100、スチーム星 〜忘却の果実
メインの宿舎だという、オフィスビルのような建物に入ると、僕は不思議な懐かしさを感じた。
しかし、なぜ、こんな知らない星の地下に、オフィスビル……。そもそも、神族の街に、僕の記憶からそんなものが造られていたことに驚く。
(まぁ、女神様は、あんな性格だからかな)
入り口には、ガラスの自動ドアまでがついていた。だけど、手動で開ける方式なのは、当たり前かな。この世界には、電気なんてないもんね。
歩く僕達を気にすることもなく、建物内では、みんな忙しそうにしている。ガランと広い部屋だけど、宿舎っぽさはないんだよな。
「外観は、神族の街にある塔とそっくりだったけど、低いよね。それに、扉が引き戸なのは、偽物だからだね」
(うん? 何?)
レンフォードさんが興味深そうに、あちこち眺めている。ジャックさんも、似たような反応だな。
「そこまでは、さすがに真似ることができないんじゃないっすか? あの半月玉の構造は、ライトさんしか知らないっすよ」
(半月玉? 何のことだろう?)
そういえば、建物の中には、エレベーターに見えるものがある。そのボタン付近に黒く丸い玉が埋まっているけど。
階段を上がったところで、案内してくれていたイロハカルティア星からの遭難者は、立ち止まった。
「今の時間は、仕事の時間なんです。もうすぐ夕食の時間だから、みんなそろそろ戻って来ますけど」
ぐぅうぅ〜
(ありゃ、シャインのお腹が)
手を繋いでいるシャインの表情を覗くと、恥ずかしそうにうつむいてしまった。ふふっ、食いしん坊だね。というか、ずっとお腹が減ったと言っていたもんな。
「シャイン、腹が減ったのか?」
シャインの知り合いの男性は、僕にそう尋ねる。いや、なぜ間違えるかな。
「シャインは、こっちですよ。さっきからずっと、お腹が減っているみたいですが、大丈夫ですよ」
(たぶん、ポーションで生きていけるよね)
僕がそう言うと、シャインの知り合いの男性は、頭をぽりぽりとかいている。そんなに似ているのかな。
「この先の畑で採れる果物なら、たくさんあるぜ」
そう言われて、シャインは僕の手を引き、彼についていく。エサにホイホイと釣られるタイプだね。
ジャックさん達もついてくる。彼らも、お腹が減っているのかな。
「うわぁ、すっごい!」
「好きに食べていいぜ。ここでは、おやつはない代わりに、果物はたくさんあるんだ」
「いただきます!」
シャインは、目をキラキラさせて、大きなオレンジ色の果実に、かぶりついている。トマトのような香りがするけど、甘いのかな。
ジャックさんも、ひとかけら口に入れ、何かの小瓶を飲んだ。そして、レンフォードさんに何かの合図をしている。
「あたしも、食べてみようかな〜」
赤いワンピースの少女が、鼻をヒクヒクさせている。
「サラドラさんは、やめておく方がいいっすよ」
「ちょっと、ジャック! なぜ、あたしが食べちゃいけないのよっ」
「毒耐性は高いですか?」
なぜか、ジャックさんの口から毒という言葉が出てきた。いやいや、シャインが食べてるよ?
「それなりに高いわよっ」
「下手をすると、いろいろと忘れますよ?」
すると、魔王サラドラさんは手に持っていた果物を燃やしてしまった。もったいない。あ、あれ? 変な臭いがする。
「おまえ、バカだろ!」
ノームの魔王ノムさんは、砂のような何かを撒いた。すると臭いは消えたけど、床は砂だらけになっている。
「あんたこそ、何してんのよっ」
「ふん、まとめれば文句はないだろう」
床に落ちた砂は勝手にまとまり、岩の塊ができた。
「こんな場所に、石ころがあるのも邪魔じゃないっ」
「そのうち消える。分解の土偶だ」
魔王ノムさんのその言葉に、魔王サラドラさんの頭の上の花は、ピコピコと反応している。
「あ、あの……魔王二人は何を」
シャインの知り合いの男性は、この状況に困惑しているようだ。遠巻きに、こちらを見ている人達も不安そうだよな。
「皆さんが戻られたら……いや、これは、いいかな。この場所で採れる果物には、弱い忘却の毒が含まれるみたいです」
(忘却の毒?)
