きな草が、あちこちに浮かべてあるんだ。
「おにいちゃん、まおうさまのこえ、きこえた?」
「へ? 何?」
(やはり、聞こえてなかったか)
「すぐに、いえのなかに、はいりなさいって」
「うぎゃ、戦乱かよ。あれ? 兄ちゃんはどこへ行った?」
一番上の、負けず嫌いの兄ちゃんの姿が見えない。僕は、まわりをぐるりと『見て』みた。『眼』を使えば、遠視も透視もできる。
だけど、沼の上にはいない。沼の中の透視は、たくさんの家があるから捜しにくいんだよな。どうしよう。
「あっ、ショータ、兄ちゃんが……」
リザードマンの子供が指差した方を見ると、沼のまわりに生い茂る背の高い草の中に、負けず嫌いの兄ちゃんの姿が見えた。
僕は、さらにその付近を『見て』みると、人間の姿をした人達に囲まれていることがわかった。
「近くにいるのは、地上の人間なのかな?」
「違うよ。あれは、大魔王メトロギウス様の配下の人達……えっ? ショータって、悪魔族だったのに知らないのか」
(げっ……やばっ)
「ぼく、にんげんだったとおもう」
「へ? 人間なら、そんな強い死霊にはならないぞ。うーん、ショータは小さかったから、わかってないのかぁ」
リザードマン達は、僕が何を言っても、僕が悪魔族だったと信じて疑わないんだよな。
彼らは、悪魔族に絶対的に服従している。だから、そう思いたいのかもしれない。
ドォォン!
突然、沼の近くに、何かが落ちた。ボッと草が燃え上がり、リザードマンの兄ちゃんは、慌てて沼に飛び込んでいる。
「兄ちゃん! 家に入らないと!」
リザードマンの子供が叫んだ。だけど、兄ちゃんは、浮上してこない。その付近を『見て』みると、彼は、何かに沼の中で、捕らわれている。
「ぼく、ちょっとみてくる。さきに、かえってて」
「えっ? ショータ、危ないぞ」
「だいじょうぶ。ぼくは、アンデッドだよ」
僕は、霊体化! そして、透明化! を念じた。
「えっ? ショータ、どこに行ったんだ」
「まだ、ここにいるよ。ちょっと、いってくるから、にいちゃんは、はやく、いえにかえっていて」
「すごいな。全然、気配がわからない。やっぱり、悪魔族の力って、死霊になっても衰えないんだ」
(悪魔族って……そんなすごいの?)
僕が返事をしないでいると、リザードマンの子供は、家の方へと沼の上を駆けていった。
僕は、ふわふわと沼の上を飛んで、リザードマンの兄ちゃんが沈む場所へと移動した。
そして、沼の中を泳いでいく。重力魔法を使っても、沼の中は、なかなか進まない。
(あっ、噛まれてる)
僕は、リザードマンの兄ちゃんの身体に触れた。そして、透明化を解除した。すると、彼は僕に気づいた。息苦しそうにしている。
僕は、霊体化を解除し、彼の手を握った。そして再び、霊体化! を念じた。すると、リザードマンの兄ちゃんも、半分霊体化されている。なんだか壊れた画面のように見えるんだよな。
そのまま、重力魔法を使って、彼を引っ張ると、魔物から引き剥がすことができた。そして、沼の水面の上へと、浮上する。
「ぶはぁっ、すごいな、ショータ。助かったぜ」
「にいちゃん、まおうさまのこえ、きこえなかったの?」
「えっ? 戦乱か? だから、大魔王様の兵が、声をかけてきたのか。でも、戦乱って感じじゃなくて、魔物がって……うわぁ、ショータ!」
ザバン!
何かが、僕達を丸呑みしようとして、すり抜けていった。こんな魔物、この沼にいなかったよな?
(陸地の方が安全か)
僕は、火が燃える草むらの方へと、リザードマンの兄ちゃんを連れていった。
「ちょ、ショータ! 燃えてるから!」
そっか、だから、慌てて沼に飛び込んだんだよな。なぜ、大魔王様の兵は、この火を放置して行ったんだ?
「だいじょうぶ、けすから」
岸にたどり着くと、霊体化を解除した。そして、念のため、燃える草むらを『見て』みた。
(あー、そういうことか)
草むらの中では、沼の中にいたのと同じ魔物が、暴れている。火に弱いのかな。ということは、わざと燃やしてる?
「にいちゃん、けせないかも」
「だろ? ちょ、どうする?」
僕は、彼の手を握り、霊体化! を念じた。
「とんでかえろう」
「すごいな、ショータ」
そして彼の手を握ったまま、家を目指して、最大スピードで飛んでいった。
「見つけたよ、翔太」
目の前に、突然、見たことのない人が現れた。人の姿をしているのに、空中に浮かんでいる。
だけど、死霊は急に止まれない。
そのまま、彼を通り抜けていった。まぁ、いっか。兄ちゃんを家に届けるのが先だ。
(あ、あれ?)
再び、目の前に移動してきた男の胸に、キラッと光るものが見えた。
(えっ? あれって……)
もちろん、死霊は急に止まれない。彼の身体を通り抜けてしまった。
その次の瞬間、コマ送りのフイルム映画のように、何かの映像が頭に流れ込んでくる。
(あっ、クライン様……)
そうか、彼は、僕が初めて魔族の国に来たときに、僕を守ってくれた悪魔族のクライン様だ。大魔王メトロギウスの直系の何世代か先の孫にあたる。
そして彼は、僕の、優しい主君なんだ。