レンフォードさんが話し始めると、遠巻きに見ていた人が注目していることがわかった。
「ええ、俺達は、110年後のこのスチーム星で、同じ物を食べたので、これは、この星にずっとある果物のようです。イロハカルティア星の住人には、毒になる食べ物が多いのですよ」
たぶん、レンフォードさんは、言葉に配慮を加えたみたいだ。これを提供する側に、悪意があるとは限らないもんな。
「110年後……」
「はい、皆さんを探し当て、元の星に連れ帰るために、俺達は、神々の仕掛けを利用して、この地にやってきましたからね。だけど、助けに来たと言っても、反応が薄い。どうしてでしょうかね」
レンフォードさんは、答えがわかっているかのように、彼らに問いかけている。
遭難者達は、イロハカルティア星に戻ろうという気を失っているのかな。この場所での生活に満足し始めているのかもしれない。
(毒なら、シャインは……)
シャインは、キラキラとした笑顔で、次々と果物を食べているんだけど。
「あっ! 兄さん? 手も口もベタベタじゃない。なぜ、ちゃんとできないかなぁ。うん? んん? 誰?」
シャインのことを間違わずに、兄さんと呼ぶ女性。そっか、この人が、シャインの双子の妹ルシアかな。
見た目は、30代半ばくらいに見える。頭の上には耳はない。髪色は、僕に近い薄茶色だ。だけど、その顔は、アトラ様によく似ている。
「ルシア、かな? 僕はライトだよ」
「へ? そうだけど、どこのライトくん? えーっと?」
キョトンとして首を傾げる姿も、アトラ様に似ている。だけど、アトラ様より随分と大人だ。サバサバした冒険者っぽい雰囲気だな。
(80代には見えないね)
僕が、ニヤニヤしていたのか、ルシアは怪訝な表情を浮かべている。頭の中にあるライトくんリストを探しているのだろうか。
だけど、ジャックさんやレンフォードさんが居ることに気づくと、彼女は、ハッとした表情を浮かべた。
「まさか、父さん? 兄さんに似てるんだけど」
「ふふっ、正解だよ。とは言っても、今の僕は、記憶があまり戻ってないんだ」
すると、ルシアは、表情を引き締めた。
「侵略戦争は、どうなったの?」
「僕には、イマイチわからない」
僕がジャックさんの方を見ると、ルシアの視線も彼に向いた。
「ルシアさん、お久しぶりっす。転移事故で、ここに来たことはわかってるっすか?」
「ええ、わかっているわよ。バカにしてない?」
「してないっすよ。みんな、どんどん忘れていってるみたいっすから。まぁ、その原因は、ハッキリしたんすけどね」
ジャックさんの視線は、大量に積み上げられたオレンジ色の果物に向いている。シャインは、気にせずバクバク食べてるんだけど。
「なるほどね、洗脳系の果実かしら」
「忘却系っぽいっすね」
(ちょ、シャインが食べてるのに、いいの?)
「毒無効持ち以外は、最近なんだか、様子がおかしかったのよ。それまでは、みんな必死に帰る方法を探していたのに」
ルシアがそう話していると、一人の男性が近寄ってきた。
「ここがハロイ島だと勘違いしている奴もいます。帰りたい気持ちで、おかしくなっているのかと思っていましたが」
「何日くらい経過してるっすか?」
「まだ、数日ですよ。俺は週に一度程度の食事でいいので。だけど、この地で食事をするには、地上に行く必要があるかと考えていたんですけどね」
(週に一度?)
見た目は、普通の人なんだけどな。僕の後方に何かを見つけて、めちゃくちゃペコペコしている。
振り返ると、僕のすぐ後ろに、ドラゴン族のマーテルさんの眷属の彼がいた。
「週に一度だと? 月に一度で十分だろ」
(珍しく、強気発言だ)
「す、すみません。まだ、若いので、腹が減ってしまって。だけど、獲物がイマイチなんですよ。外来の何かを狩るしかないかと……」
(うん? ドラゴンなのかな)
「その必要はない。イロハカルティア星に戻るんだからな。しかし、この地の食べ物が、毒になるとは……」
マーテルさんの眷属の彼は、考え込んでしまっている。神スチームの仕業だと考えているのだろうか。
「ライト、いいこと思いついちゃった!」
赤いワンピースの少女が、シャインと並んで、オレンジ色の果物を食べ始めた。
「このバカは、もう食べるなと言われたことを忘れたらしい」
魔王ノムさんの言葉を無視して、魔王サラドラさんは、シャインと競うように食べている。機嫌が良さそうだけど、何を思いついたのかな。
「ライトさん、遭難者全員の毒消しをして、話し合いをするっすよ。クリアポーションは、あるっすか?」
ジャックさんは、小声で僕に囁いた。
(なぜ、小声?)
「はい、あの……」
「神スチームが、作為的に毒を使っているなら、必ず監視者が紛れ込んでるっす。自然に毒消しするっすよ」
(どうやって?)




